日常生活や経済活動の基本的なルールを定めた法律で、憲法や刑法などと並ぶ「六法」の一つ。現行民法はフランスとドイツの民法をモデルに1896年と98年に公布された。総則、物権、債権、親族、相続の5編で構成される。今回の改正は主に債権分野の契約ルールを定めた条文が対象で、明治時代の制定以降ほとんど手が加えられていない。
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市民生活における市民相互の関係、つまり財産関係(売買・賃貸借・不法行為など)と家族関係(夫婦・親子・相続など)を規律する法をいう。財産関係を規律する法がすべて民法であるわけではなく、会社などの企業制度や手形などの商業的取引に関しては商法が、また、労働関係については労働法が、それぞれ独自に発達しており、民法から独立した領域を形成している。したがって、民法は、これらの法の領域を除いた財産・家族に関する領域を規律するものであるといえるが、商業的取引や労働関係でも商法や労働法に規定がない場合には民法が適用されるから、その点において、民法は財産・家族に関する基本的な法(一般法)であるといえる。
民法ということばは、「民法」という名の法典をさす場合もある。両者を区別するために、前述した意味での民法を実質的意味での民法、民法という名の法律を形式的意味での民法と使い分けることもある。実質的な意味での民法は、民法という名の法律(民法典)だけで成り立っているわけではない。不動産登記法、戸籍法など民法典がその存在を予定している法律や、借地借家法のように民法典の周辺を規定する法律などの多くの法律が、実質的な意味での民法に属する。そのほか、実質的な意味での民法に属するものには、譲渡担保のように判例だけで成り立っているものもある。
[高橋康之・野澤正充 2021年5月21日]
日本では明治初年ごろから、箕作麟祥(みつくりりんしょう)がフランス民法典の翻訳を行うなど、ヨーロッパに倣って民法典をつくろうとする試みがなされてきたが、1887年(明治20)前後から不平等条約改正のために民法典の編纂(へんさん)が急務であるという機運が高まった。そこで政府は、フランスの法学者ボアソナードを主任として民法典の編纂に従事させた。ボアソナードが起草した民法典は1890年に公布され、1893年から施行される運びに至った。この民法典は、おおよそフランス民法典(ナポレオン法典)に倣ったものであったが、国情にあわないから実施を延期すべきだとする反対論が公布直後から主張され、実施論者との間に有名な論争(法典論争)がおこった。結局、この民法典は実施されることなく終わった。この民法典は「旧民法」とよばれる。
1893年に新たに法典調査会が設置され、穂積陳重(ほづみのぶしげ)、富井政章(まさあきら)、梅謙次郎が起草委員となり、現行民法が起草された。その過程では、ドイツ民法の第一草案が参考とされ、編別などはドイツ民法の方式に倣った。そのため、第二次世界大戦ごろまでは、日本の民法典はドイツ民法の圧倒的な影響のもとにあると考えられていた。しかし戦後の研究では、民法典の起草にあたっては世界中の多くの国の法律が参照されたこと、また、法典の内容についていえば、確かにドイツ民法草案の影響は強いものの、旧民法の内容が表現を変えて維持されている(したがってフランス民法典の影響が残っている)部分もかなり多いことが明らかにされている。
この民法典は、総則、物権、債権、親族、相続の5編からなり、前の3編は1896年4月に、後の2編は1898年6月にそれぞれ公布され、ともに1898年7月16日から施行された。
第二次世界大戦以前には、時代の新しい必要にこたえるために特別法が制定され、それによって民法が実質的に修正されることはあっても、小さな修正を除けば民法典そのものが修正されることはなく、民法典はほとんど制定当時のままの姿を維持していた。封建的な家族制度を基調とする親族・相続の2編は、戦後に日本国憲法が制定されると、その根本原理である個人の尊厳と両性の本質的平等に正面から衝突することとなった。そこで、1947年(昭和22)この2編は全面的に改正された。したがって、現在の形式的意味での民法は、明治時代に制定された財産法の部分と戦後制定された家族法の部分からなっており、戦後改正される以前の家族法の部分はとくに「明治民法」とよばれることがある。
