日本の管楽器。竹製,ノンリードの縦笛。楽器学の分類ではフルート属に属する。名称は標準管長(1尺8寸)に由来する。日本の音楽史上に現れた広義の尺八には,古代尺八,天吹(てんぷく),一節切(ひとよぎり)尺八などもあるが,現行するのは普化(ふけ)尺八のみであるから,以下,それを主として解説する。〈普化尺八〉は〈虚無僧尺八〉とも呼ばれるが,江戸時代にこの楽器が普化宗(禅宗の一種。その僧が虚無僧)の専用とされたためである。
構造はきわめて単純で,真竹の根元の部分を用い,節を抜き,指孔をうがち,上端開口部を歌口として吹き鳴らす。通常は全体で竹の節を7個含む。下端は根竹のため太く,かつ節が密集する(図1)。上端には材質の堅い節の部分を当て,管の前面を斜めに切り落とし,そこに生ずる弧形の鋭角を歌口とする。歌口を鋭くかつ丈夫に保つために通常は水牛角などを細工して埋め込むが,その形が流派により異なる(図2)。指孔は前面4,背面1,計5孔ある。管内部は平滑に削り,黒または朱の漆を塗る。外径は中央部で3.5~4cm。内径は上端で約2cm,下端で約1.5cmで,内部は逆円錐管である。中央部の中継ぎは,収納・携帯の際に管を2分できるようにはめ込み式に細工したもの。以上は今日の通常の尺八であるが,古い管には歌口の水牛角,内部の漆塗り,あるいは中継ぎを欠くものも多い。管長は1尺8寸(約54.5cm)が標準だが,最長は3尺近いものから最短は1尺2寸程度まで長短各種あり,約1寸の差で半音ずつ違う移調楽器になっている。
唇からの呼気を歌口の鋭角に吹きつけて音を発し,指孔を開閉して音高を変える。5孔の指遣いは下から順に右薬指,右人差指,左薬指,左人差指,左親指であるが,左右の手は上下逆でもよい。指孔を指先で直接押さえるので,全開・全閉のみならず,半開,四半開も可能で,音高を微妙に変化させ得る。また,唇と歌口の間隙を変える(これをメリ・カリといい,実際にはあごを引いて音を下げ,あごを出して音を上げる)ことによっても,音高が微妙に変化する。指孔半開とメリ・カリの併用により,音域内のすべての微分音を奏し得,かつポルタメント奏法も可能であり,これが尺八独特の味わいを出す大きな特色となっている。加えて音色の変化の幅の大きさもこの楽器の特色である。音域は約2オクターブ半に及ぶ。第1オクターブ(呂(りよ)または乙(おつ))で,指孔半開とメリ・カリを用いない音(幹音)の指法と音律(標準管長の場合)を譜例に示す(図3)。第2オクターブ(甲(かん))は同じ指法で呼気の鋭さを変えた2倍音として得られ,その上の音(大甲(だいかん))は3倍音・4倍音を利用する。
普化尺八の起源や伝来はまったく不明で,古代尺八との関係もわからない。ただ14世紀ごろに5孔の尺八の祖型が存在したことは確かで,それがのちに一節切尺八,普化尺八などに分化したものらしい。普化宗の所伝では,尺八の起源が中国唐代の奇僧普化禅師と関連づけられ,日本へは鎌倉時代の禅僧覚心(かくしん)が伝来したとされるが,傍証がないので史実とはみなし難い。普化宗と普化尺八の存在が確認できるのは17世紀からである。普化宗での尺八吹奏には,(1)法要の一環,(2)托鉢,(3)禅の手段(座禅に対して吹禅(すいぜん)という)の三つの場合があり,そこから当時の尺八曲の禅的・冥想的性格が生じた。普化宗では尺八を法器と呼び,楽器とはみなさず,虚無僧以外の一般人の尺八吹奏や,遊芸としての吹奏,他楽器との合奏を許さないと主張していた。しかし18世紀中ごろになると,虚無僧たちの尺八吹奏も音楽的な向上をみせはじめ,表向き禁止といいつつも一般人の尺八吹奏や箏・三味線との合奏もかなり広まった。