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カザフスタン Kazakhstan

翻訳|Kazakhstan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カザフスタン
Kazakhstan

正式名称 カザフスタン共和国 Qazaqstan Respublikasï。
面積 272万4900km2
人口 1728万1000(2014推計)。
首都 アスタナ

中央アジア北部の国。北はロシア,東は中国,南はキルギスウズベキスタントルクメニスタンに接し,西はカスピ海に面する。国土の大部分は平野と低地であるが,中部から東部にかけてカザフ丘陵があり,東端部にアルタイ山地,南部にテンシャン(天山)山脈の各一部が入る。主要河川はイルトゥイシ川ウラル川シルダリアイリ川で,アラル海をはじめとし,バルハシ湖アラコリ湖など湖が多い。大陸性気候で,1月の平均気温は北部-19~-16℃,南部-5~-2℃,7月はそれぞれ 20℃,29℃。乾燥していて年降水量は北部のステップ地帯では 200~300mm,南部の河谷では 400~500mmであるが,ベトパクダラ砂漠,ムユンクム砂漠クイズイルクム砂漠(キジルクム砂漠)などでは 100mm以下となる。住民の 6割以上はチュルク語系のカザフ語を話すカザフ人で,移民で増えたロシア人が約 2割,ほかにウズベク人,ウクライナ人,ウイグル人など。公用語はカザフ語とロシア語。イスラム教徒が約 4割を占め,キリスト教徒も 2割近くいる。17世紀中頃,カザフ人は大,中,小の三つのホルド(遊牧民の集団)を形成して遊牧生活を送っていたが,東方の遊牧民族の侵略にあい,ロシアの保護を求め,18世紀中頃までに今日のカザフスタン全域がロシアの属国となった。1920年この地域にキルギス自治共和国が成立し,1925年カザフ自治共和国と改称,1936年カザフ=ソビエト社会主義共和国としてソビエト連邦構成共和国となった。1991年12月にカザフスタン共和国と改め,独立。独立国家共同体 CISに加盟する。1992年3月国際連合加盟。1993年1月新憲法を採択し,カザフ語を唯一の国語と定め,首都アルマアタアルマトイと改称したが,1997年交通の要地であるアクモラ(1998アスタナと改称)へ遷都。鉱物資源に富み,マングイシラク半島で石油と天然ガス,カラガンダエキバストゥーズで石炭と褐炭,クスタナイ州で鉄鉱,ジェズカズガン州で銅鉱,アルタイ山地で多金属鉱,レニノゴルスクで鉛と亜鉛がそれぞれ採掘されている。工業部門では機械(鉱山,農業,輸送,電気),化学(肥料,合成ゴム,合繊),皮革,食品などが行なわれる。農業では北部で春コムギ,ヒマワリ,南部の灌漑地でイネ,テンサイ,タバコなどが栽培され,乾燥地域で牧羊が行なわれる。鉄道・道路網は北部で密であるが,南北線も数本あり,航空路線も発達している。またカスピ海,アラル海,バルハシ湖,イルトゥイシ川が水運に利用される。

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知恵蔵の解説

カザフスタン

ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領は、2005年12月の大統領選挙で91%の得票で3選された。主な対立候補は統一野党「カザフスタンの正義」のジャルマハン・トゥヤコバイ前検事総長・前マジリス(下院)議長であった。05年3月のキルギスの政変(チューリップ革命)の後、カザフスタンでは政変の波及を恐れて、下院で治安維持に関する諸法律が採択され、諸党やNPO、国際機関、マスコミ、宗教組織、社会組織の活動は大幅に制限されていた。特に外国人と国際機関に対しては、カザフスタンの政党への資金援助や選挙活動への参加は厳しく禁止された。この法案は欧州安保協力機構(OSCE)など内外から厳しく批判された。ただ、カザフスタンは09年にOSCEの議長国を狙っているので、選挙前には民主的な選挙をアピールし、野党への露骨な弾圧は避けた。経済は、エネルギー輸出と積極的な外資導入策ゆえに、中央アジアでは最も良好である。国民の平均賃金はロシアと同じレベルとなり、中央アジアでは群を抜いている。ただ、腐敗や汚職も深刻で、ナザルバエフ自身も、石油プロジェクトがらみで西側から賄賂を取って国外に30億ドルの資金を有していると伝えられた。対外政策は、上海協力機構、CIS集団安全保障条約、北大西洋条約機構(NATO)との関係を保持している。最近では、エネルギー資源を軸にロシアや中国との関係が強化されている。ロシアとはカスピ海油田の共同開発で合意した。中国はパイプライン建設で合意しエネルギー面での両国の協力を積極化している。

