出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
穀物や衣類,什器,武器などを納めておく建物。〈庫〉とも書かれる。構造の違いから高倉,板倉,校倉(あぜくら),丸木倉,石倉,土蔵(どぞう),穴蔵などがあり,管理や用途によって正倉,勅封蔵,郷蔵,米蔵,酒蔵,木蔵など,さまざまな名称がある。16世紀後半以降,防火のため,外側を土で厚く塗り込める形式が多く用いられるようになった。
日本で倉が建てられるようになったのは,水稲の耕作がはじまってからである。弥生時代の登呂遺跡出土の木材や,銅鐸の絵などからわかる当時の倉は,湿気や害獣を避けるため,地面に柱を立て,床を高く張り,その上に先端の板幅の4分の1ずつを角(つの)状にした板を組み合わせて壁面を作り,上部を切妻造の草葺き屋根で覆った。柱と板の間には60cm角ぐらいの板をはめ,出入りに使う丸太に段を刻んだ梯子(はしご)はふだんは取り外して,ネズミなどの侵入を妨げるようになっている。高倉は沖縄や奄美大島,八丈島などの農村で最近まで使われてきた。これらの高倉は弥生時代の高倉とは少し違い,平面は正方形に近く,屋根は茅葺き寄棟造で,沖縄や奄美周辺では,軒先の張り出した部分に傾斜した床を張り,八丈島では片持梁に支えられた壁を持ち出して,軒先を屋内に取り込む形式になっている。
奈良時代から平安時代前期にかけて,穀倉として校倉,板倉,丸太倉が用いられた。校倉は高床の上に断面が二等辺三角形の材木を交互に積み上げて壁を作り,瓦葺き寄棟造の屋根を置いた形式の倉であり,板倉や丸太倉は,校倉の三角断面の壁体構成材を板や丸太に替えただけで,角で梁行材と桁行材の半断面を切り欠いて交互に積み上げる技法は,校倉と同じ考えに基づいたものであったようだ。屋根が茅葺きの倉もあった。板倉は春日大社板倉(江戸時代)や伊勢神宮の外宮御饌(みけ)殿などの遺構がある。平安時代初期の法隆寺綱封(こうふう)蔵は,全体が桁行9間だが,高床3間分の柱間を土壁で塗って倉とし,3間隔たって出入口の扉が向かい合うようにもう一つの倉を配置し,つごう9間分に寄棟造瓦葺きの屋根を架け,中央3間分は床も壁も設けず中空にした珍しい形式の双倉(ならびぐら)である。
平安時代後期の《信貴山縁起》に描かれた山崎長者の米倉は,土居桁(といげた)の上に四角な材を交互に積み上げた校倉になっている。また《粉河寺縁起》に描かれた讃良(さらら)の長者の倉は,土居桁の上に柱を密に立て,横材に胴縁(どうぶち)を密に渡した格子型の壁面からなっている。この例から,平安時代末期から鎌倉時代にかけて,富豪の家には倉が建てられ,その形式は奈良時代や平安時代前期の高床を平床形式にしたとも考えられる。校倉や板倉の伝統をひくと思われる平床の倉は,角材や厚板を角で半断面に落とし,梁行,桁行に交互に積み上げる形式で,関東北部,長野県,京都府北部山間の農家の倉として残っており,〈蒸籠(せいろう)倉〉と呼ばれている。また,柱に太い溝を彫り,上から厚い板を落とし込み,上部を桁で固める〈落し造り〉の板倉も,関西地方から中部・関東地方の山間部の農家でよく使われていた。
室町時代の京都では,質屋や金貸しを業務とした土倉(どそう)が数多くあったことが知られている。しかし,室町時代末期の《洛中洛外図屛風》に描かれた京都の町家を見ると,板葺き屋根の粗末な建物ばかりで倉らしい建物はまったく見当たらない。おそらく家の中に土壁で塗り固めた塗籠(ぬりごめ)を設け倉として使用していたものと考えられる。塗籠は《春日権現験記》の中に,焼失した掘立柱の家跡の中ほどに,切妻造で白く塗られた建物に土戸つきの前室がついた形として描かれている。これをみると,屋内に木造の建築とは別構造で建てられていたようであるが,他に資料がないので詳しいことはわからない。
