(読み)おうぎ

精選版 日本国語大辞典 「扇」の意味・読み・例文・類語

おうぎ あふぎ【扇】

〘名〙 (動詞「あおぐ(扇)」の連用形の名詞化)
① 手に持って振り、風を送る道具。機能的にはあおいで涼をとるものと、悪気やけがれを祓うための祭事、祝儀用のものとに分けられる。形状から、折りたためない団扇(うちわ)と折りたためる扇子(せんす)とに大別され、一般には後者をさすことが多い。扇子は材質によって五枚から八枚の薄板を根元の要(かなめ)で綴じ合わせる板扇の類と、竹、鉄などの数本の骨に紙、絹布などを張った蝙蝠(かわほり)の類とに分けられ、それぞれ、冬扇夏扇ともよばれる。これらの扇は平安前期の日本で創案されたものと考えられるが、その後使用目的と使用者の社会的地位などが反映して種々の工夫がこらされた。また、浮折(うけおり)、中啓(ちゅうけい)沈折(しずめおり)雪洞(ぼんぼり)など、場と用途に応じてそれぞれに使い分けた。すえひろ。せんす。《季・夏》 〔十巻本和名抄(934頃)〕
※枕(10C終)二八五「あふぎの骨は朴(ほほ)。色は赤き。むらさき。みどり」
万葉(8C後)九・一六八二「とこしへに夏冬行けや裘(かはごろも)(あふぎ)放たぬ山に住む人」
※続日本紀‐天平宝字六年(762)八月丙寅「御史大夫文室真人浄三、以年老力衰。優詔特聴宮中持一レ杖」
③ 江戸時代、年玉用に、竹切れに紙をはさんで、①の形に作ったもの。正月の縁起物の一つ。
※浮世草子・好色一代男(1682)三「『扇(アフギ)は扇は』『おゑびす、若ゑびす若ゑびす』と売声(うるこゑ)に、すこし春のここちして」
④ 大根などを①の形に切ったもの。おうぎがた。
月山(1974)〈森敦〉「味噌汁はやはりおなじ大根でも、千本にも、賽ノ目にも、扇にも切ってありません」
紋所の名。①をかたどったもの。秋田扇、浅野扇、違い扇、扇菱、日の丸扇、檜扇など、いろいろの種類がある。
[語誌](1)②の万葉の挙例の「扇」は、中国式の団扇(うちわ)を意味する。日本固有の扇子が現われるのは九世紀以降であり、「十巻本和名抄」では扇と団扇(うちわ)を区別する。
(2)起源としては、(イ)上代、神功皇后の朝鮮出征のときに蝙蝠(こうもり)を見てその羽の形にならったとする説、(ロ)朝廷で用いられた笏(こつ)、簡(かん)、射干(うばたま)の混合とみる説、(ハ)南方産のビロウ(檳榔)の葉が、暑さをはらうための実用扇、祭儀用の呪物扇として古代日本で用いられていたが、それをもとに平安時代の「かわほり」の祖にあたる紙の扇子がつくられた、とみる説などがある。

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デジタル大辞泉 「扇」の意味・読み・例文・類語

せん【扇】[漢字項目]

常用漢字] [音]セン(呉)(漢) [訓]おうぎ あおぐ あおる
〈セン〉
おうぎ。うちわ。「扇子せんす扇面扇状地銀扇軍扇秋扇団扇だんせん換気扇
おうぎで風をおくる。あおぐ。「扇風機
人をそそのかして事を起こさせる。あおる。「扇情扇動
[補説]3は「」と通用。
〈おうぎ〉「扇形舞扇
[名のり]み
[難読]団扇うちわ

おうぎ〔あふぎ〕【扇】

《動詞「あお(扇)ぐ」の連用形から》
手に持ち、あおいで風を起こす道具。儀式・祭事などにも使う。ふつう、折り畳めるものをいい、檜扇ひおうぎ蝙蝠扇かわほりおうぎがある。前者を冬扇、後者を夏扇ともいう。すえひろ。せんす。 夏》「母がおくる紅き―のうれしき風/草田男
紋所の名。1をかたどったもの。種類が多い。
[類語]扇子舞扇末広団扇うちわ渋団扇扇面