そのころ江戸の虚無僧の中の尺八指南役だった初世黒沢琴古(きんこ)は,各地の虚無僧寺所伝の尺八曲を収集整理し,編曲して30曲余りの本曲を制定した。これを基に江戸を中心に琴古流と称する芸系(今日まで存続)が生じ,以後,関西その他の地方にもいくつかの流派が生じた。その中では,幕末の大坂で外曲(三曲合奏)を主として活躍した近藤宗悦(そうえつ)の宗悦流(現存しない),京都明暗(みようあん)寺の明暗真法(みようあんじんぽう)流,浜松普大寺系統の西園(せいえん)流,弘前の津軽藩士のたしなみとなった錦風(きんぷう)流(根笹(ねざさ)派とも)などがよく知られる。普化宗は1871年(明治4)に維新政府の命令で廃止され,尺八も存亡の危機に面したが,荒木古童など当時の琴古流の指導者の尽力により普化宗を離れた楽器としての存続が認められ,以来,琴古流では本曲よりも外曲に力を注ぐようになり,東京を中心としつつ全国的に普及していく。一方,関西では宗悦流の影響が強く,早くから外曲が盛んだったが,その中から初世中尾都山(とざん)が大阪で1896年に都山流を創始する。都山流は創始者自身の活発な活動とさまざまな新工夫によって短年月のうちに広まり,大正年間以後は琴古流と並んで尺八楽の二大流派となっている。この都山流から1917年に上田流(流祖は初世上田芳憧)が大阪で分派独立し,また,同じ年にやはり大阪で,宗悦流の別系統から竹保(ちくほ)流(流祖は初代酒井竹保)が生まれた。
以上,琴古,都山,上田,竹保の4流が近代尺八楽として一般化している流派であるが,そのうち琴古流は古曲本曲と外曲を曲目とし,他の3流は外曲と各流独自の新しい本曲(一部の古典本曲も含む)を曲目としている。〈本曲〉〈外曲〉は尺八曲特有の分類用語で,前者は〈尺八本来の曲〉つまり〈尺八だけで奏する曲〉,後者は〈他種の音楽に尺八を添えて奏する曲〉を意味する。本曲のうち普化宗時代に起源のある曲がとくに古典本曲と呼ばれる。すべて独奏曲(斉奏も可)で,本来は宗教音楽だが,《鹿の遠音》《鶴の巣籠》のような例外的な芸術曲もある。その代表曲には《虚鈴(霊)》《霧海篪(むかいぢ)》《虚空》《鈴慕》《三谷(さんや)》《鉢返し》などがあるが,古典本曲には流派や芸系あるいは奏者個人による差異が大きく,同名異曲も多い。それに対して都山流などの近代の本曲は流儀独自の新作で固定化した曲である。都山流本曲の中では《岩清水》《慷月調》《寒月》などが名高い。外曲には長唄の曲もあるが,大多数は箏曲・地歌の曲であり,おおむね箏または三味線の原旋律と斉奏であるが,装飾旋律の付け方は流派により異なり,そこにも流派の特色が現れている。
これら近代諸流に対して,普化宗以来の伝統を重んじて琴古流本曲以外の古典本曲の伝承を続ける人々がある。その芸系は多岐に分かれているが,便宜的な総称として明暗流または明暗諸派などと呼ばれている。明治初年から昭和30年ごろまでは外曲がとくに盛んだったため,明暗諸派の古典本曲はあまり知られない存在だったが,今日では尺八楽本来の曲種として大いに注目されつつある。
明治以後,尺八は各地の民謡の伴奏にも多用されるようになり,民謡尺八と呼ばれて上記各流とは別の存在になっている。また,尺八は大正時代以来の新日本音楽,新邦楽,現代邦楽でも主要な地位を占め,明暗流以外の各流の奏者がその方面で活躍しており,さらに現代では,歌謡曲,ジャズ,ポピュラー,映画などの伴奏などにも尺八が好んで用いられている。近代以後のこうした新しい傾向の中で,洋楽の影響を受けて,半音階の吹奏を容易にするために尺八の孔数を増やした多孔尺八が1920年代から現れる。多孔尺八には七孔尺八,九孔尺八,オークラウロ(フルートと同様のキー・システムを備えた金属製)の3種がある。オークラウロは現在はほとんど行われないが,七孔,九孔は一部の人々の間でとくに古典曲以外の吹奏に好まれている。
