佐賀県はアジア大陸に最も近い九州の北西部にあって、肥前半島の基部を占めている。肥前半島は現在、東半は佐賀県、西半は長崎県と行政区画を異にするが、古代以来近世末まで全域が肥前国であった。県の東端は
県の中央には東西に筑紫山地が走り、山地の多い玄界灘側と、平野部の有明海側に分ける。玄界灘に面して北西に東松浦半島が突出し、東の福岡県
東松浦半島の前面には
日本文化の中心が本州に確立されると九州は辺地とみなされたが、近世における長崎は海外への窓口として重要な存在であり、長崎と博多方面を結ぶ長崎街道は京都・江戸への道でもあり、県内に文化的影響を与えている(→長崎街道)。佐賀県の範囲は肥前国東半に限られているが、中近世においては竜造寺氏・鍋島氏が現在の長崎県域内を支配していたこともあり、その歴史は肥前半島全体と深いかかわりあいをもっている。
佐賀県の山野には樟が多く繁茂している。「肥前風土記」には樟の巨木説話があり、佐嘉(現在の佐賀)という地名が樟の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報
九州の北西部に位置する県。旧肥前国の北東部を県域とする。1871年(明治4)廃藩置県により厳原(いずはら)・唐津(からつ)・佐賀・小城(おぎ)・蓮池(はすのいけ)・鹿島の6県が成立。同年9月厳原県と佐賀県が合併して伊万里(いまり)県となり,11月他の4県も伊万里県に合併。72年旧佐賀藩領のうち諫早(いさはや)・神代(こうじろ)・伊古・西郷・深堀地方が長崎県に編入された。同年伊万里県は佐賀県と改称し,旧厳原県のうち対馬も長崎県に移管された。76年佐賀県は三瀦(みずま)県に併合された。まもなく三瀦県が廃止となり旧佐賀県全域が長崎県の管轄下におかれたが,83年肥前10郡を分離して佐賀県が再置された。県庁所在地は佐賀市。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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