(袴田茂樹 青山学院大学教授 / 2007年)

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

カザフスタン

かつてユーラシア大陸を横断する東西の交易路シルクロードの要所として栄えた。1936年にソ連を構成する共和国のひとつとなった。ソ連時代は核実験場として利用され、宇宙基地もつくられた。ヌルスルタン・ナザルバエフ氏が90年に大統領に就任し、91年に独立を宣言。面積は約272万平方キロと日本の約7倍にのぼる。石油や天然ガス、レアアースなどの地下資源が豊富で、世界原子力協会によると、ウラン生産量は世界一とされる。1人あたりの国内総生産は約1万2千ドル(約144万円)とロシアに匹敵する水準。人口は約1700万人で、イスラム教徒が多数派だ。

(2015-11-06 朝日新聞 朝刊 2外報)

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デジタル大辞泉の解説

カザフスタン(Kazakstan/〈英〉Kazakhstan)

中央アジアの共和国。西はカスピ海に、東は中国に接する。首都アスタナ。1991年ソ連邦の解体に伴い独立。大部分がステップ地帯で、牧畜・農業が盛ん。地下資源も豊富。旧称カザフ。人口1546万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

カザフスタン

◎正式名称−カザフスタン共和国Kazakstan Respublikasy/Republic of Kazakhstan。◎面積−272万4900km2
→関連項目タムガリ中央アジア塔城トルキスタン

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世界大百科事典 第2版の解説

カザフスタン【Kazakhstan】

正式名称=カザフスタン共和国Kazakstan Respublikasy∥Republic of Kazakhstan面積=271万7300km2人口(1996)=1667万7000人首都=アスタナAstana(日本との時差=-3時間)主要言語=カザフ語,ロシア語(ともに公用語)通貨=テンゲTenge独立国家共同体(CIS)を構成する中央アジアの共和国の一つ。旧ソ連邦を構成したカザフ・ソビエト社会主義共和国が1991年独立し,改称したもの。

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大辞林 第三版の解説

カザフスタン【Kazakhstan】

中央アジア北部、砂漠とステップから成る内陸国。共和制。小麦・綿花・羊毛などを産し、石炭・石油・銅などの資源に富む。住民はカザフ人とロシア人。1991年12月ソビエト連邦の解体により独立。首都アスタナ。面積272万5千平方キロメートル。人口1480万( 2005)。旧称、カザフ。正称、カザフスタン共和国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カザフスタン
かざふすたん
Republic of Kazakhstan英語
Qazaqstan Respublikasyカザフ語
Республика Казахстан Respublika Kazahstan ロシア語

中央アジア北部の共和制国家。かつてはソビエト連邦を構成する15共和国の一つ、カザフ・ソビエト社会主義共和国Казахская ССР/Kazahskaya SSRであったが、ソ連崩壊に伴い1991年12月独立し、国名に従来の地域名を採用してカザフスタン共和国と改称した。面積272万4900平方キロメートル、人口は1530万8000(2006年推計)、1660万(2011年推計)。住民は約130の民族で構成され、カザフ人が63.1%、次いでロシア人が23.7%、ウズベク人2.9%、ウクライナ人2.1%、ウイグル人1.4%、タタール人1.3%、ドイツ人1.1%、その他4.5%(2009)である。帝政ロシアの植民地時代はもっとも遅れた辺境の地で、19世紀末までは隊商の宿泊地以外に町がまったく存在しなかった。首都は1997年までアルマトイ(旧アルマ・アタ)であったが、同年12月中北部のアスタナ(旧称アクモラ、ソ連時代の名称アクモリンスク、のちツェリノグラード)に遷都した。現在(2012年時点)は14州からなる。[木村英亮]

