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如意輪寺 にょいりんじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

如意輪寺
にょいりんじ

奈良県吉野郡吉野町にある浄土宗の寺。延喜年間 (901~923) の頃に日蔵道賢が創建したと伝えられる。後醍醐天皇延元1=建武3 (1336) 年に吉野に移ったおりに,勅願所とした。楠木正行一族が,その名を壁に記し,寺院の扉に和歌を刻んで出陣した話で有名。慶安3 (1650) 年以前は真言宗に属した。

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デジタル大辞泉の解説

にょいりん‐じ【如意輪寺】

奈良県吉野郡吉野町にある浄土宗の寺。山号は塔尾山。開創は延喜年間(901~923)、開山は日蔵道賢。のち、南朝勅願寺楠木正行(くすのきまさつら)ら一族が出陣にあたり、名を本堂の壁板に記し、辞世の歌を1首残したと「太平記」は記す。

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デジタル大辞泉プラスの解説

如意輪寺

宮崎県延岡市にある寺院。717年創建。宗派は真言宗、本尊如意輪観音

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世界大百科事典 第2版の解説

にょいりんじ【如意輪寺】

奈良県吉野郡吉野町にある浄土宗の寺。塔尾(とうのお)山椿花(ちんか)院と号する。延喜年間(901‐923)日蔵道賢の創建と伝えられる。南北朝期,後醍醐天皇の吉野潜幸の際勅願寺となり,1339年(延元4∥暦応2)天皇が没するとともに堂後に陵を築いて塔尾陵(延元陵)と称した。1347年(正平2∥貞和3)12月27日,南下する北朝軍を迎え討とうとする楠木正行(くすのきまさつら)が,出陣にあたり本堂如意輪堂の壁板に将士一同の名を書き連ね,〈かへらじとかねておもへば梓弓なき数に入る名をぞとどむる〉と辞世の歌を残したことが《太平記》にみえる。

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大辞林 第三版の解説

にょいりんじ【如意輪寺】

奈良県吉野町にある浄土宗の寺。延喜年間(901~923)日蔵の開創。のち、南朝の勅願所となる。楠木正行まさつらが一族の姓名を本寺の過去帳に記し、本堂の扉にやじりで辞世の歌を書き記して四条畷に向かい討ち死にしたことが太平記にみえる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

如意輪寺
にょいりんじ

奈良県吉野(よしの)郡吉野町吉野山にある浄土宗の寺。塔尾山(とうのおざん)椿花院(ちんかいん)と号し、如意輪観音を本尊とする。草創は延喜(えんぎ)年間(901~923)日蔵道賢(にちぞうどうけん)によると伝えられる。南北朝時代の1347年(正平2・貞和3)楠木正行(くすのきまさつら)の一族郎党は最後の戦いに臨み、死を覚悟して当寺に詣(もう)で、髻(もとどり)を切り、壁板に名を録して、正行が扉に鏃(やじり)で「かゑらじとかねておもへば梓弓(あずさゆみ)なき数に入る名をぞとどむる」との辞世の歌を書き残した、という話はよく知られている。境内にはその髻塚や、堂の後ろに後醍醐(ごだいご)天皇の塔尾陵があり、寺宝には天皇ゆかりの品が多い。厨子入蔵王権現(ずしいりざおうごんげん)像(室町時代)は国の重要文化財。[森 章司]

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