デジタル大辞泉 「土器」の意味・読み・例文・類語
ど‐き【土器】
[類語]瀬戸物・陶器・陶磁器・焼き物・かわらけ・磁器
粘土を水とともにこねて均質に仕上げた材料(素地(きじ),坏土(はいど))を,その可塑性を利用して造形し,よく乾燥させてから焼き上げた器。微小な孔やすき間がたくさんあいた多孔質であるため吸水性があり,中に水をいれるとにじみ出る。焼成温度は1000℃未満のものが多く,とくに600~800℃程度が多い。耐熱性の強い素地を用いて1000℃以上(1100~1300℃)の高温で焼き上げた,多孔質でない焼物(たとえば備前焼など)は炻器(せつき)と呼ばれる。考古学では,この種のもの(朝鮮半島の新羅(しらぎ)土器,日本の須恵器)も土器に含めるか,あるいは陶質土器と呼ぶことが多い。陶器は,やはり粘土を材料とし,器壁は多孔質だが器表は釉薬(うわぐすり)/(ゆうやく)のガラス質に覆われており,多孔質ではない。また磁器は,石(長石,ケイ(珪)石)の粉や骨灰(こつぱい)と粘土からなる材料を用い,全体がガラス質を帯びて多孔質でなく,不透明な炻器に対して半透明である。日本で,釉薬をかけないやきものの意味で〈土器〉という名称を用い,釉薬をかけた陶器と区別するようになったのは,江戸時代後半からのようである。中国語の〈陶〉,英語のpottery,ceramic,earthenwareは,いずれも日本でいう土器・陶器の両方をさす名称である。
土器は多孔質を特徴とするため,製作にあたってはその多孔質を減じて緻密にするための努力がはらわれる。しかし他方では,多孔質を生かす用途もあり,むしろ多孔質を増すように粗く仕上げることも行われている。土器の材料は,水や風に運ばれた土の粒子が堆積した二次粘土を主とし,ケイ(珪)石を主体とする母岩が風化してその場で土と化した一次粘土の使用例は少ない。一般に一次粘土より二次粘土の方が,可塑性も粘性も強い。素地作成にあたっては,粘性を弱め作業をしやすくすることをおもな理由に,各種の混和材(〈まぜもの〉ともいう)が加えられることが多い。砂粒,岩石細粒,石綿,黒鉛,また粉砕した土器片などの無機質,植物繊維,羽毛などの有機質等々ひじょうに種類に富んだ混和材が用いられる。しかし,なかには草食動物の糞,樹液,血液のように,粘性の弱い粘土の粘性を強めるために加える混和材もある。混和材は上記の理由のほか,軽量化や耐熱化,あるいは美観のためにも使用されるが,土器の質を粗くすることが多い。一方,粘土に水を多量に加えてかき混ぜ,重い砂粒を沈殿させ,上の泥水を別の容器に移してその水分を蒸発させることで緻密な粘土を得ることができる。これを水簸(すいひ)(水飛,水漉とも書く)と呼び,磁器や高級な陶器の素地作りでは,今日も重要な工程である。なお別種の粘土を混ぜ合わせて好適な素地を作ることもある。
土器の製作法はろくろを使用するか,しないかの二つに大別される。ろくろを使うと,回転運動の遠心力を利用して,粘土塊から器の形を挽(ひ)き出すことができる。ろくろを使わない土器作りには,(1)粘土塊の中央に指でくぼみを作り,しだいに周囲の壁を薄くして器の形に仕上げる〈手捏ね(てづくね)〉,(2)粘土紐,あるいはそれを平らにした粘土帯を環状(輪積み),螺旋(らせん)状(巻上げ)に積み重ねて器の形を作る〈紐作り〉,(3)既成の土器の下半部や籠あるいは専用の型を用意し,その内側に粘土を押しつけて器の形を作る〈型起し(型作り)〉の方法がある。紐作りでは,木の葉,網代(あじろ),布,板などを下敷にしたり,回転可能な台(回転台)上で作業したりして,製作中の土器の向きを変えることが多い。上記の各種の土器製作法は,独立して用いることもあるが,紐作りで大体の形を作ってろくろで仕上げるとか,下半は型起しとし上半は紐作りとするなど,組み合わせて用いることも多い。
土器の形がおおよそでき上がると,多くの方法で細部の仕上げが行われる。器表を緻密に仕上げるには,丸石や竹べらなど滑らかなもので磨いたり,素地に水を加えて泥状にしたもので器表を覆ったり(スリップslip,エンゴベengobe,化粧がけ),また指先や布・皮などを水でぬらして横方向になでたりする。器表を粗く仕上げるには,割板や貝殻でひっかいたり(刷毛目(はけめ),貝殻条痕),乾燥が進行した段階で粗く削ったりする。
