西念寺(読み)サイネンジ

デジタル大辞泉 「西念寺」の意味・読み・例文・類語

さいねん‐じ【西念寺】

茨城県笠間市稲田にある単立の寺。もと真宗大谷派。山号は稲田山。開創は建暦2年(1212)、開基は稲田頼重、開山は親鸞。親鸞の東国教化きょうけの拠点となった寺で、ここで教行信証の大半を完成。稲田御坊。稲田禅坊。

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精選版 日本国語大辞典 「西念寺」の意味・読み・例文・類語

さいねん‐じ【西念寺】

  1. 茨城県笠間市稲田にある単立寺院。山号は稲田山。もと浄土真宗大谷派。親鸞が「教行信証」の初稿を完成したと伝えられる黒木草庵にはじまる。稲田御坊。

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日本歴史地名大系 「西念寺」の解説

西念寺
さいねんじ

[現在地名]富士吉田市上吉田七丁目

国道一三八号の北側にある。山号は吉積山。時宗。本尊は阿弥陀如来。当寺の寺記によれば養老三年(七一九)行基により開かれて富士山来迎弥陀三尊を安置、富士道場とよばれたと伝える。永仁六年(一二九八、永仁三年とする説もある)遊行二世他阿真教が甲州を巡化した際入山し、天台宗を改め時宗として当寺開基となり、弟子真海を開山とした。永仁年間武田氏の一族一条右衛門大夫吉積を本願として諸堂を再建、これによって吉積山と号した。天文二年(一五三三)三月一六日火災にあい、武田氏・小山田氏の保護で再興されたとされる(以上「甲斐国志」)

天文一一年一〇月一六日小山田信有から西念寺新門前ともに棟別などを免除され(「小山田信有印判状」西念寺旧蔵文書)、年未詳一一月三〇日の信有の印判状(同文書)でも西念寺侍衆中家一二軒の棟別を免除するとある。小山田氏は永禄一〇年(一五六七)二月二六日にも棟別などを免除している(「小山田信茂印判状」西念寺文書)


西念寺
さいねんじ

[現在地名]満濃町羽間

西にし(二〇四メートル)の南に続く西念寺山(一五一メートル)の西麓にある。浄土宗、仲津山浄土院と号し、本尊は阿弥陀三尊、法然の水影御影と伝える円光大師絵像を祀る。寺記によれば創建以来生福しようふく寺の法灯を継いでいたが、建永二年(一二〇七)法然が讃岐に流されこの地で念仏の教えを広めて以来、浄土宗寺院になったという。「讃岐国名勝図会」に「往古法然上人左遷のとき小松庄生福寺に止錫して、時々この処に逍遥せし所なり。


西念寺
さいねんじ

[現在地名]氷見市森寺

上野山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。永正一〇年(一五一三)専誓による開基という(貞享二年寺社由緒書上)。しかし当寺では「滝野坊西念寺」と称している。滝野たきの坊は加賀江沼えぬま郡の山田光教やまだこうきよう(蓮如四男蓮誓開基、現石川県加賀市)の支坊である(反故裏書)。滝野坊が大小一揆で敗れ、能登畠山氏の影響力の強い吉滝よしたきに移転したという(森寺西念寺史)。永正一〇年四月二〇日に本願寺九世実如が「射水郡八代庄吉滝村 願主釈蓮□」に下付した阿弥陀如来像を蔵しており、蓮如の「蓮」が付与されているので、蓮如に近い有力坊主跡に専誓が入寺したのであろうか。文亀元年(一五〇一)に吉滝定孝の請願によって能登鹿島かしま井田いだ岡野おかの(現石川県鹿島町)から吉滝の滝野に移り、大永五年(一五二五)一一月二一日に定孝より山畠の寄進をうけている(「吉滝定孝寄進状」西念寺文書)


