翻訳|chair
人が腰をかけるための家具の総称。人間が生活のなかでとるおもな姿勢は、立つ、座る、寝る、の三つであるが、このなかの座るに対応する道具が椅子である。人生の約3分の1は椅子で過ごすわけで、人体への適合を強く要求されるので、椅子は家具というよりは体具とでもよんだほうが実態に近い面をもっている。
椅子の基本的な形態は、座面とそれを支持する脚および背もたれからなる。椅子を使う住まい方が椅子式生活で、ヨーロッパでは古くからこの様式がとられてきた。そのため各時代の風俗や住まい方にあった、さまざまな形態の椅子がつくられている。一方、日本では、中国から椅子が伝わったが、朝廷や寺院で儀式用に使われただけで、日常生活のなかでは椅子は用いられず、床の上に直接座る住まい方であった。これを平座式生活という。普通には前者を洋風、後者を和風とよんで区別している。
[小原二郎・加藤 力]
西洋の椅子の起源は古代エジプトにさかのぼる。しかしそれは権威の象徴としての椅子であって、これを使ったのは上流社会の人たちであった。一般庶民が日常生活のなかで現在のような形の椅子を広く使い始めた歴史は意外に新しく、近世の中期以降からとみてよいようである。日本で椅子式生活が大衆に普及したのは第二次世界大戦以降のことである。
[小原二郎・加藤 力]
椅子は形態、用途、構造、材料、加工技術などの面から次のように分類することができる。
(1)形態 スツール、小椅子、肘(ひじ)掛け椅子、安楽椅子、長椅子(ソファ)、寝椅子、ロッキングチェアなど。
(2)用途 事務用、学習用、食事用、会議用椅子など。また特殊な用途のものとして理髪、美容、医療、劇場用の椅子など。そのほか、電車、自動車、航空機用座席など、乗り物用の座席も椅子の一種とみなすことができる。
(3)機構 固定式、回転式、折り畳み式、組合せ式など。
(4)材料 木製、金属製、籐(とう)製、プラスチック製椅子など。
(5)加工技術 曲木(まげき)、成型合板、鋼管、アルミニウム、挽物(ひきもの)椅子など。
そのほか従属的なものとして、張り材料とクッション材料を必要とする。
[小原二郎・加藤 力]
椅子の重要な機能には二つある。一つは美しさや権威を満足させる形態的役割であり、もう一つは座ることによっておこる肉体的な無理を減らす姿勢の補助具としての役割である。前者はホテルのロビーや店舗に置く椅子および社長用、課長用といった階級別の椅子の意味である。また、後者について説明を補足すれば次のようである。これまで椅子は座った姿勢のほうが楽で、立った姿勢は苦しいという考え方を基礎にしてつくられていた。しかしそれは誤解で、上体についていえば、立ったときのほうが自然で、座ったときのほうが無理がかかっていることが、人間工学の研究によってわかってきた。人間は四つ足の姿から二足歩行に進化してきた。もとの姿のときの背骨はアーチ形であったが、立つためへの適応としてS字形に変化した。背骨がこの形状になったとき、内臓はバランスがとれて苦しくないように自然の姿勢ができあがってきたのである。ところが、座ると骨盤が後方に回転する。そのため背骨はもはやS字形を保つことができないで、四つ足のときのアーチ形に戻ってしまう。そのために腹部は圧迫を受け、背骨も無理な変形を受ける。つまり、座って楽なのは下肢(かし)のほうだけで、上体には無理がかかるわけである。この無理を減らしてやるためには姿勢の補助具が必要で、その補助具が実は椅子である。以上が人間工学の立場からみた椅子の役割だと考えられるようになった。したがって、もし理想の椅子があるとしても、それは座ることによっておこる無理をどこまでゼロに近づけられるかというものでしかないことになる。
椅子に腰掛けた姿勢には、作業性の強いものから休息性の強いものまでいろいろあるが、その支持条件は、座面の角度と高さ、背もたれの傾斜角度を変えることによってつくることができる。
[小原二郎・加藤 力]
機能の面からみたよい椅子の条件は、次のようである。
