杵屋六左衛門(読み)キネヤロクザエモン

デジタル大辞泉 「杵屋六左衛門」の意味・読み・例文・類語

きねや‐ろくざえもん〔‐ロクザヱモン〕【杵屋六左衛門】

長唄三味線方・唄方。杵屋宗家。
(別家9世)[?~1819]三味線方。8世宗家喜三郎の養子で、別家を興す。「小原女」「越後獅子」などを作曲。
(別家10世)[1800~1858]三味線方。長唄中興の祖といわれる。「供奴」「喜撰」「賤機帯」などを作曲。本家10世喜三郎の死後本家・別家を一本化した。
(14世)[1900~1981]三味線方から唄方に転向。作曲も巧みで、映画「楢山節考」の音楽などを作曲。

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精選版 日本国語大辞典 「杵屋六左衛門」の意味・読み・例文・類語

きねや‐ろくざえもん【杵屋六左衛門】

  1. 邦楽家。長唄三味線方。杵屋宗家。
  2. [ 一 ] 別家九世。三世田中伝左衛門の二男。八世六左衛門の養子となり、別家をおこす。代表作に「越後獅子」「小原女」など。文政二年(一八一九)没。
  3. [ 二 ] 別家一〇世。別家九世の二男。本家一〇世の死後、その名目を預かり、本家、別家の区別は解消した。長唄中興の祖。代表作に「石橋(しゃっきょう)」「供奴(ともやっこ)」など。寛政一二~安政五年(一八〇〇‐五八

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改訂新版 世界大百科事典 「杵屋六左衛門」の意味・わかりやすい解説

杵屋六左衛門 (きねやろくざえもん)

