日本大百科全書(ニッポニカ) 「火」の意味・わかりやすい解説
火
ひ
普通、「火」は、空気中で可燃物質が行う酸化反応(燃焼)によるものであり、光と熱を発している状態、すなわち「炎」として見ることができる。
[岩城正夫]
人類と火
人類が火を使って生活していたという確実な証拠は40万~50万年前の北京(ペキン)原人の遺跡から発見されている。遺跡の灰の状態からみて、彼らは火を日常生活で恒常的に、つまり火を絶やさずに使っていたらしいが、そのためには焚火(たきび)ができなければならない。焚火が初期の人類にとって簡単であったとはいいきれない。焚火の技術の簡単でないことは子供に焚火をさせるとわかる。焚火の上手にできる子供が多いとはいえない。ところが火に対する興味は2~3歳の幼児にもある。火への興味の発生とそれを上手に扱うことの間には時期的にかなりのずれがある。同様なことが原始時代にもあったことが想像される。焚火ができるためには火の性質がある程度わかっていること、薪(まき)をくべるタイミングを判断し、作業ができることなどが必要である。そのためには何度か火に出会い、火を扱う機会がなければならないが、それ以前に火を恐れず火に近づく精神構造が確立されていなければならない。動物進化の長い歴史のなかで多くの動物は火を恐れ近づくことはなかったであろうが、人類の祖先は火に興味をもち、近づき観察し、いじくったりしたに相違ない。北京原人が毎日焚火をして生活していたということは、彼らが火の扱いに相当慣れていたということであり、それ以前に人類が火と接触するに至るまでの長い前史が想定されるのである。
人類と火とが出会い、北京原人が火を利用するまでに、少なくとも次の四つの段階が考えられる。(1)人類が山火事などの自然火に興味をもち始め、その残り火などに近づくようになる。(2)恐れつつも火に触れ、一段と興味を深め、触れる機会が増してついに慣れてしまう。(3)火の暖かさ、明るさを知り、利用できることを発見したが、その保存方法はわからない。(4)火を焚火により保存し、恒常的に利用する(北京原人の段階)。そして(5)として必要に応じて火がつくれる段階へと発展していく。(1)(2)は猿人の時代、(3)は猿人~原人の時代、(4)は原人の時代、(5)は旧人の時代と考えられる。(5)の場合、発火法は往復摩擦式の一種(たぶん火溝(ひみぞ)式)が用いられ、効率のよい回転摩擦式や火花式発火法はおそらく新人(クロマニョン人)の段階に発見されたと思われる。
[岩城正夫]
火の二面性
火は人間にとって実用面はもちろん、観念・宗教面においても重要な意味をもっている。人間は火を武器に寒さや猛獣などと戦い、さらに自然の動植物は火にかけられることによって人間の食物となり、土や鉱石は火の熱によって土器や金属器となり、原野は耕地(焼畑)になる。火の獲得は人間を自然・野生状態から文化的状態へと移行させたのであり、火はまさに人間の文化的存在者としての象徴である。そのような火の重要性は、火をめぐるさまざまな信仰や儀礼を生んできた。
火には生産的な側面と破壊的な側面がある。つまり、火は人間の統制下に置かれていれば多くの恵みをもたらしてくれるが、そうでない火、たとえば火山の噴火、山火事などは多くの災いをもたらす。この火の二面性がさまざまな火に対する意味づけの基盤をなしており、そのため一見相反する意味づけがなされることすらある。なお、火には光、明るさという側面と熱という側面の二つがあり、たとえば火への信仰が太陽崇拝の一形態として現れる場合などのように両者が不可分のこともあるが、本項目ではおもに熱としての火の意味を中心に述べ、光としての火は「灯火」の項を参照されたい。
[板橋作美]
火の起源神話
