〈戯曲〉という概念は,近代の日本語に固有のものであって,少なくとも西洋にはこの観念はない。ドラマといえば,もちろん演劇そのものをさす言葉であるし,英語の〈プレイplay〉も,読む戯曲を示すと同時に,舞台上で演じられる演劇を意味している。ドイツ語の〈テアーターシュトゥックTheaterstück〉,フランス語の〈ピエス・ド・テアートルpièce de théâtre〉は,いずれも文字どおり〈演劇作品〉の意であって,それがそのまま文学としての戯曲の意味でも使われている。読むべき戯曲と演じるべき演劇とを分け,前者をひとつの用語として独立させたのは,日本の近代の習慣にすぎない。
その理由は,西洋において文学としての戯曲が軽視されていたからではなく,むしろその逆であって,あらゆる舞台上の演劇がそのまま文学であることは当然だ,と考えられていたからにほかならない。もちろん,西洋にも即興劇や黙劇の伝統はあったが,中心を占めてきたのは,ギリシア古典劇以来,文学として読むことのできる戯曲の上演であり,演劇の全体が一種の文学的な行為だということは,暗黙の常識になっていた。これに対して,近代以前の日本の場合,能楽も歌舞伎も現実には文学的な筋と言葉を持ちながら,それを〈文学〉として読み,解釈し,批評する習慣は長らく確立していなかった。世阿弥の作品も近松門左衛門の作品も,明治以前には単に上演と吟唱のための台本にすぎず,たとえば《古今和歌集》や《源氏物語》と同じような意味で,独立した作品として意識されることは少なかった。上演台本が文学でもあるという意識は,新しく西洋の演劇が紹介されたときに輸入されたものであって,この事実の発見をとくに強調するために,あえて〈戯曲〉という新語が発明されたといえよう。
しかし,こうした意識上の問題はともかくとして,洋の東西を問わず,あらゆる演劇が文学としての一面を持ち,したがって,広義の戯曲的な性格を含んでいる,という事実に疑いの余地はない。演劇とは,人間の行動を再現することによって確認する技術であり,しかも,繰り返し再現しうるかたちに定着させる技術であるが,これは根本的に文学の仕事でもあるからである。どんなに即興的な演劇でも,実は俳優の長年の修練の産物であって,その修練の過程で,行動の多くの要素が書かれざる戯曲として固定されている。しばしば,即興劇は定型的な筋を持っており,そうでなくても,個々の状況やしぐさに反復可能な定型性を含んでいる。行動が反復可能なかたちに再現され,いいかえれば,その本質的なかたちが抽出されて把握されたとき,それを言葉によって記述することはすでに半ば始まっている,といえる。それを粗雑に記述すれば,〈文学性〉の低いいわゆる上演台本が生まれ,精緻に記述すれば〈文学的〉な戯曲が誕生するだけのことであって,いずれにせよ,行動の文学化はすでに即興劇の身体運動のなかに始まっている,と見ることができる。このことを逆にいえば,すべての文学はその根底において演劇なのであり,書くことのない作者の内面的な演技が含まれている,ということになろう。事実,古代の抒情詩や叙事詩はもちろん,中世の多くの物語も本来,聴衆の前で朗誦されるものであり(語り物),身振りをともなって上演されるものであった。黙読を基本とする近代の小説は,むしろ文学として例外的な形態であるが,それでも,その創作の過程に一種の〈役になりきる〉心理がひそんでいることは,疑いない。フローベールが《ボバリー夫人》の服毒の場面を描いたとき,共感のあまりみずから嘔吐を覚えたというのは,この点で示唆的な逸話だといえよう。
それにつけて,明らかにせねばならないのは,行動を再現することによって確認するとはどういうことであり,それを反復可能なかたちに定着するとはどういうことか,という問題であろう。いいかえれば,流れている現実の行動をひとつの単位として切り取り,それを始めと終りのある統一体として展望するとはどういうことか,ということであるが,これは演劇の文学性,あるいは戯曲の本質を考えるうえで決定的な問題だといえる。周知のように,アリストテレスは《詩学》のなかで演劇を〈一定の長さを持ち,必然的な始めと中と終りを持って完結した行動の再現〉と定義し,この点に演劇が歴史と区別されるひとつの重要な特性がある,と考えた。こうした自己完結した行動は,もちろん,現実のなかにそのままのかたちでは存在しないから,何らかの特別の力がそれを現実の外に創造するのだ,と考えなければならない。