長唄三味線方,唄方。長唄の宗家といわれる。現在まで15代を数えるが,これは六左衛門のみの代数ではなく,杵屋の始祖といわれる初代勘五郎以後の杵屋勘五郎杵屋喜三郎の名義をも含めた家督相続者の代数である。六左衛門名義としては,2代,4代,および9代以後15代までの9名を数えるが,2代,4代については疑わしい点も多く,また宗家としての6代喜三郎までについても,不明な点が多々ある。なお,《杵屋系譜》には6代,7代喜三郎がそれぞれ六左衛門を襲名したと記されているが疑問である。(1)2代(1596?-1667・慶長1?-寛文7) 初代杵屋勘五郎の実子といわれ,六左衛門名義の初世に当たる。猿若狂言の脇師をつとめたといわれ,小歌も巧みであったという。(2)4代(?-1713(正徳3)) 3代勘五郎の実子,前名喜三郎。1684年(貞享1),江戸の中村座における初めての寿狂言に父,弟とともに出演する。また桐長桐(きりちようきり)座の脇狂言〈都踊〉を作曲したという。大薩摩節の三味線も弾いたといわれているが,病身のため弟に喜三郎の名前をゆずるとともに宗家の家督もゆずり,六左衛門と改名したというが確証はない。(3)9代(?-1819(文政2)) 3世田中伝左衛門の次男。幼名万吉。8代喜三郎の養子となり別家をたてる。2世三郎助から3世六三郎となり,1797年(寛政9),六左衛門名義を復活襲名する。作曲に巧みで,《浜松風(はままつかぜ)》《冬の山姥(ふゆのやまんば)》《小原女(おはらめ)》《越後獅子》などを作曲。(4)10代(1800-58・寛政12-安政5) 9代六左衛門の次男。吉之丞から4世三郎助となり,1830年(天保1)六左衛門を襲名する。作曲は父にまさる名人で,《供奴》《賤機帯(しずはたおび)》《石橋(しやつきよう)》《秋色種(あきのいろくさ)》《鶴亀》《翁千歳三番叟(おきなせんざいさんばそう)》などの傑作を作曲する。1826年(文政9),中村八兵衛から大薩摩節の家元権をあずかり,大薩摩筑前大掾藤原一寿と号す。58年(安政5)8月コレラにより急死したという。(5)11代(1815-77・文化12-明治10) 一説に1823年(文政6)生れ。10代六左衛門の妻女の兄の子。初名栄蔵,前名5世三郎助。61年(文久1)六左衛門を襲名する。68年(明治1)に義弟喜三郎に六左衛門名義をゆずり,3世勘五郎(その住居から〈根岸の勘五郎〉とよばれる)となる。大薩摩節の家元権を正式にゆずりうけ,大薩摩絃太夫藤原直光浄空と号した。別号,稀音家照海。9代,10代におとらぬ作曲の名人で,《紀州道成寺》《四季の山姥》《橋弁慶》《綱館(つなやかた)》《望月》などを作曲。また《大薩摩杵屋系譜》《御屋舗番組控(おやしきばんぐみひかえ)》《大薩摩四十八手図》などの貴重な記録を残している。(6)12代(1839-1912・天保10-大正1) 芳村孝三郎の実子。10代六左衛門の第2養子となる。前名喜三郎。1868年(明治1)六左衛門を襲名。作曲よりも演奏方面で活躍する。89年,東京歌舞伎座開場とともに,その囃子頭となり,植木店派(うえきだなは)(六左衛門家)の全盛期を迎える。94年,勘兵衛と改める。《新松竹梅》《四季の詠》など作曲。(7)13代(1870-1940・明治3-昭和15) 12代の長男。前名喜三郎。1894年,六左衛門を襲名する。1916年寒玉(かんぎよく)と改める。作曲よりもむしろ演奏の名手であり,弟の5世勘五郎とともに歌舞伎長唄発展のために尽力し,植木店派の全盛期を確立する。《春雨傘はるさめがさ)》《楠公》《五条橋》などを作曲。《新曲浦島》は弟勘五郎との合作といわれる。(8)14代(1900-81・明治33-昭和56) 13代の実子。前名喜三郎。六左衛門家は代々三味線奏者としての芸統であったが,14代は唄方,作曲家として活躍する。1916年,六左衛門を襲名。29年から4世吉住小三郎に師事。帝国劇場邦楽部長,長唄協会会長,東京音楽学校(現,東京芸術大学)教授などの要職を歴任するとともに,演奏会でも活躍する。《能阿(のあ)》《母を恋ふるの記》《楢山節考(ならやまぶしこう)》《新平家物語・壇の浦》など多数の作曲がある。日本芸術院会員,重要無形文化財保持者(人間国宝)。(9)15代(1930(昭和5)- ) 14代の次女。前名六左。14代没後,1981年12月,六左衛門を襲名。
杵屋勘五郎
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「杵屋六左衛門」の意味・わかりやすい解説

杵屋六左衛門
きねやろくざえもん

長唄(ながうた)三味線方、唄方(うたかた)。現在まで15代を数えるが、それは勘五郎、喜三郎を含めた杵屋宗家の代数であり、3世杵屋勘五郎編の『杵屋系譜』によれば、2代、4代、6代、7代、そして9代目以降が六左衛門を名のっているが、7代目までは確証に乏しく、不明な点が多い。

[渡辺尚子]

9代

(?―1819)3世田中伝左衛門の次男。宗家8代喜三郎の養子。前名3世六三郎。1797年(寛政9)六左衛門名義を復活襲名。『越後獅子(えちごじし)』『小原女(おはらめ)』などを作曲。その住所から「植木店(うえきだな)」とよばれ、以後、六左衛門家は植木店派とよばれることとなる。

[渡辺尚子]

10代

(1800―58)9代の実子。前名4世三郎助。1830年(天保1)六左衛門を襲名。4世六三郎とともに長唄中興の祖といわれる。『供奴(ともやっこ)』『石橋(しゃっきょう)』『賤機帯(しずはたおび)』『秋色種(あきのいろくさ)』『鶴亀(つるかめ)』『翁千歳三番叟(おきなせんざいさんばそう)』などを作曲。

