(読み)クツ

デジタル大辞泉 「靴」の意味・読み・例文・類語

くつ【靴/履/×沓/×鞋/×舃】

足を覆うように作った履物の総称。革・人造皮革・ゴム・ビニール・布などを材料とし、用途に応じて種々のものがある。古くは、烏皮くりかわの履浅沓あさぐつ糸鞋しがい麻沓おぐつ錦鞋きんかいなど、革・木・絹糸・麻・錦・わらなどで作った。
[下接語](ぐつ)雨靴編み上げ靴うわ運動靴革靴木靴ゴム靴短靴どた靴泥靴長靴・布靴・半靴深靴雪沓わら
[類語]シューズ短靴長靴雨靴革靴ゴム靴ゴム長運動靴ズックどた靴編み上げ靴ブーツ軍靴藁沓雪沓スパイクパンプスハイヒールローヒールローファースリップオンミュールスニーカートーシューズレインシューズオーバーシューズ

か【靴】[漢字項目]

常用漢字] [音](クヮ)(呉)(漢) [訓]くつ
〈カ〉くつ。「軍靴製靴半靴ほうか隔靴掻痒かっかそうよう
〈くつ(ぐつ)〉「靴音靴下靴墨雨靴革靴・木靴・短靴長靴半靴

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精選版 日本国語大辞典 「靴」の意味・読み・例文・類語

クヮ【靴・鞾】

  1. 〘 名詞 〙か(靴)の沓(くつ)〔字鏡集(1245)〕
    1. [初出の実例]「少納言〈略〉あさき沓をはくべきに、くゎをはきたれば人々みなわらふ」(出典:春のみやまぢ(1280)八月一六日)
    2. [その他の文献]〔隋書‐礼儀志・七〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「靴」の意味・わかりやすい解説


くつ

足に履いて歩く履き物の総称。靴は「かのくつ」と読み、本来は革製の足を覆う履き物を意味したが、今日では、もっと狭義に、日本在来の庶民的履き物である下駄(げた)、草履(ぞうり)、草鞋(わらじ)などを除く、主として西洋風履き物の総称となっている。西洋風履き物には、足を覆い包む閉鎖的履き物と、サンダルスリッパのような開放的履き物とがある。靴は一般に閉鎖的履き物をさす。

 日本では古くから「くつ」に、用途や素材によって異なる文字をあてていた。靴は革製のくつをいい、のちには沓の字もあてた。主として装束の武官用の深ぐつをさし、烏皮靴(くりかわのくつ)、半靴(ほうか)などがある。文官用の浅ぐつは履(くつ)の字をあて、烏皮履がある。後世には黒漆塗り桐製になるが、奈良時代には革製である。舃は「せきのくつ」とよび、つまさきが反り上がって飾られている革製礼服(らいふく)用のくつである。

 鞋は「かい」「いとのくつ」ともよび、挿鞋(そうかい)、麻鞋(まかい)、錦鞋(きんかい)、草鞋(そうかい)などがある。これらは繊維性の素材でつくられ、製法の違いはあったが、天皇から一般庶民までの普段ばきとして用いられた。

[田中俊子]

歴史

靴は、足部の防寒・防暑や、汚れ、浸潤、害毒のある動植物からの保護や、装飾、身分表示などの目的で案出されたと考えられる。靴の原型の一つは、一枚革で足の底部から甲までを覆い包み、その周縁を革紐(かわひも)で縛りまとめて足に固定させる閉鎖的履き物であり、北米インディアンのモカシンmoccasinがその好例である。これはやがて、いずれかの面で縫合されるなどして、しだいに形を整えていった。

 閉鎖的な靴は、北方諸民族間に早くから用いられた。古代アッシリアやペルシアなど西アジアの民族にも同様にあり、日本の石器時代の土偶、古墳時代の埴輪(はにわ)にもみられる。騎馬民族にはブーツがあった。