伝統的な美学によれば,それを創造するものが文学者の眼にほかならず,行動を外側から観察し,現実の流れのなかから切り取って,それを再整理し新しいかたちを与えるのが文学の仕事だ,と理解されてきた。行動が何かを“する”ことだとすれば,文学とは何かを“見る”ことであり,“する”ことから“見る”ことへ,人間が態度を転換したときに行動についての文学が生まれる,というのが文学論の常識であった。しかし,このように考えると,第一に,そうした文学がはたして現実の行動の再現だといえるのか,現実とは無関係の恣意的な捏造(ねつぞう)ではないのか,という疑いが芽生えるが,さらにそれが演劇作品である場合には,特別の理論上の困難が生じることになる。なぜなら,演劇において演技は明らかに何かを“する”ことであり,行動の外に立つ態度ではなく,その内側へ没入する態度によって支えられている。いったい,行動を外から“見る”ことと内側で“する”こととはいかにして両立するか,見られた行動と演じられた行動ははたして同一の行動なのか,という疑問がそこから湧いてくることになろう。そして,まさにこの点から,演劇における文学と演技はいかにして両立するか,という問題が頭をもたげ,そのあげく,演劇は文学として不十分な形式であるとか,逆に演劇にとって戯曲は本質的な要素ではないといった,さまざまな謬見(びゆうけん)が現れたのである。
この問題に正しく答えるために,必要なことは,あらためて演劇以前の現実の行動の構造を見さだめ,そのうえで,それを再現するとはどういう行動であるかを考えなおすことである。注意深く見ると,現実の行動はけっして単純な運動でも“する”ことでもなく,“する”ことのなかに見ることを含み,運動そのもののなかに停止を含み,流動性のなかに完結性への傾向を含んだ,いわば重層的な構造を持つものだからである。このことは,たとえば三段跳びというもっとも単純な行動を見ても明らかであって,ホップ,ステップ,ジャンプという,ひと流れの,しかも分節的な運動のかたちとなって現れている。選手は,一面においてまさにひと息の跳躍に身をゆだねながら,しかし,そのなかの一歩ごとに運動を停(と)め,停めることによってかえって運動に速度と勢いを加える。彼はまた,一面で眼を閉じて空中に身を投げながら,同時に,三つの部分からなる行動の過程を見渡し,方向と力の配分を誤らぬようにその全体を見守っている。さらに彼の跳躍は,三つの部分が互いに有機的な関連を持ち,一個の生きたリズムを作ることによって,それ以上に大きくも小さくもなりえぬ完結体を形成する。それはかりに,長距離競走のようなより大きな運動の一部に組みこまれても,その内部の部分が求心的に結合され,互いに支えあうことによって,それだけで明確な始めと終りを持つ全体を作るのである。そして,あらゆる日常の複雑な行動,ときには長期にわたる大規模な行動も,実は潜在的にこうした広義のリズム構造を内部に持ち,流動と分節,運動と静止,凝縮と展開という,相反する契機の統一として成立している。行動の主体も,そこで“する”ことと“見る”こと,没入と展望,跳躍と制御という矛盾する姿勢を同時にとり,リズムに乗せられながらそれを乗りこなしたときに,ひとつの完結した行動を成功裡に行った,といえるのである。
しかし,これはあくまでも行動の理想的な現れ方であって,現実の日常生活においてはこの構造はしばしばゆがめられ,あるいは潜在的なかたちのままに抑圧されていることが多い。それを脅かすものは,第一に慣習的で惰性的な態度であり,いわば無自覚に行動に乗せられている姿勢であって,第二には過度に目的追及的な意識であり,行動を手段として乗りこなそうとする意識である。前者の場合,一見,行動は滑らかに進行するが,その細部はなおざりにされ,全体は明確な始めも終りもなく,日常の無限の行動連鎖のなかに埋没してしまう。後者の場合,行動は目的実現の機械として操作され,方向と手続の正確さは保たれるが,全体としての流動感と跳躍の勢いを失ってしまう。すなわち,日常の現実において,人間はとかくいいかげんに行動するか,逆に過度にうまくやろうとするかのいずれかに傾き,結果として,行動の重層構造,そのリズム構造を分裂させる傾向を持っている。そして,この分裂を修復し,行動本来のリズムを回復するのが,実はそれを再現する行動であって,日常生活においては,これは行動の練習,学習というかたちをとって行われている。