(1)寸法、角度 高すぎたり奥行が深すぎたりしないこと、高さはむしろ低めのほうが無難である。
(2)体圧分布 感覚の鈍感なところには大きな圧力がかかり、鋭敏なところには小さな圧力がかかるような形状のものがよい。
(3)姿勢 人体はブロックをつないだ人形のような構造になっているため、支持の条件がよくないと、体重で椅子に押し付けられて、不自然な姿勢になってしまう。これが疲労の原因につながる。そのため、ツボを支持するようにつくられねばならない。柔らかい椅子では、とくにこの点に注意する必要がある。
椅子の機能性は最終的に落ち着く姿勢のよしあしで判断すべきであるが、これは仕上がりの形状とは関係がない。腰椎(ようつい)の付近で軽く支えられ、背筋の伸びる感じのものがよく、猫背になる椅子はよくない。ただし以上の条件は椅子の全体を対象にして述べたものであり、作業用と軽休息用と安楽用の椅子とでは、それぞれ要求する条件が違うので、この点を考慮して選ぶ必要がある。
[小原二郎・加藤 力]
古くは椅子はすべて木材でつくられ、体に接する部分に布や皮革が張られていた。そのため形状は直線形のものが多い。19世紀後半に曲木(まげき)の技術が生まれ、曲線をもつ椅子がつくられるようになった。それはブナを蒸煮して柔らかくし、型にはめて乾燥させたものであるが、オーストリアのトーネットMichael Thonet(1796―1871)の曲木の椅子がその代表である。20世紀になって成型合板や積層材の技術が開発され、曲面や曲線を自由に使いこなすことができるようになり、椅子の形状は大きく変わった。フィンランドのアールトのアーム・チェアやスウェーデンのマッソンのラウンジ・チェアなどがその例である。しかし木をそのまま使った従来の椅子の需要も相変わらず多く、市場ではこれが大半を占めている。なお、北欧の椅子には木の素地を生かした優れたデザインのものが多い。使用される樹種の主要なものはナラ、ブナ、トネリコ、チーク、マホガニー、ローズウッドなどであるが、各種の南洋材も多量に使用されている。椅子の用材はほとんど広葉樹であるが、それは強度を必要とするためである。
[小原二郎・加藤 力]
椅子に金属が本格的に使われたのは1920年代のバウハウスのころからとみてよい。その代表的なものはスチールパイプの椅子である。その後スチール板やスチールバーが構造材として使われるようになった。デンマークのA・ヤコブセンはアルミ鋳物で椅子の脚をつくったが、この手法はその後広く使われるようになった。
[小原二郎・加藤 力]
プラスチックが使われるようになってから、椅子の形状は従来と著しく変化した。1958年にヤコブセンは硬質発泡樹脂でエッグ・チェアとスワン・チェアをつくり、その斬新(ざんしん)性が世界の注目をひいた。アメリカのイームズはFRP(ガラス繊維強化プラスチック)でシェル構造の椅子を発表した。アメリカのサーリネンEero Saarinen(1910―1961)もこれに続きチューリップ・チェアをつくっている。1960年にはデンマークのデザイナー、パントンVerner Panton(1926―1998)がスタッキングstacking(積み重ね)可能なFRPの椅子を、また1968年にはイタリアのマジストレッティVico Magistretti(1920―2006)が強化ポリエステルでセレーネとよばれる椅子をつくった。これらの椅子はいずれもプラスチックの特性を生かして積み重ねが可能なようにつくられているため収納に便利である。
なお、これと並行して軟質発泡ウレタンの椅子がイタリアを中心につくられた。これらは形の自由さと柔らかさによる取扱いの便利さで評価を受け、広く各国に普及するようになった。その他のプラスチック系の材料としてはABS樹脂、ポリプロピレンおよびポリエチレンなども使用されている。
[小原二郎・加藤 力]
最近では籐(とう)がまた見直され始めている。そのほか、キャンバス、皮革、紙紐(かみひも)に合成樹脂を浸透させたもの、陶器、透明アクリルを使ったものなど、新しいデザインの椅子もつくられている。