[高橋康之・野澤正充 2021年5月21日]
世界で最初に近代的な民法典をもったのはフランスで、フランス民法典(1804)は19世紀を通じて民法典の模範とされてきた。明治政府がフランスの法学者に民法典編纂を依頼したのは単なる偶然ではなく、また、当時はフランス民法典を翻訳したものをそのまま日本民法にしてしまおうという考えさえあった。19世紀末から20世紀初頭にかけて、ドイツ民法典(1896)、スイス民法典(1907)などが制定され、新しい時代の民法典として、日本民法にも大きな影響を与えた。このような法典法国(成分法国)に対してイギリスやアメリカは判例法国であり、裁判所の判決例が積み重ねられることにより、おのずから法律がつくられるというたてまえになっている。そのため、イギリスやアメリカには統一的な民法典はないが、これらの国も制定法がないわけではなく、特殊な問題について特別な法律(「動産売買法」「離婚法」など)をつくるというやり方をとっている。そしてこのような制定法はしだいに増加し、その重要度を増している。他方、日本、フランス、ドイツのような古くからの法典国では、条文の隙間(すきま)を埋めるため、あるいは古くなった条文に適合しない事態に対応するために、裁判所の判例を活用する場合が広がってきている。
[高橋康之・野澤正充 2021年5月21日]
日本民法は、19世紀以降の西欧における市民社会を背景として成立した近代市民法を受け継いだので、古典的市民社会のイデオロギーがその骨格をなしている(現行民法→旧民法→ナポレオン法典→フランス革命と源流をたどることができる)。このような性格をもつ日本民法の基本原理として、一般に次のものがあげられる。
(1)すべての人は、階級や職業の別なく、等しく権利をもつことができる(権利能力平等の原則)。
(2)市民生活とくに財産取引については、各人が自由意思に基づいて法律関係をつくることができ、国家はみだりに干渉すべきではない(私的自治の原則、契約自由の原則)。
(3)所有権は、国家の法よりも先に存在する不可侵な権利である(所有権絶対の原則)。
(4)他人に損害を加えたことによって損害賠償の責任を負わされるのは、加害者に故意か過失があった場合に限られる(過失責任の原則)。
これらの原則は、基本的にはその後も維持されてはきたものの、市民社会が変貌(へんぼう)するにつれて当然ながら修正を余儀なくされてきた。今日では、私的自治の原則は経済的弱者を守るために制限され、所有権は公共の福祉のために制約を受け、そして、過失がない場合にも損害賠償の責任を負わされる場合が多くなるなど、前記の基本原理は昔のままの形ではもはや存在しないといってよい。
[高橋康之・野澤正充 2021年5月21日]
第二次世界大戦直後の親族・相続2編の大改正の後は、それに匹敵するような改正は行われていない。1971年(昭和46)の根抵当に関する規定の新設(判例法を成文化したもの)、1980年の配偶者相続分の改正がおもなものであった。しかし、1999年(平成11)に行われた成年後見に関する立法はかなり規模の大きい改正であり、さらに、1996年に公表された改正要綱案は、夫婦の選択的夫婦別姓制度の採用や嫡出でない子の差別撤廃などを含んでいて、これらの人の身分、あるいは家族関係に関する分野では、注目すべき動きがみられる。これに反して、財産法の分野では、新しい制度は民法典外の特別法でつくられることが多い。日常生活に関係の深い法律として、自動車損害賠償保障法(1955)、借地借家法(1991)、製造物責任法(1994)、消費者契約法(2000)などがある。
その後の規模の大きい改正としては、2004年(平成16)12月公布(2005年4月施行)の「民法の一部を改正する法律」により民法第1編~第3編の現代語化(口語化)が実現したことがあげられる。また同改正法により、保証については、保証人の意思を明確化するために、保証契約の成立に書面を要求する規定(民法446条2項)、貸金等根保証契約についての保証人の責任を制限する規定(同法465条の2~465条の5)が新設された。さらに、2009年には、民法(債権法)を抜本的に改正するための法制審議会が設置された。
[高橋康之・野澤正充 2021年5月21日]
