精神分析とは,創始者であるS.フロイト自身の定義に従うと,(1)これまでの他の方法ではほとんど接近不可能な心的過程を探究するための一つの方法,(2)この方法に基づいた神経症の治療方法,(3)このような方法によって得られ,しだいに積み重ねられて一つの新しい学問的方向にまで成長してゆく一連の心理学的知見,である。ここでフロイトの述べている方法とは,主として自由連想法である。この自由連想法は,定義の(1)(2)にみられるように治療法であると同時に人間心理の一探究法でもある。今日においても上記のフロイトの定義をほとんど変更する必要はないが,(1)については,自由連想のみならず自由連想の基本原理を生かした心理的接近方法をも加え,(2)については,神経症のみならず性格障害ならびに精神病を加えることができる。以下,フロイトの定義を尊重しながら治療としての精神分析,理論としての精神分析,応用としての精神分析に3大別して解説し,最後にフロイト以後の精神分析の動向を概観することにしたい。
フロイトと一時親交のあった内科医ブロイアーJ.Breuer(1842-1925)は,神経症の一類型であるヒステリー患者に対して催眠を施したのち,目下の神経症症状にまつわるさまざまな追想を感動を伴って患者に物語らせることによって症状を消失させる精神療法をくふうした。フロイトはこのブロイアー法を追試しているうちにやがて催眠を放棄し,ブロイアーのように特定の主題について追想を促すこともやめ,自由連想法を創始した。これは神経症患者を寝椅子に横臥させて,そのさい脳裡に浮かぶいっさいを自由に語らせる一方,治療者はこれに対していっさいの先入見を排して,患者の物語る連想にまんべんなく聴き入ることを基本とする治療法である。フロイトは,幼児期に源泉をもつ,抑圧されて無意識となった葛藤を神経症の病因と仮定したから,この自由連想法が患者の無意識的葛藤の存在を探り出すのに最良の方法と考えたのである。
さて,治療の実際は,たとい順調にはじめられたようにみえても,早晩,患者の連想はとどこおるようになる。これは患者の自我のなかに意識的・無意識的な抵抗が生じることに基づく。この抵抗は,患者自身が認めたくない衝動を無意識へと押し戻した自我の働きと同一のものである。また空想をも含む自由な連想が奨励されること,治療者の受容的態度,安楽な寝椅子の使用などの条件によって,患者は心理的に退行し,彼の幼年時代の重要な人物(主として両親)に向けた感情や欲求が再現し,これを治療者にさし向けてくる。この現象は転移(感情転移)とよばれるが,しばしば言語的表出よりも挙動によって表現される。たとえばかつて父親に強いおびえを抱いていた患者は温和な治療者に対してもおびえた振舞を示す。治療は,抵抗ならびに感情転移を治療者が見いだし,これを時機をみて適切に解釈することによって自由連想を軌道にのせていくことが可能となる。とりわけ感情転移状況においては,神経症発生の源泉とみなすことのできる幼児期の固定した,現在の状況にはそぐわない片寄った対人態度が,現実のいまここの治療状況において再現される。これは治療の影響のもとに生じた転移神経症transference neurosisであり,幼児神経症の新版である。いわば本来の神経症と比べれば人工的な神経症であり,治療者が初めて容易に操作できるものとなる。したがって妥当な解釈を通して,この幼児期に由来する片寄った対人態度を体験的に修正し,患者の対人態度をより現実適応的なものとすることが可能となる。抵抗も感情転移も実際には容易に解消するものではないので,くりかえし採り上げて言語的に操作されなければならない(徹底操作)。また治療者は,自由連想(夢分析を含む)の全材料,抵抗,感情転移の様相を検討し,患者自身にとっては無意識の心的状況を再構成し,これを時機を選んで患者に伝えることによって患者の自己洞察をいっそう深めることが可能となる。
精神分析療法においては治療者は一貫して中立的態度を保ち,自己の人生観や世界観を押しつけないことが要請されている。さらに感情転移状況においては,治療者にも意識的・無意識的な逆転移counter-transferenceとよばれる感情反応がひき起こされるので,治療者は自己の感情反応に対する自覚とその統制とが必要となる。したがって治療者には絶えざる自己洞察が要請される。治療者に対する教育分析didactic analysis(職業的精神分析家をめざす人自身が受ける精神分析)ならびにスーパービジョンsupervision(精神分析療法の臨床教育の基本となるもので,監督教育者supervisorと被教育者superviseeの間で行われる種々の訓練をいう)の必要性が昔も今も強調されるゆえんである。寝椅子を用いる自由連想,週に4~6回,50~60分の治療が標準型の精神分析療法であるが,今日では標準型の精神分析はしだいに用いられなくなってきている。これにかわって,週1~2回,50~60分の寝椅子を使わぬ対面による治療が普及してきている。これは精神分析療法とは区別して精神分析的精神療法とよばれる。このような手技においても,抵抗と感情転移とを重視し,患者の無意識的部分を意識化することによって患者の自我の強化をはかることに力点をおくことには変りはない。また治療の適応は拡大し,冒頭に述べたように神経症に限定されなくなったし,児童の遊戯療法や成人の集団療法のなかにも精神分析的な考え方がひろく浸透してきている。
フロイトの定義(1)(2)から明らかなように,精神分析は一つの経験の学である。フロイト自身,臨床経験の深まりとともに,その理論を補足・訂正し発展させつづけた。フロイト以後今日にいたるまで,治療対象の拡大,対象者の病態の変化,社会情勢の変動に伴い,臨床知見の集積とともに新たな理論が提出され,フロイトに始まるこれまでの理論が批判的に検討されてきたことは当然である。しかし心的現実性psychic realityを重視し心的決定論psychic determinismの立場をとるということは,フロイトの提唱以来現在にいたっても変わらない。心的現実性とは,他者からみれば幻想ないし空想とみられる心的現象も,当の個人にとっては物的現実に少しも劣らぬ現実であり,個人はこの現実にとらわれ悩むということである。たとえば母に対して角の生えた鬼のイメージを抱いた児童に出会ったとする。この子どもに対して精神分析家は,このイメージをどこまでも心的な現実として受けとめ,このイメージの性状,変遷ならびに由来を考えていく。そうでなければ,この児童の母に対する恐怖は解消しない。現実の母が鬼のようであるかないかはさしあたり二の次の問題である。みたところはやさしそうな母だから安心するようにと説得するのは心的現実の重みを知らぬ素人の言であり,これでは子どもの恐れは変わらないわけである。自由連想法は,とりもなおさず個人の心的現実性を一貫して尊重してこれをみつめていく方法である。一方,精神現象には必ず意味があり,たとい一見無意味とみえてもそれは先行する無意識的な精神過程によって決定されているとみなすのが心的決定論であり,たとえばフロイトの夢解釈の中にその好例を見いだすことができる。
