吉野山の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良県吉野郡吉野町にある浄土宗の寺。塔尾(とうのお)山椿花(ちんか)院と号する。延喜年間(901-923)日蔵道賢の創建と伝えられる。南北朝期,後醍醐天皇の吉野潜幸の際勅願寺となり,1339年(延元4・暦応2)天皇が没するとともに堂後に陵を築いて塔尾陵(延元陵)と称した。1347年(正平2・貞和3)12月27日,南下する北朝軍を迎え討とうとする楠木正行(くすのきまさつら)が,出陣にあたり本堂如意輪堂の壁板に将士一同の名を書き連ね,〈かへらじとかねておもへば梓弓なき数に入る名をぞとどむる〉と辞世の歌を残したことが《太平記》にみえる。もとは密教の寺院であったが,1650年(慶安3)に文誉鉄牛が再興してより,浄土宗となった。寺宝のなかで,金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)の木像とそれを納める厨子は重要文化財に指定されている。
執筆者:木下 密運
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
奈良県吉野(よしの)郡吉野町吉野山にある浄土宗の寺。塔尾山(とうのおざん)椿花院(ちんかいん)と号し、如意輪観音を本尊とする。草創は延喜(えんぎ)年間(901~923)日蔵道賢(にちぞうどうけん)によると伝えられる。南北朝時代の1347年(正平2・貞和3)楠木正行(くすのきまさつら)の一族郎党は最後の戦いに臨み、死を覚悟して当寺に詣(もう)で、髻(もとどり)を切り、壁板に名を録して、正行が扉に鏃(やじり)で「かゑらじとかねておもへば梓弓(あずさゆみ)なき数に入る名をぞとどむる」との辞世の歌を書き残した、という話はよく知られている。境内にはその髻塚や、堂の後ろに後醍醐(ごだいご)天皇の塔尾陵があり、寺宝には天皇ゆかりの品が多い。厨子入蔵王権現(ずしいりざおうごんげん)像(室町時代)は国の重要文化財。
[森 章司]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新