(読み)マユ

デジタル大辞泉 「眉」の意味・読み・例文・類語

まゆ【眉】

《「まよ」の音変化》
目の上に弓状に生えている毛。まゆげ。「をひく」
近世の烏帽子えぼしの前面下部の中央、とがったひだの下のやや出っぱった所。
牛車ぎっしゃの屋形の出入口上部にある軒。
伊勢船造の箱型船首の装飾で、船首両側棚の下部に細長く眉状に黒く塗るもの。
虹梁こうりょう破風板などの下縁につけた装飾的な彫り込み。断面がレ字形の欠き眉、S字状の出入り眉、浅い円弧状のぎ眉などがある。
[下接語]糸眉遠山の眉き眉蚰蜒げじげじ毛虫眉地蔵眉高眉作り眉殿上眉八字眉引き眉棒眉細眉三日月眉柳の眉連山の眉
[類語]眉毛眉根柳眉峨眉愁眉

び【眉】[漢字項目]

常用漢字] [音](漢) (呉) [訓]まゆ
〈ビ〉まゆ。「眉宇眉目蛾眉がび愁眉焦眉拝眉白眉柳眉
〈ミ〉まゆ。「眉間みけん
〈まゆ〉「眉毛眉根
[難読]眉目みめ

まみ‐え【眉】

眉毛まゆげ」に同じ。
「細面に―の判然はっきり映る女である」〈漱石それから

まよ【眉】

まゆ」の古形。
「―のごと雲居に見ゆる阿波の山かけて漕ぐ舟泊まり知らずも」〈・九九八〉

まみ【眉】

まゆ。まゆ毛。

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精選版 日本国語大辞典 「眉」の意味・読み・例文・類語

まゆ【眉】

  1. 〘 名詞 〙
  2. まぶたの上部、眼窩の上縁部にあたる所に弓状にはえている毛。まよ。まゆげ。〔十巻本和名抄(934頃)〕
    1. [初出の実例]「つらつきいとらうたげにて、まゆのわたりうちけぶり」(出典:源氏物語(1001‐14頃)若紫)
  3. まゆずみ。
    1. [初出の実例]「むこの海をなぎたる朝に見渡せばまゆも乱れぬ阿波の島山〈藤原実定〉」(出典:承安二年広田社歌合(1172))
  4. ( 眉は感情が端的に表われるところなので ) 喜怒哀楽の情。→眉を開く眉を読む
    1. [初出の実例]「げんじの者共がゑいぐゎのまゆを打やぶらん」(出典:浄瑠璃・菅原親王(1661)三)
  5. 何かの上に、眉のように張り出したものをいう語。
    1. (イ) 烏帽子の部分の名。前の中、とがっているひだの下に高く押し出している所。
    2. (ロ) 牛車の部分の名。屋形の前後の軒。
      1. [初出の実例]「一の車の口のまゆに香嚢かけられて」(出典:大鏡(12C前)六)
  6. 眉のような三日月形をしたものをいう語。虹梁(こうりょう)または破風板などの下方の繰形(くりがた)。欠眉(かきまゆ)、抉眉(くじりまゆ)、出入眉、薙眉(なぎまゆ)、蛭眉(ひるまゆ)などがある。
    1. [初出の実例]「と云へども戸の上のまゆ柱など式の家のやうにないぞ」(出典:玉塵抄(1563)一四)
  7. 伊勢船造りの箱型船首の装飾で、船首両側上棚の下部に細長く眉状に黒く塗るもの。
    1. [初出の実例]「まゆの仕様は〈略〉まゆふちの上よりあをりの下までぬる也」(出典:川船荷方伊勢船秘書(1708)伊勢船之覚書)

まよ【眉】

  1. 〘 名詞 〙 「まゆ(眉)」の古形。
    1. [初出の実例]「弟江沼臣族牛麻呂〈略〉左目用尾疵」(出典:正倉院文書‐天平一二年(740)越前国江沼郡山背郷計帳)

まみ【眉】

  1. 〘 名詞 〙 まゆ。まゆげ。

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普及版 字通 「眉」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 9画

[字音]
[字訓] まゆ

[説文解字]
[甲骨文]

[字形] 象形
目の上に眉のある形。〔説文〕四上に「目上の毛なり」とし、「目に從ひ、眉の形に象る。上は理(がくり)に象るなり」とあって、額(ひたい)の皺(しわ)を加えた字形であるという。卜文の字形によると、目の上には呪的な目的のために眉飾を加えており、呪眼と同じような意味をもつものであろう。媚の初文とみられ、媚はいわゆる媚蠱(びこ)のことを行う巫女をいう。長寿のことを「黄眉寿」といい、金文に眉を(び)に作る。(び)の初文で髪を洗う意の字で、仮借。〔詩、風、七月〕に「以て眉壽を介(もと)む」とあり、眉が本字。長眉は寿考のしるしとされた。

