日本大百科全書(ニッポニカ) 「崇福寺(福岡市)」の意味・わかりやすい解説
崇福寺(福岡市)
そうふくじ
福岡市博多(はかた)区千代(ちよ)にある臨済(りんざい)宗大徳寺派の寺。横岳山(おうがくさん)と号す。1240年(仁治1)湛慧(たんえ)が大宰府(だざいふ)横岳に一宇を建て、翌年宋(そう)から帰国した円爾弁円(えんにべんえん)を迎えて開山としたのに始まる。1243年(寛元1)博多の承天寺とともに官寺に列し、1272年(文永9)には南浦紹明(なんぽじょうみょう)が来住して大いに禅風を挙揚した。1586年(天正14)焼失、1600年(慶長5)黒田長政(ながまさ)が現地に移し、春屋宗園(しゅんおくそうえん)を中興開山として再興。以後、黒田家の菩提(ぼだい)寺として栄えた。唐(から)門、山門、仏殿、黒田如水(じょすい)・長政画像は県指定文化財。黒田如水・長政ら代々の藩主の墓がある。
[平井俊榮]