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ルソー ルソー Rousseau, Henri Julien Félix

17件 の用語解説(ルソーの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ルソー
ルソー
Rousseau, Henri Julien Félix

[生]1844.5.21. ラバル
[没]1910.9.2. パリ
フランスの画家。素朴派の代表的画家。 1863年より公証人の事務員となり,同年から 68年まで兵役につく。 69年からパリの入市税関の雇員となり,いわゆる「日曜画家」として仕事の余暇に絵を描き,93年に退職して職業画家となった。

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ルソー
ルソー
Rousseau, Jean-Baptiste

[生]1671.4.6. パリ
[没]1741.3.17. ブリュッセル
フランスの詩人。傲慢な性格と痛烈な風刺詩のために敵が多く,国外追放を宣告されてスイスウィーンと放浪し,一時ひそかに帰国したのち,ブリュッセルで客死。生前はマレルブやボアローの後継者とみなされ名声を博したが,死後すぐに忘れ去られた。

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ルソー
ルソー
Rousseau, Jean-Jacques

[生]1712.6.28. ジュネーブ
[没]1778.7.2. エルムノンビル
フランスの作家,思想家。当時の人工的退廃的社会を鋭く批判,感情の優位を強調し,「自然に帰れ」と説き,ロマン主義の先駆をなした。思想,政治,教育,文学,音楽などの分野において根本的な価値転換作業を行い,近代思想に多大の影響を与えた。

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ルソー
ルソー
Rousseau, (Étienne-Pierre-) Théodore

[生]1812.4.15. パリ
[没]1867.12.22. バルビゾン
フランスの画家,版画家。 C.レモン,G.ルチエールに師事し,主として風景画を描いた。オーベルニュを旅行したのち,1831年サロンに初出品。 33年頃からフォンテンブロー地域を訪れ,40年代なかばにバルビゾン村に定住し,ミレーらとバルビゾン派を形成。

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ルソー
ルソー
Rousseaux, André

[生]1896
[没]1973
フランスの批評家。 1936年以後『フィガロ』紙の文芸欄担当。カトリックの立場から批評を展開した。主著『20世紀の文学』 Littérature du XXe siècle (7巻,1938~61) ,『古典の世界』 Le Monde classique (42~51) 。

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ルソー
ルソー
Rousseaux, Eugène

[生]1827
[没]1891
フランスの陶芸家,ガラス工芸家。パリでルイ・ソロンと共同の陶芸工房を営んでいたが,F.ブラックモン (1833~1914) が 1867年日本の北斎漫画に拠った絵付けのサービスセットを発表したことに触発され,その年よりガラス工芸に転向し,日本的なモチーフの作品を発表。

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デジタル大辞泉の解説

ルソー(Henri Rousseau)

[1844~1910]フランスの画家。もと、税関吏として知られる。独特の幻想世界を色彩豊かに描いた。

ルソー(Jean-Jacques Rousseau)

[1712~1778]フランスの啓蒙思想家・小説家。スイス生まれ。「学問芸術論」で人為的文明社会を批判して自然にかえれと主張、「エミール」では知性偏重の教育を批判した。また、「社会契約論」では人民主権論を展開し、フランス革命に大きな影響を与えた。著書はほかに「人間不平等起源論」「告白録」など。

ルソー(Théodore Rousseau)

[1812~1867]フランスの画家。バルビゾン派中心人物。風景画における大気の効果を追求、印象派の先駆者とされる。

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百科事典マイペディアの解説

ルソー

フランスの画家。マイエンヌ県のラバル生れ。独学で絵を修め,税関の職員だったため,le Douanier Rousseau(税関吏ルソー)という愛称で呼ばれた。パリの情景や熱帯地方のエグゾティックなテーマを素朴な筆致で明快に描き,童話的・空想的な独特の世界を展開。
→関連項目世田谷美術館ブラウエ・ライター