自然

中央アジア北方の草原地帯にあり、北はロシア、西はカスピ海、東は中国、南はキルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンに接する。北端はモスクワと同緯度にあり、南端は日本の東北地方とほぼ同緯度にある。国土の大半は、カスピ海沿岸低地、トゥラン低地およびカザフ台地からなる。東と南の国境には、万年雪と氷河に閉ざされた5000メートルを超える天山、アルタイ両山脈がそびえている。大河にはイルティシ川、ウラル川、シルダリヤおよびイリ川などがある。また湖水も多く、その大部分は塩湖で、広大な内陸水域を形成している。カスピ海、アラル海、バルハシ湖などがその代表である。平野部はすべて中緯度の内陸乾燥圏に入り、暑くて乾燥した夏と、比較的暖かい冬とが交互に訪れるが、北部がなお厳寒というときに、南部の山麓(さんろく)盆地の果樹園では美しい花が咲いているといった、自然のコントラストが強い地方でもある。平均気温は、北部では1月零下19℃、7月19℃、南部では1月零下4℃、7月26℃である。年降水量は全体を平均すると約300ミリメートルであるが、砂漠では100ミリメートルにも足らず、山岳部では1000ミリメートルに達する。したがって植物相は、北部では乾燥ステップ(短草草原)が広がり、南下するにつれて、砂漠、半砂漠の景観となっている。[山下脩二・木村英亮]

歴史

カザフ人は三つのジューズ(廬帳(オルダ)=国家的集団)に分かれて遊牧していたが、18世紀に北方の中・小二つのジューズがロシアに臣属し、1860年代には大ジューズが併合された。
 1913年、カザフスタンの工場や鉄道の労働者は5万数千となったが、その大部分は都市に移住してきたロシア人で、カザフ人は遊牧生活を続けていた。第一次世界大戦時、1916年後半の戦時後方労働への諸民族徴集勅令をきっかけとする中央アジア大反乱には、カザフ人も加わってロシア帝政支配を揺るがした。翌1917年二月革命による帝政崩壊後、臨時政府のトルキスタン委員会とともに、ベルヌイ(現、アルマトイ)、セミパラチンスク(現、セメイ)などにソビエト(評議会)が生まれたが、カザフの民族主義者は「アラシ党」を結成し、対抗した。バイ(地主)、イスラム僧、ブルジョア民族主義者は、12月にオレンブルグで自治を宣言、政府「アラシ・オルダ」を設立し、ウラルとセミレチエ・カザフ地方の「軍事政府」も創設された。他方、鉄道労働者や兵士は1917年11月~1918年1月に、アクモリンスク州などでソビエト政府を樹立した。トゥルガイ、セミパラチンスク、セミレチエ、ウラリスク(現、オラル)地方でもソビエト政府が樹立され、内戦を経て、1920年10月にオレンブルグを首都としてキルギス自治共和国が形成された。1924年の中央アジア民族的境界区分によって1925年には首都が中央部のクジル・オルダへ移され、カザフ自治共和国と改称された。首都は1929年にアルマ・アタ(アルマトイ)へ移された。ソビエト連邦を構成したカザフ・ソビエト社会主義共和国が成立したのは1936年である。
 カザフ・ソビエト社会主義共和国最高会議は、ソ連における1991年8月のクーデター後の12月10日にカザフスタン共和国への改称を決定し、12月16日「共和国の国家的独立について」を採択、1992年6月新しい国旗、国章、国歌を決め、1993年1月28日に憲法を採択した。1994年7月アルマトイから中北部のアクモラへの首都の移転を決定、アクモラは1998年アスタナと名称を変更した。
 1990年4月23日にカザフスタン共産党第一書記のナザルバエフが初代大統領となった。ソ連解体に際し、彼は独立国家共同体(CIS)結成にイニシアティブをとり、急進的な経済改革の方針を明確にした。
 結社の自由はいちおう保障され、言論の自由も相当程度保たれている。1995年憲法によれば、カザフスタンは大統領制国家であり、二院制の議会(国会)をもつ。大統領は国民の直接選挙で選出され、独立以来ナザルバエフが務めている。議会は、上院の議席数は47で、そのうち15を大統領の任命、32は首都および州代表で3年ごとに半数を改選する。任期は6年。下院の議席数は107でうち98を比例代表で選出、9を大統領直属の国民総会が選出する。任期は5年。
 2005年12月の大統領選挙でもナザルバエフが圧倒的な支持を受けて再選された。2007年5月に憲法の一部改正が行われ、2012年以降は大統領の任期を現行の7年から5年に短縮、大統領の首相任命に下院の承認を必要とする、初代大統領(ナザルバエフ)に限り憲法の3選禁止規定を適用しないという条項が採択・承認された。多くの政党や政治組織があるが、政府は政党に基礎を置いておらず、国会でも政党政治は行われていない。大統領を中心として形成された官僚が大きな力をもっている。2007年8月に行われた下院議員選挙では与党のヌル・オタンが全議席を独占、2008年10月に行われた上院議員選挙でも全改選議席を与党が占めた。
 ロシアとの協調路線を維持し、1995年9月には国境を接する中国を大統領のナザルバエフが公式訪問した。翌1996年7月には中国の国家主席江沢民(こうたくみん)がカザフスタンを訪れ、両国間で多くの協定に調印がなされ、関係が強化された。2000年以降も各国とのバランスを重視した外交政策を進めている。ヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)に加盟し、欧米諸国とも良好な関係を築いている。アジアでは中央アジア諸国連合を提唱し、上海協力機構(SCO=Shanghai Cooperation Organization)に加盟、アジア信頼醸成措置会議(CICA=Conference on Interaction and Confidene)を主導している。
 総兵力4万9000(陸軍3万、海軍3000、空軍1万2000、その他4000)、準兵力3万1500。ロシア軍少数兵力がバイコヌール、サルイシャガン、エンバなど数か所に駐留している。
 CIS諸国のなかでは、ロシア連邦に次いで広い国土をもち、多様な民族が住む多民族国家である。改革の方向性などについても民族によって違いがあるが、社会的安定を維持している。
 なお、ソ連時代にセミパラチンスク近くの核実験場では1991年に閉鎖令が出されるまでに大気圏内と地下をあわせ470回の核実験が行われ、多数の住民が被爆し、放射能汚染が広がっている。実験場の閉鎖作業は2000年に完了したが、放射能汚染の影響と健康被害問題は2012時点でも残っている。[木村英亮]