[渡辺尚子]

11代

(1815ころ―77)10代の甥(おい)。前名5世三郎助。1861年(文久1)11代を襲名。後の3世杵屋勘五郎(同項目参照)。

[渡辺尚子]

12代

(1839―1912)芳村(よしむら)孝三郎の実子。10代の養子。前名喜三郎。1868年(明治1)12代を襲名。おもに演奏方面で活躍。

[渡辺尚子]

13代

(1870―1940)12代の実子。前名喜三郎。1894年(明治27)13世を襲名。のち寒玉(かんぎょく)と称す。弟の5世勘五郎とともに歌舞伎(かぶき)長唄の育成に力を入れる。『楠公(なんこう)』『五条橋』などを作曲。

[渡辺尚子]

14代

(1900―81)13代の実子。本名杵家安彦。前名喜三郎。1916年(大正5)14世を襲名。三味線方としての家系ながら唄方に転向。4世吉住(よしずみ)小三郎(慈恭(じきょう))に師事し、伝統的な長唄の伝承とともに新しい長唄の発展にも力を注いだ。『母を恋ふるの記』『楢山節考(ならやまぶしこう)』などを作曲。日本芸術院会員。重要無形文化財保持者。昭和56年8月23日没。没後、次女の六左(1930― )が15代六左衛門を継ぐ。

[渡辺尚子]

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「杵屋六左衛門」の解説

杵屋 六左衛門(14代目)
キネヤ ロクザエモン


職業
長唄唄方

肩書
杵屋宗家(14代目),長唄協会名誉会長,東京音楽学校教授 日本芸術院会員〔昭和41年〕,重要無形文化財保持者(長唄・唄)〔昭和49年〕

本名
杵家 安彦

別名
前名=杵屋 喜三郎(14代目)(キネヤ キサブロウ)

生年月日
明治33年 10月6日

出生地
東京市 日本橋区(東京都 中央区)

経歴
13代目杵屋六左衛門(寒玉)の長男。明治44年14代目喜三郎を名乗り、大正5年父の跡を継いで長唄宗家14代目六左衛門を襲名。若くして代々の三味線方から唄方に転向し、4代目吉住小三郎に師事。昭和2年帝国劇場邦楽部長となり、6年まで同劇場で活躍。19年から東京音楽学校教授を務め、戦後は長唄協会会長などを務めた。33年ブリュッセル万博に文化使節として参加。36年日本芸術院賞を受賞、41年日本芸術院会員に選ばれ、49年には人間国宝に認定される。また杵屋の家元として派内をまとめる一方、「能阿(のあ)」「母を恋ふるの記」「壇の浦」「風林火山」「大江山酒呑童子」など500近い新作を作曲、映画「楢山節考」の音楽も手がけた。

受賞
日本芸術院賞(第17回 昭35年度)〔昭和36年〕 勲三等瑞宝章〔昭和46年〕,勲三等旭日中綬章〔昭和56年〕 文部大臣賞〔昭和31年〕「能阿」,毎日演劇賞〔昭和32年〕「母を恋ふるの記」 毎日映画コンクール音楽賞〔昭和33年〕「楢山節考」

没年月日
昭和56年 8月23日 (1981年)

家族
父=杵屋 六左衛門(13代目),長男=杵屋 喜三郎(15代目),二男=杵屋 寒玉(2代目),二女=杵屋 六左衛門(15代目),孫=杵屋 勘五郎(7代目)


杵屋 六左衛門(12代目)
キネヤ ロクザエモン


職業
長唄三味線方

肩書
杵屋宗家(12代目)

本名
杵屋 惣次郎

別名
初名=杵屋 六松(3代目),前名=杵屋 喜三郎(11代目)(キネヤ キサブロウ),後名=杵屋 勘兵衛(3代目)

生年月日
天保10年 3月14日

出生地
江戸・四谷塩町(東京都)