ルソー

フランスの思想家,文学者。ジュネーブ生れ。貧困の中で徒弟時代を過ごし,旧体制下のフランス,イタリアを放浪した。1731年からバラン夫人のサロンに出入したのち,1742年パリに出て百科全書派と交友,《百科全書》に寄稿した。
→関連項目アンシクロペディスト一般意思教育学菜食主義サン・ピエール社会契約説社会契約論石陽社直観教授中江兆民ニュー・ヒューマニズムヒュームベッカリーアベルナルダン・ド・サン・ピエールメロドラマラモーロマン主義

ルソー

フランス,バルビゾン派の代表的画家。パリ生れ。風景画家の伯父に学び,また17,18世紀のオランダ絵画やコンスタブルなどからも影響を受け,平明で親しみやすい自然風景を描いた。
→関連項目デュプレミレー

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とっさの日本語便利帳の解説

ルソー

われわれは生まれると競技場に入り、死ぬとそこを去る。その競技用の車をいっそう上手くあやつる術を学んだとて何になろう。いまとなっては、ただどんなふうに退場したらよいかを考えればよいのだ。老人の勉強は、老人にもまだ勉強することがあるとすれば、ただ一つ、死ぬことを学ぶことだ。\ルソー
フランスの思想家(一七一二~七八)。

出典|(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」
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世界大百科事典 第2版の解説

ルソー【Henri Rousseau】

1844‐1910
フランスの画家。ラバル生れ。リセ中退後,兵隊生活,法律事務所見習をへて1871年パリで入市税関収税吏の職につき,かたわら趣味として絵を始めた。〈ル・ドゥアニエLe Douanier(税関吏)〉とか〈ドゥアニエ・ルソー〉と呼ばれるのはこのためである。84年に国立美術館における模写の許可を得,このころから本格的に絵と取り組み,86年以降没するまでほぼ定期的にアンデパンダン展に出品。93年入市税関を退職し年金を得て制作に没頭するようになる。

ルソー【Jean‐Jacques Rousseau】

1712‐78
フランスの思想家,文学者。スイスのジュネーブに生まれた。父は腕のよい時計職人で,共和国ジュネーブの意志決定機関である総評議会のメンバーであった。ジャンジャックは生後すぐ母と死に別れた。出産が原因だったといわれている。父はまた母を亡くしたジャン・ジャックをただ愛するばかりではなかったようである。彼はまたこの父から市民としての誇りと祖国愛を学んだ。辛い徒弟時代を終える前にルソーはジュネーブを去り,放浪生活を経て,シャンベリーのバラン夫人のもとへ身を寄せた。

ルソー【Théodore Rousseau】

1812‐67
フランスのバルビゾン派の画家。商人の子としてパリに生まれ,親戚の風景画家ポー・ド・サン・マルタンPau de Saint‐Martinの影響で幼いころから自然に親しんだ。エコール・デ・ボーザール(国立美術学校)でも学んだが,パリ近郊の戸外での習作を多くし,またオランダ17世紀の風景画や,コンスタブルボニントンらの影響を受けた。初期にはロマン主義的な大胆な構図を特徴とする自然への愛情に満ちた作風で頭角を現した。

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大辞林 第三版の解説

ルソー【Rousseau】

〔Henri R.〕 (1844~1910) フランスの画家。税関吏をやめた四二歳頃から本格的に絵を描き、純朴で幻想的・エキゾチックな画風を打ち立てた。
〔Jean-Jacques R.〕 (1712~1778) フランス啓蒙期の思想家・小説家。「人間不平等起源論」「社会契約論」などで文明や社会の非人間性を批判、独自の人民主権思想を説いてフランス革命の先駆となった。啓蒙主義を超えて、自然状態の理想化やロマン主義もみられ、全人教育論「エミール」、自伝的作品「告白録」、小説「新エロイーズ」など多面的な著作を残した。
〔Théodore R.〕 (1812~1867) フランスの画家。バルビゾン派の一人。風景画を描き印象派への先駆となった。

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世界大百科事典内のルソーの言及

【一般意思】より

…彼は一般意思を各個人の特殊意思とは区別して,全人類の一般的かつ共通の利益に基づくものとし,これによって自然法を根拠づけた。これに対してルソーは,《政治経済論》においてこれを単一の存在たる政治体の意思とし,さらに《社会契約論》において国家理論の中心概念として位置づけたのである。ルソーによれば,国家は各個人が自己を共同体全体に対して全面的に譲渡するという全員一致の契約によって設立される。…