16世紀後半以降,木造建築の構造体の外側に土壁を厚く塗った土蔵があらわれ,これが以後の倉の主体になる。土蔵には,屋根を瓦葺きにして,垂木(たるき)や破風(はふ)まで土壁で塗り込めてしまう形式のものと,天井裏(屋根形の傾斜をつけるものが多いが平らなものもある)を土壁で塗り込め,その上に茅葺きや瓦葺きの屋根をのせる形式(鞘屋根)がある。鞘屋根の場合は出入口や窓の上の庇(ひさし)も,折釘に掛けて取り外しできる方式にしたものが多い。土蔵の土壁の厚さは18cmもあり左官工事も手のこんだものとなる。普通の土蔵造は,柱の間に縦横に丸竹または細丸太を組み合わせ,木舞(こまい)をかき,これに縄をかけて泥土を塗り固めて芯の構造を作り,その外に泥を塗りさらにしっくいを塗って仕上げるものである。屋根との間も火がまわりやすいので,鉢巻と呼んで,段をつけたり,斜めの持出しにして壁を塗った。入口や窓には板戸の表裏に厚く壁土をつけた扉を釣り込み,入口にはさらに裏白(うらじろ)と呼ばれる表だけに壁土をつけた引戸と格子戸を設け,ふだんは扉は開け放しにして,裏白だけを引いて戸締りをした。土蔵は二階建てのものが多く,壁面が大きいため,下方は雨水で洗われて壁が崩れやすい。それを防ぐため,壁面を何段かに分け,しっくいや瓦の水切りを横にまわすほか,下半部に焼板を張ったり,瓦を張ったりする。瓦を張る場合は継目から水が入らないよう,しっくいを半円筒形に盛り上げて塗ったため,なまこ壁と呼ばれる。なまこ壁は瓦を平行に張ったり,斜めに張ったり,六角形の瓦を用いたり,装飾的に取り扱われる。土蔵は桃山時代から《洛中洛外図屛風》にもみかけるようになり,三階建てのものが多くあったが,18世紀以降は三階蔵はなくなる。防火性能がすぐれているため,19世紀前半には江戸などの都市で,町家も土蔵造にするものが多くなった。
→土蔵造
関東地方の北部や北海道の小樽などでは,切石を積み上げて壁を作った石蔵があるが,これらは明治以降の築造で,石蔵として古いものには大坂城にのこる焰硝石蔵(1661)がある。穴蔵は農作物保存用に農家の土間などに掘られるが定まった形式はない。また1650年ころの江戸では,火災の際,貴重品をしまう場所として,町家の中に穴蔵を設けることが流行したが,湿気が多いため,あまり普及しなかった。
律令制時代には国や郡に正税の稲を納めるための倉を建て,正倉と呼んだ。寺院においても正規の倉を正倉院と呼び,勅許あるいは三綱などの特別の許可がなければ開くことのできない宝物庫を勅封蔵あるいは綱封蔵と呼んでいる。また,幕藩制時代には幕府や藩へ納めるための年貢米を収めておくため生産地と城下町に御蔵(おくら)を設けた。江戸は浅草や本所に御蔵があり,浅草御蔵では戸口(戸前(こまえ)と呼ぶ)を2~5ヵ所つけた大きな蔵が54棟も並び,年貢米を収納した。各藩は城下町のほかに,産米の売りさばきのため,大坂堂島川の中之島あたりに蔵屋敷を設けた。蔵屋敷は堂島川から船入の水路を引きこみ,船入の河岸を囲んで数多くの米蔵が建てられた。敷地内には藩の座敷があり,それを囲んで在番の武士の長屋が設けられていた。
江戸時代の商家では家財道具や商品を収めておくために,土蔵を1棟程度持っているのが普通であるが,豪商の家では数棟の蔵があった。家財道具や衣装を入れておく蔵は,内蔵とも呼ばれ,戸口の前に蔵前の部屋をとり,住宅と連続して使用できるようにしている例が多い。外蔵は米蔵,道具蔵,木蔵など,用途により建物を独立させ,建物が連続する場合も,棟の高さを変え,間に厚い壁を設け,個々の蔵が独立する形式をとっていた。また,問屋などは水運の便のよい河岸に蔵を設けたため,港の近辺に切妻造の屋根がのこぎりの歯のように連続した風景が,どこの町でも見受けられた。