つまり精神分析は,人間の諸行動を規定する真の動機は無意識である場合が多いと考える。〈臭い物身知らず〉ということわざは,いかにわれわれ人間が,おのれの行動の動因に無自覚な場合が多いかを端的に示してくれている。とくに神経症者は,健常者に比べて性欲や攻撃性に対する過度の抑圧がみられるために,心の中の無意識的部分が健常者におけるよりも拡大していると考えられる。フロイトは,〈意識〉〈前意識〉〈無意識〉の三つを区別した。無意識はもっとも広大であり,このうちには前意識が無意識へと抑圧されたもの(神経症的抑圧の大部分がこれである)も含まれるが,狭義の無意識は,精神と身体の限界概念ともいえ,多くは混沌とした一次過程の表象である。無意識の存在は,ただ推論されるか相当の抵抗を克服してはじめて意識化されるものであり,日常では失錯行為と夢とにその片鱗をのぞかせる。〈夢は無意識にいたる王道である〉とフロイトは考えていた。彼の著作《夢判断》(1900)は,彼の最大の自信作であるが,その中で彼が説いた夢成立のさまざまなメカニズムは,E.ブロイラーとC.G.ユングとによって統合失調症(精神分裂病)を心理学的に理解する理論的武器とされた。覚醒生活において無意識が露呈しないことはむしろ健康の印だが,統合失調症においては,自我が著しく脆弱(ぜいじやく)化して抑圧がゆるむためこの無意識が露出してくる。
フロイトは後年,意識の三層説をさらに発展させ,〈エス(イド)〉〈自我〉〈超自我〉という局所論的・構造論的な心的装置論を提出した。エスは生まれたばかりの新生児の未組織の心の状態であり,時空間を知らぬ本能のるつぼであり,快楽原則によって支配されている。このエスが外界と接触する部分が特別な発達を示し,エスと外界とを媒介する部分となる。これは自我と名づけられるが,母体であるエスとは正反対の性質をそなえるにいたる。すなわち,合理的,組織的で時空間を認識し,現実原則に従う。超自我は,エディプス期の葛藤を経過したのち,両親像が摂取され内在化して自我の一部となったものである。エスは無意識に,自我は意識の概念に一応照応するといえるが,この双方の概念は同義ではない。自我も超自我も無意識のままにとどまることが実は多い。先にも述べたように自由連想を妨げるのは,しばしば自我の無意識的な抵抗である。精神分析療法が成功すれば,この心的装置psychic aparatusの力動的布置も変わる。つまり無意識をできるだけ意識化することによって,自我と超自我との過度の結びつきがゆるむ一方,エスの部分が縮小して自我によって置きかえられてゆく。つまり治療の目標は,自我の拡大強化である。上のようなフロイトの心的装置論は,今日の精神分析においてもおおむね継承されているが,新生児が混沌たるエスの塊であるという見方は疑問視されており,自我はきわめて早期に形成されてくるという見方が有力となった。
〈口唇期〉にはじまり〈肛門期〉〈男根期〉〈潜伏期〉を経てついに〈性器期〉に統合されるというフロイトの唱えた精神性的発達理論は,性愛の発達を核心に据えた一つの発達心理学である。フロイトは,口唇や肛門が対象--精神分析用語で人間対象を意味し,一個の人間全体は全体対象であり,乳房やペニスは部分対象である--との接触(たとえば授乳時の口唇)において,ないしはそれ自体の機能(たとえば便をためこんで排出するさいの快感)として,エロティックな機能を本来そなえていると同時に,これらの器官の機能を通して養育者に対する陰陽種々の感情がはぐくまれることに着目した。体質的要因(フロイトは,先天的に口唇愛,肛門愛の強い者の存在を考えていた)を別とすれば,これらの各期を過度の欲求不満も過度の欲求満足も経験することなく通過することが人格の健康な発達の条件とみられる。
ところで男根期phallic stage(phase)は,フロイトが強調したエディプス・コンプレクスを形成する時期(3~6歳)だが,親子の三者関係の中に愛憎を伴う心的抗争が恒常的にみられるというエディプス・コンプレクスの提唱は,超自我形成論と並んで,今日隆盛な対人関係論,対象関係論object relations theoryの萌芽を示したものといえる。5歳以降に生じる潜伏期latency periodによって幼児性欲の発現と性器性欲の発現との間に休止期が置かれる(性愛発達の二相性)。性器期は,いわゆる思春期に照応するが,成人になっても,口唇期,肛門期といった前性器的な段階の痕跡が皆無になるわけではない。とりわけ神経症や精神病は,発達段階をその固着点にまで後戻り(退行)した状態である。そして精神病のように障害が重ければ重いほど,早期の発達段階にまで退行すると考えられる。
フロイトの精神性的発達理論は,一部の精神分析学者,たとえばイギリスの対象関係論者の一人であるフェアベアンW.R.D.Fairbairn(1889-1964)を除けば,さまざまな修飾をうけながらも継承されている。たとえばM.クラインの独創的なポジションpositionの概念は,口唇期における対象関係を細分することから出発している。現存在分析の創唱者L.ビンスワンガーもこの身体形態論的な精神発達理論を承認し,高く評価している。しかしエディプス・コンプレクスをフロイトのように神経症の原因とみなす考えは薄れてきている。これは要するに人生早期の葛藤という立場から検討を要する心的構造の一つということになる。ちなみにクラインは,このエディプス葛藤はすでに生後1年のうちに始まるとみている。