【エミール】より

J.J.ルソーの教育論で,人間論の地平からの旧体制批判の書でもある。1762年に刊行されるとすぐにパリ高等法院に摘発された。…

【学校】より

…イギリスのJ.ロックも,当時の学校におけるスコラ的な古典知識のつめ込みに強く反対し,伝統的な修辞学や論理学より数学の教育を重視していた。 ロックや,それに続くルソーにみられるのは,家庭教育の重視である。人間にとって自由・平等が重要であると自覚した近代市民革命では,精神の自由を獲得するうえで教育は権利として重視され,その自由にとって学校という集団で行う教育はなじまないと考えられた。…

【共和制】より

…その後,共和派内部では,独立派IndependentsとレベラーズLevellers(水平派)の対立が激化し,前者が勝利することになるが,その時期にレベラーズが,3次にわたって提出した〈人民協約Agreements of the People〉(1647)は普通選挙に基づく徹底した共和制を唱えている。またルソーは,構成員全員一致の社会契約によって成立した共同体のみを国家,共和国と呼び,一体としての人民をその主権者としたが,これは共和制理念と人民主権論との結びつきの,最も明確な理論的表現である。共和【吉岡 知哉】。…

【啓蒙思想】より

…なおモンテスキュー,ディドロらに典型的な例が見られるように,非西欧社会へのとらわれのない見方が一部に定着しつつあることも注目に値しよう。とはいえ,なおブルジョア的個人主義にもとづく啓蒙の社会哲学の一面性,形式性は,ルソーを先駆とするロマン派の一連の共同体論による批判を呼びおこすことになる。
[経済思想]
 新興市民階級の立場からする生産と流通,分配といった経済現象の分析が,ロック,ケネー,スミスらによって発展せしめられた。…

【劇場】より

…さらに劇場という言葉は中世以来,庭や鏡などの言葉とともに集成や大成の意でしばしば書物の題名に用いられてきたが,これも同じ理由によるものである。【横山 正】
【人々にとって劇場とはいかなる場であったか】
 1758年,ジュネーブ生れの哲学者ジャン・ジャック・ルソーは,彼の故郷の町に大きな劇場を建てるように勧める友人のダランベールに対して,私たちが必要としているのは〈陰気な顔をした少数の人を閉じ込めておく暗い洞窟〉のような劇場ではありませんと,長い反論を書き送った。 この《ダランベールへの手紙》におけるルソーの反劇場論の基礎には,古代ギリシアの哲学者プラトンの反演劇論がある。…

【合意】より

…ホッブズにおいては設立された政治社会の意思は君主の意思に体現されるため,君主の絶対性が結論されるが,自然状態における自然法の支配を前提とするロックは,政治社会の目的を自然権の保障とし,近代自由民主主義を基礎づけた。またルソーは政治社会の意思を一般意思と規定し,その現実化たる法の支配によって,自由と平等の理念の貫徹をはかった。このように,近代民主主義理論は治者と被治者の原理的同一性から出発しており,その区別を前提とする統治の観念との間に不断の緊張を生じる。…

【工作教育】より

…子どもの発達にとっても,この活動は重要な意義をもつ。文字による知識の注入に終始する教育に対し,工作=手の労働の意義に着目したのは,コメニウス,ルソーら一連の近代教育思想家であり,ルソーは《エミール》で〈事物を通しての教育〉を提唱し,これを受けてペスタロッチは生産労働と知的学習との結合の実践を進め,学校を読み書き学校にとどめず,事物にふれ,〈頭〉と〈手〉とを結びつける活動を通して子どもを可能なかぎり全面的に発達させる場に改めようとし,工作やこれに類する活動を尊重した。19世紀半ば以降,北欧に始まり,欧米諸国で公教育に工作を正規の教科として導入する動きが強まった。…

