日本大百科全書(ニッポニカ) 「エドワード(1世)」の意味・わかりやすい解説
エドワード(1世)
えどわーど
Edward Ⅰ
(1239―1307)
プランタジネット朝のイギリス王(在位1272~1307)。ヘンリー3世の長男。皇太子時代ガスコーニュとアイルランドを経営。シモン・ド・モンフォールの乱に初め反対していたが、のちそれを支持した。しかし、シモンらの寡頭制を批判するに至り、1265年、父ヘンリー3世を助けてシモンをイーブシャムに破り、父王にかわって1267年マールバラ法を出して内乱を収拾した。1270年十字軍遠征に出て、父王の死(1272)後1274年に帰国。1274~1275年の調査をもとに一連の制定法を出して「イギリスのユスティニアヌス」の異名をとり、封建王政を発展させた。議会制を尊重し1295年には模範議会を招集したが、晩年は独裁化した。外交面では、1284年ウェールズ法を出し、1301年皇太子をプリンス・オブ・ウェールズとする風を始め、大陸でもシチリア問題の調停に活躍したが、スコットランドで擁立したベイリアルJohn Balliol王(1250―1314、在位1292~1296)に背かれ、ロバート・ブルースRobert Bruce王(のちのロバート1世。1274―1329、在位1306~1329)の抵抗に苦しんだ。
[富沢霊岸 2022年12月12日]