 他の原型の一つは、足の裏の保護が主目的で案出されたと思われるサンダルで、足をのせる底の台と、それが足から離れないようにする紐や、ベルトから構成されている、開放的な履き物である。これは暖かい地方に多く、古代地中海周辺諸国に用いられた。紀元前2000年ごろの古代エジプトのサンダルの遺品が現存している。

 靴がいつごろから用いられるようになったかは明らかでないが、前述の遺品や土偶などの例からも、かなり古い時代から各地で各種の靴が用いられたと推察できる。古代エジプトや古代ギリシアでは、開放的な履き物であるサンダルが王、貴族、僧、戦士などの上流階級に用いられた。閉鎖的なモカシン型の履き物は少し遅れて現れ、ある種の労働に用いられた。したがって民衆用であった。

 ギリシア悲劇の俳優には、背を高くみせる厚底のコトルヌスkothornusがあった。これらは古代ローマに引き継がれ、さらにビザンティンに継承されて、足部全体を包む靴の基本形が中世初期にほぼできあがる。

 中世中期には、甲を紐締めにした短靴形式が上級階級に登場する。10世紀につまさきのとがった靴が現れ、その後徐々に長さを増し、14、15世紀、ゴシックの時代には製靴技術も進んで、つまさきが異様なまでに長くとがった大胆奇抜な靴が好まれた。足のつまさきより12インチ(約30.5センチメートル)も長いものも出現し、中にウールや麻くずを詰めて形を保った。なかには長すぎたため、鎖で膝(ひざ)に結わえて支えたものもあった。極端になったために、法による規制も各地でたびたび行われた。これらはクラコーcracowとかプーレーヌpoulaine(フランス語)とよばれた。雨の日やぬかるみを歩くときには、この上にクロッグclogという木製のサンダルを重ねた。

 16世紀、ルネサンスの時代になると、反動的に幅広で角張ったつまさきの短靴になる。女子には、背を高くみせる木の高い台に足をのせる、つっかけ式のチョピンchopinも登場した。農民の労働用には古くから木靴サボsabotがあった。履き物が自然な形になるのは16世紀末になってからである。17世紀初期の男子には、履き口の異様に大きいバケツ型ブーツが流行する。その後、男女ともにヒールのある短靴が登場し、つまさきが角張ったり丸みを帯びたりして18世紀末まで続く。刺しゅうやリボンやバックルの装飾が華やかであった。

 古典古代風俗の流行とともに一時サンダルが女性に履かれるが、19世紀初期にはブーツと軽やかなパンプスが併用される。中期にはアメリカで、製靴用ミシンの発明をみ、日本でも製靴工場が設立されて軍靴の製造が東京で始まっている。また、足首をくるまないことは健康に悪いという当時の衛生思想に支えられてか、編上げ靴などの深靴が男女ともに中心になり、日本でも鹿鳴館(ろくめいかん)時代に女性に履かれ、のち女学生の風俗にしばらく残ることとなる。19世紀後半にはローカットのオックスフォードもつくられ、スポーツが普及した19世紀末には短靴が中心となり、今日に至っている。

 その間、20世紀初頭にはミシンによる製靴法が実用化、さらに第二次世界大戦後は接着剤による製靴法や合成樹脂材の使用などが開発され、靴は量産化した。また、1960年代のミニ・スカートの流行以降、女性に各種ブーツが普及した。

[田中俊子]