[小原二郎・加藤 力]
積み重ねのできるものをスタッキング、折り畳むことのできるものを折り畳み、いくつかの部材に分かれていて組み立てられる形式をノックダウンという。また座と背もたれの角度を変えられる形式をリクライニング、全体が前後に揺れ動く形式をロッキングという。
[小原二郎・加藤 力]
新材料の開発と加工技術の向上によって、乗り物の座席はここ十数年の間に長足の進歩をした。とくに機能性の向上のために人間工学の研究は大きく貢献している。最近では個々の座席からさらに一歩進んで、車両の室内の配置を対象にしたアコモデーションaccommodation(順応性)の研究も行われるようになり、乗り物の快適性の向上に対して椅子の研究は大きく役だっている。
椅子には二つの顔、すなわち形態的役割と機能的役割とがあるから、使用目的によって二つの要素の組合せ方が違うわけである。たとえば、裁判官の椅子は権威が強く求められるから快適性は多少犠牲になってもよい。喫茶店の椅子は見かけの美しさが必要だが、掛け心地がよすぎると客の回転が悪いので、経済効率はよくない。一方、学校やオフィスでは形の美しさもさることながら、機能性がより重要である。
なお、クッション性についていえば、柔らかすぎると脳への刺激が弱いから眠くなる。また体の支持が不安定なため、無意識のうちに筋肉を働かせることになるので、座っているだけでくたびれてしまうことになる。
[小原二郎・加藤 力]
エジプトでは古王朝の時代から埋葬の風習として、生前愛用した身の回りの道具を墓の中に収めた。現存する最古の椅子に、第4王朝のスネフル王の妻ヘテプレスの墓から出土した黄金の肘掛け椅子がある。有名なのはツタンカーメン王の椅子で、1922年にイギリスの探検家H・カーターによって発掘された。全面に金を張り、銀、宝石、象牙(ぞうげ)などの装飾を施した豪華なもので、エジプトの最高権威者ファラオの玉座の典型的なものとしてよく知られている。なお貴族が使用した椅子は装飾がそれより簡単で、階級によって意匠が違っていた。
ギリシア時代は市民社会が成立する紀元前5世紀ごろから、権威の象徴としての椅子のほかに実用的なものもつくられた。これらの椅子は装飾が減り、簡素な形状になっている。クリスモスklismosとよばれる女性用の椅子はその代表的なもので、形は軽快で座りやすく、貴族の家庭用として愛用された。男子は背もたれのない折り畳み形式の椅子を用いて、来客用には装飾の多い椅子を使用した。
ローマ時代は形式的にはギリシアのヘレニズムのものを踏襲したが、帝政時代になると豪華な大理石の建物にふさわしい装飾的な椅子がつくられた。材料には木材のほかにブロンズ(青銅)や大理石が使われた。
[小原二郎・加藤 力]
ローマの伝統をもつ椅子はビザンティン帝国に伝えられた。6世紀につくられた「マキシミアンの玉座」には、象牙の彫刻をはめ込んだ豪華な木製の椅子がある。
西ヨーロッパで椅子が支配階級の間に普及したのは13世紀ごろからである。この時代には経済活動が活発化し、ギルドが結成された。ロマネスクの素朴な技術にかわってゴシック家具がつくられるようになった。この時代の椅子は従来と形が変わって框(かまち)組板張り構造で、座面を蓋(ふた)に使った収納兼用の箱形になった。また背もたれは上に伸びて背高になり、天蓋(てんがい)のついた長椅子も現れるようになった。いずれも権威の象徴としての役割が主であったから、豪華な装飾が施された。寺院の中では建築の一部としてゴシック様式をもつ椅子が使われた。なお日常の生活のなかでは高い背もたれと肘掛けのついた長椅子や、板構造のスツールなどが用いられていた。
ルネサンスは古典復活の時代であったから、椅子はふたたび古代ローマの形式が反映された。豪華な彫刻を施したもののほかに、座面や背もたれに綴織(つづれおり)を張ったものも現れてくる。また長椅子も愛用されたが、生活のなかで広く使われたのは、板構造に彫刻を施したスガベルロsgabello(イタリア語)とよばれる小椅子であった。