経歴
14歳の時10代目杵屋六左衛門の門に入り、16歳でその養子となり、安政2年11代目喜三郎を名乗る。慶応4年12代目六左衛門を襲名し杵屋宗家を継ぐ。明治22年東京歌舞伎座開場とともにその囃子頭となり、植木店派の全盛期を確立させた。27年長男の12代目喜三郎に六左衛門名義を譲り、36年3代目勘兵衛に改名。30年東京長唄組合を結成して頭取となる。「新松竹梅」「四季の詠(ながめ)」などを作曲。

没年月日
大正1年 8月31日 (1912年)

家族
父=芳村 孝三郎(2代目),養父=杵屋 六左衛門(10代目),長男=杵屋 六左衛門(13代目),二男=杵屋 勘五郎(5代目)


杵屋 六左衛門(13代目)
キネヤ ロクザエモン


職業
長唄三味線方

肩書
杵屋宗家(13代目)

本名
杵家 安久利

別名
初名=杵屋 吉之丞,前名=杵屋 喜三郎(12代目)(キネヤ キサブロウ),後名=杵屋 寒玉(キネヤ カンギョク)

生年月日
明治3年 5月13日

出生地
東京

経歴
12代目杵屋六左衛門の長男。吉之丞、12代目喜三郎を経て、明治27年13代目六左衛門を襲名し杵屋宗家を継ぐ。大正8年寒玉と改名。三味線の名手で、歌舞伎座、帝国劇場で活躍。弟の5代目勘五郎とともに歌舞伎長唄の育成に尽力し、「春雨傘」「楠公」「五条橋」などを作曲。

没年月日
昭和15年 3月23日 (1940年)

家族
父=杵屋 六左衛門(12代目),弟=杵屋 勘五郎(5代目),息子=杵屋 六左衛門(14代目)

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百科事典マイペディア 「杵屋六左衛門」の意味・わかりやすい解説

杵屋六左衛門【きねやろくざえもん】

長唄演奏家,杵屋宗家の芸名。長く三味線方であったが,14世から唄方に転向。杵屋姓の中でも最高の名で,名人も多い。現在は15世,9世〔?-1819〕は《越後獅子》を,4世杵屋六三郎ともに長唄中興の祖といわれた10世〔1800-1858〕は《石橋(しゃっきょう)》《鶴亀》《秋色種(あきのいろくさ)》を,後の根岸の勘五郎こと11世〔1815-1877〕(一説に〔1823-1877〕)は《四季の山姥》を作曲。11世は,3世杵屋正次郎,2世杵屋勝三郎とともに作曲の三傑と称された。14世〔1900-1981〕は13世の実子。1966年日本芸術院会員,1974年人間国宝。
→関連項目茨木賤機帯新曲浦島土蜘/土蜘蛛(演劇)山姥

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朝日日本歴史人物事典 「杵屋六左衛門」の解説

杵屋六左衛門(11代)

没年:明治10.8.7(1877)
生年:文化12(1815)
幕末・明治初期の長唄の三味線方,考証家。10代目杵屋六左衛門の妻の兄の子で,10代目の第1養子となる。幼名栄蔵。5代目三郎助を経て,文久1(1861)年に11代目六左衛門を襲名。10代目の没後,歌舞伎囃子頭を継ぐ。慶応4(1868)年8月,義弟の11代目喜三郎(10代目の第2養子)に六左衛門の名義を譲り,3代目勘五郎となる。江戸根岸に移り住んだため,根岸の勘五郎,あるいは単に根岸とも呼ばれている。大薩摩節の家元権を中村八兵衛より正式に譲られたため,大薩摩絃太夫藤原直光浄空とも名乗る。10代目に似て性格が生真面目で誠実。10代目が南部侯御屋敷の演奏を失敗し,それを苦にして蔵屋敷にこもったとき,11代目六左衛門もまた蔵の入り口に座して夜を明かした。また父母に孝養をつくした褒美として,嘉永3(1850)年6月に江戸北町奉行所から鳥目10貫文を与えられたという。10代目に心酔するあまり個性が失われ,その三味線技術はあまり上手ではなかったようだが,作曲面では10代目に劣らず,「四季の山姥」「紀州道成寺」「土蜘」「綱館」「望月」など名曲を残しており,幕末から明治初期にかけての長唄作曲の第一人者である。また,『大薩摩・杵屋系譜』『御屋舗番組控』『大薩摩四十八手図』『芝居囃子日記』(原著は6代目田中伝左衛門)など,長唄に関する記録,文献も数多く残していることは芸界まれにみる存在で,これらは長唄研究の貴重な文献として高く評価されている。没日は5日説もある。<参考文献>町田佳声・植田隆之助『現代・邦楽名鑑 長唄編』,3代目杵屋栄蔵編『長唄根岸集』,町田嘉章『長唄浄観』,3代目杵屋勘五郎(11代目杵屋六左衛門)「大薩摩・杵屋系譜」(『音曲叢書』1編,1973復刻)