種類

(1)形から次の4種がある。浅靴(パンプスpumps)、短靴(シューズshoes)、深靴(ショート・ブーツshort boots、くるぶしを覆う長さ)、長靴(ロング・ブーツlong boots)。以上のものはそれぞれ、着脱用あきの形によって、紐付き(甲の前がV型に切り込まれ紐を通して結ぶのが内羽根式、V型切り込みが外へあいて、その途中を結ぶのが外羽根式という)、紐やベルト、留め金なしで着脱できるスリップ・オンなどがある。また、つまさきの形もそれぞれ、とがったもの(ポインティッド・トップ)、丸みを帯びたもの(ラウンディッド・トウ)、角張ったもの(スクエア・トウ)などがあり、つまさきやかかと部分の開放されたものもある。前者をオープン・トウ、後者をバックレス・パンプスとかバックバンド・シューズとかいう。ヒールの高さによってハイヒール、中ヒール、ロウヒール、フラット・シューズflat shoesなどがある(図A)。(2)用途によって多種ある()。(3)材料によって、革靴、布靴、ゴム靴、ケミカル・シューズなどとよばれる。靴の甲に用いられる革は牛革が多い。牛革は食肉の副産物として豊富であり、繊維質も緻密(ちみつ)で強く、表面(銀面)が美しいので、あらゆる用途に向く。カーフcalfは生後6か月までの子牛の革で、きめ細かく高級靴向き。キッド、カンガルーも高級靴向き。ほかに豚、オーストリッチ、コードバン、ワニ、トカゲなどが使われる。動物によって、表面(銀面)を使うものと裏面(スエードなど)を使うものとがあり、表面の仕上げも、滑らかに仕上げたもの、細かいしわづけをしたもの、凹凸をつけたもの、エナメル仕上げしたものなどがある。皮革以外の材料として合成皮革、織物類〔絹(サテン、ブロケード)、麻、木綿(キャンバス、デニム)〕、ゴム、ビニルなどが用いられる。底の材料には牛革、合成ゴム、ゴム、合成スポンジ、木、コルクなどが用いられる。

[田中俊子]

製靴法

現代の一般的革靴の構造は、足の甲部分を覆っている甲と、足の裏が直接触れている中底、地面に接する底(表底)、かかと(ヒール)部からなる(図B)。

 靴をつくる工程は、甲革とその裏につける革や布を裁断し、ミシンで縫い合わせて甲部を成型する作業と、底材を加工して甲に取り付ける作業とに分かれている。底を取り付けるには、手作業によるもの、機械によるもの、両者併用するものがあるが、現在では機械による量産品が圧倒的に多い。甲に底を取り付ける方法には、糸で縫い合わせる、接着剤で張り付ける、ゴム底の加硫圧着、合成樹脂底の射出成型などがあり、それぞれ以下のようにして行われる。(1)縫い合わせ (a)グッドイヤー・ウェルト式Goodyear welt process もっとも古い機械による製靴法で、1900年アメリカのチャールス・グッドイヤー2世によって完成された。手縫いと同じ方法を機械で行う。甲と中底につくったリブと甲の周りにあてがったウェルトの三者を縫い合わせたのち、ウェルトに表底を縫い付けるもので複縫式ともいう。紳士靴のようながっちりした、じょうぶで、履き心地のよい靴をつくりうるが、コスト高になる。(b)シルウェルト式silhouwelt process (a)式でウェルトに表底を縫い付ける工程にかえて接着剤で圧着する。(c)ステッチダウン式stitch-down process 甲部周辺を外側に折り出し、甲と底革を縫い合わせる。(d)カリフォルニア式California process 甲と中底をプラットフォーム巻革とともに袋状に縫い合わせ、靴型を挿入して成型し、プラットフォームに巻皮を巻き付けたのち、接着剤で表底を圧着する。軽い素材を使用した、軽い靴の製作が可能である。(e)マッケイ式Mckay process 甲、中底、表底の三者を、いっしょに内縫い式によって通し縫いする方法。内縫い式ともいう。ウェルトがないため外観がきゃしゃな感じで、婦人靴や男子のフォーマル靴に用いられる。軽く柔軟であるが、雨降りには向かない。(2)接着剤による張り合わせ セメント式cemented processといい、甲、中底、表底を接着剤によって張り合わせるもの。強力な接着剤の開発によって可能となった。コストが安い。現在もっとも多く行われている方法。(3)バルカナイズ式Vulcanizing process 甲と中底を金足型にセットし、これに未加硫ゴム製の底を置き、圧力と温度をかけながら加硫と接着を同時に行う。接着強度がセメント式より強い。設備に費用がかかり、量産を要する。(4)射出成型法 インジェクション・モールデッド法injection moulded systemといわれ、溶かした合成樹脂を金型に注入して、甲に底をつけたり、靴全体を成型したりする。