日本酒の醸造を行う酒屋も蔵と呼ばれる。醸造過程では多くの建物を必要とするが,そのうち蔵と呼ばれる建物は,米蔵と仕込蔵と澄蔵(すましぐら)である。仕込蔵は梁間が10~16m,桁行はそれ以上に長い大きな建物で,内部は二階建てくらいの空間が吹抜けになっている。外壁は土壁を塗り込めにし,一見土蔵と似通った構成になっているが,壁体は土蔵ほど厚くなく,大壁造りの町家の外壁と同程度である。これは,酒蔵の外壁が防火のためではなく,外部の気温の変化を急激に室内に伝えないという断熱を目的としているためである。仕込蔵の内部では多量の炭酸ガスが発生するために,換気用の窓が上下2段以上に規則正しく配置される。澄蔵は桶囲いをした酒を貯蔵しておく倉庫的なものである。なお,しょうゆやみその醸造も蔵で行われるが,室内気候の調整が酒蔵ほど微妙でないため,建築の形式も酒蔵のような共通性を有していない。
→倉庫
執筆者:鈴木 充
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
蔵とも書き、食料、家財道具、衣類などを貯蔵、収納する建物。倉は母屋(おもや)と離して建てたり、あるいは母屋と倉が接していても両者の間を厚い土壁などで遮断できるようにし、火災等の災害や気候の変化から収納貯蔵物を守るところに目的がある。ただし倉の構造は用途や自然環境、立地条件などによって各地で相違があり、一方では倉が社会的に家格や資産を誇示する象徴ともなっている。日本各地の倉は、その用途からみていくと、穀物やその種子などを収納しておく穀物倉、衣類・家財道具を収納しておく倉、みそ・しょうゆや漬物類を置く倉に大別でき、構造からは、高倉、板倉、校倉(あぜくら)、蒸籠(せいろう)倉、土蔵、石蔵、穴倉(あなぐら)に分類できる。また倉の所有からは、個人(家)所有のものと村落による共同所有のものとがある。
倉の用途別分類のうち、衣類・家財道具を納める倉は山梨県などでは文庫倉とよび、穀物倉と区別しているが、用途に関しては1棟の倉を幾通りかに用いていることがよくある。たとえば1階を穀物倉にし、2階に家財等を置く例が各地にあり、北陸や中部地方ではこれに加え、土蔵の入口の横に部屋を分けてみそ倉をつくり、ここ専用の出入口を設けている場合が多くある。長野県には長屋になった建物を倉屋(くらや)とよび、内部をいくつかに仕切って利用している例もある。これに対し古風な町並みや屋敷どりを残している地方都市の旧家には、屋敷内にいくつかの倉(おもに土蔵)をもち、それぞれを使い分けている例がみられる。
倉の所有については、多くは個人所有であるが、郷倉(ごうぐら)は1か村あるいは数か村共有の穀物倉である。共有の倉には、村落の中の地縁的な家集団である村組が、共有する膳(ぜん)、椀(わん)、行器(ほかい)などを収納しておく倉、町内でもつ祭礼の屋台の倉などもある。
倉の構造には前記のような種類があり、このうち高倉は、床面を高くした倉で、おもに穀物を入れておく。これは静岡の登呂(とろ)遺跡に遺構があったり、銅鐸(どうたく)に描かれたりし、弥生(やよい)時代からあり、伊豆八丈島や奄美(あまみ)諸島、沖縄などには現存している。高倉は、倉を支える脚(あし)(束(つか))の頭にネズミの侵入を防ぐ鐔(つば)のような厚板をつけるか、幅広の梁(はり)を渡し、その上に倉をのせた形となっているのが特色である。脚は4本、6本または8本で、高さは1メートルから2メートル程度で、数段の梯子(はしご)などで上るようになっている。