フロイトは,精神生活の中には一種のエネルギーが活動していると仮定する。生体の成長,維持,発展,すなわち結合を目的とするエロスのエネルギーをフロイトはリビドーとよぶ。精神性的発達はリビドーの発達史でもある。このリビドーは,対象と自我との間をも往来する。リビドーが愛する対象に向かえば,それは対象を充当して対象リビドーobject libidoとなり,対象リビドーが撤収されれば,それは自我リビドーego libido(〈ナルシシズム的リビドー〉)となる。ここでは一定量のエネルギーの移動と増減が前提とされており,自我はエネルギーの過度の蓄積に耐えられずに対象へと向かう。しかし原因不明の過程によって対象リビドーが無理に自我の中へと撤収され,リビドーの可動性が失われてしまうと自己愛神経症narcissistic neurosis(心気症や統合失調症)に陥る。このように精神現象の説明に量的観点をもちこむことはフロイト理論の一特徴である。しかしこのようなリビドー経済論的な見方は,現代の精神分析学においてはそれほど重視されてはいない。とはいえ対象喪失によって自我に戻ったリビドーが,捨てられた対象と自我との同一化をつくり出すために用いられるとした彼のうつ病論は,今日広範な意義を獲得するにいたった対象喪失の精神力動学の基礎をなす考えである。
エロスに対立する一方の本能は,破壊本能すなわち〈死の本能〉である。この本能の目標は究極には生物を無機状態に還元することだが,〈死の本能〉説はフロイト晩年の着想である。フロイトの精神分析療法は,エロスの機能が抑圧をこうむっているヒステリーの治療から出発したのだから,リビドー説が先行したことは当然のなりゆきであった。だがついで強迫神経症ならびにうつ病の研究をすすめるにいたって,フロイトは抑圧された攻撃性の重大さに気づく。さらには自己破壊を事とする病者の一群や治療に抵抗してどこまでも病的状態に戻ろうとする患者が存在すること,ならびに第1次世界大戦の悲惨な見聞などが,フロイトに〈死の本能〉の存在を仮定させることになったのであろう。しかしこの仮説はその後の多くの精神分析学者が支持していない。例外はクラインで,彼女は個人の内的な自己破壊衝動の外界への投影をもっぱら考える〈死の本能〉肯定論者である。
不安神経症という神経症類型を抽出したのはフロイトだが,彼は一貫して不安の問題に取り組んだ。彼は初期には,蓄積された身体的・性的興奮がなんら心的な加工を経ることなく直接に不安に変換されるという病因論を唱えている。その好例は,中絶性交を常習とする者に起こる不安反応である。フロイトは後期には初期の考えを根本的に改めた。不安は,外的内的に危険が迫ったことに対する自我の示す危険信号であるとみなされるようになった。外的な危険に対して自我が示す不安は現実不安realistic anxietyであり,内的な危険,すなわち自我の処理できない内的な衝動(性的衝動+攻撃欲)に対する自我の孤立無援の状態が神経症的不安を生む。しかし単に内的な衝動のたかまりが危険なのではなく,それが現実に去勢の恐怖ないし対象の喪失を招くおそれがあるからこそ危険となるのである。したがって煎じつめれば神経症的不安といえども現実不安である。自我は内外の危険を回避するためにさまざまな防衛機制(抑圧,否認,隔離,反動形成,打消し,象徴化,同一化,投影,自我の分裂)を働かせる。現代の一般心理学の中に防衛機制論はあまねく採用されているが,その発見者はフロイトである。
フロイトが自由連想法によって得た心理的知見は,この新しい心理的接近法によってのみ得られた独自なものであったが,これを理論化するに当たって,フロイトは当時支配的であった唯物論的な物理学,生理学の考えをモデルとした。〈エネルギー保存の法則〉を定式化したH.L.F.vonヘルムホルツの影響は,フロイトの徹底した決定論とエネルギー経済論に反映しているし,階層的・局所論的な心的構造論は,彼自身がかつてJ.H.ジャクソンの思想的影響を受けた神経学者であったことと関係していよう。さらにその人格発達論と退行理論にはC.ダーウィンの進化論の裏打ちがある。またJ.F.ヘルバルトの自然科学的・機械論的見地に立つ心理学とフロイト心理学の類似性もしばしば説かれている。
これはフロイトの定義の(3)に属するであろう。フロイトは,臨床的経験から導き出された自己の理論を基礎として芸術,文化,宗教を論じたが,このうち《トーテムとタブー》(1913)の中で展開した文化論は,彼自身認めるように大胆な仮説であった。すなわちそれは,原父による独裁と女たちの独占→追放されていた兄弟群による原父殺しと女たちの獲得競争→種族保存のために不可避的に成立する近親相姦の禁止→贖罪と原父の神格化=宗教の起源といった一連のエディプス状況が人類の歴史上現実に起こったとする仮定である。それは文化人類学者たちによって否定されたにもかかわらず,むしろその間の過程の中で,精神分析と文化人類学との活発な学問的交流を可能にしたという大きな意味をもっている。これ以外にも精神分析の諸理論,諸概念は,後述のようにさまざまな変容を加えられながらも他方面に広範な影響を与えている。
フロイトは自我を,エスの欲動を制御し,超自我の圧力に対しながら外界との適応を図るものとしていわば受身的にとらえたが,自我機能そのものについての検討は徹底しないままに終わった。このフロイトの自我研究を継承発展させ自我の積極的機能を明らかにした代表者は,フロイトの娘であるA.フロイト,ならびにH.ハルトマンらであり,彼らにはじまる自我心理学ego psychologyは,以後アメリカにおける精神分析学の主流となった。この系譜に属するE.H.エリクソンの自我の心理的-社会的発達理論,すなわちアイデンティティ形成理論は,臨床的にも社会学的にもきわめて有用な概念である。いわゆる新フロイト派は,アメリカにおける正統精神分析学派に対する批判者の一群であるが,フロイトの生物学主義的な本能論と決別し,パーソナリティの形成や神経症の発生に関し,文化的・社会的要因を強調する点で共通する。この派に入れられる最大の人物はH.S.サリバンであった。彼は精神分析とはいわず精神医学それ自体が〈対人関係の学〉にほかならぬことを強調し,フロイトの精神性的発達は,子どもと親との対人関係の様態の焦点を示すものであると考えた。彼は統合失調症の優れた精神療法家でもあった。E.フロムは精神分析と社会心理学を結合した人として評価されよう。
