ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高祖[前漢]」の意味・わかりやすい解説
高祖[前漢]
こうそ[ぜんかん]
Gao-zu; Kao-tsu
[没]高祖12(前195)
中国,前漢の創始者。姓名は劉邦。沛 (はい。江蘇省沛県) の人。中流農家の4人兄弟の末子。家業を嫌い,遊侠の徒と交わったが,のち郷里に帰って泗水の亭長となり,沛の県吏蕭何,曹参らと交遊。胡亥1 (前 209) 年7月,陳勝らが蜂起すると,2000人余を率いて挙兵し,翌年項羽の軍と合体し,楚の懐王を戴いた。軍を西に進めた劉邦はいちはやく咸陽に入って秦を滅ぼし (前 206) ,法三章を約するなど秦の苛政を除いて,人心の収攬に努めた。遅れて咸陽に入った項羽は鴻門に会して劉邦を暗殺しようとしたが,劉邦は樊かい (はんかい) の活躍で死地を脱した。項羽は西楚の覇王と称して,諸将を分封し,劉邦も漢中王に封じられたが,項羽が楚の義帝を殺すと,これを名目に討伐の兵をあげ,5年にわたる楚漢の決戦の末,垓下に項羽を囲んで,これを滅ぼし位につき,国号を漢とし,長安に都を定めた。劉邦は,一族,大功臣を諸侯王とし,功臣 143人を諸侯に封じて郡国制をしいたが,その末年までには異姓の諸侯王をほとんど滅ぼした。また秦の諸制度の多くを踏襲したほか,斉の田氏一族などの大勢力を関中に移住させるなど,強幹弱枝政策をとって権力の強化に努めたが,諸侯王国は強大で,匈奴の勢いも強く,中央集権の確立は武帝の時代を待たねばならなかった。
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