練習の例を見れば明らかなように,行動の再現は,まず行動に対する惰性的な姿勢を廃し,自覚的に身体を動かしながら,しかも当面は目的の実現を目ざさないという意味で,過度の目的意識と緊張を排除する。それは,行動の全体を見渡し,その細部の分節性に注意し,細部をただちに目的に短絡させることなく,それら相互のあいだにリズム的な応答の関係を組み立てる。やがて,この作業が反復されるにつれてリズムは有機的な統一を作り,それ自体の力で内発的に動き始めて,ついには行動の主体の側を乗せて前へ進むことになる。主体の側からいえば,行動を操作しながらそれに運ばれる関係を回復し,“見る”ことと“する”こと,制御と跳躍のきわどい均衡を回復する。その前提となるのが,目的を目ざしながらその実現を断念する,という逆説的な態度であるが,これはまぎれもなく演技の本質であり,〈ふり〉をすること,〈ものまね〉をすることの本質であろう。演劇の演技とは,人生のあらゆる行動を惰性的な慣習から解放し,さらに実用的な目的の支配からも解放し,いいかえれば,それ自体を手段ではなく目的としてとらえなおし,隠蔽されていたリズム構造を確認することだ,と定義できよう。
このように考えると,広義の演技のなかからいかにして戯曲が現れ,また,それがなぜ必然的に現れるか,ということも明らかであろう。行動の再現は,行動の対立する契機をそれぞれ十分に働かせ,いわば最大限に対立させたうえで統一するものであり,重層構造の矛盾を極大にしたうえで均衡に導くものである。そうしなければ,日常現実の行動はとかくその一方の契機に傾き,重層構造そのものを危うくするからであり,その危険は演劇の演技にとっても無縁ではない。それ自体が行動の再現である演技も,ときには惰性的で不正確な運動と化す危険もあり,逆にある種の即興劇に見られるように,過度に意識的でぎこちないものにとどまる恐れもある。これを防ぐもっとも有効な方法は,いったん行動する主体の意識を二つに分け,“見る”ことと“する”こと,展望と没入,制御と跳躍のそれぞれを,まず別個に行ったうえで統一することであろう。その際,戯曲とは,広義の演技のなかでとくに“見る”ことの側面を受け持ち,行動の全体の展望,その分節性の確認,方向の制御の責任を負うものと見ることができる。もちろん,戯曲を書く作家(劇作家)も,その内面では眼に見えない演技をしており,そのかぎりでは流れに没入して運ばれる側面を持つが,しかし,その意識の重点はあくまでも一歩ごとに踏みとどまり,全体の組立てと細部の明確さを確認することに向けられる。これに対して,他方,広義の演技は俳優の演じる狭義の演技を生みだし,この眼に見える具体的な演技が,主として行動の流動性と没入の側面を分担することになる。当然のことながら,俳優も行動の正確な再現を求められる以上,展望と制御の努力を欠くことはできないが,なんといっても,その中心的な任務は行動をひと息の流れとして前へ進めることである。彼は演技の方向づけと秩序づけを劇作家にゆだね,それが描いた地図を頼りに,いわば息をつめて空中に跳躍する。劇作家にとって,行動の過去と現在と未来は三つの部分として分節しているが,俳優はつねに現在に生きて,過去も未来も現在の縁取りとして感じているにすぎない。比喩的にいえば,劇作家が行動の流れを外側から眺めて,その速度と水量をものさしで計っているとすれば,俳優は流れのなかに立って,それを肌にあたる水圧として感じとるのである。
しかし,本質的には,両者はあくまでも同じひとつの行動を再現しているのであり,両者の意識の働きは半ば以上が重なりあっていることは,疑いない。いいかえれば,戯曲を書く行動は,同時に半ばまで内面的に演技する行動であって,したがって,それ自体のうちに展望と没入の両面を含み,それ自体の内部に微妙な重層構造を作りだすことになる。まず,戯曲の基本的な素材は物語であるが,これはたとえば〈犯人を探すこと〉とか,〈父親の殺害に復讐すること〉といった一句で示すこともでき,また,数百行の文章で説明できるものであって,まだ固有のかたちを持っていない。すなわち,それは展開の順序も細部の分節もないままに,作者の気分的な心象として凝縮しており,あたかも,人がものを思いだす際の最初の漠然たる記憶表象に似ている。作者が物語を思い浮かべる場合,その第一印象は,悲しかったり陽気であったりする気分の流れであり,漠然たる行動の力の感触であり,その重さと勢いの手ごたえにほかならない。