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「扇」の意味・わかりやすい解説


おうぎ

あおいで風をおこし、涼をとるための道具。儀礼用としての扇もある。竹や木、またはプラスチックなどを骨にして一方に軸を通して要(かなめ)とし、先方を広げて紙、布などを貼(は)って折り畳めるようにしたもの。扇子(せんす)は中国における呼び名で日本でも使われている。木の薄板を糸で綴(と)じ、一方を要として開閉できるようにした檜扇(ひおうぎ)が先に生まれ、後に紙扇が発明された。折り畳めないものを団扇(うちわ)ともいう。団扇は、奈良時代に中国から伝わったといわれる。日本の古代中世には蒲(がま)でつくった蒲葵扇(ほきせん)とよばれるものが使われた。

[高田倭男]

檜扇

檜扇は、平安時代の初期、日本で考案され、薄い檜(ひのき)の板を糸で綴じた板扇で、多数の木簡を束にしたものから案出されたというのが定説であった。しかし、また平城京跡から、細かい柾目檜(まさめひのき)の薄板でつくった日用品の扇が出土している。京都の東寺(とうじ)に伝えられる仏像の胎内から発見されたものは、20枚の薄板に元慶(がんぎょう)元年(877)の銘と文字、鳥、草木などが落書風に描かれている。男子用の檜扇は、備忘のために使われたらしく、木地のままで文様は描かない。この薄板の1枚を橋(きょう)とよび、女性用檜扇の枚数は、皇后が39橋、女官が38橋とされ、橋数の単位として8枚ずつ三重(みえ)がさね、五重(いつえ)がさねなどという名称も生まれた。『枕草子(まくらのそうし)』に「三重がさねの扇、五重はあまり厚くなりて、本などにくげなり」とあり、枚数が多く重いものも用いられたようである。

 平安時代末期のものとしては、厳島(いつくしま)神社に平家が奉納したといわれる檜扇があり、35枚の橋は蝶(ちょう)と鳥の銀製蟹目(かにのめ)金具(要(かなめ)のこと)が打たれ、胡粉(ごふん)(酸化鉛でつくった白い粉。絵の具にする)の下地に雲母(うんも)の粉を塗り、金銀箔(はく)を散らした王朝趣味豊かなもの。表には州浜(すはま)に松、男女と童(わらわ)を描き、裏面には州浜に梅花、香炉と片輪車(かたわぐるま)(車輪が波間に洗われるさまを描いたもの)を描き、表裏とも葦手絵(あしでえ)になっている。このほかに、寿永(じゅえい)3年(1184)佐伯(さえき)景弘寄進の檜扇3本が伝えられているし、同時代のものとして、佐多神社に胡粉地彩絵(いろえ)で表に松と鶴(つる)、裏には萩(はぎ)、桜、楓(かえで)に蝶を散らした風雅なものが残されている。

 鎌倉時代以降になると、女性用のものには親骨の上部に飾り紐(ひも)をつけて垂らしたり、糸花をつけるものも現れた。『枕草子絵巻』のなかで、中宮を訪ねる淑景舎(しげいさ)の君の図にある、童女がかざす檜扇には飾り糸が描かれており、『絵師草紙』にも飾り糸のついた絵扇を文様とした図柄がみられる。鎌倉時代後期になると、男子の檜扇には親骨の上部に、家紋を刺しゅうした絹を貼(は)り付けるようになった例も、満願寺蔵の鳥羽(とば)上皇像によって知ることができる。

 室町時代の女性用檜扇が、熊野速玉(くまのはやたま)大社、熱田(あつた)神宮に神宝として伝えられている。前者は木地の上に金銀の切箔(きりはく)、砂子(すなご)を散らし、王朝風の味わいを残してはいるものの、やや暗さと粗さが感じられる。後者は胡粉地に紅梅と岩山などで、遠近法を用いた近代的描法に成功し、淡白な味わいを示している。

 近世になると、女性用のものはしだいに大形となり、大翳(おおかざし)とよばれるものも用いられた。花樹に鳳凰(ほうおう)、または尾長鳥(おながどり)を極彩色で描き、親骨に白、紅(くれない)、紫、薄紅、黄、緑などの撚(よ)り糸を左右につけて垂らし、松、梅、橘(たちばな)の造花を綴じ付けたりした。これは正装する際の檜扇で、衵扇(あこめおうぎ)とも称した。