西念寺
さいねんじ

[現在地名]笠間市稲田

上稲田かみいなだの南西にある。稲田山と号し、浄土真宗別格本山。本尊は阿弥陀如来。古くは稲田草庵・稲田禅房とも称した。寺伝によれば、建暦元年(一二一一)越後流罪を解かれた親鸞が建保五年(一二一七)に当地に草庵を結び、元仁元年(一二二四)には「教行信証」を著して、浄土真宗を開くという。親鸞は貞永元年(一二三二)頃帰洛の途につくが、その間に当地を支配した稲田頼重は親鸞に帰依して教養と称し、草庵の別当となった。


西念寺
さいねんじ

[現在地名]真岡市東大島 上

東大島ひがしおおしま集落の北部、物井ものい(現芳賀郡二宮町)からの街道沿い西側に位置する。極楽山と号し、真宗大谷派、本尊阿弥陀如来。寺伝によれば享和元年(一八〇一)東郷ひがしごう代官岸本武太夫が自ら開基となり、下総国猿島さしま辺田へた(現茨城県岩井市)の極楽山聴衆院西念寺二六世住職了観を招いて創建した。岸本は農村復興策として、越後その他の北陸地方からの入百姓・取立百姓の導入に努め、文化五年(一八〇八)までに一七四戸・七六九人を移入した(同六年「岸本代官から勘定奉行へ提出の治績報告書」繁桂寺文書)


西念寺
さいねんじ

[現在地名]氷見市赤毛

赤毛あかげの中央よりやや東寄りに位置する。吉田山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。氷見郡寺院明細帳(県立図書館蔵)によれば、開基浄西はもと真言宗であったが、明応四年(一四九五)本願寺八世蓮如に帰依し、改宗して西念寺と改称したという。さらに寺院明細帳は当寺と森寺もりでらの西念寺を同じように説明し、当寺はもと滝野坊西念寺と称し、滝野坊は加賀山田光教やまだこうきよう(現石川県小松市)の子坊であった。


西念寺
さいねんじ

[現在地名]山陽町大字埴生 島田

浄土宗で横竪山と号し、本尊は阿弥陀如来。

「注進案」によれば、開基は南禅で、寛正年間(一四六〇―六六)大内氏によって当地の東山ひがしやまに建てられた大喜だいき庵が初めといい、のち無住となっていたが、長府ちようふ(現下関市)浄厳じようごん寺の僧を招いて浄土宗西念寺となったとしており、寛永四年(一六二七)の禁制写を載せている。


西念寺
さいねんじ

[現在地名]岩井市辺田

岩井―野田のだ街道の東に所在。極楽山聴衆院と号し真宗大谷派。二十四輩の七番。本尊の木造阿弥陀如来坐像は恵心尼作と伝え、県指定文化財。縁起によれば親鸞の弟子西念は現千葉県野田市に長命寺を建立し、聖徳太子像を安置。正応年中(一二八八―九三)に西念寺と改称。西念の弟円盛は現在の西念寺の地にあった天台宗の極楽山聴衆院聖徳しようとく寺の住職であったが、親鸞の教えを受けて法名を信証と改め、聖徳寺も真宗に改宗した。


西念寺
さいねんじ

[現在地名]佐久市岩村田 本町

浄土宗知恩院末、一行山と号し、本尊阿弥陀如来。

永禄三年(一五六〇)岌往の開山と伝える。当初一宇を建て念仏の法門を授けていたが、しだいに寺格を高め、信濃国五ヵ寺(西念寺・松本春了寺・松代大英寺・伊那来迎寺・諏訪真松院)の宗頭となる。岩村田藩主牧野氏の菩提寺小諸こもろ城主仙石秀久は住職岌往と親交があり、境内に仙石氏の墓所や、「四鄰譚藪」などの著者吉沢好謙の墓もある。


西念寺
さいねんじ

[現在地名]水俣市平町一丁目

現在地には昭和九年(一九三四)に移転したもので、それ以前は近世から陳内じんない村の中心部にあった。尊号山と号し、浄土真宗本願寺派、本尊阿弥陀如来。豊臣秀吉の島津攻めに従った教信が、水俣郷初野はつの村の風穴かざあなに草庵を開き、三代目教心の時に陳内村に移ったと伝える。