いいかえれば,作者が創作の出発点で出合うのは,行動の流動性と凝縮の側面であって,そのなかに没入しながら,つぎに作者はそれを展開し分節しようと試みる。そこに生まれるものが,戯曲の〈場面〉でありその連続体としての〈幕〉であるが,これは互いに区切られ,横に並んで,全体としては空間的なひろがりを作ろうとする。場面の最小単位は文字どおり舞台上の静止した空間であり,そのなかで複数の人物が一幅の活人画を描いて,緊張した対決の構図をくりひろげる。たとえば,人が人を殺す,あるいは愛しあうという物語は一連の時間的な経過であるが,これは2人が同時的に出合ういくつかの場面に分割され,そのたびに経過の時間的な速さは遅らされることになる。すなわち,物語が結末を急ごうとする力であるのに対して,場面はそれをせきとめて淀みを作る働きを持つものであって,この対立する契機の拮抗からひとつのリズム構造が生まれてくるのは,あの三段跳びの場合と同じである。ひと息の流れは分割されることによって勢いを増し,前進と停止の力の均衡によって行動は完結するのであって,この矛盾の均衡のなかに浮かびあがってくるのが,いわゆる戯曲の〈筋〉にほかならない。戯曲を書くとは,何よりもこの意味での筋を作ることであり,物語の重さと勢いを正確に感じとる一方,それに拮抗しうる適切な場面の分割と配置を決めることだ,といえよう。
これは,いいかえれば,作者が物語の内側と外側に同時に立つことであるが,このいわば両義的な態度は,さらに登場人物を描くことにもせりふを書くことにも求められる。人物は,それぞれ独自の思想や感情を含む内面を抱く一方,外側から規定される役柄を負う存在であって,それ自体,重層的,あるいは両義的な構造を持つ存在だといえる。人物が人間である以上,彼らは自立した主体的な存在であるが,同時にそれは筋を運ぶうえでの道具でもあって,立役,敵役,善玉,悪玉,さらに近代の心理的性格といった外からのレッテルを貼られている。つまり,彼らはみずから世界を見る人間であるとともに,劇的世界のなかで見られる存在でもあって,したがって,作者はこの対立する両面を統一的にとらえなければならない。また,このことと関連して,せりふも内側と外側の二重の構造を持ち,一面で人物の個性的で多様な内面を語るとともに,他面においては,劇的世界全体の統一的な気分を語ることになる。すなわち,それは人物の言葉として瞬間ごとに異質の発見を語りながら,同時に物語の言葉として一定の文体の一貫性を示し,極端な場合には統一的な詩的韻律を持たねばならない。この点はまた,俳優の身体的な演技が描写的な多様性を見せるとともに,一定の様式的な統一を目ざし,ときには舞踊的な様式を持つことに対応している,と見ることができる。
このような戯曲は,当然,俳優の身体的な演技によって完成されるが,これはいうまでもなく,なんら新しい態度の転換でもなく,戯曲のなかに存在しなかったものをつけたすことでもない。現実の行動が“する”ことのなかに“見る”ことを含んでいるように,演技は演じることのなかに読むことを含み,戯曲の構造に対応して,それ自体のなかにまた重層構造を秘めている。近代の演劇においては,しばしば俳優の仕事から演出という役割が独立し,これが演技の“読む”側面を分担しているが,この事実は演技そのものの両義的な性格を明示している,と考えられる。
→演劇 →脚本 →レーゼドラマ
執筆者:山崎 正和
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
舞台で観客を前にして俳優が演じる劇的内容(筋の展開)を、登場人物の対話・独白(台詞(せりふ))を主とし、演出・演技・舞台の指定(ト書)を補助的に加えて記したものをいう。俳優、観客、舞台とともに演劇の基本的構成要素の一つである。一般には脚本、台本とほぼ同じ意味で使われるが、それが直接上演を目ざした、舞台に直結した作品をいうのに対し、戯曲は作者(劇作家)の書いた作品の思想性を重視し、文学作品としても鑑賞できるような芸術性を保った作品をさしていう場合が多い。この語は、中国で宋(そう)・元の時代から用いられ、もとは雑劇や雑戯(歌が中心で庶民に好まれた大衆的な芸能)の歌曲を意味していた。日本の歌舞伎(かぶき)では台帳、正本(しょうほん)などとよばれていたが、明治初年にヨーロッパのドラマdramaの訳語として戯曲の文字があてられ、明治末以降演劇の劇的内容を文字で記し活字にした劇作品を広く戯曲と呼び習わすようになった。ドラマは、ギリシア語の「行う・行為する」を意味するドランdranを語源にもち、俳優が自分の肉体で観客に、あるできごとを演じてみせる、その人物の行為(できごとの事柄、筋の展開)をさしていう。