(植田隆之助)


杵屋六左衛門(10代)

没年:安政5.8.16(1858.9.22)
生年:寛政12(1800)
江戸後期の長唄三味線方。9代目六左衛門の次男で,前名を4代目三郎助といい,文化11(1814)年江戸森田座や,13年江戸河原崎座の顔見世番付に名がみえる。天保1(1830)年に六左衛門を襲名。同時代に活躍した4代目杵屋六三郎と並び称せられる三味線の名人で,作曲にも優れ,「五郎」「供奴」などのような歌舞伎用の長唄から,「秋色種」「常磐の庭」「鶴亀」のような純粋鑑賞曲まで幅広い。南部利済侯をパトロンに持ち,そうした大名たちとの交流から能楽などに接する機会が増え,そこから「外記節石橋」「翁千歳三番叟」など謡曲の詞章を取り入れた新しい長唄が生まれた。その影響であろうか,作風は全体に4代目六三郎よりもやや硬派で,演奏への姿勢も生真面目であったという。<参考文献>町田嘉章『長唄浄観』

(長葉子)


杵屋六左衛門(12代)

没年:大正1.8.31(1912)
生年:天保10(1839)
明治期の長唄の三味線方。2代目芳村孝三郎の3男。本名惣次郎。3代目六松を継ぐ。三味線の技量がすばらしく,10代目杵屋六左衛門の懇望により,その第2養子となり11代目喜三郎を継ぐ。慶応4(1868)年,義兄11代目六左衛門より六左衛門名義を譲り受ける。明治27(1894)年,子の12代目喜三郎に六左衛門名義を譲り,勘兵衛を名乗る。「新松竹梅」「四季の詠」などを作曲。政治的手腕にも優れ,22年,東京歌舞伎座の開場とともにその囃子頭となり,植木店派の全盛期を確立させた。<参考文献>町田嘉章『長唄浄観』,町田博三『長唄稽古手引草』

(植田隆之助)


杵屋六左衛門(13代)

没年:昭和15.3.23(1940)
生年:明治3.5.13(1870.6.11)
明治期から大正期にかけての長唄の三味線方。12代目杵屋六左衛門の長男。幼名阿久里。吉之丞から12代目喜三郎を経て,明治27(1894)年,六左衛門を襲名。13代目六左衛門の芸を愛した小松宮彰仁親王から三味線を下賜されたことを記念して,寒玉と号した。大正5(1916)年,実子安彦に六左衛門名義を譲り,猿若山左衛門を名乗る。歌舞伎座の囃子頭となり,植木店派の全盛期を築きあげる。「楠公」「五条橋」などを作曲。

(植田隆之助)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

20世紀日本人名事典 「杵屋六左衛門」の解説

杵屋 六左衛門(14代目)
キネヤ ロクザエモン

明治〜昭和期の長唄三味線方・唄方 杵屋宗家(14代目);長唄協会名誉会長;東京音楽学校教授。



生年
明治33(1900)年10月6日

没年
昭和56(1981)年8月23日

出生地
東京市日本橋区(現・東京都中央区)