[田中俊子]

サイズ

日本では以前、靴のサイズを寛永通宝(かんえいつうほう)一文(いちもん)銭の直径、2.42センチメートルを一文とする文数で表していたが、1962年(昭和37)にJIS(ジス)(日本工業規格。現、日本産業規格)で制定された。現行JIS(1983年制定、1998年改正)では、つまさきからかかとまでの長さを足長とし、センチメートルで表し、親指の付け根と小指の付け根を取り巻く長さである足囲(そくい)と、親指から小指に至るおのおのの付け根に接する垂線間の水平距離である足幅(そくふく)を、男子用(原則として12歳以上の男子)はA~G、女子用(原則として12歳以上の女子)はA~F、子ども用(原則として11歳以下の男児および女児)はB~Gの文字で表し、足長と足囲、または足長と足幅をあわせて表示する。

[田中俊子]

履き心地

つまさきに適当なゆとりがあり、足全体によく適合し、履き口に無理がなく、靴のアーチ部分(地面につかない固い部分)と足の土ふまずとがよくあって支えている靴が履き心地がよい、と考えられている。草履(ぞうり)や下駄(げた)ではなく、靴を履くようになった現代の子どもには、土ふまずの形成不十分な扁平足(へんぺいそく)が増加しているといわれている。また大人、とくに女性の足のゆがみも目だってきている。誕生時には99%の人が健全な足だが、20歳になると80%の人が足を痛めているというニューヨーク州足病学会の報告もある。これは、ハイヒールや、適切でない靴を履いた結果と推察され、靴形を自然な足にあうよう改良する必要があると考えられる。しかし、足指をくっつけて動かなくして靴下や靴に押し込めること自体が足をゆがめる原因であるとの見方もある。長い歴史があり、近代に入ってからは、世界的に西洋風の靴を履くことが西洋文明への入場許可証のような役割を担ってきた経緯もあり、この問題の解決はかなり困難であろう。

[田中俊子]

手入れ法

靴の手入れは、甲の素材によって異なる。もっとも一般的な表出しの光沢のある革の場合は、ブラシでほこりを払ったのち、靴ずみをつけてよく延ばし、毛織布で磨いて光沢を出す。保革やつや出しのために靴ずみや靴クリームを用いる。保革、縫い糸の保護のためには油分が、つや出しのためには蝋(ろう)分が必要である。裏出しの皮であるスエードは、ナイロンかワイヤーのブラシでほこりを払いながら毛羽立てる。色が落ちた場合は専用インクで染める。エナメル革は柔らかい布で汚れを落とし、専用クリームで磨く。一般に革靴は水、熱、火に弱い。雨にぬれたら風通しのよい所で乾かし、靴クリームをつけて手入れをするとよい。しまっておくときには、靴型、シュー・キーパーを入れておくと型くずれしない。

[田中俊子]

習慣、故事、ことわざ

人々に身近だったせいか、靴を用いる民族には靴に関する故事、ことわざは多い。たとえば次のようなものがある。隔靴掻痒(かっかそうよう)。履(くつ)新(あたらし)と雖(いえど)も首に加えず。No man knows where the shoe pinches, but he who wears it.(靴を履いている者だけが締め付ける箇所を知っている。自分のことは自分がいちばんよく知っている)など。

 また、日本では室内で靴を脱ぐが、中国古代でも同様であったし、神聖な場所や権力者の前では脱ぐ習慣が各地にあった。一方、中世以降、西洋の人々は人前では靴を脱がない。また西欧各地の農村では花婿は花嫁に1足の靴を贈る習慣が近年まであった。花嫁がそれを受け取り、履くと結合の象徴的行為となった。逆に花嫁の靴を脱がせることは、処女の花を摘み取るという儀式的ジェスチャーであった。

[田中俊子]