【告白録】より

…フランスの思想家ルソーの自伝作品。作者の死後,第1部が1782年,第2部が89年に刊行された。…

【子ども服】より

…木綿やウールなど耐久性,伸縮性,吸汗性のある布が使われ,身体が自由に動かせ,着脱の容易な形が選ばれる。子ども服が大人の衣服と区別されるようになったのは19世紀半ば以降で,ルソーの《エミール》を契機として,子どもの生活と人権が社会的に認識されてからである。ルソーは当時の乳児の包帯状のおくるみ(スワドリングswaddling)と,大人を模倣した服装は,発育期の子どもの精神と肉体の成長を妨げると指摘し,子ども独自の服装を提唱した。…

【児童文学】より

…しかし1744年にニューベリーJ.Newberyがロンドンのセント・ポール大聖堂前に,世界で初めての子どものための本屋をひらいて,小型の美しい本を発行し,伝承歌謡を集めた《マザーグースの歌(マザーグース)》やO.ゴールドスミスに書かせたと思われる初の創作《靴ふたつさん》を送り出した。しかし18世紀を支配したJ.J.ルソーの教育説はたくさんの心酔者を出して,児童文学は型にはまり,C.ラムは姉メアリーとともにこの風潮に反抗して,《シェークスピア物語》(1807)などを書いたが,児童文学が自由な固有の世界となるには,ペローやグリム,アンデルセンの翻訳をまたなければならなかった。しばしば子どもたちの実態を小説に描いたC.ディケンズは《クリスマス・キャロル》を1843年にあらわし,E.リアは滑稽な5行詩による感覚的なノンセンスの楽しみを《ノンセンスの本》(1846)にまとめた。…

【社会契約説】より

…これに対して,ロックはまず相互契約によって社会を構成した諸個人が,多数決によって選んだ立法機関に統治を委託すると説き,その目的を私有財産を含む個人の自由権の保障に求めることによって,権力に制限を加えた(《統治二論》1689)。 18世紀に入ると,社会生活の組織化が進み,また社会契約は歴史的事実でないという経験科学的批判が起こったが,その中でJ.J.ルソーはこの図式に新しい内容を与え,この理論の革命的意味を明らかにした。彼によれば,主権はつねに契約によって社会を構成した諸個人の全体すなわち人民にあり,この人民はそのまま立法機関として定期的に集合し,その意思すなわち一般意思を法として制定するが,その執行は別に政府を選んでこれにゆだね,しかも政府の存立は全面的に人民の信任に依存するのである(《社会契約論》1762)。…

【社会契約論】より

…1762年,オランダで出版されたJ.J.ルソーの著作。ルソーは社会契約によって正当な政治体(国家)が成立すると考えたが,この契約は18世紀において国家成立の基本原理と一般に考えられていた人民と首長とのあいだの統治契約(首長が人民を保護する代りに人民は首長に服従するという契約)ではなかった。…

【自由】より

…伝統的な価値秩序に代えて新しい秩序を構成しようとしたホッブズは,自由とは〈障害の存在しないこと〉であると定義したが,それは自然権としての消極的自由とともに,契約による秩序の構成という積極的自由をも含意するものであった。そして,この第2の側面は,ロックにおいては,私有財産権の保障を基礎に,政治社会の構成員として秩序を自発的に形成することが〈人間の自由〉であるとされるようになるし,またルソーはよりラディカルに,政治社会の再構成の担い手になることこそが自由を意味するとし,さらに〈自由であるように強制する〉ことまで説くのである。このような自由概念の展開は,君主主権論から国民主権論ないしは人民主権論への転換と表裏をなすものであったといえよう。…

【植物】より

…そして第3は農業生産に余裕ができ,それゆえ,有用植物以外の植物つまり観賞用の植物の開発が行われるようになった段階である。 J.J.ルソーは《人間不平等起源論》で〈人間はオークの下でどんぐりを腹いっぱい食べ,食物を提供してくれたその同じ木の下を自分のねぐらとしていた。しかし小麦の出現とともに人類は堕落した〉と述べて原始生活を賛美したが,逆にボルテールは〈小麦を知ってしまっているわれわれを,再びどんぐりの時代へと連れもどすな〉ということわざを使って,時代に逆行する試みをいましめた(《哲学辞典》〈小麦〉の項)。…