[藤木宏幸]
古代のギリシア劇をはじめ、エリザベス朝時代のシェークスピア、フランス古典主義時代のラシーヌなど、戯曲はおもに韻文(詩)形式で書かれており、ヨーロッパでは文学の一ジャンルとみなされてきた。できごとを客観的に述べ伝える叙事詩、作者の心情を主観的に表す叙情詩とともに、俳優によって演じられるべき劇詩(とくに悲劇)は、両者を総合した文学の最高位を占めるものとの考えも生まれた。18世紀にディドロが、従来の悲劇と喜劇の中間的なジャンルとしての市民劇を提唱し、やがて新興の市民階級が主人公となり、庶民の日常的な生活が舞台に取り上げられるようになると、散文による戯曲が増加し、19世紀には主流となった。台詞を主にした対話劇は、16、17世紀からしだいに、歌を主としたオペラ、舞踊を主としたバレエが分離し、独自な発展をみたことで、いっそう純化され、演劇のなかでも中心的で正統的なジャンルとして確立していった。こうしたヨーロッパの、文学の一ジャンルとしての戯曲という概念は、元来、日本を含めた東洋にはなく、歌や踊りを主にした芸能、演劇が近代に入ってからも継続することになる。
戯曲は本来、舞台で上演するために作者によって書かれるものであるが、直接上演を予想しないで、対話という形式を一つの表現方法として用い、読み物として書かれたレーゼドラマLesedrama(ドイツ語。書物戯曲、机上戯曲と訳す)も出現する。それは18、19世紀のイギリス・ロマン派の詩人たちが書いた劇詩のように、劇的な構成を欠き冗長で上演に不適当な場合もあるが、ミュッセの戯曲やゲーテの『ファウスト』のように、作者が上演を予想しないで書いても、後代上演されて大きな成功を収める場合がある。また一方に、入り組んだプロット(筋)の展開と技巧の勝ったウェルメイド・プレイ(うまくこしらえられた芝居)で、その時代の観客に迎えられ喝采(かっさい)を博した上演性に富む作品であっても、思想や内容が希薄であれば、後世に名をとどめえない作品も数多くある。戯曲のもつ上演性(演劇性)と内容性(文学性)の意味は、時代、社会環境、演劇状況によってかなり異なってくるのである。
[藤木宏幸]
戯曲はまた多くの制約を伴っている。現代では舞台機構や設備などの機械化が進み、映画やテレビの浸透で、観客の固定化した従来の舞台のイメージが破られてきていることもあって、作者はかなり自由な手法を駆使することが可能となった。しかし戯曲の上演時間は通常2時間半から3時間前後であり、そのなかにすべてのことを折り込まなければならないという時間的な制約がある。また生身で等身大の人間が舞台に登場し、肉声で語っていくという空間的な場での制約も基本的には変わっていない。こうした制約や劇構造、特質についていち早く指摘したのは、古代ギリシア劇から帰納的に課題を導き出したアリストテレスである。彼は『詩学(創作論)』で、悲劇を対象に、劇がある一定の時間内のできごとを表し、俳優がそれを実行する形式で観客の前で直接に表現することを述べて、叙事詩や物語との差違を明らかにし、またそのできごとが、ある大きさと完結性(初め・中・終わりという構成)をもつこと、筋の部分である発見と反転の重視、劇の及ぼす効果としてのカタルシス(浄化)作用など、戯曲の基礎的な理論づけを行っている。この理論から、17世紀のフランス古典主義演劇の時代には誤解を生じ、劇は1日のうちに、一つの場所で、一つの筋を取り扱うべしとする三単一の法則(三一致の法則)が規範化された。しかし、19世紀には、ヘーゲル美学の流れをくみ、意志の対立葛藤(かっとう)に戯曲の本質をみるドイツのフライタークが、『戯曲の技法』(1863)において古今の戯曲を分析して、筋の発端・上昇・頂点・下降・破局の5部分から戯曲がなっていることを説き、近代の戯曲理論の定説となった。日本の戯曲論では、能の「序破急(じょはきゅう)」五段構成を示した世阿弥(ぜあみ)の『能作書』(1423)や、歌舞伎の作劇の基本となる竪(たて)筋(世界)・横筋(趣向)の方法などを記した『戯財録(けざいろく)』(1801)があるが、近代に入ると新帰朝者の久松定弘が『独逸(ドイツ)戯曲大意』(1887)でヨーロッパの戯曲理論を紹介し、さらに森鴎外(おうがい)、石橋忍月(にんげつ)らがこれを深めた。また小山内薫(おさないかおる)が、危機説にたつウィリアム・アーチャーの論を『戯曲作法』(1918)で翻訳紹介している。