靴産業

西洋中世社会で、靴はたいせつな服飾品であり、製造には高い技術を要したことから、手工業ギルドの代表的な部門であった。しかし、機械加工技術の発展とともに機械による量産化が進み、今日では手工業によるものは特別な高級品に限定されるようになった。日本の西洋靴の製造は、兵部(ひょうぶ)省の要請によって1870年(明治3)に工場生産が東京・築地(つきじ)入舟町で西村勝三により始められた。1890年ごろには全体をミシンで縫えるようになり、その後、日本人の体型、習慣、風土に適したものがつくられるようになる。民需による本格的な産業として発展したのは第二次世界大戦後であり、急速な発展をみた。産地は東京、大阪、名古屋、大和郡山(やまとこおりやま)(奈良県)、神戸などに偏在し、中小企業が圧倒的に多い。機械による大量生産方式の発達は、この業界の構造を変えつつある。

[田中俊子]

『菅野英二郎著『靴』(1981・北隆館)』『R. T. WilcoxThe Mode in Foot Wear (1945, Charles Scribner's Sons, N.Y.)』


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改訂新版 世界大百科事典 「靴」の意味・わかりやすい解説

靴 (くつ)

履物の一種。足の甲を開放しているサンダルに対し足の甲をおおう履物をいう。歴史的には,衣服と関連してさまざまな形,デザインのものが作られてきたが,後述のように,その本来の機能である歩くためのものという役割からはみ出るものは消滅していった。
履物

靴は衣服とともに服飾の一環となっておりその色彩,デザインなどに流行が見られるが,基本的には歩きやすく疲れを生じないように足の機能と合致することが求められる。つまり,正常な歩行動作を可能にするものが,よい靴の必須条件となる。

 われわれが歩くとき,踵(かかと)の外縁部がまず着地し,次いで小指の付け根,それから親指の付け根,最後に足指の付け根の関節(中足趾節関節)を屈曲しながら第1・2・3の足指で蹴出しが行われる。つまり,歩行では着地が足を外から内へあおりながら行われるから,反対側の足の振出しも円滑にいき,エネルギー消費も少なくてすむ。この正常歩行を可能にする靴は,踵から足指の付け根の関節までぴったりと足に密着し,しかもこの関節部のあたる底革の部分が屈曲するものでなければならない。ヒール付きの革靴には,底革と中底のあいだの土踏まずに相当するところにシャンク(鉄の芯)が入っているので,ヒールの前の靴底が曲がらず,また足のあおりがよくできる。ただし,ヒールの高さが3cm以上の中ヒール,ハイヒールになると,足のあおりができなくなるので,大腿部,臀部の筋肉を余分に使うことになり,長途の歩行にはむかない。布靴(運動靴,ズック靴ともいう)は製法上,シャンクを底部に挿入できないので,靴底が薄いものはどこでも屈曲する。したがって,短時間の運動には適しているが,長途の歩行では疲れやすい。

 生後1年余りの乳幼児は,二足歩行の練習期にあたり,足のあおりも蹴出しも十分ではない。ベビー靴は,足幅が広いので靴の爪先が広く,しかも爪先の反りが大人用よりも強くついているものが適当である。大人の正常歩行のパターンに達するのは,およそ10歳ぐらいからである。

日本では,革靴を除いて足袋,ゴム靴などの寸法(サイズ)は長く寛永通宝の一文銭(直径約2.4cm)を単位とする文数で表示されてきた。しかし1959年のメートル法施行以来,JIS規格として標準呼び寸法が,革靴については62年,ゴム底布靴は65年に制定され,その後たびたび改訂されてきた。この標準呼び寸法は,〈仕上り寸法〉(靴型サイズに相当する)ではなく,〈はだか寸法〉(靴では足入れサイズに相当する)によるもので,サイズとウイズwidth(甲囲)を組み合わせて,表示される。サイズとは,平らな所に両足に平均して体重をかけたときの,踵の後端から第1あるいは第2の足指の前端までの,いずれか長いほうの足長であり,ウイズは足指の踏みつけ部の親指の付け根と小指の付け根をとりまく回り寸法(ボール・ガースともいう。中足趾節関節の回り寸法)である。
執筆者:

日本の製靴業が産業として体裁を整えたのは,洋装が一般化しはじめた大正時代である。靴の品種は多岐にわたり,しかもそれぞれのロットは比較的小さい。したがって量産がある程度可能な紳士靴や布靴(運動靴)では大手企業の比重は高いが,種類,サイズが豊富で,しかも流行性の強い婦人靴や子ども靴は量産が難しいため,中小企業の生産ウェイトがきわめて高い。素材別に見ても,ロットのまとまりやすい底革には大手企業が多いが,ロットの小さいクローム甲革,ぬめ革では中小企業の比重が圧倒的に高い。靴メーカーの大部分は東京,大阪,名古屋といった大都市に集まっており,なかでも婦人靴メーカーは流行がはげしく,近代的感覚が要求されるため,東京都内の台東,荒川,足立の3区に集中している。ケミカルシューズ・メーカーは神戸市長田区に多く,そのほとんどがゴム履物メーカーから転換した中小企業である。
執筆者:

現在残っている最古の履物の標本は,およそ前2000年ころに古代エジプトで用いられたサンダルである。しかし履物は残存しにくく,気候風土に従って地域的にも異なる種類のものが見られるから,サンダルから靴が派生したとは断定できない。靴はギリシア・ローマ時代になると,1枚の生皮で足を包みこむモカシンが広く用いられている。モカシンmoccasinは,アメリカ・インディアンの一部族アルゴンキン族の土語に由来する。甲被の足の甲の周辺部に穴をあけて,これに皮ひもを通して足に固定し,ヒールもない簡単な構造の靴で,地域を問わず靴の原型とみなされる。モカシン形式の靴は,底革と甲革の区別がないことが特徴で短靴が多いが,ギリシア時代の山岳住民はモカシン形式のブーツを用いている。ギリシア・ローマ時代には,女性および高位の男性はサンダルを,一般の男性は靴を多く使用しているが,これは,靴が本来,労働や運動に適する実用的なものとして考案され,かつ愛用されたことを物語っている。このようなモカシン形式の靴は,厚い底革やヒールがついていないために,雨天や悪路の歩行には不便であった。そこで古代ローマの下層の人々は,水気の多いところで働く時にもつごうがよい木製の靴サボを用いた。

 底部が厚い特殊な靴としては,ギリシア演劇の舞台で,観客が見やすいように俳優が用いたコトルノスkothornosがある。コルク製のものとも,やわらかい革製の爪先あがりの短いブーツともいわれるが,その実体はよくわかっていない。いずれにしても,コトルノスは底の爪先部も踵部も同じ高さの靴で,これはローマ時代に受けつがれるが,その後の歴史は不明で,ルネサンス時代になると裾の広がったドレスを着た当時の女性が,背を高く見せるために履いた軽い木製のチョピンchopineがあらわれる。現在のハイヒールのようにヒールだけが高い靴は,16世紀になって初めて出現する。このハイヒールが起こった理由としては,当時の道路には汚物も多かったからこれを避けるためとか,底革のいたみを防ぐためとか,当時流行しはじめた乗馬用の靴に拍車をつけるためとか,いろいろな説がある。

 ローマ時代になると,靴はギリシア時代よりも変化は多くなり,流行も見られたという。また皮革をなめす人と靴づくりの職人によって同職団体(コレギウム)も形成され,ローマの街には多くの靴屋が見られるようになった。中世においては,衣服との関連で,さまざまな形式の靴が流行するようになった。14世紀の半ばには靴の爪先の長さが約30cmにも達するものがあらわれた。この爪先には,干し草,羊毛などを詰めこみ鯨骨で整形したという。このような,歩くためのものという機能からはずれてデザインに走りすぎた靴を取り締まる法令は,イギリスでは1463年,フランスでは1470年に施行され,貴族を除いて一般の人々の靴は爪先の長さ15cm以内に規制された。しかし次には逆に,横幅の広い靴が流行するようになり,16世紀半ばには横幅を規制する法令が施行されることになった。1818年に左右の区別がある革靴用の木型が作られ,また1846年にミシンが発明されて甲被の縫製や底革と甲革の縫いつけに応用されるようになり,履きやすい靴が量産されるようになった。
執筆者:

足を保護するほか靴が古くから社会的記号として利用された例として,旧約聖書《ルツ記》(4:7)に靴を脱いで渡すのは譲渡の徴し,《詩篇》に靴を土地に投げるのは所有の徴し,という記述がある。また裸足(はだし)は宣教に行くことを表し(新約聖書《マタイによる福音書》10:10,《ルカによる福音書》10:4),洗礼者ヨハネが自身をキリストに比べて〈その人の靴の紐を解く値打ちも無い〉としていることにも見られる。古代エジプトでも,神官はパピルスかヤシの葉で作ったサンダルを履いて俗人との差を表した。ギリシアの哲学者エンペドクレスは,神に化したと思わせようとエトナ山の火口に身を投げたが,火山が靴を吐き出したためたくらみが露見したといわれる。ローマ時代の裁判官は赤い靴を履き,皇帝はムレウスmulleusというスリッパを履いた。喜劇俳優と悲劇俳優も履物で区別された。ゲルマン民族の移動以後,騎士が長靴を履くようになると,長靴は貴族の徴しとなった(ペローの童話《長靴を履いたねこ》など)。6世紀に北フランスを宣教した聖クリスピヌスと聖クリスピニアヌスは靴屋をして生計を立てたといわれ,ながく靴職人の守護聖人であった。靴はまた,足とともに性の象徴ともなる(フェティシズム)。フランスのアリエージュ地方では意中の女性に靴を贈る習俗があった。娘の父が婿にする男性に靴を与える地方もあり,これは父権の移動を意味した。ヨーロッパでは結婚式から戻ってくる花婿花嫁に米を投げかける風習とともに,花婿の付添人が花嫁の付添いの乙女たちに古靴を投げることも行われ,この靴をうまく受け止めた女性は結婚の機会に恵まれるという俗信もある。このように靴は,権力と所有の象徴であり,不運・災難よけのお守りであって,靴をめぐるさまざまな慣習や魔術的伝承が伝えられている。
執筆者:

日本で皮革製の靴が明治以前に用いられていたかどうか,実物が残っていないので明らかでない。ただ縄文時代後期に深靴をかたどった土器が見られ,古墳時代の埴輪にも深靴を履いているものが見られる。その後は猟師がイノシシ,シカなどの皮を素材とする狩猟用のブーツを用いている。
(くつ)
 欧米式の洋靴の生産は1861年(文久1),横浜に来て独力で工場を開いたオランダ人F.J.レマルシャンに始まるが,その製品は普及しなかったといわれる。一方,幕府は文久・慶応年間(1861-68)伝習生に洋式訓練を施す必要上,伝習靴(軍靴)を輸入していたが,足幅が広く甲高の日本人の足型に適合しなかった。日本人による洋靴の生産は1869年(明治2),大村益次郎のすすめで佐倉藩士の西村勝三が製造したことに始まる。西村は前述のレマルシャンや中国人藩浩を雇い入れ,東京の入舟町に練習場を設け,まず靴工の養成にとりかかった。そして72年に軍靴の甲革の製作に成功したが,輸入品でまかなっていた底革が製造できるようになったのは87年になってからという。

 幕末の混乱期,生活に困るようになった藩士を救済するために佐倉藩主堀田正倫が1868年に佐倉相済社を創設し,西村の養成した靴工の協力のもとに製靴業にたずさわった。このような手縫いの洋靴から機械製のものへと進展するのは,ようやく1902年(明治35)になってからで,西村の建議にもとづいて被服厰の靴工場や民間資本による日本製靴株式会社も発足した。しかし,いずれも製靴機械を外国から輸入し,軍靴の需要に応ずるためのものであった。靴が一般家庭に普及しはじめるのは明治20年(1887)ころからで,それ以前は1872年に政府が礼服に洋服を採用して以来,官吏や教員,巡査などが用いるにすぎなかった。
執筆者:


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普及版 字通 「靴」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 13画

(旧字)
13画

[字音] カ(クヮ)
[字訓] くつ・かわぐつ

[説文解字]

[字形] 形声
声符は(化)(か)。もとに作り、〔説文新附〕三下に「(てい)の屬なり」とあり、字条に「革履なり」という。〔隋書、礼儀志七〕に「戎に施す」とあり、軍靴をいう。

[訓義]
1. くつ、かわぐつ。

[古辞書の訓]
〔和名抄〕 乃久豆(化(くわ)のくつ)〔名義抄〕 クワノクツ・カハワラクツ 〔立〕 クツ・キノクツ

[熟語]
靴掖・靴笏・靴衫・靴板・靴・靴袍
[下接語]
軍靴・長靴

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百科事典マイペディア 「靴」の意味・わかりやすい解説

靴【くつ】

足の甲をおおうはきものの一種。今までに発見された最も古いはきものは古代エジプトのサンダルで,これは古代ギリシア・ローマへ受け継がれた。ギリシアでは,このほか一枚革で足を包むモカシン型の靴や長靴も用いられ,ローマでもスリッパや長靴が用いられた。中世には革や美しい布地で各種の靴が作られ,爪先(つまさき)のとがった靴が長く流行した。16世紀にはヒールのついた靴が作られ,19世紀中ごろからはミシンによる量産が行われた。 日本では明治初年軍靴の必要から西洋靴が作られるようになった。現代の靴は皮革,布,ゴム,合成皮革,ビニルなどで作られ,外出用,礼装用,スポーツ用,軍隊用などがある。代表的な形にはオックスフォードパンプス,モカシン,サンダル,カッター・シューズ,スリップオン,サドル・シューズ,ブーツなど。→サボ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「靴」の意味・わかりやすい解説


くつ

本来「かのくつ」と読み,革製の靴を意味したが,主として洋風のはきものの総称。これには,閉鎖的はきものと開放的はきものがあるが,一般にはおもに前者をさし,後者,すなわちサンダルやスリッパとは区別する。基本的には短靴 (シューズ) ,深靴 (ブーツ) ,編上げ靴,長靴などがあり,さらに形のうえからパンプスモカシン,サドルシューズ,オックスフォード,スニーカー,スリッポンなどがある。

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デジタル大辞泉プラス 「靴」の解説

1927年公開の日本映画。監督:内田吐夢、原作・脚色:東坊城恭長、撮影:松沢又男。出演:島耕二、小杉勇、小西節子ほか。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【くつ(沓∥履)】より

…江田船山古墳(熊本県)からは金銅沓が出土しており,地方豪族が権威の象徴として儀礼の際に足を通したものと思われる。 奈良時代には舃(せきのくつ),履,靴(かのくつ),鞋(かい)等のくつが中国から伝来し,大宝律令にも定められた。黒い漆を塗った烏皮(くりかわ)舃は皇太子や諸臣の礼服(らいふく)用,緑舃は内親王や三位以上の内命婦(ないみようぶ)がはいた。…

【束帯】より

…袍の上から革帯(かくたい)を締めるが,石帯とか玉帯といわれ,後ろ腰に当たる部分に石や玉の飾りがついている。履に数種あり,浅沓(あさぐつ)は平常用とし,靴(か)は儀式や行事に,深沓は雨泥の日に,半靴(ほうか)は乗馬のとき,挿鞋(そうかい)は天皇が殿上ではく沓,糸鞋(しかい)は幼童や舞楽に用いられる。(しとうず)はいわゆる靴下である。…

【毛皮】より

…首と袖口の部分をきっちり止めるようにして,全体をゆったりと大きめに作り,服と体のあいだに温かい空気の層ができるように配慮してある。雪靴は,アザラシの毛皮を外側に,カリブーの毛皮を内にして縫い合わせて作る。さらに,その外側を防水用のアザラシの皮で覆うという万全のものである。…

※「靴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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