【新エロイーズ】より

…フランスの思想家J.J.ルソーが1761年に刊行した書簡体の恋愛小説。舞台は18世紀スイスで,貴族の令嬢ジュリーと平民の家庭教師サン・プルーとの身分違いの恋を描く。…

【生活教育】より

…教育を単に知識の教授に限定せず,子どもの性格に根ざし,子どもを主体的な生活者に育てようとする教育。その思想的源流はJ.J.ルソーに,実践的源流はJ.H.ペスタロッチに求めることができる。すなわち,ルソーは《エミール》(1762)で,当時のフランスの特権階級の教育がいかに人間の自然の発達をゆがめているかをするどく告発し,大地の上で額に汗して働く農民の生活こそが教育的機能を果たしている,と指摘し,〈農夫のように働き哲学者のように思索する〉人間の育成を教育の目標として示した。…

【センチメンタリズム】より

…だがこれは時代思潮の特質を語る概念でもあり,理性や秩序や調和を尊重する時代の反動として個人の感情や自由を謳歌する立場が生じるとき,これを総称するために用いられる。18世紀の啓蒙主義に対抗して現れたルソーの立場はその典型的な例であり,悟性偏重に反抗する19世紀のドイツ・ロマン主義の活動や,実証主義の時代を経て19世紀末から20世紀にかけて現れた〈生の哲学〉に流れる基調もこれに含められる。【細井 雄介】 そもそも〈センチメンタル〉なる英語がひろく用いられるようになるきっかけは,18世紀のイギリスの作家L.スターンの《センチメンタル・ジャーニー》(1768)であった。…

【ダフニスとクロエ】より

…母音を歌う合唱,古代ギリシアに由来するといわれるクロタル(古代風小型シンバル)などを加えた大編成の管弦楽は,この巨大な壁画を描くラベルの重要なパレットの役割を果たしている。同じ原作による作品として,他にグルックのフランス・オペラ《包囲されたキュテラ島》(1759),J.J.ルソーの未完のオペラ《ダフニスとクロエ》(1779)などがある。【小場瀬 純子】。…

【直接民主制】より

…そこで,近代以降の国民国家とその自治体のような複雑・異質な大社会では,ごくわずかな例外を除いて,代表民主制が採用されているわけであるが,代表民主制に機能不全が現れるたびに,直接民主政治への郷愁・憧憬が繰り返し語られることとなる。ルソーが《社会契約論》において,代表民主制のもとでは国民は選挙のときにのみ自由であり,選挙のあとは奴隷であると批判し,〈カシの木の下の民主主義〉を称揚したのはその一例である。 これに対して,直接民主制のもう一つの形態である直接立法制とは,レファレンダム(国民投票ないし住民投票)の制度とイニシアティブ(国民発案)の制度とを総称したものである。…

【ヒューム】より

…52年エジンバラ法曹会図書館司書,63年駐仏大使ハートフォード卿秘書,65年には代理大使を務める。66年ルソーを伴って帰国し保護に努めるが,ルソーから誹謗の張本人と誤解され確執に悩む。67年国務次官の職に就いた後,69年以降はエジンバラに定住,指導的文筆家として満ち足りた晩年を送る。…

【平等主義】より

… かくして近代平等主義の第3の契機は,ブルジョア革命によって真の自律性を与えられた資本制生産様式がその構造的必然として人間疎外と不平等とを生むことを論証し,私有財産制の否定に社会的平等の条件を見いだした社会主義思想である。すでに早く,《人間不平等起源論》において私有財産制に文明社会の悪の源泉を見いだしたJ.J.ルソーは,〈事物の力はつねに平等を破壊しがちであるから,法の力がこれを維持しなければならない〉(《社会契約論》)と述べていた。ルソーの直接の論難対象はアンシャン・レジームの身分制にあったとしても,後代の社会主義者にとって,〈事物の力〉を資本主義経済に,〈法の力〉を社会主義や共産主義の制度に読みかえることは容易であった。…

