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ユダヤ人 ユダヤじんJew

翻訳|Jew

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ユダヤ人
ユダヤじん
Jew

ユダヤ教を信仰する人々。ヘブライ人とも呼ばれる。広義では,世界各地に離散した旧約聖書のヘブライ人を継承する,パレスチナに起源をもつ人々の子孫や,ユダヤ教に改宗した者も含める。ただし,民族や宗教の問題をはらむため,すべての人々が納得のいくように定義するのは難しい。言語的には本来はセム語系で,宗教用語としてセム系のヘブライ語を共有する。前2000年頃からパレスチナ地方に定着し,ユダヤ教を発展させた。前1000年頃からサウルダビデソロモンによる王国を形成し黄金時代を迎えたが,その後王国は南北に分裂し,滅亡した。前6世紀末にエルサレムの神殿を中心に神政政体を確立。さらに前2世紀に再び王国を建設したが,前63年以来ローマの支配下に入り,約 1世紀にわたる内乱の末,70年ローマにエルサレムを破壊され各地に離散した。しかし 19世紀末からユダヤ人によるパレスチナ回復を目指すシオニズム運動が盛んとなり,1948年イスラエルが成立。2000年余の建国の宿望を果たした。

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知恵蔵の解説

ユダヤ人

「ユダヤ人とは誰か」という定義問題は、イスラエルの歴史に長い影を落としてきた。1950年制定の帰還法は、すべてのユダヤ人にイスラエル移住の権利を与え、ユダヤ人とは「ユダヤ人を母とする者またはユダヤ教徒」と定義している。しかし、個別のケースをめぐる法的紛争が絶えない。ハラハー(宗教法)の厳格な適用を求める宗教勢力が影響力を増している。イスラエルのユダヤ人はアシュケナジームとセファルディームに二分される。前者は欧州、後者はアジアアフリカの出身者とその子孫である。イスラエル建国までのシオニズム担い手は前者であり、後者の大半は建国後にイスラエルに移住してきた。両者間の経済・社会的な格差が政治問題となっている。所得や社会的地位は低いが出生率の高いセファルディームの発言力が上昇しつつある。

(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)

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デジタル大辞泉の解説

ユダヤ‐じん【ユダヤ人】

パレスチナを原住地とし、ユダヤ教を信仰する民族。バビロン捕囚ののち、イスラエル人の総称となった。ヘブライ語を使用する。西暦70年、ローマ帝国によるユダヤ王国の滅亡後、世界各地に離散。以後、中世を通じてキリスト教社会から差別・迫害を受け、多くの職業から排斥されたため学問・芸術・金融業・商業に従事して成功者を出した。近代に至って新たに起こった反ユダヤ主義の迫害の中でシオニズム運動を起こし、1948年にイスラエル共和国を建設。

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百科事典マイペディアの解説

ユダヤ人【ユダヤじん】

ユダヤ教徒とその子孫。英語Jew,ヘブライ語Yehudhiなど。中世までは〈ユダヤ教徒〉ととらえられていたが,19世紀の近代国民国家の形成とともに,民族としての〈ユダヤ人〉認識が生まれた。
→関連項目強制収容所バッサーニビロビジャンヘブライ人ヘルツル

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世界大百科事典 第2版の解説

ユダヤじん【ユダヤ人 Yehūdhī[ヘブライ]】

ユダヤ人にかかわる問題を論じる際に,いったいユダヤ人とは何であるのかがつねに問われ続けてきた。ユダヤ人とはもっぱらモーセの教えを信じる人びとである,という規定がある。そうだとするならば,ユダヤ人という言い方は正確ではなく,ユダヤ教徒と呼ぶべきであろう。これに対して,ひとたびユダヤ教徒を親として生まれたからには,たまたまその人がモーセの教えを捨てて他の信仰に帰依したとしても,やはりユダヤ人であることに変りはない,信仰のいかんにかかわりなくユダヤ人はつねにユダヤ人であり続ける,という考え方もある(ただしヨーロッパの諸語では,両者は同一の単語を用いて表されてきた)。