装飾は,土器がまだ軟らかい段階,生乾きの段階,よく乾燥した段階,あるいは焼成した後に加えられる。これには器表を各種の工具で,線を引いたり削ったり,またくぼめるなどする沈文と,粘土紐を付け加えた浮文,色を加えた彩文に区別できる。こうして細部まで仕上がった器は,よく乾かし,粘土の湿り気として物理的に含まれている水分を蒸発させる。粗い素地のものは直射日光で乾かすこともあり,比較的短時間で乾燥を終わる。緻密な素地のものは長時間をかけて日陰干しされる。
土器を焼くと,はじめは物理的に含まれた水分が蒸発して,乾燥が完成される。温度が450~700℃になると,粘土のなかに含まれる化学的に結びついた水分(結晶水)が放出される。この化学変化によって可塑性は失われ,水につけても溶けない性質を帯びる。土器を焼く際に酸素を十分にあたえると(酸化炎),粘土中の鉄分が赤い酸化第二鉄となり,また二次粘土に含まれる黒い微小な有機質が燃え尽きるため,赤く明るい色に仕上がる。ただし不完全燃焼の状況が生じると,くすんだ色に仕上がる。焼成の最終段階に意図的にくすぶらせたり(中国の新石器時代竜山文化の黒陶),焼成直後の土器を籾殻の山に埋めたり板の上に伏せたりすると,炭素やタールの粒子が小さな孔を満たし,黒く緻密な土器に仕上がる。
焼成の初段階に酸素を十分に供給し,途中でこれを断つと,一酸化炭素の多い炎(還元炎)となり,製品は灰色に仕上がる。焼成温度が600~800℃程度の土器は軟質で,たたいても低い音しか発しないが,1000℃を超える高温で焼き上げると硬質に仕上がり,たたくと高い音を発する。特殊例として,中国殷代には,純良のカオリナイトからなる白い土(陶土,カオリン)を用いて1100℃前後で焼成し,白く仕上げた硬質の土器(白陶)がある。600~800℃程度の焼成は,平地か凹地に燃料と土器を積み上げて焼く野焼きで十分である。しかし1000℃以上の高温で焼くためには,壁,天井,焚口,焼成室,煙出しを備えた窯(かま)を必要とする。窯には,底から燃して上に並べた土器を焼く垂直炎(昇炎)の窯と,横から燃して炎が横か斜めに走って並べた土器を焼く水平炎(横炎)の窯とがある。西アジア,中国新石器時代の彩文土器は前者,日本の須恵器は後者を用いている。
土器は,容器のなかでは,樹皮,木,皮革,石,籠におくれて登場した。そのため各地の最初の土器は,これら別種の容器の形を模したものが多い。最古の土器は西アジアに生まれて各地に伝播した,という一元説がかつては有力であった。しかし西アジア最古の土器は,炭素14法測定年代で約1万年前と報告されており(イランのガンジ・ダレGanj Dareh),日本最古の土器の方が1万2000年前で古いことになる。これが真の値かどうかはわからないが,いずれにせよ現在では,土器は何ヵ所かで誕生したとみる多元説の方が有力である。ろくろによる土器作りは,西アジアでは5000年前(ウルク期),パキスタン,中国では4000年前(インダス文明,竜山文化),そして日本では1550年前(古墳時代の須恵器)に始まっている。なお,ろくろによる土器作りは男,ろくろを用いない土器作りは女によって行われることが多く,日本でも須恵器は男,土師器(はじき)は女が作ったとみられている。ろくろ使いがもっぱら男となるのは,女より腕力が強いかららしい。アフリカやメキシコの民族例をみると,自家用や近隣用の土器作りは女が行い,商品価値が生じ市場で売る段階に達すると,ろくろを使わない土器作りにも男が従事する度合が大きくなっている。
土器は重く壊れやすいから,移動の生活には不向きであり,先史時代以来,遊牧民のあいだではふるわず,定住する農民のあいだで最もよく発達している。食料採集民のうち移住する人々は土器を持たないが,比較的定住する人々は土器を用いることがある。日本の縄文人は世界の先史例・民族例に照らしても,食料採集民として比類のないほど豊富に土器を使った人々である。
大多数の土器は,日用(運搬,貯蔵,加工,煮炊きなどの調理,食事)と,祭儀用(祭礼儀式,神霊への供献,墓への副葬,埋葬用の棺)に大別できる。このうち,煮炊き土器は耐熱性という点から,多孔質を増して仕上げられており,陶磁器に替え難い働きをなしている。また水などの液体を蓄えるには,陶磁器は土器に優るが,熱帯やイスラム世界では,土器の多孔性を利用し,水もれの際に生じる気化熱によって常に冷水を蓄えることもなされている。
