精選版 日本国語大辞典 の解説
サンフランシスコ‐こうわじょうやく ‥カウワデウヤク【サンフランシスコ講和条約】
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1951年9月サンフランシスコで調印され,翌年発効した条約。第二次世界大戦に関する48の連合国と日本との間の講和会議によって結ばれた平和条約。しかし,旧連合国の足並みはそろわず,最も長い間日本に抗戦した中国をはじめ,ソ連,ポーランド,チェコスロヴァキアなどの共産圏諸国およびインド,ビルマ,ユーゴスラヴィアなどは含まれず,またインドネシアは批准しなかった。前文のほか平和,領域,安全など7章27カ条からなり,琉球(りゅうきゅう),小笠原諸島はアメリカの信託統治地域に予定され,樺太(からふと)(サハリン),千島(ちしま)(クリル),台湾,竹島などの帰属は未決定,不明確なまま残された。なお,この条約と同時に日米安全保障条約が結ばれ,日本はアメリカの冷戦体制のなかに組み込まれることになった。
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対日平和条約とも。1951年(昭和26)9月8日,サンフランシスコで連合国48カ国と日本の間で署名,翌年4月28日発効。平和・領域・安全・請求権など前文と7章27条からなる。とくに千島列島に対する主権の放棄(第2条),沖縄・小笠原の地位決定(第3条)など領土規定が論議をよんだ。中国・ソ連との戦争終結,朝鮮半島の分断国家との関係,東南アジア諸国との賠償など残された問題が多かったが,以後の日米関係の基礎となった。日米安全保障条約とともに国会に提出され,平和条約については衆議院は賛成多数(307票)で可決。社会党左派や共産党など47の反対票のほか,棄権86票があった。この条約作成にはダレス米国国務省顧問が大きな役割をはたした。
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…ドッジ・ラインで沈滞していた景気は一転して好況を迎え,鉱工業の生産指数は初めて戦前の水準を超えた。 朝鮮戦争で苦戦を強いられたアメリカは,日本をアメリカ陣営の中の同盟国として再建強化する政策をとり,サンフランシスコ講和条約の締結を急いだ。これに対し日本国内では,日米軍事同盟体制の固定化に反対し,ソ連,中国を含む全交戦国との講和を望む全面講和論と,対米講和を急ぐ単独講和論が対立した。…
…南サハリンと千島列島はソ連軍によって占領された。51年のサンフランシスコ講和条約の中で,日本は千島列島と南サハリンを放棄した。56年の日ソ共同宣言によって正式に国交は回復したが,その後いわゆる〈北方四島〉(歯舞(はぼまい),色丹(しこたん),国後(くなしり),択捉(えとろふ))の帰属について日本側は未解決を主張し,これを解決済みとするソ連(現ロシア連邦)側と対立して現在に至っている(〈千島列島〉の[北方領土問題]の項参照)。…
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