一方イギリスでは,いわゆる対象関係論が台頭した。その濫觴(らんしよう)となったのは女流分析家クラインの立場である。彼女は,主として児童を対象として,外的対象の意味を獲得するにいたった対象の内的な表象,すなわち内的対象internal objectを徹底的に追求した。内的対象は,いわば一種の幻想であり,心的現実性の中に位置づけられる。たとえば〈母は鬼〉というのは,内的対象に焦点を結んだ心的現実である。クラインは外的対象の意義をはなはだしく軽視したが,その後のたとえばフェアベアンは,外的対象external objectと内的対象との間に密接な照応関係を見いだしている。要するに今日有力となった対象関係論は,内的対象と個人のもつ現実の対人関係との相互作用を扱うものである。新フロイト派の対人関係論にせよ,イギリスで起こった対象関係論にせよ,フロイト理論の中に含まれる機械論的生物学主義と決別したところには共通点がある。しかし一方,フロイト理論の根幹ともいえる生物学主義の廃棄に対しては,危惧の声があがっていることもまた確かである。
最後に日本における精神分析の状況についてふれる。アカデミズムの世界に精神分析学をはじめて導入したのは東北帝大教授であった丸井清泰(1886-1953)であった。正統的精神分析療法を習得し,これを広めたのは,丸井の門下で,1年間ウィーン精神分析研究所に留学した古沢平作である。今日,精神分析学界における指導的立場にある多くの学者は,戦後ひとしく古沢の教育分析を受けた人々であり,近年独自の〈甘え〉理論を提唱した土居健郎もその一人である。
執筆者:下坂 幸三
フロイトによる無意識の領野の発見は,単に心的機制の理論や神経症の治療の問題にとどまらぬ広範な影響をもたらした。それは現代思想の最大の源泉の一つに数えられる。
フロイトは神経症を心因性のものと考えたが,それは心の働きを形而上学的に解釈するのではなく,どこまでも科学的に探求しようとするものであった。フロイトが研究をはじめた19世紀末は,自然科学のめざましい発展とともに,実証主義的・唯物主義的思潮が支配的となり,これに対して,新カント学派をはじめとする観念論的な近代理性主義擁護の試みも盛んとなっていた。フロイトが生きたウィーンもまた同様で,フロイトも病理解剖学など実証主義的医学を学び,神経症治療の必要からはじまった精神分析的探求も,リビドーというような基本概念にみられるように,当時の自然科学的実証主義を基盤としていた。
しかし,精神分析的治療は,医師と患者の共感的交流のなかで,患者が自己浄化的に無意識的領野を探るものであったから,正気(理性)を狂気に対立させ,理性によって狂気を克服しようとするそれまでの近代理性の考え方とは異なった視野を生み出した。そこに拓(ひら)かれた無意識の領域は,自然科学的な〈事実〉の世界とも,観念論的な〈意識〉の世界とも異なる第3の〈現実〉の世界を指し示した。こうして,フロイトの精神分析は,19世紀のヨーロッパ思想を支配した近代理性主義への根底的批判として,同時代のH.ベルグソンの〈持続〉の哲学やE.フッサールの〈現象学的還元〉の哲学などとも相通ずる思想的革新を促し,現代思想の源泉となったのである。
フロイトの精神分析は,性的要因の強調やフロイトがユダヤ人であったことなどから,憤激と嫌悪の的となったが,それでも1908年にはザルツブルクで最初の国際精神分析学会が開かれ,機関誌も刊行されはじめた。そして,10年にはK.アブラハムによってベルリン精神分析学会(研究所)が開設され,さらにロンドン,ウィーン,ブダペストにも学会ができた。またドイツ語圏だけでなくアメリカにも急速に受け入れられ,31年にはニューヨーク,シカゴにも学会が開かれた。しかし,そのころまでには,はじめフロイトの弟子ないし賛同者であった者のなかから,A.アードラーやユングがフロイトと見解を異にして離れ去り,それぞれ独自の無意識探求の道に進み,また20年代はじめにはランクO.Rank(1844-1939),シュテーケルW.Stekel(1868-1940),S.フェレンツィ,W.ライヒらも,しだいにそれぞれの見解を発展させた。この間,創始者のフロイト自身も,精神分析を自我分析や文化・社会理論に拡大する一方,無意識の第一義性や幼児性欲(およびエディプス・コンプレクス)の承認を正統派の要件としたから,精神分析運動には正統派と修正派の争いが生まれた。
1920年代は精神分析への関心がひろがり,さまざまな国や分野に影響をひろげた時代であった。オーストリアやハンガリーに代わってワイマール共和国のドイツがその中心となり,のちにアメリカで有名になる多くの精神分析学者が育った。彼らのなかには,フロイトが未来の文化や革命に対して悲観的であったのに対して,社会主義的革命思想に共感し,フロイト主義とマルクス主義の総合を試みる者もあった。なかでも,ライヒは,もっとも急進的な例であるが,その結果,精神分析学派からも共産党からも排除された。トロツキーは精神分析に共感を示していたが,正統派マルクス主義は,精神分析を排拒したのである。フランスでは,精神分析そのものはあまり受け入れられなかったが,前衛的芸術,とくにシュルレアリスムの運動に大きな影響を与えた。シュルレアリストは,〈理性〉が把握する現実とは別の偶然,幻覚,夢,狂気などのうちに超現実の領域を探求しようと,フロイトの学説を援用しつつ,自動記述やコラージュ,フロッタージュ,デカルコマニーなどの手法を駆使して,詩的想像力と無意識の激烈な解放を実践し,さらにはブルジョア文化の転覆と社会主義革命をめざした。しかし,やがて30年代に入り,ナチズムが台頭すると,精神分析は禁圧され,ユダヤ系の多かった精神分析学者は亡命を余儀なくされ,その多くがアメリカに渡った。フロイトもオーストリア併合とともに,38年イギリスに亡命する。こうして,精神分析は舞台をアメリカに移して多様な展開をはじめた。