 江戸時代初期のものとしては、霊願寺に伝えられるものがあり、木地に鳳凰と楓を描き、雲形を金箔置きとし、6色もの飾り紐がつけられている。このころになると、元服前のいわゆる童形(どうぎょう)(稚児(ちご))も装飾的な檜扇を用いるようになった。杉の横目を木地とし、吉祥文様(きちじょうもんよう)を描くのだが、山科(やましな)流の松と紅白の梅、高倉流の松と橘というふうに定められるようになった。また親骨には女性と同じように糸花を綴じ付け、飾り紐もつけた。皇太子の童形のときは、木地に胡粉を塗り、蓬莱(ほうらい)文様を描くことによって区別した。

[高田倭男]

紙扇

檜扇は正装である束帯(そくたい)を着用するときを除いては、主として冬の儀礼用とされたのに対し、夏はもっぱら紙扇を使用した。準正装である衣冠(いかん)や直衣(のうし)、女性の正装である女房装束(しょうぞく)(十二単(じゅうにひとえ))や準正装である小袿(こうちぎ)装束などとともに使われ、冬に檜扇、夏に紙扇というのが習慣化していた。紙扇も平安時代に日本でつくりだされたが、その源は明らかではない。紙扇は蝙蝠(こうもり)からの連想で蝙蝠(かわほり)ともいわれた。厳島神社に高倉(たかくら)天皇(在位1168~1180)所用と伝えられる平安時代のものは、竹の五本骨が扇紙の裏に露出している。『平家納経』(平清盛が奉納した法華経(ほけきょう))見返し絵には十本骨(じっぽんぼね)が描かれているし、大山祇(おおやまづみ)神社に伝わる源義経(よしつね)奉納とされる胴丸鎧(どうまるよろい)の金具回りには、八本骨扇の飾り金具が打たれている。

 紙扇の地紙も檜扇同様に趣向を凝らし、金銀の切箔などを散らしたが、四天王寺(してんのうじ)伝来の扇面写経料紙のなかには、下絵が木版印捺(いんなつ)されたものもあり、当時大量生産されていたこともうかがえる。扇骨にも気を配っていたらしく、『枕草子』に「扇の骨は朴(ほお)、色は赤き、紫、緑」「貧けなるもの黒柿(くろがき)の骨に黄なる紙張りたる扇」などとある。『伴大納言絵詞(ばんだいなごんえことば)』には、京の庶民のなかにも紙扇を手にしているものがみられ、このころから一般にも普及していったらしい。

 鎌倉時代になると、骨に透彫りをしたものが現れ、すべての骨に透彫りをしたものを皆彫骨(みなえりぼね)の扇とよび、男女ともに用いたが、同時に軍扇(ぐんせん)として武士にも好まれた。そのようすは『枕草子絵巻』や『法然上人絵伝(ほうねんしょうにんえでん)』にみられ、『平家物語』など軍記物に、「みな紅(くれない)に日出(いだ)したる扇」とあるのも、紅地に日輪を金箔で表し、骨がみな透彫りとなった扇である。

 このころ、すでに中国へも大量に送られており、倭扇(わせん)として親しまれていたようだが、中国で2枚の扇地紙の間に骨を差し入れて貼り合わせるという、現代の扇に似た形のものがつくられ始め、日本に逆輸入された。

 室町時代には、この形式が一般化し、末広(すえひろ)(中啓(ちゅうけい)ともいわれ、親骨の上部が反り、扇の先が銀杏(いちょう)の葉のように開いた形のもの)、雪洞(ぼんぼり)(末広より開き方の少ないもの)、沈折(しずめおり)(先が閉じた形のもの)などが生まれた。このころになると、末広が檜扇にかわって冬の扇として定着し、檜扇はごくまれに重要な儀式のみに使われることになった。また、末広という名の縁起のよさから、武士も用いるようになり、日常だけでなく威儀の具としても重宝がられるようになったことが、当時の肖像画などからもうかがえる。また紙扇は一般にも広く普及した。室町時代の職人を描いたものとして知られる『七十一番歌合(うたあわせ)』や『洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)』には、扇売りのようすが描写されているし、京名所の扇面画が流行し、扇屋が繁盛していたらしいこともわかる。南禅寺(なんぜんじ)の『扇面貼交(はりまぜ)屏風』は、室町時代から桃山時代にかけてのもので、扇面には花鳥山水や中国の故事が描かれ、僧の筆による賛も添えられている。