なお、これは日本では、黒潮の流れに沿った地方だけでなく、アイヌにもみられる。アイヌではプーとよぶ。八丈島ではこれを単に倉、あるいは板倉、足揚(あしあげ)倉とよぶ。板倉、校倉、蒸籠倉は、ともに木でつくった倉である。板倉は柱に貫(ぬき)を入れ、それに縦に板を打ち付けた倉であるが、柱に溝を彫り、貫の内側に上から板を横に落とし込んでいくのが古いつくりである。校倉、蒸籠倉は丸太造りが原形である。校倉は、木材の接合部を凹形にして交互に組みながら積み重ねて壁にした倉で、奈良の正倉院などの造りをいう。蒸籠倉は原理的には校倉と同じで、校倉の一種といえるが、これは民家での名称である。構造的には角材を蟻形(ありがた)と駄枘(だぼ)で組んで壁にした倉で、長野県八ヶ岳(やつがたけ)山麓(さんろく)や富士山麓などにみられる。土蔵は小舞(こまい)を組んで土壁を厚く塗った倉で、その内部は外気の変化の影響が少なく、火災にも強い。日本ではごく一般的な倉であるが、耐火構造であるため江戸時代中期以降、都市の町屋(まちや)を中心に発達、普及し、しだいに農村でもつくられるようになった。切妻(きりづま)の屋根で、妻側に家紋や「水」の文字を書いて蔵印(くらじるし)としたり、外壁を生子(なまこ)壁にしたりしている。東北地方にはこの中に座敷をつくる蔵座敷が広くみられる。石蔵は日本ではごく一部の地方にあるだけで、大谷(おおや)石の産地である宇都宮市に多い。穴倉は以上の恒久的な倉とは違い、簡単な半地下式の小屋で、関東・中部地方のものが知られている。冬にはこの中で藁(わら)細工をし、冬以外は漬物置場となったりしている。
[小川直之]
『本多修著「くらその他」(『日本民俗学大系6』所収・1958・平凡社)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…律令制下における中央官衙,国郡,駅家,寺院などに設けられた公的な収蔵施設の総称。形状による分類では,高倉,長倉(横倉),円倉,双倉(ならびぐら),屋,倉下,倉代などがあり,側壁の構造や材質による分類では,校倉(あぜくら)とみられる甲倉や格倉,丸木倉,板倉,塗壁屋,土倉などがあげられる。諸国の正倉のほとんどは穀物倉であったが,収納物によって不動穀倉,動穀倉,穎稲倉,糒倉,粟倉などと分類される。そのほか中心的な役割を担った大型の法倉と称される倉や,正倉に準じて利用された借倉,借屋と呼ばれるものもある。…
…物品を一時的あるいは長期にわたって保管貯蔵するための建物,あるいは室。現代の倉庫の分類等については後半の〈倉庫業〉を,また日本の伝統的な倉庫については〈倉∥蔵(くら)〉の項目を参照されたい。
【西洋】
古代メソポタミアおよびエジプトでは,日乾煉瓦でつくられたドーム型の穀倉が用いられ,ときには直径10mに及ぶような大型のものがつくられた。…
…物を収めておくため,独立して作られた建物。同じ性格の建物には倉と物置があるが,倉が物を長期にわたって保存格納する性格であるのに対して,納屋はある行事や作業に必要な道具を格納し,ときには作業場として使われることもある。また,物置は雑多な物を入れておく建物であるのに対し,納屋は使用目的がしぼられた物を収納する。また〈納屋〉の語は商品流通の歴史にかかわってさまざまな意味で用いられてきた。(1)農家の納屋は農耕具,脱穀の用具,筵(むしろ)など農作業に必要な器物を収納している。…
※「倉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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