アメリカではすでに早く精神分析が移入され,20年代には通俗化されて大衆的に受容されていたが,亡命学者の移住とともに新しい展開がはじまった。この新しい精神分析の修正的発展は,大きく三つの方向に分けうる。第1は,ウィーンからの亡命精神分析学者であったハルトマンや,やはりウィーンで精神分析を学んだデンマーク生れのエリクソンらの自我心理学の展開であり,それは,イギリスにとどまったフロイトの娘アンナの自我研究とも対応して,正統派に属する。しかし,アメリカでは文化人類学や社会学との深い交流によって,個人の自我・パーソナリティ形成と文化・環境との関係の探求が深められるとともに,幼児期における両親の役割など,育児,教育,社会的非行その他の広い分野の研究に拡散しつつ深く大きな影響をひろげた。
第2は,K.ホーナイ,フロム,サリバン,フロム・ライヒマンF.Fromm-Reichman(1890-1957)ら,フロイトの性欲あるいは本能の第一義性を強調する生物学主義を批判し,社会的・文化的条件と諸個人の社会的性格の形成を重視して探求する方向である。彼らは,新フロイト派あるいはフロイト左派とよばれる。ホーナイもフロムも20年代のベルリンで研究し,マルクス主義の影響を受けたが,そこから社会学や人類学,社会心理学など社会諸科学とフロイト主義を結合する試みを行い,大きな影響をひろげた。それは,社会・文化事象の理解に心理学的視点を導入するさまざまな試みを促進し,大衆社会論,大衆文化批判などを生みつつ,社会科学を革新するうえで大きな役割を果たした。
第3は,M.ホルクハイマー,T.アドルノ,H.マルクーゼら,のちにフランクフルト学派とよばれる人々によるフロイト主義の批判的摂取である。彼らは20年代のワイマール・ドイツで,フランクフルトの社会研究所に拠って,マルクス主義に基づく独自な批判的理論を形成したが,精神分析に深い関心を抱いていた。社会研究所には,フロムも参加しており,29年には,研究所と密接に結びついたフランクフルト精神分析研究所もつくられた。やがて彼らはアメリカに亡命する。アメリカで,フロムは新フロイト派として新しい方向に進み,社会研究所を離れた。ホルクハイマーとアドルノは,フロムらの修正派はフロイトの〈性の本能〉と〈死の本能〉の概念を退けて,現代社会では決して実現されるはずのないパーソナリティの調和的統一を求めようとするもので,かえって社会的矛盾をおおいかくすものだと批判した。しかし,その批判をもっとも徹底させたのはマルクーゼである。彼はフロイトの原理を積極的に擁護しつつ,それを産業文明の疎外と物象化を超える原理に再解釈して,エロスの革命的な力を再発見した。彼の文明批判は60年代のさまざまな〈青年の反乱〉を鼓舞した。こうして,フランクフルト学派はマルクスとフロイトの結合という課題を残した。
なんらかの形でフロイト主義と結びついたアメリカの社会諸科学は,第2次世界大戦後50年代を通じて世界的に普及した。ヨーロッパでは,多くの亡命学者が流出して思想的に沈滞したドイツに代わって,フランスで近代理性主義を根底的に批判する新しい思想的動向が生まれた。それが,60年代に入って構造主義として顕在化したとき,精神分析はその不可欠の要素となっていた。そのなかでもJ.ラカンは,30年代半ばから精神分析を学んだが,大戦後,無意識を体系的な言語の構造をもつものと考え,言語学と結びつけつつ独自なフロイト理解を進めて,とくに60年代半ば以降構造主義の一翼をにない広い思想的影響を与えるにいたった。彼の主導するフランスの精神分析は,ときにパリ・フロイト学派とよばれる。
一方,J.P.サルトルやM.メルロー・ポンティをはじめ現象学とマルクス主義を結合する実存主義の展開に続いて,人間の社会的活動を深層の意味構造から理解しようとする探求が生まれると,精神分析とフロイト主義は,言語学や人類学などと連動しつつ,無意識的な文化の構造を探り,人間認識の基本視座を革新する試みの思想的源泉の一つとなった。C.レビ・ストロース,M.フーコーらがそのような試みの代表者であるが,その後も思想のあらゆる分野でフロイトの新しい理解が新しい探求を触発しており,精神分析学者F.ガタリと共同する哲学者G.ドゥルーズの社会哲学的探求からJ.クリステバの記号論的探求やR.ジラールの象徴論的探求などにいたるまで,フロイトと精神分析の影響はいっそう深くひろがっている。
→心理学 →精神医学
執筆者:荒川 幾男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
精神分析はオーストリアの精神科医フロイトによって初めて試みられた心理治療の方法であり、無意識を主体とした力学的心理学の理論体系であるが、今日では比類なく大きな射程をもつ人間科学の方法であり、心理学、哲学、思想、文学、芸術などさまざまな領域において大きな影響を与えている。精神分析は人間のとらえ方を根源的に問い直し、従来の人間観を根底から覆した。心理療法として、精神分析と対照的な立場にたつものは、行動主義の心理学に基づく「行動療法」である。精神分析と行動療法はあらゆる意味で対照的であるが、この違いをもっとも明確に示しているのは、刺激と反応という概念についての解釈の相違である。
[外林大作・川幡政道]
精神分析においては、刺激は緊張をおこすものであり、反応は緊張を解消するものである。刺激に対して反応がおこると、刺激によって引き起こされた心理的緊張が反応によって解除され、平静な状態を回復すると考える。もし刺激が与えられたとき適切な反応がおきなければ、心理的緊張が残ることになる。緊張が残れば、なんらかの方法で緊張を解除しようとするし、平静さを回復しようとする。これが精神分析の基本的な考え方である。これに対して行動療法では、刺激と反応の結合が問題となる。刺激があれば、なんらかの反応(行動)がおこるというのが行動主義の基本的図式であり、症状はなんらかの刺激に結合した行動にほかならないものと考えられる。そこで、この刺激と反応の結び付きを強めたり、弱めたり、あるいは刺激に対して従来の反応とは異なる反応とを結び付けたりすることが、心理的治療になると考えられる。つまり、行動療法のもとになっているのは、連合主義の色彩の強い条件づけの理論であり、一般に学習心理学とよばれているものである。刺激と反応についてのこうした考え方の違いは、必然的に治療法の違いとなって現れる。
[外林大作・川幡政道]