先史時代の食料採集民の土器を通観すると,日本の縄文土器をふくめ,ユーラシア,アメリカの北緯30°~60°の地帯に住んだ食料採集民の土器の大多数は,深鉢すなわち深さが口径をしのぐ形の器1種類から出発しており,これは煮炊き用であって,もっぱら側面から火熱を受ける器といってよい。南北両半球とも低緯度の地帯では,食料採集民の土器の実例は多くない。アフリカには煮炊き用の深鉢があるらしいが,南アメリカ(エクアドル)には煮炊き用深鉢をみない。北半球の低・中緯度地帯を中心に発達した農民の土器は,貯蔵,貯水,煮炊き,盛り付け等々,用途の異なる数器種から出発し,器種によって素地や仕上げ方を使い分けている。土器の発明は調理法を革新したといわれる。しかし西アジアでは,土器が登場して3000年が経過した後(ウルク期),煮炊き用土器がはじめて主要な器種として目だつ存在になるという。なお先史・民族例を問わず,農民の煮炊き用土器は下から短い炎を受けるべく,口径が深さをしのぐ浅い形のものが多い。
粘土は砂漠やサンゴ礁以外なら,ほとんどどこでも入手可能であり,土器に地方差,小さな地域差を生じさせる一因となっている。壊れやすいがすぐに補え,可塑性ゆえに形・装飾のバラエティは千差万別で,新陳代謝の速度が速く,どんどん姿を変えてゆく。このため他の材質の道具類よりはるかに製作技術に富み,その識別も容易で,かつ遺物としても,製作された量が多いばかりか腐敗・腐朽することがなく,きわめて豊富である。こうして土器出現後の時代に関しては,土器は考古学上の,文化の変遷,地域性,地域間の交流等の状況をみきわめるための絶好の手がかりを与えてくれる。考古学で土器研究を重要視するゆえんである。
土器は金属性煮炊き容器の普及(中国では漢代,日本では奈良・平安時代),および陶磁器の発達によって需要を減じ,現代ではプラスチック容器の普及ともあいまって,土器を最近まで重用してきたアフリカ,アメリカ(インディアン,インディオ),インドからもしだいに姿を消しつつある。
→陶磁器
執筆者:佐原 眞
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
小石や砂などの混ぜ物をつなぎとした粘土を素材に形づくり、焼き上げた容器。日本の縄文土器、弥生(やよい)土器、土師器(はじき)がその実例である。土器の焼成温度は600~900℃で一般に低く、後代の構造的な窯で焼いた陶磁器とは異なり、多くは平地または簡単な凹地(くぼち)で焼いたと推定される。焼成温度が高く、胎土(たいど)中の長石や石英などの鉱物が溶けて釉薬(ゆうやく)をかけた状態となり、ついには胎土も改良されてガラス質の光沢ある非常に硬い容器となる陶器(1200℃以上)や磁器(1350℃以上)とは区別される。また土器よりは高温で陶器よりは低温(1000℃以上)で焼かれたものは陶質土器とよばれるが、日本の須恵器(すえき)、朝鮮の新羅(しらぎ)焼がこれにあたる。
[麻生 優]
食物の調理法は、土器が存在しない段階では、生(なま)か、焼くか、焼け石をくぼみの水に入れて温度を上げる程度の方法しかなかった。ここに土器づくりがおこり、これはまさに人類が化学変化を応用した最初の大事件であった。以後、土器の使用により、いままで食べられなかった固い食物を柔らかくする煮炊きが容易になった。食物の可食範囲は著しく拡大した。その画期的な技術革新を重視して、旧石器時代から新石器時代への変革期と認めたことさえあった。
理論的起源論には、バスケットを土台に粘土を塗り、焼いた土器づくりを最初とする説に代表されるヒョウタン、皮袋などの容器模倣説と、パンづくりと土器づくりとを関連させて、製作工程の類似から説く説とがある。これに対し、考古学上の発掘事実を重視する立場がある。イランにある8000~9000年前のガンジ・ダレ遺跡からは、大地に固定して据え付けた土器が出土した。一方、移動可能な煮沸(しゃふつ)用容器は、長崎県泉福寺(せんぷくじ)洞穴出土の日本最古の豆粒文(とうりゅうもん)土器で、放射性炭素法年代測定によると1万2000年前のものである。現在のところ、日本最古の土器は同時に世界最古の土器となるが、世界各地の土器起源を単一起源説で説明はできない。おそらく異なった条件や自然環境のなかで、各地域それぞれの原因に基づいて発生したとみる多元説が妥当であろう。
