文帝[隋](読み)ぶんてい[ずい](英語表記)Wen-di; Wên-ti

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「文帝[隋]」の意味・わかりやすい解説

文帝[隋]
ぶんてい[ずい]
Wen-di; Wên-ti

[生]大統7(541).6.13. 馮翊
[没]仁寿4(604).7.13. 岐州
中国,隋の第1代皇帝 (在位 581~604) 。姓名楊堅。廟号は高祖。漢人の名族弘農華陰の楊氏の系統を称するが,北鎮に居住し鮮卑族と混血した武将の家柄出身。父楊忠は西魏の功臣十二将軍の一人で,隋国公に封じられた。堅は娘が北周の宣帝の妃となると外戚として実権を握り,輔政の立場からやがて廷臣劉 昉,鄭訳らに擁立され,北周の宗室や反抗する武将尉遅迥 (うっちけい) らを破り,禅譲を受けて隋朝を建てた。帝は高けい,李徳林ら有能な臣僚をよく用い,「開皇律令」を発布して国制を整備し,六朝以来の九品中正制 (→九品官人法 ) を廃止し,科挙制を推進して貴族制を押えた。また州郡の重複を整理して一本化し,郷官を廃止し,中央吏部の官僚人事権を確立するなど中央集権を強めた。開皇9 (589) 年陳を平定して全国土を統一,北方の強敵突厥には懐柔策をもってあたった。内は節倹に努め,均田,租調役,府兵,郷里制により人民支配体制を確立,国富の充実をもたらした。政治に熱心であったが,疑い深く,王子高官をしばしば退け,太子楊勇を廃し,広 (のちの煬帝〈ようだい〉) を太子とするなどのちに禍根を残した。文献皇后の嫉妬のため,自由がきかなかったのも有名最後は太子広に暗殺されたとの説もある。

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