 近世の公家(くげ)の紙扇は、皆彫骨を簡略化した骨や、新しく丁字(ちょうじ)形に透彫りしたものになり、それで家の流儀、すなわち門流を示す道具としての意味をもたせるようになった。冬の末広のうち、平常用を殿中扇(でんちゅうおうぎ)と称し、天皇は10骨、公家は8骨と定めるものも現れた。武家では、儀礼用に黒骨を、日常は殿中扇とよんで白の細骨のものを用いた。そのうち将軍や大名が殿中で用いた好みのものを、御召扇(おめしおうぎ)とよんだ。このような使い方は、僧侶(そうりょ)が先鞭(せんべん)をつけたと考えられ、赤骨は門跡級、黒骨は院家級、白骨は大法師級以下として定められたことにその発端があったらしい。

 中世末以来、盛んとなった蹴鞠(けまり)、香道、茶道においても、それぞれの流儀の扇が生まれた。また芸能の勃興(ぼっこう)とともに扇は重要な持ち物として扱われ、能楽では観世(かんぜ)、宝生(ほうしょう)、金春(こんぱる)、金剛(こんごう)の四座と、江戸時代に生まれた喜多(きた)流に能扇が誕生した。蹴鞠の世界にも、室町時代から飛鳥井(あすかい)流、難波(なんば)流などに決まった扇があって鞠扇とよばれた。香道では、志野(しの)流に香の席の記録を書く記録扇が、茶道には各家元の宗匠(そうしょう)好みの扇が用いられた。

 歌舞伎(かぶき)においては、能楽から出た曲に決まった扇(中啓)があり、女役の扇は黒骨としている。日本舞踊の扇は歌舞伎にその源流があるため、俳優を家元とする流派の決まり扇、すなわち家紋を表した舞扇を用いるのは、現代でも変わっていない。一般の町人が使った扇は、骨に透彫りをせず、地紙に画家の絵のほか、書家や歌人が書画をかいた風流なものが多かった。

 明治時代になって、外国貿易が盛んになると、ヨーロッパで16世紀につくられた形式を模した扇をつくって輸出した。この形のものが大正時代になって一般に使われ始め、骨数の多い扇子となって今日に至っている。

[高田倭男]

東洋と西洋

扇、扇子、団扇の意の英語ファンfan(英古語ではfann)は、穀物からもみ殻やちりを取り去る農具である唐箕(とうみ)や風選機を意味するラテン語バンヌスvannusからきている。一方フランス語のエバンタイユéventail(扇、扇子)は風を送る、あおぐなどの意の動詞éventerからきている。もともと東洋に発する「扇」は、真珠や絹などと並んで、西洋の人々にことのほか珍重された。

 扇(ファン)には大別すると二つの型がある。団扇型rigid fan, screen fanと扇子型folding fanである。両者は時代や流行とともに素材、形、装飾にさまざまな変化を示しながら今日に至っている。傘などにもみられたように、扇の原初形態はやや大形の自然の木の葉であったろう。やがて人々は乾燥した草木の類を編んでそれをつくるようになった。古代オリエントではほかに払子(ほっす)(馬毛や羽でつくった蠅(はえ)払い。仏僧などにみられる)の類も扇の原始形とみる向きもあり、前二千年紀の小アジアの浮彫りや前7世紀のアッシリアの浮彫りにもそれらをみることができる。また新王国時代の古代エジプトの壁画には、竿(さお)のような長い柄(え)のあるシュロの葉の扇を支えて王に従う従者の場面などが描かれている。一方、2本の羽でできた羽扇についての中国最初の記録は、前10世紀の周代にまでさかのぼるとされている。こうして扇の史実は東洋諸国のほうが西洋のそれよりもずっと古いことがわかる。ギリシア・ローマ時代になると扇は個人が用いるようになる。古代ギリシアのタナグラ人形の婦人は小さいハート形の団扇を持っており、壺絵(つぼえ)の婦人は大型の団扇を持っている。これらの団扇は、ギリシア語でリピスιπισ, rhipisとよばれた。古代ローマの婦人たちはそれを発展させ、湾曲した薄板に鮮やかな彩色を施したり、金色に塗ったりしたものを用いる一方、上層の婦人では長い柄のついた羽扇で奴隷たちにあおがせることもあった。