精神分析のオーソドックスな治療の方法は、患者を長椅子(いす)に寝かせて自由連想を試みるように求める。頭に浮かんだことはどんなことでも話すように求める。たとえ治療とは関係なく、道徳的に認められないようなことであっても、思い出したことをそのまま話すように求めるのである。この意味で精神分析治療は、話すことによる治療(談話療法という)であるといってもよい。しかし、これは、自分の腹のなかにためていたことを話して気が晴れるから治療になるという意味ではない。心の奥底にたまり、症状のもととなっているものは、日常的な意味でのおしゃべりをしたぐらいで晴れるものではない。自由連想法というのは、おしゃべりでなく、ほんとうの話ができるようにするものである。おしゃべりをすると、ほとんどそのおしゃべりは自己弁護であり、自分の正当性を相手に納得させようとしたり、同情を求めようとしたりするものになってしまう。自分のありのままの姿をことばに出すというより、見せかけの自分をつくりあげることになる。この違いを、フロイトは意識と無意識という概念で示している。分析者と患者の間では主体と主体との関係で話が進められなければならないが、こうした関係がつくれると、エス・シュプリヒトEs spricht(ドイツ語。エスが語る)、すなわち主体としてのエス(イドともいう)が語り始め、無意識の欲望が語られるようになる。ラカンは同様のことを「充実したことば」「空虚なことば」という概念で示している。
[外林大作・川幡政道]
治療法の問題として重要なことは、どうしたら自己弁護でない話をすることができるようになるかである。患者は自由連想で自己弁護し、防衛し、抵抗を試みるが、こうした抵抗が分析者によって解釈されるようになると、特殊な抵抗を試みるようになってくる。これが「転移」とよばれているものである。患者はそのことを意識しないが自分が子供であり、分析者が親であるかのような感情をもつようになり、「自由連想」のなかに親と子の関係が再現されたかのような態度がつくられてくる。転移というのは、幼児期の親子の関係が自由連想の分析状況のなかに移されたという意味にほかならない。このことは別の表現をすれば、患者は日常生活において新しい状況で新しい人と対面していても、その新しさを認識することができず、幼児期に親と子の間でつくりあげた人間関係に従って行動しているということであり、その「親子関係」がさまざまな問題点を含んでいるということである。「三つ子の魂百まで」といわれ、教育問題として、幼児期の家庭教育が重視されるのは、この時期の親子関係が、後年になっても消すことのできない刻印を残すからである。しかし、精神分析にとって重要なことは、幼児期の親子関係での経験そのものというより、分析状況のなかに転移されたもの、すなわち客観的事実というより心理的事実(心的現実)が問題であることはいうまでもない。
[外林大作・川幡政道]
分析状況で転移されるもっとも重要な親子関係は、エディプス的関係である。父・母・子の、いわば三角関係である。男の子の場合を例にとっていえば、エディプス的関係は、母親に愛情を抱き、父親に敵意をもつことをいう。男の子は父親を無きものにし、母親と2人だけの関係を温存しようとする。これはいうまでもなく「近親相姦(そうかん)」の願望で、抑圧される運命にある。男の子は父親に対する敵意の報復として、父親から去勢されるのではないかという不安をもつからである。この不安をなくすために、男の子は自分を父親と同一視し、エディプス的関係を克服しようとする。克服されないときに、さまざまな症状がおきてくることになる。転移的関係のなかでは、こうした意味での症状が新しくつくられ、顕在化してくる。その症状の意味を理解することが、自己洞察を導き、治癒につながってくる。こうした精神分析の治療の考え方は、症状そのものを直接になくそうとするものではない。風邪(かぜ)をひいて熱が出たので解熱剤を服用して熱を下げようとするような対症療法ではない。症状そのものが問題でなく、こうした症状をつくりだすもとになっているもの、エディプス・コンプレックスとか去勢コンプレックスが問題なのである。これらのコンプレックスを清算しない限り、対症療法的に症状をなくしても、それにかわる新しい症状が現れてくるだけであると考える。
こうした精神分析の考え方に対して、行動療法の考え方は対照的である。症状を対症療法的に条件づけの方法で消去することによって治療ができると考える。症状を取り除いても、精神分析のようにもとの症状のかわりの症状がおこるとは考えない。この違いは先に述べたような刺激―反応の考え方の違いによるが、無意識という概念を必要とするか、意味というものを考えるか否かということに依存している。行動主義においては、外に現れた症状が問題であり無意識の概念は不用で、意味を考える必要がないが、精神分析では、無意識、意味が理論的に肝要な問題となっている。精神分析が、しばしば無意識の心理学であるといわれるのもこのためである。精神病の言動は常識的に理解することがむずかしいが、神経症の場合もまたその言動を理解することがむずかしいことが多い。これはちょうど、「夢」が常識的に理解しにくいのと同様である。この意味から、神経症の症状と夢は類似の性質をもっているものであると考えられ、夢の意味を解釈することと症状の意味を明らかにすることは同じように治療的意義をもつとみなされる。
[外林大作・川幡政道]
精神分析において夢の解釈が重要な意義をもつのはこのためである。さらに一歩進めて考えるならば、夢と「白昼夢」といわれる空想も類似のものであるから、精神分析を治療としてでなく、心理学の研究の手段として考えるならば、「空想」を研究しようとするものであるといえる。夢は無意識を知るための王道であるといわれるように、夢や空想の研究によって、心の無意識過程、すなわち一次過程とよばれるものを明らかにすることができる。これを一般的な心理学の用語でいえば、動機を明らかにしようとしているといってよい。たとえば犯罪がおこるなら、その動機はなにかということがまず第一に問題になるが、無意識的一次過程を明らかにしようとすることは、こうした動機を明らかにしようとするものにほかならない。刑事は犯罪者の自白をもとにして怨恨(えんこん)が動機であるとか金取りが目的であると考えるかもしれないが、分析家は患者の病気の動機はすべて意識されていない性衝動にあるとみなしている。そのため、精神分析は汎(はん)性欲説であるといわれたりすることがある。しかし、精神分析の「性欲」の概念は常識的な意味での性欲とはかなり異なっている。人間を心理学的に理解するには、性欲を心理学的に概念化することが必要なのである。