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大辞林 第三版の解説

ユダヤじん【ユダヤ人】

ユダヤ教を信仰する人々。古代ではパレスチナに居住していたイスラエル人の子孫がこれにあたる。早くから世界各地に離散、ローマ帝国によるエルサレム破壊後、離散はより拡大。キリスト教徒による社会的差別を受けた。一九世紀末、シオニズム運動がおこり、第二次大戦後にイスラエル共和国を樹立。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ユダヤ人
ゆだやじん
Jews

セム語族に属するが、早くからヘブライ人とカナーン人とが混血した民族。元来はヘブライ語を用いていたが、紀元前6世紀以後アラム語にかわった。ユダヤの名称は『旧約聖書』中の太祖ヤコブの子ユダの子孫であることに由来するが、バビロン捕囚ののちはイスラエル人(ヘブライ人)の総称となった。現在の総人口は約1300万。イスラエル国のほか、アメリカ合衆国、旧ソ連地域、ヨーロッパ諸国に散在している。[漆原隆一]

ユダヤ民族の成立と発展

『旧約聖書』によれば、メソポタミアのウルからの移住者がアブラハムに率いられて、カナーンの地に入ったが、ヤコブの一族はさらにエジプトに移住した。やがてファラオの圧制を受けたため、前1230年ころモーセに率いられて、「出エジプト」を敢行した。カナーンに戻る途中、シナイ山で「十戒」を中心として神との間に契約を結んだことは、12部族が宗教共同体としてのイスラエル(ユダヤ)民族として成立する画期となった。原住のペリシテ人と抗争しつつカナーンに定着し、前1000年ころサウルのもとで王制を敷いた。ヘブライ王国は、エルサレムを都と定めたダビデや、神殿を建設したソロモンによって全盛期を迎えたが、ソロモンの死後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した。その後イスラエル王国は前722年にアッシリアに、ユダ王国は前586年に新バビロニアに滅ぼされた。ユダ王国滅亡の際、多くの住民がバビロン捕囚の身となったが、前538年にアケメネス朝ペルシアのキロス2世によって帰還を許され、再建された神殿を中心としたユダヤ教団の成立をみた。ペルシアにかわったアレクサンドロス帝国ののち、セレウコス朝シリア王国の支配下に置かれたが、シリア王アンティオコス4世の迫害に対してマカベア戦争を起こし、前141年にハスモン朝の祭司王国として独立を回復した。やがてローマが台頭すると、前63年その属領とされた。[漆原隆一]

世界各地へ離散

前1世紀後半にはローマの庇護(ひご)のもとで、ヘロデ大王が強圧的統治を行った。ローマからは総督が派遣されたが、ポンシオ・ピラトのもとでイエス・キリストの処刑が行われたことは有名である。ユダヤ人のなかには「熱心党」とよばれる過激な国粋主義者がおり、これが中心となって第一次ユダヤ戦争を起こしたが、紀元後70年にローマに敗れ、エルサレムは征服されて神殿も焼かれた。さらに135年にも第二次ユダヤ戦争に敗れ、ユダヤの地はついに廃墟(はいきょ)と化し、その結果ユダヤ人は世界中に離散する身となり、これをディアスポラ(離散)とよんでいる。神殿を失ったのち、貴族、祭司は力を失い、ユダヤ人の指導者となったのは律法学者(ラビ)であり、彼らの研究成果として聖書解釈の体系である「タルムード」がバビロンとパレスチナで編集されたことは、ユダヤの伝統の集大成としてきわめて重要である。[漆原隆一]

中世のユダヤ人

中世ヨーロッパ諸国のユダヤ人に対する態度は一定していないが、一般的にはユダヤ人はキリスト教世界の社会機構から締め出されていた。土地所有は認められず、ギルドからも排斥された。必然的に、キリスト教徒には禁じられている金融業、高利貸業などに進出せざるをえなかったこともあり、人々の憎悪の対象となった。12世紀の後半、異端問題が深刻化するに伴い、迫害はユダヤ人にも及ぶようになり、キリスト教徒がユダヤ人に雇われることや、同居することなどが厳禁された。13世紀初めにはユダヤ人に差別バッジをつけさせる制度が始まった。さらに富裕なユダヤ人は王にとっての財貨の源泉とみなされたため、追放と財産没収とが繰り返された。十字軍時代には、大衆のユダヤ人への偏見、迷信などが増幅され、ヨーロッパ各地で大量虐殺が行われた。ユダヤ人を厚い壁で隔離するゲットー(ユダヤ人居住地区)は16世紀後半以後本格化し、イタリアから始まってフランス、ドイツ、ポーランド、ボヘミアなどで行われた。[漆原隆一]

