貝塚(市)(読み)かいづか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「貝塚(市)」の意味・わかりやすい解説

貝塚(市)
かいづか

大阪府南西部、大阪湾に臨む繊維工業都市。1943年(昭和18)市制施行。市域は、南の和泉(いずみ)山脈の北西斜面から泉南丘陵と洪積台地、海岸平野へと南北に長く延びる。その間を近木(こぎ)川が縦谷をなして流れ、山地部に水間(みずま)盆地などの小盆地をつくる。海岸線に並行して南海電気鉄道南海本線、JR阪和線、阪和自動車道、阪神高速道路湾岸線、国道26号、170号が走り、これらの線に直交して水間鉄道が通じる。この地の農耕開発は古く、条里制遺構と60余の溜池(ためいけ)がある。市の開発は16世紀後半、当地の一向(いっこう)宗徒が紀州・根来(ねごろ)寺から卜半斎了珍(ぼくはんさいりょうちん)を迎え、願泉寺(貝塚御坊)を中心に寺内町を形成したのに始まり、一時本願寺の本拠ともなった。2代了閑(りょうかん)の世、徳川家康から寺内の諸役免許の黒印を受け、その後代々地頭とよばれて近世を通じて勢力をもち、商工業を誘致し繁栄した。とくに和泉木綿和泉櫛(ぐし)は世に知られた。明治以降綿業の近代化が図られ、繊維工業都市として発展、1935年には大日本紡績(現、ユニチカ)の進出で紡績業の一中心地となった。2001年度(平成13)の総出荷額1381億円のうち約16%を、2019年度(令和1)の2670億円のうち約5%を繊維業が占める。ワイヤロープの生産でも知られる。近郊農業も盛んで、とくにミカンタマネギキャベツナスが多い。厄除(やくよ)け観音で知られる水間寺と水間公園、孝恩寺の国宝指定の観音堂(釘無(くぎなし)堂)、国史跡の丸山古墳、国の天然記念物和泉葛城(かつらぎ)山ブナ林などがあり、二色の浜(にしきのはま)は海水浴場として知られる。面積43.93平方キロメートル、人口8万4443(2020)。

[位野木壽一]

『『貝塚市史』全3巻(1955~1958・貝塚市)』


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