 中世前期のヨーロッパでは、婦人が装いのアクセサリーとして扇を用いることはなかったが、教会は儀式用として、長めの柄のついた円型の扇を用い、これをラテン語でフラベルムflabellumとよんで、9世紀から13世紀ころまで用いた。ローマ法王ボニファティウス8世(在位1294ころ~1303)は、羊皮紙に塗金したもの、絹、伽羅(きゃら)の木、ダチョウの羽などからなる大小10種の扇を用いたと記されている。中世の女性が扇を用いるようになるのは十字軍遠征以後のことで、13、14世紀になると「騎士物語」にも登場するようになる。彼らはこれをエムシュワールémouchoirs(蠅(はえ)払い)とよんだ。フランス王シャルル5世(1337―1380)についての記録に「王がテーブルにつくと旗が蠅を払う」というのがある。旗とは革でできた小旗型の扇flag fanのことでイタリア語でベンタローラventarola(風見)とよばれ、16世紀ころまで用いられた。シャルル5世所用の扇にはほかに黒檀(こくたん)の柄のついた象牙(ぞうげ)製の折り畳める丸扇のあることも記されている。こうして扇には払子(ほっす)型または小箒(ほうき)型、旗型、車輪型の三つがあることがわかる。

 一方、中国での扇面画は宋(そう)代(960~1279)にまでさかのぼり、明(みん)代(1368~1644)になると扇子型が流行する。扇子は極東の発明で、とりわけ日本ではすでに7世紀の白鳳(はくほう)時代に用いられていたという。

 西洋の扇でも、16世紀のもっとも大きなできごとは、折り畳み式扇子が登場したことであった。扇子は南蛮(なんばん)人の渡来とともにポルトガルやスペイン経由でヨーロッパへと伝えられた。当時の折り目の数が少ない扇子は、バトワール扇battoir fan(洗濯べら扇)とかスペイン扇Spanish fanとよばれた。フランスのアンリ2世にイタリアから嫁いだカトリーヌ・ド・メディシス(1519―1589)は嫁ぐ際に周囲に羽付きの円い扇を持参したが、流行は団扇から扇子へと存命中に変わったため、没後に残した5本の革の扇はすべて東方の型ばかりであった。また、オーストリア、チロールの大公妃が残した1569年の財産目録には、2本のスペイン扇が、また1593年、フランス王アンリ4世妃は、12本のスペイン扇を残したことが記されている。イギリスの女王エリザベス1世(1533―1603)は箒型扇を愛好した。

 フランス・モードの発展とともに17世紀前半は扇子も発達して一般化するようになる。そして17世紀後半になると風俗や流行を扇面に描いたものも現れてくる。しかし、ヨーロッパの扇が全盛を極めるのは18世紀になってからで、婦人は日常生活でも不可欠なアクセサリーになった。ギャラントリー(優美さ)を重んじたこの時代は扇はことのほか意味をもつものとなり、それに応じて金、銀、象牙、真珠母などを用いた入念な扇、とりわけブリーゼbriséとよばれる檜扇状の扇が喜ばれた。また絵扇が盛んになり、ブーシェやフラゴナールといった有名な画家たちは率先して扇面に風俗画を描いた。19世紀初頭は一時ナポレオン1世妃ジョセフィーヌによって扇子は復活したが、その後は概して衰退に向かい、1830年代以後は印刷した扇の登場などもあって、ほぼ今日的な状況に落ち着いた。

[石山 彰]

『細川潤次郎他編『古事類苑』(1959・吉川弘文館)』『西三条実隆著『装束抄』(年代不詳・群書類従)』『G. W. ReadHistory of the Fan (1910, Kegan Paul, London)』『Max von BoehnModes & Manners, Ornaments (1929, Dent, London)』『K. M. Lester & B. V. OerkeAccessories of Dress (1940, Bennett, Illinois)』


