イギリスの小説家。若いころロンドンの印刷屋の徒弟として修業,後に独立して著名な印刷業者となる。その間,生来のまじめさと勤勉によって世に認められ,一,二の劇作家とも交わり文壇と関係をもつにいたった。1734年に道徳的教訓書《徒弟奉公人必携》を著し,さらに《イソップ寓話集》に解説を加えたり,《模範書簡集》を企てたりした。40年その《模範書簡集》執筆中に一つの小説を思いつき,書簡体小説《パミラ》2巻(1740)を出版した。女中パミラの手紙を通じて,日常生活や心理を写実的に描き,美徳というモラルをたたえたこの小説によって,近代小説が誕生したともいわれるが,当時は熱狂的な支持とともに強烈な反対が示された。反対の最たるものがフィールディングで,彼は《パミラ》を偽善的であるとしてそのパロディ《シャミラ》(1741)を著し,小説家として出発する。リチャードソンはそうした反対に対する弁明を兼ねて《パミラ続編》(1741)を出版する。さらに45年ごろから彼の周辺に集う女性の崇拝者を相手に新しい小説を読んで聞かせていたが,それが代表作《クラリッサ》7巻(1747-48)である。放蕩者ロバート・ラブレースの登場するこの作品の結末をめぐって,多くの読者が女主人公の死の回避,幸福な結末を作者に嘆願したが,リチャードソンはあくまで女主人公の死の意味を強調した。また,理想的な〈善良な男性〉を描くようにとの読者の訴えにこたえて書いたのが《サー・チャールズ・グランディソン》7巻(1753-54)である。リチャードソンの小説には強い道徳性がその根底にあり,同時に若い男女が性の問題をめぐって相互に,また内的に相克する様子が書簡体的告白の形式を通して詳細に語られる特質がある。18世紀後半のイギリス小説ばかりでなく,ルソーなど大陸の文学にも大きな影響を与え,ディドロは《リチャードソン頌(しよう)》(1762)で〈精神を高め,魂を感動させ,いたるところで善への愛を表している〉と賞賛した。
執筆者:榎本 太
イギリスの女流作家。伝記的なことは,後期ビクトリア時代の閉鎖的な家庭に育ち,美術家アラン・オードルの妻であること以外ほとんどわかっていない。文学とは,経験によって豊かにされ,自覚的に集中した瞑想ができる人間の安定した意識の産物であるとの信念に基づき,同時代のM.プルースト,J.ジョイス,V.ウルフや文壇などとはまったく無関係に,独自に〈内的独白〉の手法を開拓した。職業婦人ミリアム・ヘンダーソンのおよそ17年間(1893-1910)の生活を扱った《とがった屋根》(1915)から《ゆるやかな丘》(1938)に至る12巻の連作長編《巡礼》の創作に没頭した。ひたすら主人公の意識のみを追う彼女の作品は,その純粋さのため現在では冗長とされる傾向が強いが,〈意識の流れ〉派の創始者の一人として現代文学の発展のうえで無視できない存在である。
執筆者:鈴木 建三
イギリスの物理学者。1900年ケンブリッジのトリニティ・カレッジを卒業,キャベンディシュ研究所のJ.J.トムソンの下で高温物体からの電気の放出現象を研究,01年真空中の白金を用い,単位表面積から放出される電子数と温度との関係を示す実験式を提出した。06年招きによってアメリカのプリンストン大学に赴き,13年まで同大学で熱電子放出,光電効果,磁気回転効果についての研究を行った。13年ロンドン大学キングズ・カレッジのホイートストン物理学教授となり,同年,タングステンと高真空の使用によって,熱電子放出の原因が高温物体の物理的性質にあることを確証した。これら一連の熱電子放出現象(リチャードソン効果とも呼ばれる)の研究により,28年にノーベル物理学賞を受賞した。
→電子放出
執筆者:日野川 静枝
アメリカの建築家。南部ルイジアナ生れ。ハーバード大学,パリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に学び,ボストン,シカゴなどで活躍する。ロマネスク建築を思わせる粗石積み,半円形アーチを好み,かつ自由な平面と外観,地方産の材料と構造を合理的に結びつけた作風を確立。ボストンのトリニティ教会(1877)の競技設計入賞で名声を得,マーシャル・フィールド商会(1887)で〈シカゴ派〉の先駆者となる。スタウトン邸(1883)は〈シングル(杮(こけら)板)様式Shingle Style〉の住宅建築の確立に貢献した。マッキム,ミード(マッキム・ミード・アンド・ホワイト)はともに彼の助手。L.H.サリバンやF.L.ライトら,その後のアメリカ近代建築に大きな影響を与える。