民法の債権関係の規律は、1896年(明治29)の同法の制定以来、約120年の間、実質的な見直しが行われていなかった。しかし、この間、資本主義が飛躍的に進展し、取引の量が増大するとともに、その内容も複雑化・高度化し、取引に関する基本的なルールを定める民法の債権関係の規定は、現実の取引に対応することがむずかしくなった。そして、裁判例も蓄積し、民法の条文からはかならずしも読み取ることができないルールも増加し、法律の専門家でない国民一般にとっては、民法が定めるルールがわかりにくい状態になっていた。そこで、取引に関する基本的なルールを定める民法の債権関係の規定を、社会・経済の変化に対応させ、かつ、国民一般にとってよりわかりやすいものとするために、2009年(平成21)に前記の法制審議会(民法〔債権関係〕部会)が設置され、約8年間の歳月を費やして改正案がまとめられた。そして、2017年5月26日に民法(債権関係)の改正法が成立し、2020年(令和2)4月1日から施行された。なお、改正の内容は多岐にわたり、民法の債権関係の規定をほぼ全面的に見直すものとなっている。
[野澤正充 2021年5月21日]
民法の定める成年年齢は、単独で契約を締結することができる年齢という意味と、親権に服することがなくなる年齢という意味をもつ。そして、この成年年齢は、1876年(明治9)の太政官布告が20歳と定めて以来、1896年の民法にも引き継がれてきた(民法旧4条)。しかし、2007年(平成19)5月に成立した憲法改正に関する国民投票法は、満18歳以上が投票権を有するとし、同法附則第3条第1項では「満18歳以上満20歳未満の者が国政選挙に参加することができること等となるよう、選挙権を有する者の年齢を定める公職選挙法、成年年齢を定める民法その他の法令の規定について検討を加え、必要な法制上の措置を講ずるものとする。」と定められた。この附則を受けて法制審議会は、2009年10月28日、民法の成年年齢を引き下げるのが適当であるとする最終報告書を法務大臣に答申した。その後、2015年6月17日、公職選挙法が改正され、選挙年齢が18歳に引き下げられた。そして、2018年6月13日、民法の成年年齢を20歳から18歳に引き下げること等を内容とする民法の一部を改正する法律が成立した。
この成年年齢の見直しは、前述の太政官布告以来、約140年ぶりであり、18歳、19歳の若者が自らの判断によって人生を選択することができる環境を整備するとともに、その積極的な社会参加を促し、社会を活力あるものにする意義を有するものと考えられている。また、女性の婚姻開始年齢も、改正前は16歳と定められ、18歳とされる男性の婚姻開始年齢と異なっていたが、今回の民法改正では、女性の婚姻年齢を18歳に引き上げ(民法731条)、男女の婚姻開始年齢を統一している。なお、今回の民法改正は、その周知を徹底するために、施行までに3年程度の周知期間を設けたあと、2022年4月1日に施行された。
[野澤正充 2022年4月19日]
『筒井健夫・村松秀樹編著『一問一答・民法(債権関係)改正』(2018・商事法務)』▽『佐久間毅他著『民法Ⅰ(第2版補訂版)』『民法Ⅱ(第3版)』『民法Ⅴ(第2版)』『民法Ⅵ(第5版)』(2019~2020・有斐閣)』
形式的に考えれば,民法とは〈民法〉という名のついた法律(1,2,3編は1896年公布。4,5編は98年公布。以下民法典と呼ぶ)ということになる。しかし,この定義に対して次の疑問が生じる。第1に,民法典起草当初からこれと一体のものとして制定された各種の法律(不動産登記法,遺失物法,戸籍法など)。民法177,240,739(旧規定は775条参照)および民法典の規定を前提とし,これを修正するために制定された各種の法律(借地法,借家法など)は,法律の名が異なるというだけの理由で,民法の意義の範囲から排除されてしまうのは妥当か,という疑問であり,第2に,民法典中の規定にも罰則(民法84条,84条ノ2など)のように他の規定と性格を異にするものがあるが,これをも民法の意義の中に含めるのは適切か,という疑問である。これらの疑問に答えようとすれば,民法の意義を,法律の名だけで定める(この意味での民法を形式的意義における民法という)のではなく,もっと実質的に考える必要が生じてくる(この意味での民法を実質的意義における民法という)。
