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宮城県北東部、登米郡(とめぐん)にあった旧町名(迫町(ちょう))。現在は登米市の西部を占める地域。旧迫町は、1955年(昭和30)佐沼(さぬま)町と新田(にった)、北方(きたかた)の2村が合併して成立。2005年(平成17)登米(とよま)、東和(とうわ)、中田(なかだ)、豊里(とよさと)、米山(よねやま)、石越(いしこし)、南方(みなみかた)、津山(つやま)の8町と合併して市制施行し、登米市となった。JR東北本線、国道346号、398号が通じる。東部を迫川が南流し、中部には長沼、北部には伊豆沼(いずぬま)、内沼(うちぬま)がある。船越沼(ふなこしぬま)はすでに干拓され、伊豆沼、長沼周辺も干拓が進められてきた。地域の大部分は標高8メートル前後の水田で、江戸期からの穀倉地帯であったが、洪水にみまわれることも多かった。米作を基幹とし、畜産、園芸も盛んで、とくに肉用牛の飼育は県でも有数の規模である。中心集落の佐沼は、藤原秀衡(ひでひら)の家臣照井太郎高直築城の地と伝えられ、江戸期には伊達(だて)家の一家亘理氏(わたりうじ)の居城があった。明治以降も迫川の水運、軽便鉄道の敷設など交通の要衝であり、現在も登米地方の行政、経済、文化の中心。伊豆沼、内沼にはハクチョウ、マガンなどが飛来し、「鳥類およびその生息地」として国の天然記念物に指定され、ラムサール条約登録湿地にもなっている。
[境田清隆]
『『迫町史資料』全3巻(1974~1977・迫町)』▽『『迫町史』(1981・迫町)』
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山あいの小さな谷をいう。岡山県以西の中国地方と九州地方に多い。同様の語として千葉県などでは〈さく〉がある。また〈狭間(はざま)〉も同様の意味の語である。このような小さな谷に開かれた田が迫田であり,《俚言集覧》に〈美作(みまさか)にて山の尾と尾との間をさこと云ふ。其処に小水ありて田有をさこ田と云ふ〉とある。迫田は,谷田,棚田と同様に,1枚1枚の耕地は零細であり,労働力の投下に比して収穫量はけっして多いものではなかった。しかし,小さな谷々の湧水によって用水が確保でき,河川のはんらんなどの影響をうけることが少ないので,古代,中世では安定的な水田であった。とくに中世では,小さな谷池が築かれるなどして,より安定した水田とされ,中世農民の経営と開発能力に適合的な耕地形態の一つであった。なお,鹿児島県地方の迫はシラス台地に刻みこまれているため水もちが悪く,しかも降雨があると沃土が泥津波によって流されてしまいがちなので,同地方の迫田における生産力の上昇はとくに困難であった。
執筆者:黒田 日出男
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