日本大百科全書(ニッポニカ) 「中間(市)」の意味・わかりやすい解説
中間(市)
なかま
福岡県北部にある旧炭鉱都市。1958年(昭和33)市制施行。東部は低い古第三紀夾炭(きょうたん)層の丘陵地で、中央部を北流する遠賀(おんが)川西岸は沖積低地が広がり、JR筑豊(ちくほう)本線(福北ゆたか線)と筑豊電気鉄道が通じる。明治中期までの純農村は、明治末期には岩崎、新手(あらて)、大隈(おおくま)鉱業などの開鉱により炭鉱町として発展したが、1964年の大正鉱業中鶴(なかつる)炭鉱の閉山を最後に炭鉱は姿を消した。1762年(宝暦12)に完成し明治期の石炭輸送に活用された堀川運河(ほりかわうんが)、唐戸水門(からとすいもん)やボタ山が当時のおもかげをとどめているにすぎない。現在は産炭地振興の工業団地が造成されて企業誘致が進む一方、北九州市のベッドタウンとして宅地化している。米麦作が中心で、キャベツなどの野菜栽培も行われている。見どころとして桜の名所垣生(はぶ)公園があり、園内に垣生羅漢百穴(らかんひゃっけつ)とよばれる古墳群がある。1989年(平成1)旧国鉄香月線の跡地を利用して緑道公園「屋根のない博物館」がつくられた。面積15.96平方キロメートル、人口4万0362(2020)。
[石黒正紀]
〔世界遺産の登録〕2015年(平成27)、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として、官営八幡製鐵(せいてつ)所関連施設が世界遺産の文化遺産に登録された。
[編集部]
『『中間市史』全3巻(1978~2001・中間市)』