執筆者:山口 廣
イギリスの俳優。1921年初舞台。地方での活動を経てロンドンに登場し,J.B.プリーストリーの一連の劇の主役で評判となった。第2次大戦をはさんでオールド・ビックで演じたシェークスピア劇で実力を発揮し,《夏の夜の夢》のボトムや《ヘンリー4世》のフォールスタッフのような喜劇的な役と,マクベスや《あらし》のプロスペローのような深みのある役の両方を手がけた。他方,イプセンの諸作やグレアム・グリーンの《やさしい恋人》,H.ピンターの《だれもいない国》などの現代劇にも出演,死の直前まで現役であった。一見地味だが,哀愁と滑稽感をもった役を得意とした。1947年,サーの称号を与えられた。
執筆者:喜志 哲雄
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(内海孝)
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…19世紀中ごろ,造園家ダウニングAndrew Jackson Downing(1815‐52)は,その著作活動を通じてチューダー朝およびイタリア風の建築・造園様式を紹介する一方,伝来の木造建築の特色――構造と仕上げの両面に表れたスティック(木造骨組部材)――を直接表現すべきであると説いて,アメリカ独自の木造住宅様式の創始を促した。南北戦争後は中規模住宅に新機軸が打ち出され,とくに柿(こけら)葺きの一種で,自在な平面計画とのび広がるマッス(量塊)の表現を特徴とするシングル・スタイルshingle styleは,ストートン邸(設計H.H.リチャードソン,1882‐83,ケンブリッジ)等の傑作を生んだ。19世紀末にはアカデミズムの立場からの反動が興って伝統復興を促し,この傾向はその後半世紀の間続く。…
…その先駆となるのは,長らく真実の書簡集と思われていたが今日ではフランスのギユラーグ伯の作と推定される,有名な《ポルトガル文》(1669)である。18世紀に入るとイギリスではS.リチャードソンの《パミラ》(1740),《クラリッサ・ハーロー》(1747‐48),T.G.スモレットの《ハンフリー・クリンカー》(1771),フランスではモンテスキューの《ペルシア人の手紙》(1721),ルソーの《新エロイーズ》(1761),ラクロの《危険な関係》(1782),ドイツではゲーテの《若きウェルターの悩み》(1774)など質・量ともに最盛期を迎え,バルザックの《二人の若妻の手記》(1841‐42),ドストエフスキーの《貧しき人々》(1846)などが流行の終りを飾る19世紀の傑作である。 17世紀後半から18世紀にかけての書簡体小説の出現は,ヨーロッパ諸国で道路網が整備され,郵便馬車による郵便制度が確立されるに伴って,手紙の交換がしだいに人々の日常生活の一部になるという社会的背景を基盤としている点では,セビニェ夫人の《書簡集》に代表される17世紀以降の書簡文学littérature épistolaireの隆盛とも無縁ではない。…
…イギリスの小説家S.リチャードソンの同名の書簡体小説(1740)の女主人公。主人の息子Bは女中パミラPamela Andrewsを情欲の対象とし,手練手管を弄して誘惑するが,パミラの操は固く,また賢く振るまい,ついにBは彼女を正式な妻とする。…
…イギリスの小説家S.リチャードソンの書簡体小説《クラリッサClarissa》(1747‐48)に登場する放蕩者。ラブレースは貴族を伯父にもち家柄を誇るが,成上りの中産階級の娘クラリッサ・ハーローに目をつけ彼女を誘惑しようとする。…
※「リチャードソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...