ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ギリシア史[近代]」の意味・わかりやすい解説
ギリシア史[近代]
ギリシアし[きんだい]
しかし独立後混乱が続き,初代大統領イオアニス・アントニオス・カポジストリアスは 1831年暗殺され,1832年イギリス,フランス,ロシア 3国の保護下に王国として再発足。初代国王オソンは外国人顧問に依拠して統治したため国民の反感を買い,追放。1863年デンマーク王家出身のゲオルギオス1世が即位。新王は 1864年民主的憲法を承認して内政を安定させるとともに,カリラオス・トリクーピス,アレクサンドロス・ザイミス,エレウセリオス・ベニゼロスらの有能な政治家を登用してテッサリア(1881),クレタ島(1908),多くのエーゲ海島嶼の獲得に成功。ゲオルギオス1世の子コンスタンティノス1世はバルカン戦争においてマケドニア南部を獲得。しかし第1次世界大戦勃発とともに親ドイツ的な国王と親イギリス・フランス的な首相ベニゼロスとの間に確執が発生。ベニゼロスは 1917年国王を追放,巧みな外交政策によって戦争を終結したが,1920年選挙に敗れて下野し,国王が復位。しかし,オスマン帝国との戦争(1921~23)に敗れて,王制廃止。共和制下でしばらく混乱が続き,ベニゼロスの再登場(1928~32)で一時安定したが,経済危機によって再び混乱が生じ,1935年ゲオルギオス2世が復位。第2次世界大戦中はドイツ,イタリアに占領され,国王政府はエジプトのカイロに亡命,国内では親共産ゲリラのギリシア人民解放軍 ELASが王党派,共和派勢力を圧倒。しかしイギリスの介入で 1946年に国王の帰国が実現,1946~49年のギリシア内乱のあと,ようやく政情が安定した。
1967年軍事クーデター(→ギリシア・クーデター)が起こり,国王コンスタンティノス2世は国外に亡命,軍事独裁政府が成立するが,1974年キプロス島の領有をめぐるトルコとの戦争に敗れて軍事政権は崩壊。1974年コンスタンティノス・カラマンリスが首相に復帰して立憲体制が確立された。1981年10月アンドレアス・パパンドレウ首相のもとに社会主義政権が成立。1990年3月にはコンスタンティノス・ミツォタキスの率いる新民主主義党が総選挙で圧勝,保守派単独政権が発足。1993年10月総選挙でパパンドレウ前首相率いる全ギリシア社会主義運動 PASOKが勝利し,政権に返り咲いた。
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