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ギリシア史[古代] ギリシアし[こだい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ギリシア史[古代]
ギリシアし[こだい]

ギリシア人はみずからをヘレネス,その国土をヘラスと呼んだ。ギリシアという呼び名はラテン語のグラエキア Graeciaに由来する。前2千年紀の中頃,北方からバルカン半島へ侵入してきたインド=ヨーロッパ系の民族が,クレタを中心に栄えていた非インド=ヨーロッパ語族の先住民のミノア文明(→クレタ文明)の影響を受けてミケーネ文明を開花させた。ミケーネ時代の諸王国は萌芽的な官僚組織を備え,多数の人民の賦役労働を駆使したと推定され,古代オリエントのそれと共通するものがあった。前1200年頃からミケーネ文明の衰退に伴って民族移動が激化。以後前8世紀半ばまで,確かなことはなにも知りえない暗黒の時代が続き,その間にギリシア各地にポリスが形成され,政体も王政から貴族政へと移行。前750年頃から植民活動や交易が盛んになり,手工業も発展し,特に武器が安価に入手できるようになった。このような経済的・軍事的変化が要因となって,中小土地所有市民の重装歩兵(ホプリタイ)が貴族や騎士に代わって国防の主力となり,平民は貴族の専制に対して成文法の制定,参政権を要求した。こうして前7世紀末から前6世紀にかけて過渡期に入り,ソロンの財産評価の政治,ペイシストラトスの僭主政を経てクレイステネスの民主政へと発展した。ポリスのうち民主政を発展させたアテネと独得な軍国的共同体を確立したスパルタとが古代ギリシア世界の主導権を掌握。前492年からのペルシア戦争で大勝して以後,ペロポネソス戦争までの数十年は古代ギリシア世界の完成期であり,古典文化の最盛期でもあった。しかしまもなくデロス同盟を率いて全盛期を迎えたアテネとペロポネソス同盟を率いたスパルタとの間にギリシアを二分する内戦,ペロポネソス戦争が起こり,アテネは敗北した。同戦争後の前4世紀前半もポリス間の抗争は続き,諸ポリスは衰退し始め,前334年以後事実上マケドニア王国の支配下に入った。アレクサンドロス3世の遠征以後のヘレニズム時代,ギリシア本土は衰退し,前2世紀以後はローマの支配下に置かれ,帝国分裂後はビザンチン帝国に属した。

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