尺八の楽譜は,流派により異なるが,記譜法の原理はすべて同一で,指法を示す片仮名の譜字(ロ,ツ,レ……など)を縦に書き連ね,それにリズムなどを表す補助記号を添えた奏法譜である。教習の際には譜字の片仮名をそのまま発音し,旋律を声で歌って覚える方法がとられる。
古代尺八(雅楽尺八)が最も古く,唐代の中国で生まれ,奈良時代の日本に伝来し,古代の雅楽の合奏曲に用いられたが,平安時代中期(10世紀末ごろ)に絶えた。音楽の実態は不明だが,実物が正倉院に遺存する。孔数が前面5,背面1,計6孔で,その点で後代の尺八と大きく異なる。薩摩の郷土楽器である天吹と,17世紀に盛行してその後絶滅した一節切とは,いずれも細く短い縦笛だが,指孔が5孔である点では普化尺八と共通し,おそらくは普化尺八と同じ祖型から分化した兄弟関係の楽器と考えられる。
執筆者:上参郷 祐康
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日本と古代中国の無簧(むこう)(ノン・リード)の縦笛。尺八の名称は、中国唐代の律尺による1尺8寸(約43.7センチメートル)に由来する。狭義には現行の普化(ふけ)尺八をさすが、広義には、古代尺八、天吹(てんぷく)、一節切(ひとよぎり)、多孔尺八をも含む。原則として竹製。管の太さ、長さ、指孔および節の数は、種類により異なる。ただし、管の上端の一部を外側に斜めに削りとった形の歌口は共通で、その鋭い角に直接息を吹き付けて音を発するのが特徴である。
[月溪恒子]
雅楽尺八、正倉院尺八ともいう。雅楽(唐楽)の楽器として7世紀後半以後日本に伝来した。『唐書(とうじょ)』によれば、7世紀中ごろ、楽人呂才(りょさい)は従前の縦笛を改善整備し、十二律にあわせた12種の長さの管をつくった。その最長管(中国十二律の基準音である黄鐘(こうしょう)を筒音(つつね)とする管)の長さ、1尺8寸から尺八の名称が生まれたらしい。日本に伝わったうち、正倉院に8管、法隆寺に1管(現在は東京国立博物館にある)、計9管が現存する。
指孔は前面5孔、背面1孔の6孔。管長は1尺8寸(黄鐘管)を最長にさまざま。節は3節で、玉(ぎょく)・石(せき)・牙(げ)など竹製以外の材も、竹管を模して三つの節をもつ。
10世紀ごろまで雅楽の管絃(かんげん)合奏に用いられたが、やがてその編成から外された。その後平安時代末ごろまでは雅楽以外で用いられたものの、楽譜などの記録を残さなかったため、奏法や音階など音楽についてはまったくわからない。
[月溪恒子]
狭義の尺八。江戸時代を通じて普化宗の法器(宗教の道具)であったことに由来する名称。現行される尺八はすべてこの種で、他種との区別のため、普化尺八または虚無僧(こむそう)尺八とよぶ。普化尺八の名が一般化しているが、歴史的には虚無僧尺八とよぶほうが適切である。また近代以降の楽曲と区別して、「普化宗時代に虚無僧によって吹かれた楽曲」の意味にも用いる。
[月溪恒子]