イタリアでは最初はダンテスカdantescaとよぶ力強い形の椅子がつくられたが、しだいに貴族向けの豪華なものになった。フランスはイタリアに倣ったが、過剰な装飾を排し、挽物を使った軽快な椅子がつくられた。またスペインではイスラム教徒の伝統的な手法を加味した工芸的で簡素な椅子が使われた。イギリスはそのころまでは家具の水準が低く、挽物を使った素朴なものが多かったが、エリザベス時代になると実用性を重視した椅子がつくられるようになった。なお北欧はヨーロッパの中央とは違った独自の様式の椅子をつくっていた。
[小原二郎・加藤 力]
カトリック教会の勢力の回復とともに、各国に絶対王権制度の確立した時代であった。家具はそれを所有する人の社会的地位や権威を誇示する財産であったため、装飾性が重視され、階級に応じて形状と装飾が違っていた。ローマからおこったバロックは、ヨーロッパ各国に広がっていったが、フランスではルイ14世時代(1643~1715)にブールboulleとよぶ宮廷家具の様式が確立した。椅子は座面や背もたれに羽毛を詰め、草花模様のゴブラン織やビロードで張りあげた豪華で重厚な様式であった。イギリスは王権復古(1660)以降、フランスの影響を受けながらジャコビアン様式に発展させ、分厚い板張りの椅子や挽物椅子が流行した。
[小原二郎・加藤 力]
バロックが荘重で躍動的な美しさの時代であったのに対し、次のロココは繊細で軽快な美しさを求めた時代であった。当時の貴婦人は幅広いスカートを着用したので、椅子の形もそれにあうように座面は前幅が広く、肘掛けは短い。また、座り心地も改善されている。イギリス人も軽快で華麗なクイーンアン様式を発展させたが、その後さらに建築家のケントWilliam Kent(1684―1748)によってクラシック・アーリー・ジョージア様式が生まれた。材料はそれまでウォールナットが主材であったが、植民地の拡張によって新しくマホガニーが輸入されて、これにかわることになった。イギリスでは1740年代から家具師チッペンデールによるチッペンデール様式が流行し、家具の黄金時代を築くことになった。それはロココを基調としたもので、装飾性を抑え、背もたれに透彫りを入れ、実用と美しさを調和させた庶民のための品位ある椅子であった。なお、この時代に、ウィンザー地方の農民によってつくられた地方色豊かな椅子は、のちにアメリカに移ってウィンザーチェアとして広く流行した。
[小原二郎・加藤 力]
イタリアのポンペイの発掘や古代ローマの遺跡の発掘などが契機になって新古典様式が生まれた。フランスではルイ16世時代(1774~1792)に椅子の脚は先細りの直線形になり、背もたれは丸形になった。イギリスでは建築家アダムRobert Adam(1728―1792)によってネオクラシシズムの椅子がつくられ、また家具師ヘップルホワイトとシェラトンらによって、庶民のための美しくかつ機能的な椅子がつくられ広く普及した。
[小原二郎・加藤 力]
フランス革命に続く政治の混乱を収めてナポレオンが帝位につく(1804)と、アンピール(帝政)様式が始まった。これは古代ローマを理想としたもので、材料にマホガニーを使い、座面と背に赤色の布地を張り、金の装飾をつけていることが特徴である。この様式は19世紀中ごろまで広くヨーロッパで使われた。なお、この時代に椅子の座面にコイルスプリングが組み込まれることになった。これは機能性のうえから画期的な進歩といえるものであった。生産の方法も手工芸から機械に変わり、材料も木材のほかに鉄や真鍮(しんちゅう)(黄銅)などが必要になってきた。またこの時期、オーストリアのトーネットは曲木の技術を開発して安価な庶民用の椅子を生産した。19世紀の後半になると進歩的なグループによる家具の創作活動が始まった。モリスの美術工芸運動、マッキントッシュの活動、アール・ヌーボー運動などがそれである。なお、アメリカではこの時代にウィンザーチェアやシェーカー家具などが広く使われている。