一般に実質的意義の民法とは,〈私法の一般法〉であると考えられている。私法とは公法に対する概念であり,一般法とは特別法に対する概念であるから,それぞれの意義を明らかにする必要がある。公法とは命令服従を指導原理とする法であり,私法とは自由平等を指導原理とする法である,と一般に説かれるが,これは法律の規律のしかたまたは規律の対象となる社会関係(公法は多くの場合に行政機関相互間または行政機関と個人の間の法律関係を規律し,私法は個人間の関係を規律することが多い)に着目した漠然とした区別であって,日本の現在の実定法体系に即して法技術的に見るかぎり,公法と私法との区別は,それほど大きな意義を有しない(この区別は結局個々の法律の規定の解釈に帰着する),というのが現在の有力な考え方である。
これに対して,一般法・特別法との区別は,法律の適用順位を示すものとして(ある社会関係を規律するのに特別法があればまずそれを適用する)法技術的な意味をもっており,民法は,民法典の特別法に対してばかりでなく,商法・労働法に対しても一般法としての地位を占めていることをあらわすのに適切だと一応はいいうる。しかし,近時指摘されているように,厳密にいえば,民法典の規定中には,およそ法律全般に通じる一般的な規定(期間,時効など)もあれば,もっぱら具体的な制度を対象とする規定(担保,親族,相続など)もあり,両者の中間(法人の規定は法人に関する一般法であるとともに公益法人についての具体的な規定である)と考えられるものもあって,なお明確でない。前述した公法・私法概念の不明確さがこれに加われば,〈私法の一般法〉という定義も,厳密さを欠いていることになる。こうして,民法の意義を厳密に定義することは,実はたいへん困難であって,その意義は歴史的にのみ,また,上記のような大体の意味で理解するほかはないといってよい。
民法の意義は,17,18世紀以降西ヨーロッパで生じた〈国家と社会との分離〉という社会構造の変化との関連で理解される必要がある。すなわち,それまで西ヨーロッパ社会を構成していた家,ギルド,教会,領主等の自律的な権力の単位は,絶え間ない権力闘争を通じて強大化するに至った君主の権力にしだいに統合されていくとともに,他面では市場経済の発達によって経済的利害の計算に基づいて行動する取引の単位へと,いわば両極分解しつつあった。このうちの後者は,市場において利害の計算を行う取引人という側面へと抽象可能な存在になり,これらの取引人の間に一般的に適用できる法(すなわち民法)という概念が成立し,ローマ法,各地の慣習法,勅令等を素材とした各種の法技術が,体系化され集約されていくことになる。したがって,民法のイメージとして描かれるものは,市場における取引交渉を通じて財貨を生産し配分を受ける主体(生産・取引の単位であり,権力主体としての地位を失ったもののなお家長の統率下にあった家)間における,市場を円滑に作用させるのに適合的な法技術(したがって所有権,契約および生活・取引の単位たる家の構成に関する法が中心である)の集大成だ,ということができる。
日本の民法典は,上記のような伝統をもつ西ヨーロッパ諸国の民法をおもなモデルとして作られたものである。民法典編纂事業は,明治維新直後の明治3年(1870)江藤新平が太政官制度局に民法会議を設け,箕作麟祥にフランス民法典の翻訳作業を命じて以来,途中で挫折(後述の旧民法の施行延期)を経ながらも,現行民法典制定に至るまで休むことなく続けられた。このような一貫した編纂作業への原動力が,国民の権利義務を明らかにすることにより,軍備の充実と相まって諸外国に対抗できるような富強な国家を作ろうということと並んで,明治期の国家的目標の一つであった不平等条約(これによって治外法権を認め,関税自主権を奪われていた)の撤廃(欧米にならった司法制度を樹立することによって欧米人の不安をなくして治外法権撤廃への道を開く)にあったことは,一般に認められているところである。