真竹を用い、根に近い部分を歌口(上端)にする一節切とは逆に、管尻(下端)に根の部分を使う。指孔は前面4孔、背面1孔の5孔。節は中間に3節、歌口と管尻の4節をあわせて7節あるが、古代尺八と同様、中間の3節が基本の形と思われる。古管の管内は、抜いた節の一部を凸起として残す、ほぼ自然の状態だが、近代以降の尺八は、管内を滑らかに磨き、砥の粉(とのこ)や石膏(せっこう)で地塗りして漆で仕上げるため、均質な音色と音量が得られる。前者を「地無し尺八」、後者を「地塗り尺八」とよび、外観は同じでも楽器の特性がまったく異なる。前者は古典本曲(ほんきょく)に適し、後者は三曲合奏や現代曲に適すといわれる。また、節と指孔の理想的な関係を自然の竹材に求めるのが困難なことから、調節に便利な中継ぎが多い。歌口には、撥先(ばちさき)型や三日月型の水牛角(つの)または象牙(ぞうげ)を細工した箝口(はさみぐち)を埋める。これは歌口補強のためで、近代以降のくふうの一つである。
管長の標準は曲尺(かねじゃく)の1尺8寸(約54.5センチメートル)。1尺3寸ぐらいから3尺くらいまで、1寸刻みで長短各種あり、1寸の増減で基音(指孔を全閉した筒音)がほぼ半音上下する。指孔の開閉の組合せによる基本音列(レ・ファ・ソ・ラ・ド)のほか、半開・4分の3開・4分の1開・かざし指などの指の操作、メリ・カリなどのあごの操作により、派生音を自由に出すことができる。また指やあごの微妙な運動による微分音やポルタメント奏(メリ込(こみ)、スリ上げ、ナヤシなど)、細かい指の動きによるトレモロ奏(コロコロ、カラカラ)、あごの連続運動によるビブラート奏(縦ユリ・横ユリ・斜ユリ)、のどや息を使った特殊奏(タマネ、ムラ息、コミ吹(ぶき))など、多彩な技法を用いる。
[月溪恒子]
記譜法は、指使いにつけられた名称を片仮名文字で表記する奏法譜。この文字を譜字(ふじ)といい、「フホウ式」(旧譜)と「ロツレ式」(新譜)の2種がある。フホウ譜は17世紀に一節切で用いられ、普化尺八では尾崎真龍(しんりょう)(1820―1888)の系統、明暗真法(みょうあんしんぽう)流、宗悦(そうえつ)流(ともに廃流)などで使用された。宗悦流の末流、竹保(ちくほ)流にのみ現行される。ロツレ譜は一節切(小竹(こたけ))にも一時使われたが、18世紀以降琴古(きんこ)流尺八譜として定着し今日に至る。現行譜のほとんどがロツレ式だが、派生音や音価表記の方法は根笹派錦風(ねざさはきんぷう)流、西園(せいえん)流、明暗対山(みょうあんたいざん)流(または明暗対山派)、都山(とざん)流、上田流など、各流とも異なり、指法も微妙な差があって複雑である。
[月溪恒子]
虚無僧の修行として尺八が吹かれた江戸時代には、普化宗寺院の尺八指南役(吹合(ふきあわせ))によって教授され、流派のような組織は存在しなかった。京や江戸を中心に、全国に多くの尺八名人や製管師が活躍したと思われるが、記録に残されているのはわずかである。江戸の吹合として活躍した黒沢琴古(きんこ)(1710―1771)は歴史に名をとどめた数少ない一人で、4世まで家芸を継承、今日の琴古流の基礎が築かれた。しかし家元組織としての流が確立するのは普化宗廃止(1871)後で、1896年(明治29)に都山流、1917年(大正6)に上田流と竹保流の近代流派が誕生。一方、普化宗時代の伝統を継承する諸派に、根笹派錦風流、西園流、明暗対山流などの派もあるが、近代流派のような組織力はもたない。
[月溪恒子]
尺八音楽の分類概念に、本曲(ほんきょく)と外曲(がいきょく)の用語がある。本曲とは「尺八のみの、尺八のための曲」、外曲とは「他楽器曲(他種目)の尺八への編曲」を意味する。普化宗時代はすべて本曲であったため、この分類すら不要だったが、廃宗後三曲合奏に仲間入りしたことで区別が生じた。また近代流派の流曲を「都山流本曲」などとよんだことから、古典本曲と近代本曲に区別され、さらに演奏形態で近代本曲を独奏本曲と合奏本曲に分けるなど、用語の拡大化がみられる。
