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エドワード[1世] エドワード

百科事典マイペディアの解説

エドワード[1世]【エドワード】

プランタジネット朝イングランド王(在位1272年―1307年)。ヘンリー3世の子。皇太子の時シモン・ド・モンフォールを敗死させて貴族の反乱を鎮圧。即位後諸種の立法により,行政・司法を改革。
→関連項目ウォーレスエドワード[2世]ブルース

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世界大百科事典 第2版の解説

エドワード[1世]【Edward I】

1239‐1307
プランタジネット朝イングランドの王。在位1272‐1307年。父王ヘンリー3世晩年の貴族による国政改革の争いに,自らも参加し,即位ののちその経験を生かして,1295年には高位聖職者,有力貴族,各州と諸都市の代表からなる議会(後世〈模範議会Model Parliament〉とよぶ)を召集して課税協賛を得た。また土地保有制を秩序化する法律を制定して中世以来の法を整えるなど,後世のイギリスの国政に基礎をあたえた。

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世界大百科事典内のエドワード[1世]の言及

【城】より

…また,ガイヤール城の陥落(1209)が天守の孤立に起因したという経験から,クーシーCoucy城(1225‐40ころ)のように,直径32m,高さ51mという巨大な円筒形天守を城郭の最前面に突出させるという斬新な設計が現れた。 イングランド王エドワード1世(在位1272‐1307)は1283年以降,ウェールズ征服のため多数の城郭を建造したが,これらは〈エドワード式集中型城郭〉と呼ばれ,円塔をつけた二重の城壁で同心状に囲む特色をもち,そのなかでも代表的なハーレックHarlech城(1285ころ‐90)とボーマリスBeaumaris城(1295‐1323)では,高い内城壁を低い外城壁で囲み,整然とした対称形平面であるが,天守はなく,その代りに,それだけで独立した要塞となりうる巨大な城門を内城壁から突出して設けた。これは,城郭は直接的な攻撃によるよりも,謀略や内部からの謀反で陥落することが多いことに配慮し,城門や円塔の独立性を重んじた結果である。…

【スクーン】より

…このとき,国王ケニス・マカルピンがエティブ湖畔の城から戴冠用玉座をここに移し,以後〈スクーンの石(運命の石)〉と呼ばれて1651年のチャールズ2世に至るまでスコットランド王の戴冠場所となった。しかし石自体は1296年にエドワード1世がウェストミンスター・アベーへ運び去った。【長谷川 孝治】。…

【プランタジネット朝】より

…別にアンジューAnjou朝ともいう。イングランド中世のほぼ全時代を支配したが,14世紀初頭のエドワード1世の治世の終りをもって前期と後期に分けられる。
[前期]
 プランタジネット朝はスティーブン王の内乱時代の後をうけてヘンリー2世(在位1154‐89)の即位とともに始まるが,彼は父方よりアンジュー,メーヌ,トゥーレーヌを,母方よりノルマンディーを,また王妃エレアノール(もとフランスのルイ7世の王妃)よりアキテーヌを得て広大な〈アンジュー帝国〉の主君たる地位を占めた。…

【ページェント】より

…王は都市の入口で市長から,その都市の鍵を捧げられ,それをまた市長へ返すという儀式がよく行われるが,これはページェントが王と都市との和解の祝いであることを示している。1298年,エドワード1世の戦勝を祝ってロンドンの魚屋が催した祝祭が最初のページェントといわれている。 16世紀のヨーロッパではとくにページェントが盛んであった。…

※「エドワード[1世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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