改訂新版 世界大百科事典 「仏教文学」の意味・わかりやすい解説
仏教文学 (ぶっきょうぶんがく)
広義には仏典のすべてを指すが,狭義にはドラマ,比喩,修辞など一般通念としての文学的価値を含んだ仏典に限定して用いられる。それらは用いられた言語よりパーリ語仏教文学とサンスクリット仏教文学とに大別される。
前者の例としては,まず釈迦の生涯の事績を語る仏伝文学があげられる。これは律蔵の〈大品〉や経蔵の《大般涅槃経》などに古いものがみられる。次に,ジャータカ(本生話)は,釈迦が釈迦族の王子としてこの世に生をうける以前,天人,国王,大臣,長者,盗賊,あるいは兎,猿,象,孔雀などの姿で菩薩のすぐれた自己犠牲の行為を行ったことを物語る教訓説話で,その中には多くの民間説話,寓話,伝説がおさめられている。これは,経蔵中の〈クッダカ・ニカーヤ〉におさめられているが,他のインド文学の作品や《イソップ物語》《千夜一夜物語》にも共通する説話を保有する点で,世界文学史上においても重要な文献である。このほか,叙事詩形式のものとして,スリランカにおける仏教教団の歴史を描いた《ディーパバンサ》《マハーバンサ》をあげることができる。
サンスクリット仏教文学は紀元前後から現れはじめ,内容的には仏伝,讃仏,比喩に大別することができる。《マハーバストゥ(大事)》《ラリタビスタラ》などは主としてこのうちの仏伝文学といえる。しかし,仏陀を超人的存在とみなし,多くの説話や比喩を挿入するなど,パーリ語のそれとは趣を異にする。2世紀に出現した仏教詩人アシュバゴーシャ(馬鳴(めみよう))の《ブッダチャリタ(仏所行讃)》は,この傾向をいっそう推し進め,仏伝を一大文学として確立した作品で,高く評価されている。《サウンダラナンダ》《シャーリプトラ・プラカラナ》《大荘厳論経》なども馬鳴の巧みな文学的修辞によって書かれており,インド古典文学の先駆的意義をもつ文学作品として重要である。讃仏の例としては,馬鳴と同時代のマートリチェータが《シャタパンチャーシャトカ・ストートラ(百五十讃)》《バルナールハバルナ・ストートラ(四百讃)》を残し,インドから中央アジアにわたって強い影響を及ぼした。比喩文学(仏典では譬喩の字を用いる)は,たとえ,実例,過去の物語などを例にとって仏の教えを説くもので,仏弟子や信者たちの過去および現在の美談を扱った《アバダーナ・シャタカ(撰集百縁経)》《ディビヤ・アバダーナ》など一群のアバダーナ(比喩)文献が紀元後数世紀の間に生み出されている。11世紀のクシェーメーンドラの《アバダーナ・カルパラター》もまたこの中に入る。なお,ジャータカを美しいカービヤ調の文学作品にまで高めたアーリヤシューラの《ジャータカマーラー》も4世紀のサンスクリット仏教文学作品として忘れてはならないものである。
執筆者:田中 教照
中国
仏教がインドで芸術とのかかわりをもつようになったのは,紀元前後に起こった大乗仏教に始まる。両者の交渉は,図像による美術的形象化と並行して,言語による文学的修飾として現れた。ともに広義での荘厳(しようごん)である。中国への伝来仏教もこの2様式を伴っていた。中国という異質の文化へ仏教が浸透するためには,この荘厳化が必要であった。とくに言語を重んじ,しかも現実主義者である中国民族を感化するためには,教理をただ理法として説くよりも,巧みな譬喩を用いたり,美しい韻律で飾ったり,または起伏に富んだ物語形式を用いたりする方が効果的であった。すでに《論語》にこれらの要素はみられ,《老子》のアフォリズムは大部分が韻文である。また大乗仏典自体もこれらの要素を多く含んでいた。
