三好(市)(読み)みよし

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三好(市)
みよし

徳島県北西端にある市。2006年(平成18)に三好郡三野町(みのちょう)、池田町(いけだちょう)、山城町(やましろちょう)、井川町(いかわちょう)、東祖谷山村(ひがしいややまそん)、西祖谷山村が合併、市制施行して成立。三野町地区は三好郡東みよし町を挟んだ東側に位置する。なお、南部に位置する東・西の祖父山村は、1950年(昭和25)に美馬(みま)郡から三好郡に編入された。北部は讃岐(さぬき)山脈、南部は四国山地で、東南端に県下最高峰の剣(つるぎ)山(1955メートル)がそびえる。南の高知県境に三嶺(さんれい・みうね)(1894メートル)、天狗塚(1812メートル)、綱附森(つなつけのもり)(1643メートル)、東の美馬郡境には丸笹(まるざさ)山(1712メートル)、矢筈(やはず)山(1849メートル)などの高山が連なり、市域の大半が山地で占められる。山城町地区と西祖谷山地区の境を吉野川が北流し、池田町地区の中央辺りで東に流れを変え井川町地区の北境、東みよし町、三野町地区の南境を流れる。JR徳島線、土讃(どさん)線、国道32号、192号、319号、439号が通り、徳島自動車道の井川池田インターチェンジがある。
 遺跡は大部分が吉野川沿いに分布する。旧石器時代、縄文時代の遺跡は河岸段丘上や沖積地に分布し、弥生時代の高地性集落である三野町地区大谷尻遺跡(おおたにじりいせき)からは環濠が検出された。古墳時代後期の井川町地区須賀古墳は、井川町地区から池田町地区にかけての首長墓と考えられる。古代には東大寺、山城石清水(いわしみず)八幡宮など中央の大社寺の荘園が設定された。源平の合戦を経て、祖谷山には平家の落人(おちゅうど)伝説が残った。承久の乱後に阿波国守護になった小笠原氏は池田城に拠(よ)り、南北朝末期には小笠原義長が三好氏を名のったといわれる。守護細川氏の被官となった三好氏は、戦国時代には細川氏に変わって実権を握った。三好氏が勝瑞(しょうずい)城(藍住町)に移って以降は被官の大西氏が白地(はくち)城(大西城。池田町地区)に拠ったが、1577年(天正5)長宗我部元親に敗れ、元親は1585年羽柴秀長に降伏した。
 1585年蜂須賀家政が阿波国に入部、池田城を阿波九城の一つとした。一国一城令をうけて1638年(寛永15)池田城は廃されたが、讃岐・伊予・土佐に接する要衝として徳島藩の池田陣屋がおかれた。市域のほぼ全域が幕末まで徳島藩領として推移した。藩は山間地のタバコ栽培を奨励し、18世紀初めには商品化が盛んになった。伊予街道沿いの池田町(大西町とも)や辻町(井川町地区)などは刻みたばこの製造・販売で繁栄、「阿波刻」は讃岐・伊予を経て大坂などに運ばれた。明治10年代には工場制への移行が始まり栽培面積も広がって、経営形態を変えながらも池田での生産は続けられた。1985年(昭和60)に日本専売公社が日本たばこ産業株式会社へ移行、1990年(平成2)池田町でのたばこ製造は中止された。明治期の刻みたばこ業者の家屋を利用した「阿波池田うだつの家」の一画に「阿波池田たばこ資料館」がある。ほかに紙漉(す)きや藍作も行われた。
 現在は林業のほか、米、ジャガイモ、サツマイモや茶、ハッサク、カキ、ナシ、ブドウなどの果樹の栽培、クリ、シイタケ、ミツマタ、コウゾなどの林産物がある。
 三嶺・天狗塚のミヤマクマザサおよびコメツツジ群落は国の天然記念物に指定。吉野川がつくる深い峡谷は大歩危・小歩危(おおぼけこぼけ)とよばれる美しい景観で知られ、剣山国定公園の一部をなす。面積721.42平方キロメートル、人口2万6836(2015)。[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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