[訓義]
1. まゆ、まゆげ。
2. 老人、長生の人。
3. (び)と通じ、ほとり。
4. 媚と通じ、こびる。

[古辞書の訓]
〔和名抄〕眉 万由(まゆ) 〔名義抄〕眉 マユ・ヨシ

[部首]
〔説文〕に省をこの部に属し、〔玉〕は眉・省をともに目部に属する。省は目に呪飾を加えて巡察省撫を行う意で、古代における眉飾のありかたを示す字。(徳)、聽(聴)などの字は、その形に従う。眉は媚蠱に関する字である。

[声系]
〔説文〕に眉声として・媚など五字を収める。媚はもと媚蠱をなす巫女をいう字であろう。(び)は屋書物の上欄のところをもいう。金文に海を「眉」としるしている。水辺を麋(び)というのは仮借の用法である。は水と草と交わるところ。の上をという。

[語系]
眉・・麋mieiは同声。biei、myenは声近く、(び)は榱(たるき)の端の連綿木。(べん)も榱の端にならべるのきづけの木。みな辺端に近いところにあるものをいう。

[熟語]
眉案・眉宇・眉蛾・眉間・眉眼・眉急・眉月・眉軒・眉繭・眉語・眉婚・眉史眉須・眉寿・眉匠眉睫・眉雪・眉掃・眉黛・眉対・眉頭眉批・眉尾眉憮・眉・眉目・眉門・眉梨・眉柳・眉眉彎
[下接語]
画眉・蛾眉・軒眉・亢眉・攅眉・芝眉・鬚眉・秀眉・修眉・愁眉・蹙眉・舒眉・睫眉・伸眉・信眉・翠眉・斉眉・繊眉・双眉・霜眉・黛眉・長眉・低眉・眉・展眉・白眉・俛眉・明眉・揚眉・柳眉・両眉・連眉・斂眉

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改訂新版 世界大百科事典 「眉」の意味・わかりやすい解説

眉 (まゆ)

人の眼窩上縁を覆う皮膚の部分に密生する毛の集合を眉といい,その毛を眉毛brows,eyebrowsという。眉は眼窩部の上縁と額の下縁とを境している。眉を動かすのは前頭筋,皺眉筋,眼輪筋,鼻根筋で,これらの表情筋が単独または協同して作用することにより,眉の表情がつくられる。眉毛のほとんどは直毛で,毛の生える方向,すなわち毛流は多くの場合二つある。一つは額から外下方に,他の一つは上まぶたから外上方に向き,この両者が重なる部分が最も濃くみえる。眉毛の平均寿命は3ないし4週間で,このため眉毛は短く,ほぼ一定した長さである。老人ではときに眉毛の寿命が長くなり,やや長い毛を交えることがある。

 眉の形態は個人によりさまざまで,これを分類する試みも多くなされている。日本では後述するように眉をそり落としたり墨をさしたりして男女とも〈作り眉〉をする習俗が古くからあり,眉の名称もいろいろである。うぐいす眉,三ヵ月眉,わすれ眉,かすみ眉,大かた眉(きしたて眉),から眉などの女の眉型があった(《女重宝記》)。中国でも五代のころすでに眉を描く型に御愛眉,小山眉,五岳眉,三峰眉,垂珠眉,月陵眉または却月眉,分梢眉,涵烟眉,払雲眉または横烟眉,倒暈眉の10型があったという(《松屋筆記(まつのやひつき)》)。蛾眉や柳眉の例もある。《和名類聚抄》に眉を〈目上毛也〉というのは,象形文字〈眉〉の〈〉が毛の形であることの説明でもある。眉もまた,東西を問わず人相学が好んで扱う対象となったし,俗信も少なくない。《和漢三才図会》は眉毛の中に長いのが混ざれば長寿の徴とか,左の眉の下の骨がかゆいとまもなく恋人に会える兆しなどという。ただし,尭は八字眉だったし,殷の名宰相伊尹(いいん)の顔にはひげも眉もなかったと,人相学があてにならないことを《五雑組》は説いている。

 眉は現在生存している動物ではヒトにしかみられない。オオカミ属にはこの部分に白斑があり,威嚇するときなどに挙上して眉と同じ表情を作るが,毛の長さは周囲と同じで境界はなく,フーロック(別名シロマユテナガザル),ニホンザルなどの眉様の毛も同様である。ヒトの新生児では額一面に産毛(うぶげ)が濃くまばらに生えており,その下縁に眉毛がある。一般にこの産毛が濃ければ眉毛も濃いが,時とともに額の産毛は抜けてゆき眉毛だけが残る。このことから額の毛が抜け残ったのがヒトの眉だと推測される。眉がこの部分にあることについて次のように説明をする人もいる。哺乳類の汗腺がアポクリン腺で毛根部に開口するのに対し,ヒトの汗腺はおもにエクリン腺で毛とは独立して開口する。そしてヒトの額にはエクリン腺が多く分布しており,〈額に汗して〉の言葉どおりよく汗をかく。その汗が目に入るのを防ぐために眉があると。