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百科事典マイペディア 「扇」の意味・わかりやすい解説

扇【おうぎ】

扇子(せんす)とも。涼をとるためのほか,威儀にも用いられた。うちわ(団扇)形式のものから生じ上代に日本で作られた。初めはヒノキやスギの薄片をつづり合わせた板扇であった(檜扇(ひおうぎ),衵(あこめ)扇)。平安時代に蝙蝠(かわほり)と称する紙扇ができ,骨は5本で紙の片面に出ていたが,のち8本,10本とふえ,地紙(じがみ)も鳥の子のほか色紙や羅(ら)などが使われ,檜扇と華美を競った。室町時代にはたたんだとき先が開く中啓やぼんぼり(末広とも)ができ,近世にはこれが略儀に檜扇の代りとされた。骨が紙の中に入った現在の形の扇は室町中期にでき,夏の持物となった。なお扇は平安末期に日本から中国へ渡り,さらにヨーロッパへと広まった。17―18世紀フランスを中心にさまざまな材料を用いた粋をこらした扇がつくられた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「扇」の意味・わかりやすい解説


おうぎ

扇子 (せんす) ともいう。あおいで風を起し,涼をとる道具であるが,昔はおもに儀礼,装飾用として使われた。日本の扇は,幾本もの竹,木,金属,象牙などを骨とし,それを要 (かなめ) で綴り合せ,広げて布や薄い紙を張り,折りたたみのできるようにしたもので,この形式は7世紀後半に発生した。西洋の扇はすでに前 13世紀の古代エジプトにみられ,8世紀のイベリア半島,および 12世紀のイタリアを経てヨーロッパに伝えられた。当時は象牙の柄にクジャクやダチョウの羽根飾りのついた日本のうちわに似た形であったが,18世紀になって折りたたみ式が使われるようになり,以後 19世紀まで女性の装飾品として流行し,各種の精巧で豪華な扇がつくられた。

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世界大百科事典 第2版 「扇」の意味・わかりやすい解説

おうぎ【扇】

扇子(せんす)ともいう。扇ははじめ涼をとるためのものであったが,のちには威儀にも用いられた。現在いわれている扇とはいわゆる折りたたみのできる形のものであるが,もとは団扇(うちわ)形式のものから生じた。その過程は,はじめヒノキの薄片をつづり合わせた檜扇(ひおうぎ)ができ,その後に紙扇ができたと考えられている。そしてこの2種類の扇が,形式と用途の二大主流をなして今日にいたった。
[檜扇]
 ヒノキの薄板20~30枚の一方をとじ,他方を糸につらねて開閉できるようにした板扇で,これに絵を描いたものもある。

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世界大百科事典内のの言及

【うちわ(団扇)】より

…しかし歴史的に見るとその形態,用途はかならずしも一定ではなく,変遷がみられる。扇という漢字は〈おうぎ〉と読まれ,〈うちわ〉とはちがったものと思われやすいが,古代の中国では,この扇がいわゆる〈うちわ〉であった。涼をとる用途にも用いられたが,太陽の光を防いだり,風塵をさけたり,高貴の人や女性などが顔をかくしたりする道具に使用し,儀式的なものともなり,ときには葬式の飾りにもなっていた。…

【扇座】より

…中世における扇商人の座。室町・戦国期から近世初期にかけては,まだ製造と販売の結合した座であった。…

【屛風】より

…権は其の真なるかと疑い,手を以てこれを弾(はじ)く〉とは,《歴代名画記》が伝える〈蠅の逸話〉であるが,このころの絹帛の屛面に描かれた題材は歴史故事,賢臣,烈女,神仙,瑞応の類がそのおもなものであった。 北魏の司馬金竜墓より出土した漆屛風は,豪奢をきわめた屛風絵を実証するもので,もともと〈十二牒〉,つまり12扇の折り畳みのものであったと思われるが,そのうち5扇がほぼ完全な形で残っており,劉何の《列女伝》にもとづいて〈和帝□后〉〈衛霊公〉〈霊公夫人〉などが生き生きと描かれたものである。一方,丹青による文飾を排したいわゆる〈素屛風〉も高雅を尊ぶ人士には好まれもした。…

※「扇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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