西念寺
さいねんじ

[現在地名]楠町大字東吉部

吉部市の馬場東きべいちのばばひがしにある。浄土真宗本願寺派で竹林山と号し、本尊は阿弥陀如来。

「地下上申」には西念寺寺敷畠方として四石余の除地を記す。「注進案」によれば開基は道善。大内義隆の家臣で阿部孫兵衛信勝といい、本願寺の顕如に帰依、剃髪したという。


西念寺
さいねんじ

[現在地名]鎌倉市岩瀬

大長だいちよう寺の南、字北山きたやまにある。浄土宗、岩瀬山正定院と号する。本尊阿弥陀如来。開山慶蓮社運誉光道。もと大長寺末。開山運誉は天文三年(一五三四)(風土記稿)。開基・創建由来は未詳。喚誉文栄・信誉見性・寂誉速阿在典を中興とする。


西念寺
さいねんじ

[現在地名]今治市中寺

中寺なかでら中川原にある。東興山と号し、臨済宗東福寺派。本尊薬師如来

寺伝によると創建は大治二年(一一二七)で、当時は護国山泰平院と号し、天台宗。河野通治がのちに堂宇を整備し、田畑を寄進、末寺一八ヵ寺を建立し南山を開基とした。しかし永禄二年(一五五九)および天正二年(一五七四)に焼失し、旧記什物などを失ったという。


西念寺
さいねんじ

[現在地名]長野市松代町肴町

送経山摩尼宝院西念寺。浄土宗知恩院末。本尊阿弥陀如来。寺伝では、正平二〇年(一三六五)僧感誉上人の建立で、西応寺と称し、旧地は海津かいづ城南大手門の南にあったが、慶長五年(一六〇〇)城主森右近忠政が城の外郭を築くにあたり、今の地に移し寺領五〇石を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西念寺」の意味・わかりやすい解説

西念寺
さいねんじ

茨城県笠間(かさま)市稲田(いなだ)にある浄土真宗系の単立寺院。別格本山。山号は稲田山。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。親鸞(しんらん)聖人東国教化の根拠地となった聖跡であり、稲田御坊(ごぼう)、稲田禅房(ぜんぼう)ともいう。1211年(建暦1)、越後(えちご)流罪を解かれた親鸞が、領主稲田九郎頼重(よりしげ)に招請され、以後約20年間この地に草庵(そうあん)を結び、主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』を著したので、立教開宗の聖地とされる。出家して宗祖の弟子となり教養坊と改名した稲田頼重を開基とする。1304年(嘉元2)4世宗慶のときに西念寺と称し、江戸時代以後は徳川家代々の外護(げご)を受けて寺格も高かった。1871年(明治4)水戸天狗党(みとてんぐとう)事件の兵火で堂宇を焼失するが、のち再建された。境内には宗祖廟所(びょうしょ)、親鸞の伝説にまつわる御杖杉(おつえすぎ)などがある。4月14~18日の結縁(けちえん)大法会は盛大。寺宝に宗祖真影、真筆などがある。

[大鹿実秋]

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改訂新版 世界大百科事典 「西念寺」の意味・わかりやすい解説

西念寺 (さいねんじ)

茨城県笠間市稲田にある浄土真宗の寺。山号は稲田山。稲田御坊と称する。開山は親鸞,開基は稲田頼重,開創年代は1217年(建保5)と伝えている。本尊は阿弥陀如来。親鸞が越後から常陸に移住したおり,この地で約10年布教をし,ここで主著《教行信証》が撰述された。江戸時代には朱印寺領30石を抱え,常陸国浄土真宗の中では大寺であった。
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デジタル大辞泉プラス 「西念寺」の解説

西念寺

茨城県坂東市にある真宗大谷派の寺院。天台宗の寺、聖徳寺が基。13世紀に浄土真宗に改宗。江戸時代初期に寺号を改め現名称となる。

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