 どの民族にもみられるように,日本でも古くから眉を染める風習があった。《古事記》応神天皇の話のくだりにあるごとく,赤みがかった土を焼いて作った眉墨で彩ったようである。1世紀初頭中国で起こった農民反乱は,参加者が当時尊ばれていた朱で眉を染めていたので〈赤眉の乱〉と呼ばれるが,赤黒い色を良しとする風習は中国渡来のものだったのだろうか。奈良時代の絵画や彫刻では眉は濃く太く,内側が細いものが多くみられ,仏教や中国の画風の影響かと思われる。平安時代に入ると眉の様相は一変する。貴族は男女ともに眉毛を抜き,黛を目から遠く離して水平か八字型に太く描いた。この習慣に反逆した〈虫めづる姫君〉の眉は,親たちが〈いと怪しく様異におはすること〉と心配し,〈かは虫だちためり〉と人に嘲笑されるような毛虫めいたものだった(《堤中納言物語》)。絵巻物から知られるように,黛の形や位置は身分を標示するものでもあった。鎌倉から安土桃山時代にかけて,黛を高く描く化粧は大衆化し,武家の妻子から遊女にまで広まった。眉墨は油煙とゴマ油を混ぜて作った。ただしこれは女性だけのことで,男性には武者らしい末広の眉がもてはやされた。江戸時代になっても貴族や上層武家では,女性の黛の傾向は変わらないが,下層武家や町人の間に新しい傾向が生じてくる。すなわち従来の眉とその下の広さを強調する化粧法に対して,眉そのものの存在を否定する風習が現れた。自然の眉は未婚,そり落とした眉は既婚女性のしるしとする習慣がそれで,これは明治以降も続いた。ただし浮世絵の中には眉墨の粧いみずみずしい女性も数多くみられ,寛永(1624-44)のころの文書には太夫は〈まゆげのあひつまり,少,けむくみゆるほどなるがよし〉とあって眉の美の基準はさまざまである。

 ツタンカーメンの黄金のマスクが典型例だが,古代エジプトでは眉は細く長く,外側が柔らかく下に湾曲するのが男女ともに良しとされ,眉墨も用いられていた。古代ギリシア人が眉の粧いにさほど意を注がなかったのに対し,古代ローマの貴婦人は,ビスマスアンチモンを混じた方鉛鉱の粉末で眉を太く黒く描いていたという。眉毛を抜いて眉墨だけというような化粧法も流行し,これはビザンティン帝国の風俗にも引き継がれて,婦人は眉毛を抜いた後に種々の植物性脂肪を炭化させた眉墨を用いていた。ところが12世紀のイギリスでは,若い貴婦人は眉ばかりか額際の毛髪もこぞってそり落とし,広い額を誇らし気にみせていたそうで,これは14~15世紀のフランスでみられた傾向でもあった。そしてルネサンス期にはヨーロッパ全土に広まったに違いなく,ボッティチェリ,レオナルド・ダ・ビンチ,ラファエロらの描く婦人像は,ほぼ眉なしの(あっても申し訳程度の)高く広い額の持主ばかりである。《モナ・リザ》の不思議な微笑は,眉を欠いた広い額をいただく目元によっていっそうその謎を深くしている。中世からルネサンス期にかけては,女性は眉を否定することで顔を小さく見せ,目鼻立ちの美しさを際立たせようとしたのだといえよう。イギリスではエリザベス朝期からしだいに眉墨が復活し,18世紀ころには再び眉を強調する時代に入る。ビクトリア朝期の理想的美人は,深い青の大きなひとみの上に大きく弧を描く眉を備えていた。J.パンセによれば,《美の百科全書》(1806)なる書物には〈眉の美とは,弓形にそり,つやのよい毛がたくさん生えていて,真黒で,ひじょうにほっそりとしているということだ〉と記されているそうだが(《美容の歴史》),色を別とすれば,この眉の美の基準は現代にも通用するものであろう。
(ひたい)
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「眉」の意味・わかりやすい解説


まゆ

上眼瞼(じょうがんけん)の上部で、上眼窩(じょうがんか)の真上にあたるところに弓状になって生えている毛で、眉毛ともいう。毛の長さは7~11ミリメートル。眉の位置にほぼ相当する左右の上眼窩縁の高まりの線を眉弓(びきゅう)とよび、その長さは5~6センチメートルである。眉毛の形状は人種や年齢によって多少の違いがある。眉部の皮膚は前頭筋、眼輪筋、皺眉筋(しゅうびきん)などの作用で動き、顔のいろいろな表情を表すが、その生理的意義は明らかではない。なお、眉墨(まゆずみ)の略語として眉の表現が用いられることもある。

[嶋井和世]

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百科事典マイペディア 「眉」の意味・わかりやすい解説

眉【まゆ】

眉毛。まぶたの上部,ほぼ眼窩(がんか)上縁に沿って弓形に密集してはえる毛。ヒト以外の動物では見られず,汗が目にしたたるのを防ぐといわれる。毛の寿命は短く,あまり長くならない。中国では古くから眉作りが行われ,隋代には長蛾眉(ちょうがび)が流行,日本でも奈良時代に行われた。平安時代以後は貴族の婦人は眉毛を抜き,額に墨で太い眉を描いた。民間では貞潔のしるしに既婚婦人が眉をそり落とす風があった。→眉墨

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