[小原二郎・加藤 力]
19世紀の末から20世紀の初めにかけて、植物の曲線をデザイン要素に取り入れたアール・ヌーボー様式が流行し、フランス、ベルギー、イギリス、オーストリアなどで新しい形の椅子がつくられた。20世紀になると、材料と生産技術の革新によって、さまざまな椅子がつくられることになった。ドイツのバウハウスから生まれた金属パイプの椅子や量産方式の椅子などがその例である。フランスでもまた現代を象徴する椅子のデザインが生まれた。一方北欧ではデンマーク、スウェーデンなどを中心に工芸的な味わいをもつ木製の椅子の名作が数多く生み出されて注目を浴びた。またアメリカでは工業生産技術に重点を置いた椅子がつくられ、従来のイメージを変えるうえで大きな役割を果たした。さらにイタリアはデザインの自由さと創造性の豊かさで独特の地位を築いてきている。
[小原二郎・加藤 力]
日本では昔から平座式生活であった。その理由は気候、風土にあると考えられるが、温暖多湿にあう開放的な住まいづくりが大きく影響したことは否定できない。椅子はすでに奈良時代に中国から輸入されて、朝廷および一部の公的な場所で使われていた。倚子(いし)、床子(しょうじ)および曲彔(きょくろく)がそれである。現存するものでもっとも古いものは正倉院の赤漆槻胡床(あかうるしつきのこしょう)である。京都御所紫宸殿(ししんでん)御張台(みちょうだい)の御倚子も同じ形式で、朝儀の際天皇が用いた。これは四角な座に4本の直線形の脚と背もたれ、および肘掛けがついたものである。貴族や朝臣はスツール形式の床子を使ったが、それらは官位によって高さと意匠が区別されていた。一方寺院では平安時代以降、曲彔を儀式用として使用した。これは曲線形の中国風の椅子である。
江戸時代にオランダやポルトガルとの通商が始まると、長崎の公館では椅子が使われた。明治になって西洋の文化や生活様式が輸入され、官庁、商社の建物が洋風化し、学校と軍隊が腰掛けを採用することによって椅子は公共の場所に普及し始めた。しかし住宅においては椅子の使用は上流階級の間だけで、一般庶民が椅子式の生活をするようになったのは第二次世界大戦以降のことである。椅子はまず食事用として使われたが、その後住宅の中に洋間が普及したため、現在では椅子式の住まい方はごく普通のものになり、椅子の需要は著しく増大してきている。
[小原二郎・加藤 力]
『鍵和田務著『椅子のフォークロア』(1977・柴田書店)』▽『『暮しの設計』第126号「世界の椅子」(1979・中央公論社)』▽『小原二郎著『人間工学からの発想』(1983・講談社)』
英語のチェアchairは背もたれとひじ掛けを備えた座具のことで,17世紀ごろまで王侯・貴族や領主など社会的地位のある人たちが使う権威のいすを意味し,スツールなどの実用的な腰掛けとは明確に区別されてきた。いすは自己の権威を部族の人たちに誇示し,権力者として他より高い位置とふさわしい姿勢を保持するために生み出されたものと思われる。生産技術のきわめて低い原始的な部族社会では,自然の石片や木の切株などが首長の権威のいすとして使われたが,木材や石材の加工技術が発展すると,三脚または四脚式の腰掛けが作られ,古代国家の成立にともなってひじ掛けいすへと発展する。そこでは階級差によって座姿勢が厳然と区別されていた。
古代エジプトをはじめオリエント諸国では,いすは王侯・貴族の社会的地位と権力を示すための家具であり,一般庶民は床の上に直接座る床座式生活をとっていた。エジプトのいすは古代ギリシアの市民生活のなかに採り入れられ,実用的な座具として定着し,形態も単純化された。議員や役人が公的な場所で使用する折りたたみ式のディフロス・オクラディアスdiphros okladias,学校や陶器を製作する工房などで使う作業用四脚式のディフロス,家庭の主婦たちが日常生活で使うクリスモスklismosとよぶ軽快ないすなどが,古代ギリシアの代表的ないすである。ローマ人はギリシアのいすをそのまま継承したが,帝政期になると,豪華な彫刻装飾が加えられ,いすが再び権威を示す傾向を示した。