産業・経済

カザフ人は、本来遊牧を生業としていたが、ソ連はこの地域(旧カザフ・ソビエト社会主義共和国)を牧畜と農業の主要基地に一変させるために、500キロメートルにわたるイルティシ・カラガンダ運河(1971年完成)を建設、オビ川左岸の支流イルティシ川の水が共和国中央部に導水された。その結果、ロシア共和国(旧ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国)に次ぐ旧ソ連第2位の穀倉地帯となった。ほかに綿、テンサイ、タバコなどの栽培も盛んである。また南部では水資源問題を解決するために、直接地下水を利用する方法が開発され、砂漠、半砂漠地帯に数十の灌漑(かんがい)オアシスを出現させることに成功した。そして牧地1億ヘクタールが灌漑され、カラクール(カラクール種のヒツジ)やウマ、ラクダ、ブタ、ウシが飼育されるようになった。
 カザフスタン共和国は地下資源に恵まれている。西部のカスピ海北東岸地帯は鉄、石炭、燐(りん)鉱、石油、天然ガスなどの有用鉱物に富む。2009年の石油埋蔵量は398億バレル(世界の3.2%)、天然ガス埋蔵量は1兆8200億立方メートル(世界の1.0%)である。またウラン、クロム、燐鉱石の埋蔵量は世界第2位、亜鉛の埋蔵量は世界第5位となっており、ベリリウム、タンタル、チタン、タングステン、アルミニウムなども世界有数の埋蔵量を誇る。カスピ海に突き出すマンギシュラク半島の先端には新興都市フォルト・シェフチェンコFort-Shevchenkoが、石油化学コンビナートの町として誕生した。さらにエンバ川下流域からカスピ海にかけてはエンバ油田地帯があり、アティラウ(旧グリエフ)近辺やアクチュベ州(旧アクチュビンスク州)に製油所のセンターがある。アティラウとロシアのオルスクの間には石油パイプラインが敷設されている。天然ガスもマンギシュラク半島やアラル海北西岸で産出され、ガズリ―チェリャビンスク間のパイプラインによってウクライナのドンバス工業地域に送られている。また、共和国中部にはカラガンダ炭田があり、さらにカザフ台地のジェズカズガンからバルハシ湖北岸にかけての地域では銅が産出する。バルハシ、カルサクパイ、ジェズカズガン、グルボコエなどに銅の製錬所がある。鉛の生産も多く、製鉛はチムケント、オスケメン(旧ウスチ・カメノゴルスク)、リッデル(旧レニノゴルスク)で行われている。そのほか、ニッケル鉱はアクチュベ(旧アクチュビンスク)、アンチモンはアラモク、黒色金属冶金(やきん)はテミルタウとカラガンダ、アスベストはジェチガラ、ホウ砂はインデルボルスキーで産出している。アルミニウムはクスタナイ州で採掘され、大水力発電所のあるオスケメンやパブロダールに送られ、製錬されている。
 カザフスタンはロシア人が北部、中央部、東部に、カザフ人は西部、南部に多く、このような民族分布は産業と結び付いている。しかも各地域がロシアなど周辺の隣接地域と一体となっていたので、これを統一的な国民経済に形成していくのは難事業であり、とくにロシアとの協力が必要とされた。