【フランス音楽】より

… しかしラモーのころ,時代は反古典主義の兆しをみせはじめていた。イタリアの喜劇一座によるペルゴレーシの幕間劇《奥様になった女中》の上演(1752)が,イタリア歌劇支持のJ.J.ルソーほか百科全書派をラモーたちフランス伝統派に挑戦させた一種の新旧論争であった〈ブフォン論争〉の火ぶたを切らせた。その際ルソーは自ら《村の占師》(1752)を作曲したが,これはオペラ・コミックに新しい道を準備したものといえるであろう。…

【フレーベル】より

… フレーベルの教育思想の根底には,汎神論的色彩の濃い宗教観と特有なロマン主義的世界観・人間観が横たわっているが,それはいわば生涯のテーマであった〈生の合一〉という理念に集約的に表現されている。教育思想史上の系譜からいえば,J.J.ルソーの自然主義や消極教育論,ペスタロッチの基礎陶冶論や民衆教育の思想,フィヒテの国民教育論などからの影響を強く受けているが,それらをふまえ,19世紀前半から中葉にかけてのドイツにおいて,近代的な統一国民国家の形成という歴史的課題をも念頭におきつつ,自由で自立的な国民の形成へと通じる人間教育の課題を,とりわけ幼児教育の領域で実践的に追求し,独自な教育の理論と思想を結実させていった。それは児童神性論や受動的・追随的教育論,共同感情論,人間の連続的発達観などによって特色づけられるが,なかでも子どもの自己活動の原理にもとづく遊びと作業教育の理論には,現在なお学ぶべきものが多く含まれている。…

【民族音楽学】より

…また,逆に民族音楽学における民族科学ethno‐science的な側面を強調して,この方法論を前面に出した研究のみを〈民族音楽学〉と呼ぼうという向きもある。 ヨーロッパにおける民族音楽学的な関心の萌芽はすでにJ.J.ルソーにみられ,その《音楽辞典》(1768)には中国やペルシアを含む異民族の旋律が数曲採譜・収録されている。しかしこの背景には,それに先立つ数多くのヨーロッパ人の旅行家,探検家,宣教師,交易商人らによる東洋,アフリカ,新大陸の旅行記に記された異国の音楽に関する民族誌の存在があった。…

【友愛】より

…そして,18世紀になって,観念体系の主軸に神に代わって〈人間〉を置く啓蒙思想がひろがるなかで,万人の〈人間性〉の完成と社会の〈進歩〉が人間としての理想とされた。たとえば,ルソーは,身分その他を超えてすべてのものに対して人間的であることを要請し,人間にとって〈人間愛以外になんの知恵があるか〉(《エミール》)と説き,カントは,理性的意志にもとづいて,隣人への愛を義務として自発的に実行することに真の道徳性をみた。このような人間性と進歩の理想は,友愛を人道主義的博愛(人間愛)として理念化し,教育や政治におけるイデオロギー的主導観念にまで高めた。…

【世論】より

…しかしこういう公論あるいは世論の解釈には,明らかに西欧市民国家の政治理論の影響がみられる。 西欧近代社会において世論opinion publiqueという語が初めてつかわれるのは,J.J.ルソーの《社会契約論》(1762)においてだとされている。そこでルソーは,世論を習俗や慣習と並んで〈国家の真の憲法をなすもの〉〈人民にその建国の精神(社会契約)〉を呼びさますものとしているが,それ以上の追求をしていない。…

【バルビゾン派】より

…名称は,パリの南東郊,フォンテンブローの森のはずれの村バルビゾンに由来する。T.ルソーは1847年より,ミレーは1849年よりこの村に定住し,ほかにジャックCharles Jacque(1813‐94),ドービニー,ディアズNarcisse Diaz de la Peña(1807‐76)らが長期ないし短期間住んで,ともに風景画の制作に励んだ。バルビゾン派の起源は,フランス国内ではG.ミシェル,バランシエンヌP.H.de Valenciennes,コローらの風景画が,構成された理想風景からしだいに離れて,自然観察をもとに現実の風景美をたたえるようになったこと,さらにはこのような流れをさかのぼると17世紀オランダの風景画があり,自国のありのままの自然をうたいあげるロイスダール,ホッベマ,ファン・オスターデらの作品が彼らを魅了したことが考えられる。…

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