大理石やブロンズで作られた玉座ソリウムsolium,執政官や元老院議員が執務用に使用したX脚・折りたたみ式のセラ・クルリスsella curulis,ギリシアのクリスモスを模した婦人用のカテドラcathedraなどが,ローマ時代の代表的ないすである。中世初期の民族移動と社会変革とによって,古代のいすの伝統は失われ,代わって衣類や貴重品を収納するチェスト(櫃(ひつ))が中世のいすの原型となる。これに背板とひじ掛け用の側板が付加されると,座部が蓋付きの収納箱となった典型的なハイバック(高い背もたれ)式の領主や司教用のいすとなる。
ルネサンスになると,イタリアではダンテスカdantescaやサボナローラsavonarolaとよばれる古代ローマ風の折りたたみ式のいすが上流階級の社交生活で愛用された。またフィレンツェ産のタピスリーをシートとバックに張ったひじ掛けいすや豪華な彫刻で飾ったカッサパンカcassapancaとよばれる長いすなどは,公的な社交用の家具であった。これらのいすはフランスやイギリスの上流社会にも導入された。貴婦人の腰の張ったファージンゲール・スカートなど,衣装の流行にあわせたさまざまな形の洗練されたいすも作られた。17世紀のフランスでは,宮廷生活において貴族たちの家柄と地位がとくに重視され,金箔を施した彫刻やゴブラン織で飾られた豪華で重厚ないすが社会的権威の象徴として,その性格をいっそう強めることになった。イギリスではジャコビアン様式のパネルバック・チェアや正装した貴族たちの容姿を引き立てる〈かつらいす〉とよばれる豪華なハイバック・チェアなどが人気を博した。18世紀になると,ルイ15世のベルサイユの宮廷をはじめ,パリ市内では上流貴族を中心にした優雅な社交生活を楽しむサロンが頻繁に開催された。優美な曲線をもち,花柄のタピスリーを張り,白鳥の羽毛を充てん材としたロココ様式のいすは座りごこちの良さと形態美の点でサロン生活には最適であった。腰幅の広いパニエを着用した貴婦人にはカナペcanapéという長いすが考案された。イギリスではアン女王の時代に湾曲したカブリオール脚がいすに採用され,軽快なロココ調のいすが流行した。また,シノアズリーを反映して,ロンドンの家具師チッペンデールは中国風の,マホガニーを用いたいすを製作した。18世紀後期になると,いすの脚は曲線のカブリオール脚から直線の先細り形に変わり,古典モティーフが装飾として採り入れられた。イギリスでは古典主義の建築家ロバート・アダムが背もたれに盾形・卵形・ハート形などの意匠を採り入れ,厳しい比例による古典様式のいすを流行させた。19世紀前期には古代ローマのデザインを採り入れたナポレオン1世のアンピール様式(アンピールは〈帝政〉の意)のいすが流行,この様式はイギリスではリージェンシー様式とよんで軽快なギリシア風のデザインを示し,ドイツ・オーストリアではビーダーマイヤー様式とよばれ,簡潔で機能性に富んだ形式として一般市民の生活に浸透した。19世紀中期から後期にかけて,ビクトリア様式の豪華ないすが人気を博した。1820年代になるといすの座りごこちを良くするためにコイル・スプリングが用いられた。素朴なカントリー調のウィンザー・チェアが流行したのもこの時期である。世紀末にはアール・ヌーボーのデザイン革新運動が,伝統と決別して植物形態などを採り入れた新しい形のいすを生み出した。それは1925年のパリの国際装飾美術展を契機に展開したアール・デコによって幾何学的ないすの造形へと変化していった。他方,ドイツのバウハウスでは機能主義の立場から,合理的で量産可能な形態のいすを追求した。人間工学の研究や新しい工業材料の開発を通して,いすの機能と形態は著しい発展をとげた。