編纂事業は,1872年司法省明法寮における民法会議によってまず皇国民法仮規則(フランス民法にならった最初の大法典)という成果を生んだが,その後,司法省仮法則(1873),左院の民法草案(1873),司法省の民法草案(1878)という試みを経て,1880年元老院民法編纂局は,1873年以来司法省の御雇外国人として招かれていたフランス人法学者ボアソナードに民法の編纂を依頼し,編纂事業は新局面を迎えることになる。ボアソナードは,身分法関係については,日本人委員をして起草に当たらせつつ,87年に全部の草案を完成した。この草案は,司法省法律取調委員会,元老院,枢密院などの議を経て修正を加えられた後,90年に公布され,93年からの施行をまつばかりとなった(旧民法という)。ところが,公布前後の時期から,旧民法は日本の民俗慣習に合わないから施行を延期すべきだという議論が出てきて施行賛成派との間に論争を起こし,朝野あげての大議論にまで発展した(民法典論争,ないし法典論争と呼ばれる)。1892年には旧民法の施行延期を求める法案が議会で可決され,旧民法は流産してしまった。そこで政府は,93年,伊藤博文を総裁とする法典調査会を設け,梅謙次郎,富井政章,穂積陳重の3人を起草委員として民法典の起草に当たらせた。旧民法の時と異なって編纂作業は順調に進み,同年秋には草案ができ上がり,法典調査会の審議を経て民法典の前3編(総則,物権,債権)は96年に議会に提出されて両院で可決され,後2編(親族,相続)は98年に同じく議会を通過し,両者あわせた民法典全部が98年7月16日に施行された。
親族,相続の後2編は,戸主,家督相続をはじめとする家の制度を定めていた(家族制度)が,第2次大戦の敗戦による新憲法制定により,これらの制度は,新憲法の規定する個人の尊厳と男女の本質的平等に反するものとされ,後2編は全面的に改正を受け(1947),まったく新しい法律となった。1980年に行われた寄与分に関する規定の新設(904条の2)などが,その後この後2編に加えられた改正のおもなものである。これに対し前3編(総則,物権,債権)は,施行以来ほぼそのまま行われているが,大きな改正としては,1971年に根(ね)抵当権に関する規定が追加されたこと(398条ノ2以下)があげられる。
民法典は,総則,物権,債権,親族,相続の5編から成っている。旧民法の編成とまったく異なってドイツ系の民法典が採用している方式にならったものであって,このため,民法典は,もっぱらドイツ民法典(正確にはその草案)にならったものと信じられていたが,最近の研究では,ドイツ民法草案のみを範としたわけではなく,イギリス法を含めた各国の法律を広く参照して作られていること,旧民法との連続性が従来考えられていたよりもはるかに大きいことを示し,民法典の解釈においても,各規定の系譜を調べて立法趣旨を明らかにすることの重要性が認識されている。もっとも前3編についていえば,一般的にはドイツ民法,フランス民法をはじめとするヨーロッパ諸国の民法典の影響があることは否定できない。このうち総則編の各規定には,とくにドイツ民法草案の影響があるが(法律行為に関する規定など),ドイツ民法そのままというわけではない(時効の規定など)。物権編には,とくにフランス民法の影響がみられる(物権変動の対抗要件主義,担保物権制度など)。債権編の編成はドイツ民法草案的ではあるが,それと異なるものも少なくない(債務不履行,連帯債務,不法行為など)。後2編は,元来日本固有の慣習に基づく規定が多かったが,戦後の改正によりその特徴的なもの(家督相続)は姿を消した。現在の規定は,婚姻,離婚,養子縁組など身分関係の成立がきわめて容易であること,男女,夫婦,親子の平等がかなり徹底していることなどに,その特色をみることができる。
執筆者:平井 宜雄
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近代において財産・家族など国民の私的生活を律する法。1880年(明治13)元老院に民法編纂局を設置し,ボアソナードを中心としておもにフランス民法を参考に編纂を進め,90年財産編・相続編などを公布。93年の施行を予定したが,異論がでて民法典論争の結果,施行を延期。法典調査会によりドイツ民法を参考に修正が行われ,96~98年いわゆる明治民法が公布され,98年に施行となった。総則・物権・債権・親族・相続の5編からなる。「家」の制度が重視され,戸主の家族統制の権限が強く,女性の地位は低い。1947年(昭和22)日本国憲法の施行とともに民法も大幅に改正され,48年施行。戸主・家督相続の廃止など「家」制度を解体し,相続や婚姻での個人の権利,女性の地位などの向上が図られた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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