デジタル大辞泉 「悪口」の意味・読み・例文・類語
あっ‐こう〔アク‐〕【悪口】
「ゆるりと
[類語]
仏教語「あっく(悪口)」より出た語。一二世紀以前の資料に確例が見出せないので、主として鎌倉幕府の「御成敗式目‐第一二条・悪口咎事」制定以降に通行したものとみられる。
人の“わるくち”を言うことはいつの時代,どのような社会でもみられる日常茶飯事にすぎないが,その反道徳性の強弱や違法性の有無などは,当然ながら時代や社会によって大きく左右される。たとえばごく最近までただのわるくちにすぎなかった他人の肉体的欠陥を言い立てる言語表現が,今は表現方法によっては厳しい社会的制裁をともなうタブーとなったのはその著しい例といえよう。日本の前近代社会でも,それぞれの身分や地域社会に,とくに忌避され慣習的な罰の対象となっていた悪口があったであろうが,ほとんど史料的痕跡をとどめていない。
その中で御成敗式目がその第12条で,悪口を罪として規定したことは,日本の悪口史上きわめて重大なできごとであった。なぜならこの法典が,日本前近代法の中で全く例外的に長く広く社会的な有名な法でありつづけたために,一つには後代のいくつかの成文法に影響を与えて悪口罪を制定させ,また同時に本来は歴史の表面に出る可能性のなかった多くの悪口を,悪口か否かの法廷論争を通じて歴史に記しとどめたからである。式目は悪口を〈闘殺の基〉とし,重い悪口は流罪に,軽い悪口でも拘禁刑を科した。さらに法廷内で敵対する当事者に悪口を吐いた場合は敗訴となり,そのことがなくても敗訴となるべき無理訴訟のときは所領没収,所領のない者は流罪が成文化された。式目がその規範の内容はともかくとして,項目の選定については当時の公家法の影響が大きく,とくに刑事関係条文はその配列順序を含めて《法曹至要抄》と深い連関があることがすでに指摘されているが,その中でこの悪口罪が唯一の例外であったことは,武士社会,とくにその集団と集団との間で悪口が文字どおり〈闘殺の基〉となることが多かったためと考えられる。
では実際にどのような悪口が有罪とされただろうか。前述のように法廷内の悪口は訴陳状の記載の詞,問注の際の言葉の両者ともに悪口人の敗訴が成文化され,しかも謀書の場合などと異なって反坐(はんざ)(訴訟の相手を陥れようとしてある罪名を言い立て,それが無実とされた場合に,その罪名と同一の罪科に処せられる)の罰則がなく,いわば言い得であったために,相手の言葉尻をとらえてさかんに悪口罪の適用を主張した。たとえば鎮西探題の裁判で,北条兼時の行為を指して〈阿礼加(あれか)〉と言った言葉を悪口にあたると主張するごとくであり,〈阿礼加〉とは正字でどう書くのかと問われて返答できず,もちろん悪口罪は適用されなかった。このように悪口によって処罰されたのはむしろ例外であったが,その例外的事例を列挙してみると,〈乞食非人〉〈恩顧の仁〉〈若党〉〈甲乙人〉など,社会的身分の蔑称であったことは,武士社会においてもっとも許しがたい侮蔑がどこにあったかを示すものとして注目される。このほかでは相手雑掌の言動を〈服薬して訴へ申すか〉と称した地頭が他の罪と合併してその職を収公された例などがある。千差万別の悪口の有罪無罪の認定基準が幕府にあったとは考えられないが,法廷内で繰り返し行われる同じ言葉の悪口論争については,判例的な基準が行われていたと思われる。遺領相続の相論で,異母兄弟や継母との間で相手を被相続人の〈子息に非ず〉と称することを,それまでの有罪から無罪に変えることを決めた1290年(正応3)の追加法や,亡父の中陰仏事から僧を追い出した継母を〈逆罪〉とののしった嫡子を悪口相当と認めた追加集所収の傍例などがその証拠である。
式目の立法者が対象にしたのは武士の悪口であったが,領内に刑事裁判権をもつ地頭らはこの法をよりどころとして,凡下百姓らを悪口罪に処し財物を責め取った。このことが幕府法廷に持ち出されれば,幕府は撫民の立場から罰の取消しを命ずるのを常とし,ある判決では雑人(庶民)の悪口は処罰に値しないことを明言している。ただこのような史料によって,中世の一般庶民の間に行われていた悪口を知ることができる。その一つの例が〈母開(ぼかい)〉である。この語は建長年間の二つの史料に〈母開に及びて放言〉〈母開に懸りて放言〉などと表現されており,一つの事件では過料2貫文の対象となり,他の事件では被害者は許しがたい悪口であると称している。〈開〉は女性のセックスを意味する〈つび〉の訓があり,この語が母親の性にかかわる罵言であったことは明らかであるが,平安時代以来のもっともはげしい悪口〈おやまけ(母婚け)〉などの関連からみて,元来は母子相姦を意味したのではないかと考えられる。もしそうだとすればそれは国津罪(くにつつみ)以来の日本の代表的な性的タブーの一つであるばかりでなく,古くからアジア全域にひろがっていた悪罵であったといえよう。
執筆者:笠松 宏至
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
悪口は、合戦などの実力行使に伴う攻撃手段、個人的な対決の技術、あるいは社会的制裁の一環など、いろいろな社会的機能を果たしてきた。鎌倉幕府の御成敗式目第十二条は悪口を「闘殺の基」として禁止しており、幕府の裁判文書にも悪口が争点として登場する。それらを見ると「盗人」「外道」などの一般的な悪口以外は、「凡下(ぼんげ)」「非御家人」など相手の身分を実際より低く貶める言葉が多い。これは幕府法の対象となる武士階層は名誉心が強く、身分呼称に敏感だったので、それについての争いが多かったからだと考えられ、幕府史料だけで中世の悪口を論じると偏る恐れがある。『古今著聞集』に見える「おやまき」や、鎌倉期の文書に残る「母開(ぼかい)」などの言葉は、近親相姦を意味する罵言と推測されるが、これら性的な悪罵を含めて、もっと広範な種類の悪口が存在したと考えるべきだろう。また岩間悪態祭、最勝寺悪口祭など悪口祭・悪態祭と称される行事が、日本各地に行われていたが、これらの祭は豊饒儀礼の一種と考えられ、悪口の社会的機能には豊饒儀礼における役割も含まれるものと考えることができる。
[山本幸司]
『笠松宏至著「お前の母さん…」(網野善彦ほか著『中世の罪と罰』所収・1983・東京大学出版会)』▽『山本幸司著『〈悪口〉という文化』(2006・平凡社)』
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…他人の悪口を言うことは,広く各地の神社や寺院で行われる悪態祭・喧嘩祭などの祭りのほか,芸能や口承文芸の中に,多様な形でみられる。悪態は日本の文化や社会の構造に仕組まれた,秩序を維持するための装置(要素)の一つと考えられる。…
…たとえばごく最近までただのわるくちにすぎなかった他人の肉体的欠陥を言い立てる言語表現が,今は表現方法によっては厳しい社会的制裁をともなうタブーとなったのはその著しい例といえよう。日本の前近代社会でも,それぞれの身分や地域社会に,とくに忌避され慣習的な罰の対象となっていた悪口があったであろうが,ほとんど史料的痕跡をとどめていない。 その中で御成敗式目がその第12条で,悪口を罪として規定したことは,日本の悪口史上きわめて重大なできごとであった。…
※「悪口」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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