近代社会以降のユダヤ人

やがて市民革命と自由主義の潮流に伴ってユダヤ人解放も実現していった。アメリカ独立革命、フランス革命、ドイツ統一などが顕著な例であり、立憲主義に基づいて平等な市民権を獲得していった。しかし史上最大の迫害は20世紀になってナチス・ドイツ政府によって行われた。1933年に政権を握ったヒトラーは反セム主義を掲げ、ユダヤ人の公職からの追放、すべての職業からの排斥などの政策を推進、第二次世界大戦が開始されると、東ヨーロッパの特別区にユダヤ人を強制的に送り込み、ついにはアウシュウィッツ、マイダネク、ベルツェクなどの強制収容所で射殺、注射、毒ガスなどによるユダヤ人根絶の挙に出、その結果四百数十万人が殺害されたとされる。一方、第一次世界大戦に際しユダヤ人が連合国側を支援したのに対して、イギリスは「バルフォア宣言」によってパレスチナにユダヤ人の国家を建設することを承認、シオニズム運動も進展した結果、第二次世界大戦後の1948年イスラエル国が建設されたが、アラブ人との間にいわゆる「パレスチナ問題」が生じ、深刻な国際問題になっている。[漆原隆一]

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世界大百科事典内のユダヤ人の言及

【アンチ・セミティズム】より

…字義どおりには反セム人主義であるが,一般にはひろく反ユダヤ主義の意味で用いられ,またとくに19世紀末以降ドイツ,フランスなどユダヤ教徒解放が一応完了した諸国に起こり,中世以来の伝統的なユダヤ教徒差別とは性格を異にする近代反ユダヤ主義をさすことも多い。18世紀末までのヨーロッパでは,ユダヤ人とはもっぱらユダヤ教徒のことであり,ユダヤ教団への所属によって規定される身分であった。近代に入って社会の世俗化と身分制原理の崩壊がすすむにつれ,ユダヤ教徒への市民的権利の賦与,すなわちユダヤ教徒解放がおこなわれた。…

【イスラエル[国]】より

…正式名称=イスラエル国Medinat Yisrael∥State of Israel面積=2万0325km2―ヨルダン川西岸,ガザ,東エルサレム,ゴラン高原を除く人口(1996)=548万人―ヨルダン川西岸,ガザのイスラエル人および東エルサレム,ゴラン高原の人口を含む首都=エルサレムal‐Quds∥Jerusalem―ただし国際的承認はえられていない(日本との時差=-7時間)主要言語=ヘブライ語,アラビア語通貨=シュケルShekel西アジアの地中海東岸に位置するユダヤ人の建設した共和国。
【歴史】
 19世紀の後半,主としてロシアおよび東ヨーロッパに居住していたユダヤ人の間から,前1000年ころから西暦1世紀にユダヤ教徒の王国があったパレスティナに移住し,ユダヤ人の独立国家を建設しようという運動(シオニズム運動)が興り,その後数十年間にわたって移住と建国のための運動が続けられた結果,1948年5月14日にイスラエル国の独立が宣言されるにいたったものである。…

【強制収容所】より

…しかし強制収容所が政治支配の手段として重要な意味をもったのは,ファシズム国家とスターリン主義的社会主義体制のもとにおいてであり,戦争と革命・反革命が広く生じた20世紀の現代国家における統治の方法として注目すべき現象といえる。強制収容所は,国内における特定の社会層,たとえばナチス・ドイツではユダヤ人や少数民族,宗教者,コミュニストや左翼,またスターリン時代にはクラークやインテリ,旧メンシェビキ,トロツキストといった政治的反対者,さらに古参ボリシェビキや少数民族を政治的に隔離するだけでなく,強制的に労働力として利用する目的をもつものであった。これらの現象は制度ではなくテロルや暴力による統治が重要な意味をもつファシズム国家や革命国家において顕著であるが,民主主義国家においても,第2次世界大戦中のアメリカで日系人収容所の例があり(日系アメリカ人),また政治犯の強制収容の例もみられる。…