本名
杵家 安彦

別名
前名=杵屋 喜三郎(14代目)(キネヤ キサブロウ)

主な受賞名〔年〕
文部大臣賞〔昭和31年〕「能阿」,毎日演劇賞〔昭和32年〕「母を恋ふるの記」,毎日映画コンクール音楽賞〔昭和33年〕,日本芸術院賞(第17回)〔昭和35年〕

経歴
明治44年14代目喜三郎を名乗り、大正5年父のあとを継いで長唄宗家14代杵屋六左衛門を襲名。若くして代々の三味線方から唄方に転向し、4代目吉住小三郎に師事。昭和6年まで帝国劇場で活躍し、9年から東京音楽学校教授を務め、戦後は長唄協会会長などを務めた。35年芸術院賞を受賞、40年に芸術院会員に選ばれ、49年には人間国宝に指定される。また杵屋の家元として派内をまとめる一方、「能阿(のあ)」「母を恋ふるの記」「壇の浦」など400近い新作を作曲、映画「楢山節考」の音楽も手がけた。


杵屋 六左衛門(12代目)
キネヤ ロクザエモン

江戸時代末期〜大正期の長唄三味線方 杵屋宗家(12代目)。



生年
天保10年3月14日(1839年)

没年
大正1(1912)年8月31日

出生地
江戸・四谷塩町

本名
杵屋 惣次郎

別名
初名=杵屋 六松(3代目),前名=杵屋 喜三郎(11代目)(キネヤ キサブロウ),後名=杵屋 勘兵衛(3代目)

経歴
14歳の時10代目杵屋六左衛門の門に入り、16歳でその養子となり、安政2年11代目喜三郎を名乗る。慶応4年12代目六左衛門を襲名し杵屋宗家を継ぐ。明治22年東京歌舞伎座開場とともにその囃子頭となり、植木店派の全盛期を確立させた。27年長男の12代目喜三郎に六左衛門名義を譲り、36年3代目勘兵衛に改名。30年東京長唄組合を結成して頭取となる。「新松竹梅」「四季の詠(ながめ)」などを作曲。


杵屋 六左衛門(13代目)
キネヤ ロクザエモン

明治・大正期の長唄三味線方 杵屋宗家(13代目)。



生年
明治3年5月13日(1870年)

没年
昭和15(1940)年3月23日

出生地
東京

本名
杵家 安久利

別名
初名=杵屋 吉之丞,前名=杵屋 喜三郎(12代目)(キネヤ キサブロウ),後名=杵屋 寒玉(キネヤ カンギョク)

経歴
12代目杵屋六左衛門の長男。吉之丞、12代目喜三郎を経て、明治27年13代目六左衛門を襲名し杵屋宗家を継ぐ。大正8年寒玉と改名。三味線の名手で、歌舞伎座、帝国劇場で活躍。弟の5代目勘五郎とともに歌舞伎長唄の育成に尽力し、「春雨傘」「楠公」「五条橋」などを作曲。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杵屋六左衛門」の解説

杵屋六左衛門(14代) きねや-ろくざえもん

1900-1981 明治-昭和時代の長唄唄方。
明治33年10月6日生まれ。杵屋宗家13代六左衛門の長男。大正5年宗家14代六左衛門を襲名。三味線方の家系の伝統からはなれて唄方に転じ,4代吉住(よしずみ)小三郎にまなぶ。昭和19年東京音楽学校(現東京芸大)教授。36年芸術院賞。41年芸術院会員。49年人間国宝。昭和56年8月23日死去。80歳。東京出身。本名は杵家安彦。作品に「能阿(のあ)」「楢山節考(ならやまぶしこう)」など。

