感情(読み)かんじょう(英語表記)affection

翻訳|affection

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

感情(心理学)
かんじょう
affectionfeeling

われわれは、その日常生活においてさまざまな場面に直面して心の動揺を感じたり、その動揺がその後の時間的経過にしたがって変容したりしていくことを体験する。このような心の動きを感情という。
 心理学ではしばしば「多義の虚偽」とよばれるミスを犯している。すなわち、ある語がさまざまな意味をもち、その意味によって思考のルートにミスをおこすことをいう。「血液型人間学」を樹立した能見正比古(のみまさひこ)(1925―81)はその著述においてしばしば「心理学の限界」について触れている。能見は「心理学」はその多義性のために心理学者ごとに別々の心理学が存在すると批判している。ここで取り上げる「感情」ということばも多義的な概念の一つである。人間は「感情の動物」であるといわれている。感情は人間生活にとって非常に重要な意義をもち、それを欠いた生活は無味乾燥なものである。しかし、その概念の多義性によって心理学に関係する文献もしばしば困惑に陥っている。ここでは心理学における代表的、平均的な解説を試みようと思う。
 一般に、感情とよばれている心的現象のなかには、感覚感情、情動(情緒)、情操、気分などが含まれている。[大村政男]

感覚感情

色彩豊かな花園、優れた交響曲、高価な香水の香りなどはだれにでも快感を与え、その反対の刺激はだれにでも不快感を与える。さらに、黄色は暖かい感じを与えるし、淡い青色は涼しい感じを与える。このようにして生じた感情は、視覚、聴覚、嗅覚などという感覚器官によって受容されたもので、感覚感情とよばれている。心理学における感情の研究はこのような感覚感情の研究から始まったのである。
 1879年に、ドイツのライプツィヒ大学に、世界で最初の心理学実験室を設立したブントは、感情に「快―不快」「興奮―沈静」「緊張―弛緩(しかん)」という三つの次元(方向)があることをみいだし、感情の三方向説を唱えた。ブントはハイデルベルク大学医学部に籍を置いたが、しだいに生理心理学の領域に入り、1896年には『心理学概論』を著述している。感情の三方向説はここで発表されたものである。自動車が急停車したときに発する音は、快―不快の次元からすれば不快、興奮―沈静の次元からすれば興奮、そして緊張―弛緩の次元からすれば緊張ということになる。打上げ花火の音は快・興奮・弛緩になるように思う。[大村政男]

感情

ブントの感情の三方向説は心理学における感情研究の端緒になったが、感覚感情という概念は現在ほとんど使われていない。感覚感情という概念は、広義の感情にのみ込まれてしまい、ますます「多義の虚偽」を強化することになってしまっている。この広義の感情の領域を細分していこうと思う。
 感情のことを英語ではfeelingという。このことばの語源は「触れて感じる」ということである。feelingというスペルを見ても触れて感じるという静かな意識の流れが理解できよう。feelingにかわってaffectionということばが使われることもある。『文部省 学術用語集 心理学編』(日本学術振興会、1986年)では、affectionは(1)愛情、(2)感情というように訳されているが、感情ということばになると(1)feeling、(2)affectionになっている。概念の複雑性と翻訳の困難性が思考を著しく混乱させ、かつ心理学の科学性に対して疑問を抱かせている。このようなことは近未来においても克服されることはないだろう。[大村政男]

