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ギリシア史[近代] ギリシアし[きんだい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ギリシア史[近代]
ギリシアし[きんだい]

ローマ帝国分裂後,ビザンチン帝国の中核を形成。7世紀スラブ人,9世紀アラブ人,10世紀末ブルガリア人,11~12世紀ノルマン人,13世紀十字軍,ベネチアの侵攻を受け,14~15世紀ペロポネソス半島南部にギリシア人国家モレア帝国が出現したが,1460年オスマン帝国に敗北。その支配時代には厳しい抑圧と搾取を受けたが,オスマン帝国の首都イスタンブールに商業貿易を営む裕福なギリシア人中産階級が発生し(→ファナリオテス),17世紀から官界にも進出。他方オスマン帝国政府によって組織されたペロポネソス半島のギリシア人自警団アルマトロイがパルチザン化して部分的に自治を達成。アルバニアのアリー・パシャの反乱を機に 1821年アレクサンドロス・イプシランディスを頭目とするオデッサの「フィリキ・エテリア」が蜂起,ルーマニアに侵入。これに呼応してギリシア本土各地で反乱が勃発。1822年独立を宣言,1829年独立を達成(→ギリシア独立戦争)。
しかし独立後混乱が続き,初代大統領イオアニス・アントニオス・カポジストリアスは 1831年暗殺され,1832年イギリス,フランス,ロシア 3国の保護下に王国として再発足。初代国王オソンは外国人顧問に依拠して統治したため国民の反感を買い,追放。1863年デンマーク王家出身のゲオルギオス1世が即位。新王は 1864年民主的憲法を承認して内政を安定させるとともに,カリラオス・トリクーピス,アレクサンドロス・ザイミス,エレウセリオス・ベニゼロスらの有能な政治家を登用してテッサリア(1881),クレタ島(1908),多くのエーゲ海島嶼の獲得に成功。ゲオルギオス1世の子コンスタンティノス1世はバルカン戦争においてマケドニア南部を獲得。しかし第1次世界大戦勃発とともに親ドイツ的な国王と親イギリス・フランス的な首相ベニゼロスとの間に確執が発生。ベニゼロスは 1917年国王を追放,巧みな外交政策によって戦争を終結したが,1920年選挙に敗れて下野し,国王が復位。しかし,オスマン帝国との戦争(1921~23)に敗れて,王制廃止。共和制下でしばらく混乱が続き,ベニゼロスの再登場(1928~32)で一時安定したが,経済危機によって再び混乱が生じ,1935年ゲオルギオス2世が復位。第2次世界大戦中はドイツ,イタリアに占領され,国王政府はエジプトのカイロに亡命,国内では親共産ゲリラのギリシア人民解放軍 ELASが王党派,共和派勢力を圧倒。しかしイギリスの介入で 1946年に国王の帰国が実現,1946~49年のギリシア内乱のあと,ようやく政情が安定した。
1967年軍事クーデター(→ギリシア・クーデター)が起こり,国王コンスタンティノス2世は国外に亡命,軍事独裁政府が成立するが,1974年キプロス島の領有をめぐるトルコとの戦争に敗れて軍事政権は崩壊。1974年コンスタンティノス・カラマンリスが首相に復帰して立憲体制が確立された。1981年10月アンドレアス・パパンドレウ首相のもとに社会主義政権が成立。1990年3月にはコンスタンティノス・ミツォタキスの率いる新民主主義党が総選挙で圧勝,保守派単独政権が発足。1993年10月総選挙でパパンドレウ前首相率いる全ギリシア社会主義運動 PASOKが勝利し,政権に返り咲いた。

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