[外林大作・川幡政道]
常識では性欲は食欲と同じように生物的な本能といってよいほどのものと考えられている。また、性欲は思春期になって初めて現れるものであると考えられている。しかし、フロイトにおいては、性欲は幼児期から現れているものであり、生物的本能とは別個の心理的な事実とみなされる。人間の心理を生物学の知識によって類推しようとするのでなく、心理学固有の概念によって人間の心理を説明しようとするからである。この意味では、他の心理学の理論のように生物学を援用するものでなく、純粋な心理学をつくろうとするものである。しかし、これは、人間が生物であることを否定するものではない。性欲は、生物学的な食欲に随伴して発現してくる衝動であると考えられるからである。すなわち、性欲の原型は、幼児が母親から授乳され満足して眠り始めるときのあの満足経験を再現しようとすることであると考えられる。これは、一度うまい食べ物を味わうと、その味を忘れることができなくて、もう一度あのようにうまい物を食べたいと願うのと同じことである。同じようにうまい食べ物を探しても、二度と同じようにうまい物に出くわすことができないように、幼児は満足経験を再現しようとするが、しかし、同じような満足を経験することができない。性欲には挫折(ざせつ)が付き物であり、代償的な満足でがまんせざるをえない。挫折しても求め続けるのが悲願なら、性欲はまさしく悲願となった願望である。
こうした幼児性欲は、口唇期、肛門(こうもん)期を通してさまざまな身体的部位を利用して満足経験を再現しようとするが、男根期(3~6歳ごろ)に至ると男根を通して満足を得ようとする。しかし、これは近親相姦の禁止によって妨げられ、満足経験の再現を放棄しなければならなくなり、潜在期(6~12歳ごろ)に至る。そして思春期(12~17歳ごろ)に至ると、抑圧されていた近親相姦の願望は大きな変容を受け、他人との間に異性愛としての性欲が現れてくる。性欲はもともと母親からの授乳を契機にして発生してきたものであるから、養育者や保護者に性欲が向けられ(男根期)、さらに成長するにつれて、養育者や保護者と類似している人、その代理となるような人に向けられる。これに対して、指しゃぶりのような自慰行為にとどまるなら、性欲は自分自身に向けられ、いわゆるナルシシズム(自己愛)とよばれる性愛の類型、たとえば同性愛がおきてくる。幼児性欲は、満足を得られるならば、どんな対象であろうと手段として利用する。だから性欲には定型というものはない。なにが正常でなにが異常であるかを決められないことは、さまざまな性生活の報告書の示すとおりである。
フロイトは後期になると、性欲をもっと包括的立場から考えるようになり、死の衝動(タナトスThanatos)に対立する生の衝動(エロスEros)として考えるようになる。ここでは満足経験の再現というより、衝動の一つの特質とみなされる強迫的に反復しようとする側面が強調され、満足経験の究極は静謐(せいひつ)、涅槃(ねはん)にあるという考えが示される。いずれにしても、性欲の実際問題は抑圧の運命を担うものと考えられる。性欲は抑圧と切り離して考えることのできないものである。
[外林大作・川幡政道]
フロイトの基本的な考え方の立場は、(1)力学的考え方、(2)場所論的考え方、(3)経済的考え方であり、この三つの立場から心的現象を記述したときに全体的に説明したことになる。これはフロイトの科学的な思考様式を示すものであるが、実際には場所論的記述はできても経済的な説明ができないというような場合も多く、三つの立場から完全に記述できることのほうがまれであるといったほうがよい。
(1)力学的考え方は、たとえば抑圧という概念によく示されている。抑圧は意識に現れようとするものを食い止めようとすることであるが、この二つの力の均衡、葛藤(かっとう)として症状を理解しようとする。
(2)場所論的立場は、前期の意識系・前意識系・無意識系、後期のエス・自我・超自我という概念によく示されているように、心という装置を空間的な位置関係によって理解しようとするものである。
(3)経済的考え方は、エネルギー充当(備給)の概念を具体的に記述しようとするもので、エネルギーをあたかも金銭のように考え、その流通・貯蓄として心的現象を記述するものである。平たくいえば、人間というものはうまくできているものだというときに意味されることのようなもので、快感原則によって示されているものである。たとえば、抑圧のときに意識に現れるものを食い止めるためにはエネルギーが必要であるが、そのエネルギーはなにも新しく調達する必要はなく、反対エネルギー充当によって可能になるといったようなものである。
[外林大作・川幡政道]
こうしたフロイトの精神分析が精神医学や心理学に大きな影響を与えたことはいうまでもないが、思想、芸術にも大きな影響を及ぼした。心理学に限っていうならば、前述の行動主義の心理学のようにまったく対照的で立場を異にするものもあるが、フロイトの影響をもっとも強く受けているのはゲシュタルト心理学者のレビンであり、その流れをくむものである。彼の心理学はトポロジー心理学とよばれるが、これは場所論的考え方をより論理的なトポロジーによって表現しようとしたものである。力学的考え方は、ゲシュタルト心理学の全体にみられるもので、とくにレビンに特有なものではないが、研究領域はフロイトと共通した面を多分にもっている。経済的考え方は、一見したところレビンに欠けているようにみえるが、ゲシュタルトという概念そのものが快感原則あるいは恒常原則と軌を一にしたところをもっていることを考慮するならば、レビンにおいては改めて取り上げる必要のないものでもある。
第二次世界大戦後脚光を浴びてきた臨床心理学が精神分析の影響を強く受けていることは当然のことであり、その後の心理療法、人格論は精神分析の影響下にあるといわなければならない。精神分析とまったく異なる知能の研究をしたピアジェの発達理論が、フロイトの精神分析と対比されることも興味のあることである。しかし、これで心理学と精神分析の間隙(かんげき)が埋められたというのは早計である。両者の間にはまだかなりの隔たりがある。これは、実験的方法をとろうとする心理学と、臨床的方法をとる精神分析との違いということもできる。
