精選版 日本国語大辞典 「紀ノ川」の意味・読み・例文・類語
き‐の‐かわ ‥かは【紀ノ川】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
奈良県
川名は紀伊国第一の川の意と思われ「万葉集」巻七に
とみえる。その後も歌に詠まれた。
空海が自ら記したという御手印縁起に高野山領の四至の北限として「日本河」「吉野川」とあり、同縁起の絵図にも「日本河亦為吉野川」の注記がみえる。「宇治関白高野山御参詣記」永承三年(一〇四八)一〇月一三日条には「木御川」、「為房卿記」永保元年(一〇八一)九月二六日条に「今朝浴紀伊御川解除」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良県の大台ヶ原山に源を発し,奈良県の南部と和歌山県の北部を西流して,和歌山市で紀伊水道に注ぐ川。幹川流路延長136km,全流域面積1660km2。西南日本を地質的に外帯と内帯に分ける中央構造線に沿って廊下状の狭い谷を流れる。上流の奈良県内では吉野川と呼ばれ,和歌山県に入って橋本市より下流が紀ノ川と呼ばれる。水源にあたる大台ヶ原山(1695m)一帯は日本有数の多雨地帯で,樹林の生長がよく,吉野川流域は林業が発達している。紀ノ川河谷の北側は,中生代の和泉砂岩からなる和泉山脈が東西に延び,中央構造線がその南麓を走るため,急傾斜の断層崖が続き,山地からの支流の規模は小さい。これに対し河谷の南側は古生層の結晶片岩からなる山地が広がって,丹生(にゆう)川(奈良),丹生川(和歌山),貴志川など比較的大きな支流が流れる。奈良県五条市より下流の北岸には,標高200mより低い所に,最高位,高位,中位,低位の4段の河岸段丘が発達しているが,低位段丘面を除くと和泉山脈から流れる数多くの小さな支流に浸食されて複合扇状地を作るなど,不規則な地形を示している。紀ノ川の南岸では,段丘の幅が狭く発達が悪いが,紀の川市の旧粉河(こかわ)町より上流では高位と中位の段丘面の連続性がよく,下流では低位段丘の発達がよい。岩出市から下流にはくさび形にはんらん原が広がり,和歌山市街地では三角州の特色を示し,海岸部には数条の砂丘列が認められる。
紀ノ川河谷は和歌山平野と呼ばれ,平野に乏しい和歌山県内では全平野面積の1/2を占め,農業をはじめ工業,交通の面でも重要な地域である。交通では上流の吉野地方の杉材の積出しが,昭和10年代にトラックに代わるまでいかだ流しによって行われ,河口の和歌山市へ運ばれていた。トラック輸送に代わってから吉野材は五条から桜井へ出荷され始め,現在では和歌山市は外材の輸入港へと性格が変わった。一方,明治末に紀和鉄道(現,JR和歌山線)が川沿いに開通するまで,紀ノ川では川上船と呼ばれる30石船が,橋本~和歌山の間で物資の輸送を行ってきた。紀ノ川では明治までほとんど架橋されなかったため上流から橋本渡(橋本市),九度山渡(九度山町),麻生津(おうづ)渡(現紀の川市,旧那賀町),田井ノ瀬渡(和歌山市)などの渡場が発達し,その多くは上下船の船津を兼ねていた。鉄道が開通してから交通の流れは,下市(奈良県)より上流は近鉄吉野線,南大阪線によって,奈良,大阪へ,五条~橋本間は和歌山線および南海高野線によって奈良,大阪へと変化した。その結果,紀ノ川の上流と下流の交通の結びつきは減少したといえる。
水利用では,明治以前に宮井,四ヶ井,六ヶ井,藤崎井,荒見井(安良見井),小田井などの用水が,紀ノ川の下流から順次引かれ,はんらん原から低位段丘面の灌漑が行われてきたが,さらに高位の段丘面は,小河川,溜池の水に頼る乏水地域であった。第2次大戦後,紀ノ川・十津川総合開発の一環として,吉野川の上流に津風呂ダム(1962),大迫ダム(1973)を築いて貯水し,奈良盆地へ灌漑用水を送り始めた。また,十津川の上流に築いた猿谷ダム(1957)によって十津川の水を丹生川(奈良)へ引き,吉野川から紀ノ川の高位段丘面へと灌漑用水を送り始めている。農業では,下流は水田率が高く,中流は柿,ミカン,桃などの樹園率が70%と高い。工業では,橋本市の旧高野口町のシール織工業を除くと,河口の和歌山市に繊維,木材,皮革や鉄鋼,化学工業が集中している。流域の開発では将来,下流の海岸部に阪和高速道路を海南市から有田市方面へ延ばし,阪神工業地帯の南縁としての性格を高めようとしている。一方,上流の橋本市では,南海高野線によって大阪の通勤圏に入ってきたため,最高位段丘の宅地開発が進められている。このように上流と下流の開発が別個に行われ,流域全体のまとまりは薄れている。
執筆者:水田 義一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
和歌山県北部、和泉(いずみ)山脈南麓(なんろく)の中央構造線に沿って、ほぼ直線状に西流して和歌山市で紀伊水道に入る川。紀伊国第一の川なので紀ノ川という。一級河川。上流は奈良県の大台ヶ原山(1695メートル)に発する吉野川で、和歌山県に入ってから紀ノ川とよぶが、河川法では全体を紀ノ川とする。延長136キロメートル(和歌山県内55キロメートル)、流域面積1750平方キロメートル。なお猿谷(さるたに)ダムによる十津川(とつかわ)上流の流域変更分を加えれば2113平方キロメートルとなる。流域の大部分は山地であるが、河口の和歌山平野は県内最大で、県内の流域人口は県人口の55%に及ぶ。上流吉野川は峡谷の様相を示すが、中流粉河(こかわ)までの北岸には洪積段丘が、下流には複合扇状地がみられ、河口三角州の発達は顕著ではないが、流路変遷を思わせる和歌川、土入(どにゅう)川、水軒(すいけん)川などの旧河道が浜堤の内側に残る。流量変化が著しく、大迫(おおさこ)、大滝(おおたき)のダムが上流につくられている。吉野材の流送、高野山(こうやさん)への貢米輸送、橋本塩市への三葛(みかづら)塩の運送など水運の歴史は古く、河口の男之水門(雄湊)(おのみなと)や鎌垣(かまがき)船の記録もあり、近世には川上船が往来して船戸、粉河、麻生津(おおづ)、九度山(くどやま)、橋本、五條(ごじょう)などの河港や城下町若山湊(みなと)が発展した。明治まで架橋が許されなかったため、高野、熊野、上方(かみがた)の各街道の渡津もにぎわった。水運は和歌山線の開通とともに衰え、河港は鉄道駅の在町に変わった。水運だけでなく農業用水の利用も多い。江戸初期の篤農大畑才蔵(『地方(じかた)の聞書(ききがき)』の著者)による藤崎(ふじさき)、小田(おだ)の井堰(いせき)築造など多くの井堰によって流域の開田が進んだ。現在では奈良盆地へも分水している。上水や工業用水の利用も広がっている。
[小池洋一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
1/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
12/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新