【質屋】より

…質屋の息子だった西鶴の《日本永代蔵》《西鶴織留》《世間胸算用》には,勘定高い厳しさと相互依存の温かさの共存する質屋と質置主の人間的な関係が活写されている。【斉藤 博】
[ヨーロッパの質屋]
 西ヨーロッパにおける職業としての質屋の起源は中世にあり,徴利禁止法の適用を受けなかったユダヤ人を中心とする私的なもの,都市当局などの公的機関が救貧活動の一環として行ったもの,教会が主体となったものの三つの系譜が認められる。のちに質屋の看板として一般化する金色の三つ球は,イタリアのロンバルディア出身のユダヤ人の質屋が用いはじめたものであり,徴利行為に対する厳しい批判をうちだした1179年の第3ラテラノ公会議以後,ユダヤ人と質屋ないし高利貸のイメージとが重なりあっていったことを示している。…

【ソビエト連邦】より

… インド・ヨーロッパ語族に属する言語をもつ民族には,前記のロシア人,ウクライナ人,白ロシア人(ベラルーシ人)のほかに,バルト海沿岸にリトアニア人とラトビア人,ウクライナの南に,ルーマニア人と言語・文化の面で近いモルダビア(モルドバ)人がいる。また極東地方にはユダヤ人もいる。 なおユダヤ人はソ連で人口が減少している例外的な民族(1970年から27万人減)で,その原因は国外移住である。…

【第2次世界大戦】より

…そしてこの人種政策は戦時中ポーランドなどで過酷なまでに遂行されていった。さらにユダヤ人はヒトラーにとって健康な肉体をむしばむ病原体にほかならず,〈絶滅〉の対象でしかなかった。そのため,戦時中〈最終的解決〉の名のもとにユダヤ人は虐殺されていった。…

【トリエステ】より

…すなわち,ベルガを祖とする南イタリアのベリズモとトリエステを中心とする心理主義の文学であり,両者はいわば辺境の文学である。 海港トリエステはユーゴスラビア,オーストリアとの国境に近く,政治的に東西両世界のはざまにあるため,ユダヤ人をはじめとして多種類の人種が生活し,文化的にはイタリア,スラブ,ドイツの3圏の交点に位置する。このためトリエステの文学は中欧の文学と結びつき,フロイトの精神分析を取り入れるなど,早くから心理主義的傾向をみせ,同時にイタリア文学を近代ヨーロッパの文学に結びつけた。…

【バルカン】より

… 民族国家形成以後は,これらの問題はいわゆるマイノリティ(少数民族)問題として論じられるようになった。現在マイノリティ問題として論じられる多くは,ユーゴスラビアのコソボのアルバニア人の場合のように,隣接国家の民族が自国内ではマイノリティとして存在する場合であるが,このほかに,バルカンに母国をもたないユダヤ人やジプシー(ロマ。現在ヨーロッパで最もロマ人口が多いのは旧ユーゴスラビア,その次がルーマニアだと推定されている)の問題がある。…

【ヘブライ人】より

…イブリーを種族名とする見解も絶えないが,起源的にはパレスティナの貧窮した住民層を広く指していたとの想定が比較的妥当であろう。後代この語は《ヨナ書》におけるように,イスラエル人(びと)の意味で用いられるようになり(1:9),ユダヤ教時代にはユダヤ人の栄誉ある名称となり,彼らの古い言語をこの名で呼ぶようになった。新約聖書では,キリスト教に改宗したパレスティナのユダヤ人とのかかわりで用いられている。…

【亡命】より

…このため政治的・宗教的信条の相違から迫害を受けたりする場合,他国に逃れてみずからを保護する必要が生じてくる。16世紀フランスで反新教徒による迫害から国外へ逃れたユグノー,17世紀イギリスからアメリカ大陸に移住したピルグリム・ファーザーズ,フランス革命期にみられた王侯貴族の亡命(亡命貴族émigré),ドイツの48年革命(三月革命)の際の自由主義者の亡命,1917年ロシア革命後,ソビエト体制に反対して国外に逃れたいわゆる白系ロシア人,ナチス・ドイツの迫害によって生じたユダヤ人や社会主義者,知識人の亡命など,戦争,革命,動乱,クーデタ,独裁政権などが発生する際に大量の亡命者を生みだしている。 亡命者(避難民)の問題を国際的に取り上げたのは国際連盟であった。…

※「ユダヤ人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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