人間が火をどのようにして獲得したのかを説明する神話は多く、その内容もさまざまである。代表的な型として四つある。第一は神が人間に火を与えたとするものである。アフリカの民族集団のいくつかにこの種の神話があり、たとえばエチオピアのダラッサ人では、人間が神に火をねだったところ、神は死とともに火を与えてくれたという。第二はいわゆる盗火神話とよばれるもので、プロメテウスがゼウスのもとから火を盗んでくるギリシアの神話が代表例である。第三は体内型といわれ、神や人間や動物の体内から火が取り出されたとするものである。南米ガイアナのアロワーク人では、ある女性の女陰から火が出されたという。日本神話で伊弉冉尊(いざなみのみこと)から火神軻遇突智(かぐつち)が生まれ、そのとき伊弉冉尊は女陰を焼かれたという話もこれに類する。体内型はオセアニア、とくにメラネシアに多く分布し、やはり女性器から出現する神話が多いが、ほかに動物(とくに蛇)から火が取り出される話もある。そのほか、性行為によって火が出る神話も、ニューギニアのマリンド・アニム人などにある。この神話は発火法との関連がよくいわれる。第四は火獲得というより火神誕生の神話で、火神が親の神から生まれたとする。インドのアグニ神が代表例であるが、この類の神話では、北欧の「エッダ」のローキ神や『カレバラ』の火神のごとく、生まれるときに母神を焼き殺したり暴れ回ることが多く、日本の軻遇突智も一面ではこの型に入る。火の起源神話では、しばしば火の獲得とともに農耕や鍛冶(かじ)や土器づくりなどが人間にもたらされる。日本神話でも軻遇突智の出生の前後にそれらと関係する神々が生まれる。アフリカのドゴン人の神話では、鍛冶屋が火といっしょに穀物も盗んでくる。火の獲得が文化の発生であることを神話自身も語っている。また火とともに病気や死も人間界に導入されたとする神話も、プロメテウス神話をはじめ多い。
[板橋作美]
火神
火は、火そのものとして崇拝されることも少なくないが、神格化されて崇拝されることも多い。火神には、インドのアグニ神や日本の軻遇突智のような狭い意味での火神のほか、かまどや炉の神という形をとるものもある。一般に火神は神々のなかでは下のほうに位置づけられていることが多いが、同時に火神はしばしば他の神々と人間との仲介者として働く。アグニ神は「神々の口」といわれ、供物はアグニ神によって神々に届けられる。なお、火神や炉の神は家の守護神とされることも多い。
[板橋作美]
火の儀礼
火をめぐる儀礼のおもなものには火および火神に対する崇拝儀礼、火祭、鑽火(きりび)儀礼がある。ゾロアスター教のアタール崇拝は火神に対する崇拝儀礼の代表例である。中国では年末から年初にかけて、かまどの神を天に送りふたたび迎える儀礼が行われる。モンゴルでは食事のとき肉や乳の一部をまず火に捧(ささ)げる。鑽火の儀礼は日本の神社で古い時代から今日まで伝えられている。火祭には中国のイ族やナシ族の松明(たいまつ)祭、かつてのアステカの世紀末の大火祭、日本の鞍馬(くらま)(京都)や吉田(山梨)の火祭など、世界各地にみられる。ヨーロッパでも年中行事として各種の火祭があるが、とくに四旬節と夏至(げし)祭の火祭は盛大である。ヨーロッパの火祭はキリスト教改宗以前の土着の信仰、とくに火および太陽に対する崇拝が基盤にあると考えられる。
[板橋作美]
火と社会集団
火は人々を周りに集め、結合させる。そのため火をともにする人々が特定の社会集団単位となることがある。いくつかの言語で家族を意味する語が火に由来する。古代ギリシア語で家族をさす語エピスチオンは「かまどの傍らなる者」の意であり、フランス、イタリアの古語でも火が家族を表す。ヒンドゥー語圏では家族の語にかまどの語を用い、モンゴルでも同様に家族を表す語はかまどの意である。日本の「イエ」も「ヘ」(かまど)に接頭辞「イ」がついたものと考えられる。さらに、日本の徳之島(鹿児島県)の浜下(はまお)りという儀礼のときに一つのかまどをともにする集団はほぼヒキ(同族)ごとに形成される。また北アメリカの先住民5部族からなる連合体イロコイ同盟は聖火を連合の象徴としていた。
[板橋作美]
清浄・不浄と火