杵屋六左衛門(10代) きねや-ろくざえもん

1800-1858 江戸時代後期の長唄三味線方。
寛政12年生まれ。杵屋別家9代六左衛門の次男。大薩摩節(おおざつまぶし)家元の権利をあずかり,別号筑前大掾藤原一寿を名のる。文政13年4代三郎助あらため別家10代六左衛門。本家10代喜三郎の死後は宗家の名目をゆずりうける。演奏と作曲にすぐれ,長唄中興の祖といわれる。安政5年8月16日急死。59歳。作品に「石橋(しゃっきょう)」「供奴」「秋色種(あきのいろくさ)」など。

杵屋六左衛門(11代) きねや-ろくざえもん

1815-1877 江戸後期-明治時代の長唄三味線方。
文化12年生まれ。杵屋宗家10代六左衛門の第1養子。5代三郎助をへて文久元年宗家11代六左衛門をつぐが,慶応4年義弟喜三郎に名義をゆずり,3代勘五郎と改名。居所にちなみ「根岸の勘五郎」とよばれる。「紀州道成寺」「四季の山姥(やまんば)」などおおくの名曲,「大薩摩(おおざつま)・杵屋系譜」などの研究書をのこした。明治10年8月7日死去。63歳。

杵屋六左衛門(12代) きねや-ろくざえもん

1839-1912 幕末-明治時代の長唄三味線方。
天保(てんぽう)10年生まれ。杵屋宗家10代六左衛門の第2養子。前名は喜三郎。慶応4年宗家12代六左衛門をつぐ。三味線演奏にすぐれ,明治22年に開場の東京歌舞伎座の囃子頭(はやしがしら)として活躍,植木店(うえきだな)派(六左衛門家)全盛の基礎をつくった。大正元年8月31日死去。74歳。後名は勘兵衛。作品に「新松竹梅」「四季の詠(ながめ)」など。

杵屋六左衛門(9代) きねや-ろくざえもん

?-1819 江戸時代後期の長唄三味線方。
3代田中伝左衛門の子。杵屋宗家8代喜三郎の養子となり,2代三郎助をへて3代六三郎をつぐ。養父に実子が生まれたので寛政9年別家をたてて六左衛門を名のり,杵屋別家9代となる。文化8年まで江戸中村座で活躍。「越後獅子(えちごじし)」「小原女(おはらめ)」などを作曲した。文政2年9月11日死去。幼名は万吉。

杵屋六左衛門(2代) きねや-ろくざえもん

1596?-1667? 江戸時代前期の歌舞伎狂言役者。
慶長元年?生まれ。初代杵屋勘五郎の子。江戸長唄の杵屋宗家(そうけ)2代目。宗家(六左衛門家)の代数は勘五郎,喜三郎名義をふくめ,15代をかぞえる。元和(げんな)のころ父とともに上方から江戸にうつり,猿若狂言の脇(わき)師をつとめ,小歌に長じたという。寛文7年9月20日?死去。72歳?

杵屋六左衛門(13代) きねや-ろくざえもん

1870-1940 明治-昭和時代前期の長唄三味線方。
明治3年5月13日生まれ。杵屋宗家12代六左衛門の長男。前名は喜三郎。明治27年宗家13代六左衛門をつぐ。のち猿若山左衛門(さんざえもん),杵屋寒玉と改名。三味線演奏の名手として知られ,「楠公」「五条橋」などを作曲した。昭和15年3月23日死去。71歳。東京出身。

杵屋六左衛門(4代) きねや-ろくざえもん

?-1713? 江戸時代前期-中期の長唄三味線方。
2代杵屋勘五郎(杵屋宗家3代)の子。宗家4代。桐長桐(きりちょうきり)座の「都踊」を作曲,大薩摩(おおざつま)節の三味線もひいたという。病身のため弟に喜三郎名義と家督をゆずり,六左衛門とあらためたといわれる。正徳(しょうとく)3年4月7日?死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「杵屋六左衛門」の解説

杵屋 六左衛門(12代目) (きねや ろくざえもん)