いす造りは家具製作のなかでは高度な技術が要求されたので,古い時代から専門化した職分であった。古代ギリシアでは,家具の製作にはいすやテーブルなど,種目ごとに専門の職人が従事した。玉座を造る職人はトロノポイオイthronopoioiとよばれ,指物技術と彫刻にたけたものであった。中世期の木製家具製作ははじめ大工の仕事であったが,精巧な組手工法の発展にともなって,板張り構造のいす造りは指物師,ろくろ加工のいす造りは挽物(ひきもの)師の職分に分かれ,それぞれギルド(組合)が結成された。このようなギルド組織はルネサンスを経て18世紀まで保持された。フランスでは1743年に指物師のギルドから,木材の造形加工から一貫したいす造りを専門とする〈組立て指物師の組合〉が独立し,ロココの洗練されたいすを製作した。フランス革命のさなかの1791年には国内のすべてのギルド組織は解体され,これまで親方の資格がないといす造りの工房をもてなかった制限も撤廃され,だれでも自由にいす造りの工房を開設することができるようになった。そのために技術水準が著しく低下したことは否定できないが,19世紀後期には木材の加工機械が発達し,いす造りは職人の手造りの時代から,工場における機械生産の時代に変わった。
いすは形態,用途,構造,材料の面から分類することができる。形態の面からは,スツール,サイド・チェア(小いす),アーム・チェア,長いす,寝いす,ロッキング・チェアなどに分けられる。用途の面からは,作業を目的とする事務用いす,学習いす,ダイニング・チェアなどと,休息を目的とする安楽いす,ソファ,デー・ベッドなどがある。構造の面からは,固定式,折りたたみ式,回転式,リクライニング式,組合せ式および組重ね式などに分けられる。材料の面からは木製,金属,プラスチック,籐(とう)などに分けられるが,さらに材料の加工技術の面からは,挽物,曲木,成形合板,鋼管などにも分類することができる。また座面にクッション性を与える充てん材料にはわら,綿布,羊毛,羽毛,獣毛,コイル・スプリング,波状スプリング,フォーム・ラバー,ウレタン・フォームなどが使用されている。
いすの機能をチェックするポイントは,さまざまな生活目的に対応する生活姿勢を正しく保持し,疲労を感ずることなく長時間快適に座ることができるか否かにある。人間工学は,いすの機能的研究に大きな成果をもたらした。この成果をもとにして,よいいすを選定する条件をまとめると,(1)いすの座高と奥行きが自分の脚部の寸法に適合すること,(2)座面の体圧分布が坐骨結節に集中していること,(3)シートと背もたれの位置と傾斜角度が正しい姿勢の保持に適合していること,(4)いすのシートの弾性が適性であるか否かをチェックすることである。
執筆者:鍵和田 務
中国でも古くは地上に莚(むしろ)を敷いて座る生活であったが,後漢末期になって台床の上に座るようになり,また胡床(こしよう)とよぶ折りたたみ式交椅(こうい)が使われだした。しかし,当時の中国では腰掛けることははなはだしい不作法とされていたため,胡床は特異な風俗と見られていた。次の魏・晋時代になると胡床も一般的になり,背もたれ付きの胡床もあらわれた。また台床や榻(とう)もさらにさかんに用いられ,これらの上に手すりが付けられたり,凭几(ひようぎ)などがくふうされるようになり,この時期についに地上に莚を敷く習慣は改められることになった。さらに隋代になると胡床は交椅と名が変わり,唐代には縄床と呼ばれた(縄床は胡床と直接的にはつながらないとする説もある)。同時に唐代には西方文化の影響で四脚形式のいすも採り入れられ,以後いす文化は急速に発展し,やがて宋初のころには中国人の生活様式は腰掛け式のいす座に改まり,明・清代には多種多様ないすがつくられた。
近代に至るまで,床座(ゆかざ)(直接床の上で生活すること)をとってきた日本では,いす文化は発達していない。いすは欧米の場合腰掛けて使うが,日本や中国では上に乗って趺座(ふざ)しても使い,とくに日本の中世まではこれが主であった。また日本のいすは中国とのかかわりが深かった。イスを現在では〈椅子〉と書くが,これは鎌倉時代以後で,平安時代には〈倚子〉と書きイシとよんでいた。
