




(けい)+攴(ぼく)。
は神戸棚の中に祝詞の器(
(さい))を収めている形。金文の字形は
(又)(ゆう)に従い、手でその扉を啓(ひら)く形で、神意の啓示するところを見る意である。〔説文〕三下に攴に従う字とし、「
ふるなり」とし、〔論語、述而〕「
せずんば
せず」の句を引くが、本来は神の啓示をいう語であり、〔書、金
〕に「籥(やく)を
きて書を見る」というのが原義である。ゆえに神に申すことをも啓という。のちすべて啓開の意となり、啓発・啓
のように用いる。金文の字形は
・攴に更えて戈に従う形があり、聖器を以てこれを守る意。
(肇)(ちよう)を金文に
に作る。
・
・
と通じ、安居する、ひざまずく。
マウス・ヒラク・カムガフ・ヒザマヅク 〔字鏡集〕
カムガフ・オコス・キザス・ヒク・ツク・ヒザマヅク・マウス・ヒラク
・
khyei、開khei、
kh
iは同系の語。開は
門を開く。
(かい)は〔方言、六〕に「
を開く、~楚にては之れを
と謂ふ」とあり、また
明は啓明というのに同じ。みな一系の語である。また
(
)は啓の省文に従い、肇始の意がある。啓居は箕ki
、
・
gi
、
giueと通じ、箕居の姿勢をいう。
▶・啓
▶・啓乞▶・啓求▶・啓
▶・啓居▶・啓疆▶・啓業▶・啓禁▶・啓
▶・啓
▶・啓戸▶・啓悟▶・啓口▶・啓
▶・啓行▶・啓告▶・啓佐▶・啓罪▶・啓
▶・啓歯▶・啓事▶・啓示▶・啓者▶・啓首▶・啓処▶・啓上▶・啓夕▶・啓奏▶・啓塞▶・啓体▶・啓態▶・啓拆▶・啓蟄▶・啓
▶・啓程▶・啓迪▶・啓途▶・啓土▶・啓導▶・啓白▶・啓発▶・啓撥▶・啓稟▶・啓封▶・啓袱▶・啓閉▶・啓報▶・啓明▶・啓
▶・啓籥▶・啓佑▶・啓祐▶・啓誘▶・啓
▶・啓用▶・啓沃▶・啓翼▶・啓鑾▶・啓露▶出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
公式様(くしきよう)文書の一つ。皇太子および皇后,皇太后,太皇太后に対して,その司から上申する文書。養老公式令に春宮(とうぐう)坊の啓の様式が規定されている。それによれば最初に〈春宮坊啓〉と書し,その次に本文を書き,書き止めの語は〈謹啓〉,次に年月日を記し,位署欄は大夫位姓名,亮位姓名とならべて署す。三后にあてるものもこれに準じた。六国史などにみられるが,内容的には書式のととのったものではなく,比較的早くに用いられなくなったと思われる。これとは別に,奈良時代から個人の上申文書に〈啓〉の語を入れたものがあり,それが私文書の源流として現在に〈拝啓〉〈一筆啓上〉のような書簡用語を残したともいわれる。
執筆者:飯倉 晴武
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
公式令(くしきりょう)に規定された文書の一様式。皇太子および三后(さんこう)(皇后、皇太后、太皇太后)に上申するとき用いる文書。諸役所、私人が事を皇太子に上申するとき、文書を春宮坊(とうぐうぼう)に送り、春宮坊の啓をもって皇太子の認可を仰ぐこととなっていた。三后は皇太子の場合と同じ規定であった。しかし奈良時代に個人間の私的書状にも「啓」「謹啓」などと書いたものがある。現在、手紙の書出しに使われる「謹啓」「拝啓」などはこの名残(なごり)である。
[百瀬今朝雄]
…古くは上書といい,漢代では章,奏,表,議などといった。魏・晋時代以後は啓といい,唐・宋時代では表,状,剳(さつ),書などともよばれた。内容は政治の得失を論じるのが多いが,儀式や謝恩や天変地異について述べる場合もある。…
※「啓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...