[外林大作・川幡政道]
フロイト以後の精神分析を一瞥(いちべつ)してみると、さらに別の問題が残されていることも明らかである。精神分析の歴史は、フロイト批判と離反に終始しているといっても過言でないところがある。1911年にアドラーは、フロイトの性欲論に反対し「個人心理学」の一派をつくった。その内容は、個人心理学という名称とは裏腹に、衝動の基本は社会的関心にあるという。この考えは、後年の新フロイト派に影響を与えた。1914年になるとユングが、フロイトの性欲論に反対し、「分析心理学」を提唱するようになり、無意識を個人的無意識と集合的無意識に分け、無意識を系統発生的に考えるようになる。第二次世界大戦後になると、フロイトの生物学的考え方に対して、社会的・文化的影響を重視する新フロイト派とよばれる一群の分析家が現れた。そのうちで日本でもっとも有名なのはフロムである。新フロイト派がアメリカ文化に支えられているのに対し、一方、イギリスでは対象関係理論とよばれる一派が形成されている。この場合には親子の関係が重視されるが、生物学的な考えを捨てようとする点では、新フロイト派と同じ傾向をもっている。正統派の精神分析は、自我心理学ともよばれ、こうした異端とは異なり、より心理学に接近しようとしているが、かならずしもその成果は期待されるほどのものではない。生物学的な外傷理論を捨て純粋心理学的な空想理論を構想したフロイトの本旨にもとるという批判もある。その批判の代表者がラカンである。フランスのラカン一派は正統派とはまったく異なるが、「フロイトに帰れ」というスローガンのもとに、フロイトを再評価し、精神分析内部だけではなく、思想界にも大きな影響を与えている。精神分析は新しい思想の形成につながっているが、家族の崩壊、生理学の巻き返し、コンピュータ化の時代のなかで21世紀の精神分析はどのような展開をみせるだろうか。
[外林大作・川幡政道]
フロイトはしばしば精神分析の研究を志す人たちに対して文学作品を精読することを勧めているが、彼自身もギリシア古典をはじめとし、ゲーテ、シェークスピア、ドストエフスキーなどの作品のみならず、当時のあまり有名でない作家の作品まで愛読していた。彼の文学に対するこの強い関心の理由は『夢の解釈』(1900)に示されている。詩や作品を読むことは夢を解釈することと同じだからである。解釈とは一次的無意識過程が二次的意識過程にどのようにして変換されるかを明らかにしようとすることであるが、文学作品はその素材を提供するものにほかならない。これは文学作品に適用されるだけでなく、絵画にも通用する。シュルレアリスムは、フロイトの影響を受けて絵画的作品の解釈を試みたといえる。ラカンやデリダらの解釈あるいは文学批評は、基本的にはフロイトの構想に負うものである。
[外林大作・川幡政道]
『土居健郎著『精神分析と精神病理』第2版(1970・医学書院)』▽『西園昌久著『精神分析の理論と実際 神経症編・精神病編』(1975、1976・金剛出版)』▽『ホーナイ著、川口茂雄・西上裕司・我妻洋訳『精神分析とは何か』(『ホーナイ全集7』1976・誠信書房)』▽『外林大作著『フロイトの読み方』1、2(1983、1988・誠信書房)』▽『ジュアン・ダヴィド・ナシオ著、榎本譲訳『精神分析 7つのキーワード――フロイトからラカンへ』(1990・新曜社)』▽『ロラン・ドロン著、外林大作監修、高橋協子訳『知の精神分析――フランスにおけるフロイト理論の展開』(1998・誠信書房)』▽『S・フロイト著、高橋義孝・下坂幸三訳『精神分析入門』上下(新潮文庫)』▽『宮城音弥著『精神分析入門』(岩波新書)』▽『小此木啓吾著『現代の精神分析――フロイトからフロイト以後へ』(講談社学術文庫)』▽『新宮一成著『ラカンの精神分析』(講談社現代新書)』▽『ジークムント・フロイト著、高橋義孝訳『夢判断』上下(新潮文庫)』
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…その後彼女は,何人もの医師に催眠療法を受けたが,いつも軽快の後に医師に反感を抱いて再発するパターンを反復した。この経験を通してフロイトは,催眠療法の効果が医師との感情関係により左右される事実についての認識を深め,これが精神分析の新たな方法を樹立するための重要な基礎となった。【馬場 謙一】。…
…さらにまた,〈頭に浮かんだままに話させる〉自由連想法を発見する契機となった症例としても忘れえない。この自由連想法こそ,無意識の世界の探求を可能にしたものであり,患者が自分の理性によって無意識を洞察するこの方法によって,はじめて精神分析が誕生したといえる。【馬場 謙一】。…
… 以上述べてきたさまざまな心理学のほかに了解心理学の流れがある。了解心理学はW.ディルタイにはじまるが,了解を直接経験の直観的把握にとどめず,精神構造の理論に裏打ちさせたのがS.フロイトの精神分析である。彼の理論は,神経症者の心を扱わなければならない開業医としての必要性からつくられた理論で,アカデミックな心理学とは無関係であるが,一つの心理学理論として見れば,はじめは自我本能と性本能,のちには〈生の本能〉と〈死の本能〉の二つの基本的本能の表れとして精神現象を説明する本能論心理学である。…
…一般に,危機や新しい不安に対しては,受容的態度で患者の自己表現をはかり,洞察をまつが,慢性化した行動や態度の異常に対しては学習や訓練の側面が中心となる(行動療法,森田療法)。治療者との人間関係に重点をおくもの(精神分析,カウンセリング)から特殊な状況のなかでの変容を期待するもの(森田療法,内観療法)等,また,理論や利用する手段に従ってさまざまな分類がある。不安および不適応行動の成立についての科学的理論とそれに基づく技法がないと精神療法とはいえないが,宗教による〈癒し〉のみならず,日常生活の中の人間関係の支援にも共通するメカニズムを見いだすことはできる。…
※「精神分析」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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