日本歴史地名大系 「高橋村」の解説
高橋村
たかはしむら
下野村の南東にある。
〔中世〕
中世東海道の高橋宿は西の
高橋村
たかはしむら
- 栃木県:小山市
- 高橋村
鬼怒川西岸の沖積地にあり、
高橋村
たかはしむら
村東を
高橋村
たかはしむら
- 栃木県:佐野市
- 高橋村
渡良瀬川の北岸に位置し、北西を
高橋村
たかはしむら
高橋村
たかはしむら
- 佐賀県:武雄市
- 高橋村
現朝日町の東南部に位置し、
建治三年(一二七七)一二月二〇日付の地頭・領家田地屋敷注文案(橘中村家文書)に「たかはしのこその」とあり、同じ橘中村家文書の元徳三年(一三三一)二月四日付孫王契約状には「ひせんのくになかしまのしやうたかハしのむらのうちやしき本銭返として渋江氏より買得す」とある。慶長絵図に「高橋町」とある。中世頃から武雄地方の内陸部における水陸交通の拠点であった。
この地域は平安時代は
高橋村
たかはしむら
高橋村
たかはしむら
高橋村
たかはしむら
- 熊本県:熊本市
- 高橋村
高橋山(二七一メートル)の東および東南斜面から、
慶長一三年(一六〇八)の検地帳では田方二一町三反余・畠方一九町余、分米三九七石二斗余とあり、家数一五六、男九七・女八四・せがれ二一・うば一・坊主一、牛八・馬一九、蜜柑八で、このほか屋敷一反三畝・八斗八合をもつ正徳寺をあげる。
高橋村
たかはしむら
高橋村
たかはしむら
高橋村
たかはしむら
高橋村
たかはしむら
高橋村
たかはしむら
東を
高橋村
たかはしむら
高橋村
たかはしむら
高橋村
たかはしむら
高橋村
たかはしむら
- 宮城県:多賀城市
- 高橋村
市の西部に位置し、沖積地に立地。北は
高橋村
たかはしむら
高橋村
たかはしむら
高橋村
たかはしむら
高橋村
たかはしむら
高橋村
たかはしむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報