生年月日:1839年3月14日
江戸時代-大正時代の長唄三味線方;唄方
1912年没

杵屋 六左衛門(13代目) (きねや ろくざえもん)

生年月日:1870年5月13日
明治時代;大正時代の長唄三味線方
1940年没

杵屋 六左衛門(14代目) (きねや ろくざえもん)

生年月日:1900年10月6日
明治時代-昭和時代の長唄唄方
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の杵屋六左衛門の言及

【小原女】より

…作詞2世瀬川如皐。作曲9世杵屋(きねや)六左衛門。振付市山七十郎。…

【秋色種】より

…長唄の曲名。作詞盛岡侯南部利済,作曲10世杵屋(きねや)六左衛門。1845年(弘化2)12月,江戸麻布不二見坂の南部邸新築祝に初演。…

【稽古娘】より

…振付藤間勘右衛門,藤間大助,西川巳之助,西川芳次郎。同じく多見蔵が1841年(天保12)7月中村座で踊った九変化《八重九重花姿絵》の中の長唄《稽古娘》(10世杵屋六左衛門作曲)を改めたもの。深窓の娘が振袖姿で,稽古帰りの様子を踊る。…

【外記猿】より

…本名題《外記節猿(げきぶしさる)》。1824年(文政7)7月,杵屋(きねや)三郎助(のちに10世杵屋六左衛門)が,当時すでに失われていた外記節の復活を目指して作曲。《石橋(しやつきよう)》《傀儡師(かいらいし)》と合わせて外記節三曲と称し,長唄でも別扱いされる。…

【五郎】より

…作詞三升屋二三治。作曲10世杵屋(きねや)六左衛門。振付4世西川扇蔵。…

【末広がり】より

…本名題《稚美鳥末広(わかみどりすえひろがり)》。作詞3世桜田治助,作曲10世杵屋六左衛門,振付3世藤間勘十郎(亀三勘十郎)。同名の狂言をもとにしているが,趣を変え,大名を女,太郎冠者を恋の使として後半の囃し物のくだりを中心に舞踊化したもの。…

【鶴亀】より

…【横道 万里雄】(2)長唄 1851年(嘉永4)南部藩侯邸で初演。10代杵屋(きねや)六左衛門作曲。ほぼ能の詞章にもとづいており,荘重で美しい名曲。…

【鳥羽絵】より

…作詞三升屋二三治(にそうじ)。作曲10世杵屋六左衛門。振りは伝わらない。…

【供奴】より

…作詞2世瀬川如皐。作曲4世杵屋三郎助(10世杵屋六左衛門)。振付市山七十郎,藤間大助(2世藤間勘十郎),4世西川扇蔵。…

【瓢簞鯰】より

…作詞2世瀬川如皐(じよこう)。作曲10世杵屋(きねや)六左衛門,3世岸沢式佐。振付4世西川扇蔵,藤間大助ほか。…

【六歌仙】より

…作詞松本幸二。作曲10世杵屋六左衛門,初世清元斎兵衛。振付2世藤間勘十郎,4世西川扇蔵,中村勝五郎。…

【四季の山姥】より

…作詞は南部侯隠居という説があるが不詳。11世杵屋(きねや)六左衛門作曲。山姥の前身を傾城にして,四季の山めぐりをきかせた曲。…

【竹生島】より

…(5)長唄 本名題《今様竹生島》。11世杵屋(きねや)六左衛門作曲。1862年(文久2)8月江戸中村座《時握虎券(ときはいまやつこのうけじよう)》に用いられた。…

【四季の詠(四季の眺)】より

…作詞末広。作曲12世杵屋(きねや)六左衛門。本名題《御注文色取隅田川(ごちゆうもんいろどりすみだがわ)》,1872年(明治5)初演。…

【羽衣】より

…1888年1月東京歌舞伎座初演。作詞3世河竹新七,作曲13世杵屋(きねや)六左衛門,6世岸沢式佐。振付初世花柳寿輔,花柳勝次郎。…

※「杵屋六左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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