内容的には、古典本曲の大半が普化宗の宗教音楽に、古典本曲の一部と外曲や近代本曲が芸術音楽に入り、その他これらとはまったく別に、民謡尺八とよばれる民俗音楽、ジャズやポピュラーなどの大衆音楽も含まれる。このように尺八は、民俗から芸術まで、古典から現代まで、独奏からさまざまな組合せによる合奏まで広く用いられている。
[月溪恒子]
普化尺八の指孔の数を増やした改造楽器。昭和初期に考案された七孔尺八、九孔尺八、オークラウロの3種。ほとんど普及せず、七孔尺八がごく一部で使用されるのみである。
[月溪恒子]
『上野堅實著『尺八の歴史』(1983・キョウワ出版社)』
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管楽器。竹製。語源は7世紀半ばに唐で用いられた一尺八寸管の縦笛に由来。現在は竹製でリードのない縦笛にこの名をあてるが,日本に伝来した尺八の類には,奈良時代の古代尺八,中世末期の一節切(ひとよぎり),16世紀後半に薩摩武士の間で流行したという天吹(てん)(ぷく),江戸時代に普化(ふけ)宗の虚無僧(こむそう)が修行のために演奏した普化尺八,大正・昭和期に洋楽的発想のもとに考案された7孔と9孔の多孔尺八などがある。現在一般に尺八といえば普化尺八をさし,琴古流,都山流の両尺八がこの系統をひく。普化尺八は前面4孔背面1孔で,両手中指は楽器を支えるために使い,両手人差し指と薬指,左手親指で穴を開閉し演奏する。自由リズムの独奏曲を本曲,箏(そう)や三味線と三曲で演奏される拍節的な曲を外曲とよぶ。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…吉田兼好の《徒然草(つれづれぐさ)》に,〈ぼろぼろ〉〈ぼろんじ〉と見え,我執深く闘争を事にする卑徒としている。《三十二番職人歌合》は,尺八を吹いて門戸にたち托鉢(たくはつ)することをもっぱらの業としたとする。普化宗は,中国唐代の鎮州普化を祖とし,日本には無本覚心(むほんかくしん)(法灯国師(ほつとうこくし))が伝えた。…
…〈邦楽〉はさらに狭義に使われることもあって,雅楽,声明(しようみよう)(仏教声楽),平曲,能楽,および浪曲などは含まれないこともある。つまり,最狭義の〈邦楽〉には,三味線,箏(そう),尺八などを使う近世の邦楽(〈近世邦楽〉としばしばいわれる)だけが含まれるという考え方が行われている。 日本の音楽を分類すると,まず前述の狭義の〈日本音楽〉,すなわち伝統音楽と洋楽とに大別される。…
…オルガンのパイプの主軸であるフルー管もこれと基本的に同じで,機械送風を用いることと,吹込み口も歌口も下部にある点が異なる。 やはり縦型の尺八,洞簫(どうしよう)(簫),ケーナ,ネイなどの場合は,管の上端が開放されており,気道は設けられていない。気流の諸条件は横笛の場合と同じく,すべて奏者の肉体的制御にゆだねられ,管端が歌口を兼ねる。…
…古代エジプトのシビという笛は人の脛骨から造られた。ラテン語tibiaには脛骨のほかに管,フルートの意味があり,一説に中国にはじまる竹製の尺八もtibiaに由来するという。古代エジプト人は天然磁石を〈ホルスの骨〉と呼び,鉄を〈セトの骨〉と考えた。…
※「尺八」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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