[麻生 優]
土器の製作工程は、実物の観察と民族学的な知見と実験考古学とによって想定される。通常は、素地(きじ)作製、成形、調整、施文、乾燥、焼成の手順で進められる。
粘土の精粗と選別または混和材の種類によって、多種多様な胎土がつくられ、また特異な混和材は地域性や時代性を表し、その土器の一大特徴を形成する。
土器成形法は轆轤(ろくろ)の使用と未使用とに大別される。轆轤の初歩的なものには回転台があるが、多くの先史時代土器は、手捏(てづく)ね法、輪積み法、巻上げ法、型押し法などのまったく轆轤を使わない方法による。考古学では、小破片の観察で全体を推定するため、各方法が単独で一個体の技術全体であると思いがちであるが、民族例によれば二方法の組合せもある。
器壁を薄くし、器面を平らにし、器面の緻密(ちみつ)さや粗面の形成を目的にして形を整える調整がある。指先、布、革、骨、石、貝殻、割り板、竹、葉などを器面にあてがい、なでる、削る、ひっかく、磨く、塗るなどの作業をして、前記の目的を達する。
施文効果をあげるため、沈文、浮文、塗彩、彩文、描画、顔料充填(がんりょうじゅうてん)、象眼(ぞうがん)などの手法を用いる。
乾燥は、土器の形が完成し、文様が施されたあとで行われる。緻密な素地のものは日陰で時間をかけるが、粗放な素地のものは直射日光で短時間に乾燥させる。
窯の使用の有無や焼成の方法で、土器面の色調に変化が生ずる。
[麻生 優]
土器の本体および各部名は、土器全体の形を人体に見立てて、ものを出し入れする部分を「口」、最下端部を「底」、その間を「胴」とよぶ。各部の変化によって全形の変化が生まれ、深鉢、浅鉢、皿、甕(かめ)、壺(つぼ)、高坏(たかつき)などの種類に区別される。
日本の縄文土器は、深鉢形を基本形態として発達し、時代を追って各種の器形分化をみせた。弥生土器は、貯蔵用の壺、煮炊きの甕、盛り付けの鉢、高坏の主要器種分化がみられる。また日用品(実用品)と祭祀(さいし)・埋葬用とが区別できる。つまり形と大きさとは、その用途と深くかかわっており、吊手(つりて)形、器台、ランプ、香炉形など各種の変形があるが、甕棺として人体埋葬用のものさえある。しかし土器はなんといっても日用什器(じゅうき)の重要な役割を担っていた。
考古学研究では、生活に密着していた土器をとくに重視する。長い間に朽ち果てることもなく、多量の出土・発見が見込まれるからである。資料が豊富なうえに、時代的、地域的な特徴を敏感に反映している。ときには言語の方言と、土器の地域差とを重ね合わせて、文化史的意味をくみ取ることもできる。
[麻生 優]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
粘土を用いて形をつくり,乾燥後,燃料を用いて焼くと素焼の土器ができる。粘土中の混合水が200°Cで脱水され,600°Cで結晶水が脱水,また,それ以上の加熱により,粘土中の炭素が酸化,炭酸塩や硫酸塩が分解し独自の質になった土の器である。通例700°Cから850°Cで焼かれたものを土器という。成形には,手づくね,巻き上げ,輪積み,型ぬき,型入れなどがある。器形,文様ともに年代や地域によって大いに異なる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…日本列島における旧石器時代文化に後続する狩猟漁労採集経済段階の文化。縄文土器編年に基づいて草創期,早期,前期,中期,後期,晩期の6期に区分される。その開始は,炭素14法の年代測定値や汎世界的な海水準変動の地質学的年代などから前1万年前後と推定する長編年説,相対年代法により約前2500年とする山内清男(やまのうちすがお)の短編年説があるが,実際は長編年説にやや近い年代と考えられる。…
※「土器」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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