如意輪寺(読み)ニョイリンジ

デジタル大辞泉 「如意輪寺」の意味・読み・例文・類語

にょいりん‐じ【如意輪寺】

奈良県吉野郡吉野町にある浄土宗の寺。山号は塔尾山。開創は延喜年間(901~923)、開山は日蔵道賢。のち、南朝勅願寺楠木正行くすのきまさつらら一族が出陣にあたり、名を本堂の壁板に記し、辞世の歌を1首残したと「太平記」は記す。

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精選版 日本国語大辞典 「如意輪寺」の意味・読み・例文・類語

にょいりん‐じ【如意輪寺】

[一] 奈良県吉野郡吉野町にある浄土宗の寺。山号は塔尾(とうのお)山。延喜年間(九〇一‐九二三)日蔵の創建。後醍醐天皇が吉野に行宮を定めた時に勅願所となる。正平二年(一三四七楠木正行が過去帳に一族郎党の名を控え、堂の扉に矢尻で「帰らじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」と辞世の歌を書き残し、四条畷に出陣したと伝えられる。
[二] 徳島市多家良町にある高野山真言宗の寺。山号は中津峰山。開創年代不詳。俗称を中津峰の観音といい、阿波三峰の一つ。

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日本歴史地名大系 「如意輪寺」の解説

如意輪寺
によいりんじ

[現在地名]吉野町大字吉野山

吉野山の泉湯谷せんとうだにを隔てた東側塔尾とうのお山腹にある。塔尾山と号し、浄土宗。本尊は如意輪観音。延喜年間(九〇一―九二三)日蔵道賢の開基と伝えられ、金峯山きんぶせん寺塔頭満堂派に属し、吉野朝の勅願寺であった。「太平記」巻二六(正行参吉野事)に、正平二年(一三四七)一二月楠木正行が延元えんげん(後醍醐天皇陵)に参拝、髻を埋めて辞世の歌を壁板に書いて出陣したと記している。「新葉集」に天授二年(一三七六)三月一一日如意輪寺で長慶天皇が後村上天皇の九回忌を行ったことが記され、「世泰親王かくれ給て如意輪寺にをさめ侍りし又のとし、従二位教子かの寺に籠り侍りけるに」などとみえる。

如意輪寺
によいりんじ

[現在地名]徳島市多家良町

中津峰なかつみね山の北側中腹にある。中津峰山と号し、高野山真言宗。本尊は如意輪観音。中津峰寺ともよばれ、中津峰の観音さんとも通称される。創建の時期等は不明。乾元二年(一三〇三)六月一六日の日付をもつ那賀山庄北俣那伊瀬権現託宣記(稲飯神社文書)が、応永二三年(一四一六)四月二日に「勝浦庄内宮居内中津峯金剛峯寺」で書写されている。この金剛峯寺は当寺のことと考えられる。

本尊木造如意輪観音坐像(国指定重要文化財)は鎌倉末期の作とされる。伝承によるとこの像は永正年間(一五〇四―二一)に傷みがはげしくなり、京都の仏師のもとへ修理に出したが返却されなかった。

如意輪寺
によいりんじ

[現在地名]金屋町中野

中野なかのの北部、早月谷はやつきたに川南側の小河岸段丘上にある。普門山慈雲院と号し、高野山真言宗、本尊如意輪観音。江戸時代には京都仁和寺末。空海の開基で、七堂伽藍の具備した寺院であったとの伝えがあるが(続風土記)、鎌倉時代以前は不明。応永年中(一三九四―一四二八)畠山氏が鳥屋とや(現金屋町)に拠って菩提寺とした。鳥屋城の城代神保氏は市場いちば(現同上)に館をもったが、同氏も当寺を菩提寺とした。

如意輪寺
によいりんじ

[現在地名]高野町高野山

小田原おだわら谷西端南側、現金剛峯こんごうぶ寺の向い側に位置する準別格本山。現在、本中院ほんちゆういん谷の親王しんのう院が兼務する。近世には西院さいいん谷の南、大門だいもん通に面してあったが、明治二二年(一八八九)の高野山略図ではほぼ現在地に描かれる(北隣に愛染院がある)。本尊は木造如意輪観音坐像(国指定重要文化財)で、寺名は本尊に由来する。開基は俊蓮房阿闍梨頼暹(文明五年諸院家帳)。「高野伽藍院跡考」は定願律師俊連房とするが伝未詳。

如意輪寺
によいりんじ

[現在地名]姫路市書写

書写山円教えんぎよう寺の東参道登口にある天台宗寺院。補陀落山と号し、本尊は如意輪観音。女人によにん堂と通称される。観応二年(一三五一)一一月日の年紀銘をもつ本尊の像底銘に「運慶五代孫 法眼康俊作 東寺大仏師」とあり、願主として伝灯大阿闍梨権少僧都昌尊、供養導師として書写山六二世長吏実祐の名がみえる。長保四年(一〇〇二)性空の開基、万治二年(一六五九)長雲の中興という。応永五年(一三九八)書写山が女人禁制となったことから女人巡礼の道場となり、女人堂と称された(以上「飾磨郡誌」など)