日本で最初にいすが使われたのは,埴輪のいすから判断して6~7世紀ころからと考えられる。中国から伝えられたと思われるが,古代日本では胡床とか呉床と書いて,〈あぐら〉とよんでいた。アは足,クラは倉や鞍などと同根の言葉で高いものの上に乗る状態をあらわしている。このため〈あぐら〉は特定の形のものをさすのではなく倚座具の総称であった。〈あぐら〉の種類には,折りたたみ式交差脚で座を皮や紐で張ったもの,同じく交椅で背もたれのつくもの,背もたれとひじ掛けのついた四脚形式の方椅,台床形式のものなどがあったと推定される。交椅は腰掛けて使い,その他は上に乗って趺座したようである。このうち位の最も高いものは方椅で,正倉院には,赤漆文欟木胡床という奈良時代の方椅がある。中国ではいす文化が発達していったのに対し,日本では平安時代以降その発達は止まってしまう。この時代のいすは,ほとんど朝廷と内裏(だいり)で用いられ,天皇,皇后,親王および中納言以上に限られ,しかももっぱら儀式用であった。形式は正倉院の胡床と同じで,天皇は黒柿,紫檀,皇后は螺鈿(らでん),皇太子は平文のいすで,毯代(たんだい)という敷物の上に置き,座の上に茵(しとね)を置いた。鎌倉・室町時代には禅宗の移入とともにいすが再び中国からもたらされ,種類も多くなり,禅僧が多くこれを用いた。中でも曲彔(きよくろく)が流行し,自然木を利用したいすや竹いすなども作られた。禅堂では,四脚形式のものは上に趺座し,交椅は腰掛け,背もたれには法被を掛け承足を置いた。中世にこれらを使ったのは僧たちだけで一般には普及しなかったが,戦国から桃山期にかけて再びいすが使われだした。織田信長は宣教師から贈られたビロードの大いすで閲兵したと伝えられ,大名や富裕階層の間では花見や茶会などにもさかんにいすを用いている。このころは曲彔交椅が多かったようで,高台寺に残る西王母蒔絵交椅や菊蒔絵交椅などは華麗な意匠をもつ。いすの流行は当時の南蛮趣味によるとも考えられるが,やはり中国の影響が大きかったと思われる。中国明代にいすは多彩に発達するが,人々がとりわけ好んだ曲彔交椅がおそらく桃山期に導入されたのだろう。しかし,こうして伸展するかにみえた日本のいす文化も江戸時代に入るとまったく停滞してしまう。そして明治時代になって新しい欧米のいす文化が流入してきたのである。
最初に洋式いすを採用したのは,学校,軍隊,鉄道など公共機関と宮廷や上流階級で,小学校や鉄道車両では初期からベンチが採用され,鹿鳴館などではイギリス,ビクトリア様式をモデルにした〈だるまいす〉が使われた。大正から昭和初期のころ,事務所や劇場などがいす式に変わり,住宅でも応接間や書斎にいすが採用されはじめるが,生活全般にわたっていす化するのは第2次大戦後である。
執筆者:小泉 和子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…48年に英会話の教科書をもじって,日常的な形式論理の無意味さや会話による意思疎通の不可能,それに伴う言語の解体,その帰結としての精神の崩壊という現代人の不安を如実に舞台化した《禿の女歌手La cantatrice chauve》(1950)を書き,〈反戯曲〉と副題をつける。さらに,言葉や事物がひとり歩きや自己増殖を始めて人間を圧倒する恐怖を黒いユーモアのうちに描く一幕物《授業La leçon》(1951)や《椅子Les chaises》(1952)などを発表し,50年代半ば以降いわゆる不条理劇の代表のひとりとして国際的評価を受ける。《無給の殺し屋》(1959)を転機に,主人公ベランジェを中心に展開する多幕物に進み,初期作品で失われていた物語性を回復し,《犀(さい)》(1958)の成功を経て《渇きと飢え》(1966)がコメディ・フランセーズで上演され,70年にはアカデミー会員に選ばれる。…
※「椅子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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