火は聖なるもので、火にごみなどの不浄な物を投げ入れてはならないとする信仰は北アジアのブリヤート人やサハ人など多くにみられる。とくに女性の月経と出産の穢(けがれ)を嫌い、日本をはじめとしてその間火を別にすることが多い。ミクロネシアのヤップ島では月経中以外のときも女性の穢が移らないよう男は妻と別の炉を使って料理させた。これらには、火を穢さないという考えと、火は穢を伝染させるとする考えがうかがえる。しかし、他方で火は穢や災いを祓(はら)う力をもっているとする信仰も多い。ヨーロッパには浄火の考えが広くあり、火祭のとき以外にも人間や家畜が病気になると火を焚(た)き、その中を通ったり上を跳び越え、また灰を畑にまいたり、水に混ぜて飲んだ。火は魔女の害に対しても有効であり、それゆえ魔女は火刑にされた。このような清めの火は、火のもつ破壊力の象徴的利用である。さらに、同じ火でも神聖な火と穢れた火の2種があると考えることもあり、たとえば日本では、人間の統制下にある火は神聖だが、そうでない火、たとえば失火は穢であるとする考えが、『延喜式(えんぎしき)』(927成)の「失火の穢の有る者」という記述にうかがえる。
[板橋作美]
生殖力としての火
火が農作物に豊作をもたらし、家畜や人間の女性に性的豊穣(ほうじょう)を与えるとする考えも広くみられる。ローマの伝説には火によって処女が子をはらむ話がある。出産時に火を近くで燃やす習俗も多く、たとえばメキシコの高地マヤ人、アフリカの遊牧民コイ人、アイヌなどで行われた。婚礼時に花嫁が火の儀礼を受けることもよくある。モンゴルでは花嫁は道の両側に燃える火の間を通って婚家に入り、中の炉火に供物を捧げる。日本にも嫁が松明(たいまつ)の間を通り抜けたり、たき火をまたぐ入嫁儀礼がある。これらも火に性的活力を与える力があるとする信仰に基づいているのであろう。また火おこしの過程を性行為とみたてる民族も少なくない。生殖力、生命力としての火は、火の生産的側面の現れといえるであろう。
[板橋作美]
火の保存と更新
火は絶やしてはならないとされることが多い。とくに火が家族・共同体など特定の集団のシンボルとみなされている場合、火を守ることは集団の存続と結び付き、細心の注意が払われる。他方、火を故意に消して、新たな火をおこすこともよくある。それは、なんらかのくぎりのとき、たとえば年の始まり(古代ギリシア・ローマ)、儀礼の始まりのときが多い。アフリカの採集狩猟民サン人は新しい野営地に移ると新しい火をおこす。また病気などの災いが起きたときに火を改めることもよくあり、ヨーロッパでは家畜に病気がはやると、それまでの火をすべて消し、新たな火をおこして家畜にその上を跳び越えさせ、その火を家に持ち帰って炉に移した。火はさまざまなことの始まりと終わり、あるいは日常性か非日常性を表すしるしとなっている。
[板橋作美]
二種類の火
火はときに二種類に分けられ、異なる意味づけがなされる。アフリカのカンバ人では、家の外の火は男が焼く料理に使い、家の中の火は女が煮る料理に使う。同じくアフリカのイテソ人では、男の火は地面の上でそのまま燃やす裸の火で、女の火は四つの石でつくられる炉で焚かれる火である。東アジアでは一般に家の中の二つの火、つまり炉の火とかまどの火は使い分けられており、前者は家族全員や客にも開放され、形態として密閉されていない開かれた火であり、後者は女性、とくに主婦にほぼ専用され、形態として密閉された閉じられた火である。
[板橋作美]
境・分離と媒介の象徴としての火
しばしば火はいろいろな意味における境を表す「しるし」として用いられている。火は時間的、空間的な境界で、日常と非日常の境目で、人と神、俗世と霊的世界の境で燃やされる。そして境に位置することによって、火は一方では何かと何かを分け隔て、他方では両者の媒介をなす。火は自然と文化を分ける。火は神と神を分ける。たとえば日本神話で火神軻遇突智(かぐつち)は伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)を死別させる。火は神と人とを分ける。たとえばギリシア神話で火を盗んだプロメテウスはゼウスに人と神とを分けるよう命じられていた。火は人と人をも分ける。火はそれをともにする人々を結合させるが、そうでない人々を区別することにもなるからである。しかし、火は同時にそれらをふたたび媒介すると解釈することができる。たとえば火は神と人を結び付ける。火神は人間と神々との仲介者になり、日本のお盆の迎え火と送り火はあの世とこの世の橋渡しを行う。そもそも人間は火を媒介にして自然を利用している。このように火は分離と媒介の二面性をもつために、一方では火は穢を祓い、他方では穢を伝染させるといった二面性をもつのである。
[板橋作美]
『大林太良編『火』(1974・社会思想社)』