情動

英語でいうemotionで、その語源は「揺り動かす」である。emotionという文字を見てもfeelingとは対照的な感じを与える。情動とは、喜び、悲しみ、怒り、恐怖、不安というような強い調子をもった感情を表していることばである。情緒ということばが使われることも多いが、一般で用いられているある国語辞典には、(1)喜怒哀楽などの意識の動きを誘いおこすような気分や雰囲気(例、江戸情緒を感じる町並み)、(2)情動と解説されている。国文学的なムードの強い表現である。感情と情動の差異点をやや詳しく解説してみよう。
(1)感情は「感」に重点が置かれ、情動のほうは「動」に重点が置かれている。
(2)情動には感情にみられない身体内の変化や、運動的な表現が認められる。
(3)情動は感情よりも短時間の経過で、しかも激しい表出(顔の表情や身体的表現)がみられる。
(4)感情は隠蔽(いんぺい)することができるが、情動はその表出を制御することが困難である。
(5)社会的な状況を考慮しない情動表出や、その強制的な抑制は、個人の社会適応や精神保健に重大な障害を与えてしまうが、感情にはそのような問題点は僅少(きんしょう)である。
 人間生活に大きな影響を与える情動として恐怖と不安があげられる。恐怖はそれを与える対象が具体的であるが、不安の対象は漠然としているなどと解説されているが、来客恐怖(だれかが訪問してくるのではないかという不安)ということばもあるし、テスト不安(試験で失敗するのではないかという恐怖)ということばも使われている。ここにも「多義の虚偽」が認められる。西欧の不安にはキリスト教の原罪的な思想がみられるという意見がデンマークの哲学者キルケゴールによって唱えられている。実存哲学でいう不安にはそのようなルートが感じられるが、心理学で取り上げている不安の主要なものは神経症的不安である。この不安が人間行動を抑制するという意見が多いが、反対に促進するのだという意見もある。不安のために試験に失敗する場合と、試験に失敗したらたいへんだという不安が学習の動機づけになるという場合とである。前者を減弱性不安とよび、後者を促進性不安と名づける学者もいるが、一般的には不安は人間行動にさまざまなマイナスの影響を与えている。カウンセリングルームにやってくるクライエント(来談者、クライアントともいう)のほとんどはこの神経症的な不安にとらわれている人である。対象のない漠然としたものにおびえている人もいるが、多くはなんらかの対象についての不安で、自縄自縛に陥っているのである。つまり、自分のものの見方や考え方で自分自身が苦しんでいる状態といえる。カウンセラーは本人が自分でこの状態から抜け出すのを援助していく役割をもっている。[大村政男]

情操

芸術、宗教、道徳などのような文化的な対象や活動についての高度な感情が情操である。芸術的情操、宗教的情操、道徳的情操などという表現が使われている。これらの情操は、情動のような激しい一過性のものではなく、静かで、落ち着いた、しかも知的な要素を多分に含んだ意識状態ということができよう。なお、ある特定の人物に対して抱いている感情や自分自身に対してもっている感情も情操とよばれることがある。自尊的情操とよばれる感情がそれである。この情操に障害がおこると劣等感コンプレックスが生じてくる。このコンプレックスにさいなまれた人は一般的に引っ込み思案になることが想像されるが、反対に猛烈な攻撃的スタンスを表すこともある。このように自分の意識と反対の行動を示す現象を反動形成という。[大村政男]

気分

持続的な弱い感情状態を気分という。感情のなかでもっとも精神身体的健康と関係が深いもので、健康のバロメーターといわれることもある。すがすがしい気分で起床するとか、ゆったりした気分で就寝するなどがそれである。他人に対する怒りは直接的に表出できない場合が多い。そこで敵意という気分になって意識の深層に潜んでいて夢に象徴的に現れてくることがある。大木を伐(き)り倒そうとしてうなされていたり、怪物に襲われて逃げ回っていたりする夢がそれである。大木や怪物は敵意の対象を象徴しているのである。
 気分は持続的な感情状態であると規定されているが、精神医学では気分易変(いへん)型精神病質者という名称が使われている。突然これという理由がないのに強烈な不機嫌が生じ、他人に危害を加える変質者のことである。正確には情動激発型と名づけたほうが適切であろう。[大村政男]
『松山義則・浜治世著『感情心理学1 感情と情動』(1974・誠信書房) ▽今田寛著『感情心理学3 恐怖と不安』(1975・誠信書房) ▽キャロル・E・イザード著、比較発達研究会訳、荘厳舜哉監訳『感情心理学』(1996・ナカニシヤ出版) ▽エレイン・A・ブレックマン編、浜治世・松山義則監訳『家族の感情心理学――そのよいときも、わるいときも』(1998・北大路書房) ▽浜治世・鈴木直人・浜保久著『感情心理学への招待――感情・情緒へのアプローチ』(2001・サイエンス社) ▽高橋雅延・谷口高士編著『感情と心理学――発達・生理・認知・社会・臨床の接点と新展開』(2002・北大路書房) ▽畑山俊輝他編『感情心理学パースペクティブズ――感情の豊かな世界』(2005・北大路書房)』

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