かくて仏教が六朝時代以来中国人の精神に超越的・内在的な志向を開発するにつれて,中国人の側からも各種の因縁譚や霊験記が作られ始め,また唐代になると,仏教儀礼の庶民への定着に伴って,各種の讃歌や帰向文などが作られ,さらに禅の世界でも偈頌(げじゆ)や楽道歌など,高遠な理法を美しく凝縮した韻文に綴ったものが盛んに作られ,また伝誦された。また一方,経典の内容や仏教説話を講釈する〈語り物〉(俗講,変文)も民間に普及し(例えば目連尊者の地獄めぐり),以後の講唱文芸の母胎となった。また中唐のころから僧侶の側からも皎然・斉己・貫休などの詩人が出て一般詩人に伍し,この趨勢は宋代にも及んだ。中年から深く仏教に帰依した白居易が,自らの文学の営みを〈狂言綺語〉として自悔し,真実の求道との乖離(かいり)に悩んだことは有名である。
しかし宋代になると,士大夫の間に仏教(主として禅)の浸透が一般化するにつれ,仏教と文学の習合現象は著しく,禅僧の間からさえ文学と禅の相即を説く《文字禅》という詩文集が作られたりした。この流れは,日本の室町期の五山文学にまで波及した。しかし宋代の仏教文学は,全体として,深い人生観照や宗教的内省から吐露された作品は案外に少なくて,ただ仏教的観想や理想化された諦念に文学の衣装をまとわせたか,あるいは逆に,仏教によって文学に超越性のムードを帯びさせたというだけの例が大部分である。宋以後の中国の仏教文学については,〈宝巻〉などにみられる物語的な通俗仏教の講釈や,僧侶(主として堕落した)に取材した小説や戯曲がみられる程度で,篤実な信者や学者による帰依や研鑽の記録はあっても,それらが文学作品として開示されたという例はない。
執筆者:入矢 義高
日本
仏教文学という語は必ずしも明確に定義されてはいないが,仏教は日本の文学の歴史に広くその影を落としている。古くは,推古期や奈良朝期の金石文や〈仏足石歌〉などがあり,ほかにも多くの造像銘,墓誌,碑文,鐘銘などに仏教をたたえる詩文などがみえる。仏教歌謡としては和讃,教化(きようけ),訓伽陀(くんかだ),巡礼歌などがあり,《梁塵秘抄》の法文歌は,仏教経典の要旨などをみごとに歌謡としたものがあり,《賽の河原和讃》や巡礼歌は民衆に深く浸透したという点で注目すべきであろう。仏教儀礼に関係して作成される文芸には,説経,表白(ひようびやく),講式,願文,諷誦文,祭文などがあり,仏教儀礼の記録としては,受戒記,影供記,堂塔供養記,追善記などがある。仏教伝記としては往生伝,高僧伝などがあり,慶滋保胤(よししげのやすたね)の《日本往生極楽記》,大江匡房の《続本朝往生伝》,三善為康の《拾遺往生伝》,虎関師錬の《元亨釈書》など注目すべき作品がある。匡房の《本朝神仙伝》の中にも僧伝がみられる。寺院の縁起や由来記も古来より盛んに作成され,法会の由来などを記した法会縁起,伽藍の草創の由来を伝える伽藍縁起をはじめ,行状縁起,霊験縁起などもあって,なかには絵縁起の形態をとるものもあり,絵解きされる場合もあった。仏教説話文学としては,《日本霊異記》《日本感霊録》《三宝絵詞》があり,《今昔物語集》には多くの仏教説話を含み,それ以後の説話集《宝物集》《撰集抄》《沙石集》《雑談集》も仏教的色彩が強い。ほかに《私聚百因縁集》《三国伝記》《地蔵菩薩霊験記》などの仏教説話集もある。寺院の縁起と説話とを取り合わせたような作品に〈本地物(ほんじもの)〉があって,《熊野の本地》など室町期の御伽草子に多い。同様の本地物語はすでに南北朝期に成ったと考えられている唱導(しようどう)のテキスト,《神道集》に数多く収められている。御伽草子の中には〈出家遁世物〉〈懺悔物〉〈稚児物〉などもあって,《三人法師》《秋の夜の長物語》などの作品がある。以上のような仏教文学や唱導の影響を受けながら発生したと考えられる芸能に説経節,歌祭文,歌念仏があって,神仏の霊験を語るものが多い。その他に,仏教の教義を述べた仮名法語,仮名消息,あるいは,《入唐求法巡礼記》《参天台山記》などのように仏教聖地の紀行なども仏教文学として扱うこともできる。
執筆者:山内 若亡
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報