[藤木宏幸]
19世紀末の解体期の市民社会を背景に、そこに派生する問題を真正面から扱ったイプセン、ストリンドベリなどの写実的戯曲を経て、20世紀に入ると戯曲の様相は一変する。第一次世界大戦前後のドイツに始まる、あくまでも個人の主観を強烈に表出しようとする表現主義、既成演劇の枠組みを打破してすべての価値を無意味に化そうとするダダイズム、異化効果によって認識の劇に高めようとするブレヒトの叙事詩的演劇、さらに第二次世界大戦後の不条理演劇から、俳優の肉体復権の動きへと、大きな変容をみせている。現代の人間疎外の状況を表象するかのように、言語による伝達関係の崩壊や、不安な人間関係を指し示す現代の演劇は、旧来の台詞を中心とした戯曲のあり方や、演劇における文学性優位の戯曲の果たした役割に再検討を迫るものとなっている。
[藤木宏幸]
『津上忠・菅井幸雄他編『演劇論講座5 戯曲論』(1977・汐文社)』▽『M・エスリン著、山内登美雄訳『ドラマを解剖する』(1978・紀伊國屋書店)』▽『安堂信也・大島勉他編『世界演劇論事典』(1979・評論社)』▽『P・ションディ著、市村仁・丸山匠訳『現代戯曲の理論』(1979・法政大学出版局)』▽『諏訪春雄・菅井幸雄編『講座日本の演劇』全8巻(1992~98・勉誠社)』▽『ベルトルト・ブレヒト著、千田是也編・訳『今日の世界は演劇によって再現できるか――ブレヒト演劇論集』(1996・白水社)』▽『西洋比較演劇研究会編『演劇論の現在』(1999・白凰社)』
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…日常の言動に近い写実的なものから,抽象的な様式のものまで,その演劇形態に応じて様式はさまざまである。 古代ギリシアのアリストテレスはその《詩学》のなかで,〈人間には何かをまねて喜ぶ本能と,まねられたものを見て喜ぶ本能があり,それらが演劇を成り立たせている根本的な要素である〉といっているが,俳優と観客が,戯曲とともに演劇の基本的構成要素となっている。この三者が一体となって,渾然と融合することにこそ,演劇独自の原体験がひそむのである。…
…いずれも〈見物する場所〉を意味するギリシア語theatron(テアトロン)に発して,部分で全体を表すことにより演劇の意となる。しかし各国語の間で意味の広がりは異なって,〈見物席〉が〈劇場〉となるのはどの国語も同じであるが,この語が同時に〈劇場〉と〈舞台表現の総体〉と〈一作家の戯曲の総体〉を指しうるのはフランス語においてである。また,ギリシア語語源からすればテアトロンと並んで重要であり,同じく部分で全体を表すことになるギリシア語drama(ドラマ。…
…中国音楽の五大ジャンル(民歌および古代歌曲,歌舞および舞踏音楽,説唱音楽,戯曲音楽,民族器楽)の一つ。中国の戯曲とは文学,美術,音楽,舞踊,演劇が一体となった総合芸術で,現在中国各地では400種以上の劇種が行われている。…
…日本でも近代以前の能,狂言,歌舞伎などの脚本は,役者の技芸を生かすことに主眼がおかれ,読物としての性格は薄かった。しかし明治以降は,作者個人による文学的自立性,完結性を強調する西欧近代演劇の影響もあり,〈戯曲〉概念が導入された。そして上演を直接的に意図しない文学的な,読むための戯曲も書かれるようになった。…
…登場人物が自分自身の考えや感情などをみずからに問いかける形をとる〈独白(モノローグmonologue)〉(モノローグ劇),対話中に対話の当の相手には聞こえないという約束で横を向き独りごとのように言う〈傍白(アサイドaside)〉などがある。【編集部】
[せりふの言語表現の特質]
せりふは,戯曲表現の唯一の直接的な実質であり,筋や役の性格を含めて,劇的な行動のいっさいがそれを通じて表現される。それはすべての言語表現と同じく,内容に二つの側面を持っており,いわば指示内容と表現内容の両者を表すことができる。…
※「戯曲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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