如意輪寺
によいりんじ

[現在地名]小郡市横隈

上内畑かみうちはたにある。真言宗御室派。清影山と号し、本尊は如意輪観音。孝謙天皇の勅願により行基が開創したという(元禄十年井上組寺社開基)。「校訂筑後志」によれば、久留米藩二代藩主有馬忠頼が茅舎一堂のみで退転した古刹を惜しみ、再興した。貞享元年(一六八四)松崎領の有馬豊範改易に伴い、寺堂は再び荒廃。幕府領下の元禄五年(一六九二)頃、郷民の助成で三間四面茅葺仏殿一宇と二間・五間半の茅舎一軒が再興された。現在は本堂・拝殿のほか境内に薬師堂、地蔵堂(道守地蔵)などがあり、西側の高みに八八ヵ所の石仏が安置される。

如意輪寺
によいりんじ

[現在地名]茨城町小鶴

涸沼前ひぬままえ川の右岸約二〇〇メートルの高台にあり、陸前浜りくぜんはま街道に面する。天台宗、竜谿山西楽院と号する。本尊は阿弥陀如来

寺伝によると平安時代の初め慈覚大師が東国を巡化のおり当地にとどまり開山したという。黒子くろご(現真壁郡関城町)千妙せんみよう寺末で、水戸十ヵ寺の一つであった。除地三石余、寺中一ヵ寺、末寺三ヵ寺、門徒七ヵ寺を有した。現堂宇は昭和一五年(一九四〇)の再建。

如意輪寺
によいりんじ

[現在地名]栃木市大宮町

光永こうえい寺の西方にある真言宗豊山派寺院。東醍醐山垂淋院原之坊と号し、本尊は大日如来。「下野国誌」では本尊如意輪観音とある。開基は不明だが応永年間(一三九四―一四二八)俊海が再興と伝え、当時は中仕上なかしあげ村にあったが平柳ひらやなぎ村に移り、さらに兵火にあったため現在地に移転したという。文明三年(一四七一)閏八月二三日奥付の僧俊増并俊能中陰記(醍醐寺文書)に「都賀郡如意輪寺道場入壇在之」とみえる。

如意輪寺
によいりんじ

[現在地名]友部町上市原

三島山明星院と号し、天台宗。本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば慈覚大師の開基で、大師みずから一寸八分の如意輪観音を刻んだところから寺名となったといい、保元年間(一一五六―五九)焼失したが、宍戸家政が再建。如意輪観音を守本尊として祈願所としたと伝える。

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改訂新版 世界大百科事典 「如意輪寺」の意味・わかりやすい解説

如意輪寺 (にょいりんじ)

奈良県吉野郡吉野町にある浄土宗の寺。塔尾(とうのお)山椿花(ちんか)院と号する。延喜年間(901-923)日蔵道賢の創建と伝えられる。南北朝期,後醍醐天皇の吉野潜幸の際勅願寺となり,1339年(延元4・暦応2)天皇が没するとともに堂後に陵を築いて塔尾陵(延元陵)と称した。1347年(正平2・貞和3)12月27日,南下する北朝軍を迎え討とうとする楠木正行(くすのきまさつら)が,出陣にあたり本堂如意輪堂の壁板に将士一同の名を書き連ね,〈かへらじとかねておもへば梓弓なき数に入る名をぞとどむる〉と辞世の歌を残したことが《太平記》にみえる。もとは密教の寺院であったが,1650年(慶安3)に文誉鉄牛が再興してより,浄土宗となった。寺宝のなかで,金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)の木像とそれを納める厨子は重要文化財に指定されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「如意輪寺」の意味・わかりやすい解説

如意輪寺
にょいりんじ

奈良県吉野(よしの)郡吉野町吉野山にある浄土宗の寺。塔尾山(とうのおざん)椿花院(ちんかいん)と号し、如意輪観音を本尊とする。草創は延喜(えんぎ)年間(901~923)日蔵道賢(にちぞうどうけん)によると伝えられる。南北朝時代の1347年(正平2・貞和3)楠木正行(くすのきまさつら)の一族郎党は最後の戦いに臨み、死を覚悟して当寺に詣(もう)で、髻(もとどり)を切り、壁板に名を録して、正行が扉に鏃(やじり)で「かゑらじとかねておもへば梓弓(あずさゆみ)なき数に入る名をぞとどむる」との辞世の歌を書き残した、という話はよく知られている。境内にはその髻塚や、堂の後ろに後醍醐(ごだいご)天皇の塔尾陵があり、寺宝には天皇ゆかりの品が多い。厨子入蔵王権現(ずしいりざおうごんげん)像(室町時代)は国の重要文化財。

[森 章司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「如意輪寺」の意味・わかりやすい解説

如意輪寺
にょいりんじ

奈良県吉野郡吉野町にある浄土宗の寺。延喜年間 (901~923) の頃に日蔵道賢が創建したと伝えられる。後醍醐天皇が延元1=建武3 (1336) 年に吉野に移ったおりに,勅願所とした。楠木正行一族が,その名を壁に記し,寺院の扉に和歌を刻んで出陣した話で有名。慶安3 (1650) 年以前は真言宗に属した。

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デジタル大辞泉プラス 「如意輪寺」の解説

如意輪寺

宮崎県延岡市にある寺院。宗派は真言宗。養老年間、行基が東海寺奥の院として建立したと伝わる。境内にある那智ノ滝は県の名勝に指定。

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