 1992年1月の価格自由化後インフレが続くなかで、1993年7月ロシア中央銀行が旧ルーブル紙幣の使用停止措置をとったため、それが大量に流入し、インフレをいっそう悪化させた。すでに1992年9月CIS経済同盟条約に調印し、カザフスタン、ロシア以下の6か国はルーブル圏形成に合意していたが、このような状況のなかで、1993年11月15日ルーブル圏離脱と新通貨テンゲ導入に踏み切った。
 ソ連解体後は、生産の低下が激しく、原料、燃料の輸出に依存するようになり、国民経済が地域的に解体した。1995年、一部の大工場の経営権を外国の私企業にゆだねた。1979年に発見されたカスピ海沿岸のテンギス油田については1992年にアメリカのシェブロン社との合弁での開発を始めるなど、外国資本の導入や民営化を中心に経済改革を進めた。低迷していた経済は1996年にプラス成長に転じ、2000年から2006年は世界的な石油価格の高騰などで平均10%という高成長を続けてきた。2007年、2008年は世界的な金融危機と景気の減速で経済成長率は鈍化した。カスピ海周辺では欧米、日系企業が参画する大規模な油田開発が行われており、中国向けのパイプラインも開通した。
 国内総生産(GDP)は1384億ドル、1人当りGDPは8883ドル(2011)。貿易額は輸出476億ドル、輸入299億ドル(2010)。輸出品目は石油、石油製品が大半を占める。おもな輸入品目は機械設備、食料品、鉄鋼である。おもな貿易相手国はイタリア、中国、ドイツ、ロシア、フランス、オランダ、ウクライナである。日本との貿易は輸出額527億円、輸入額は193億円(2010)で、日本の大幅な輸入超過となっている。日本へのおもな輸出品目は合金鉄、おもな輸入品目は自動車、鋼管、建設用・鉱山用機械である。
 主要援助国はアメリカ、日本、ドイツ、イギリス、韓国など(2009)である。[山下脩二・木村英亮]

教育・文化

カザフスタンの教育制度は小・中・高一貫の11年制で、12年制への移行が進められている。その上に大学4~5年がある。義務教育は9年間。大学にはカザフスタン国立大学、カザフスタン国立経営アカデミー、カザフスタン国立農業大学などがある。公用語はロシア語であるが、国家語(国語)であるカザフ語の使用が拡大している。識字率は99.6%(2007)に達している。
 新聞は日刊紙のカザフスタンスカヤ・プラウダをはじめとするロシア語紙が約50%、カザフ語紙が約29%を占め、その他11言語の新聞が発行されている。通信社は国営カズインフォルム、カザフスタン・トゥデイ、カザフスタン・プレスなどがある。放送は国営のカザフスタン・テレビ、ラジオがある。[木村英亮]

世界遺産の登録

カザフスタンには以下の世界遺産が存在する。「ホンジャ・アフメッド・ヤサウイ廟」(2003年、文化遺産)、「タムガリの考古的景観にある岩絵群」(2004年、文化遺産)、「サルヤルカ―カザフスタン北部のステップと湖沼群」(2008年、自然遺産)がユネスコ(国連教育科学文化機関)により世界遺産に登録されている。[編集部]
『清水学・松島吉洋編『中央アジアの市場経済化――カザフスタンを中心に』(1996・アジア経済研究所) ▽橋田坦編『中央アジア諸国の開発戦略』(2000・勁草書房) ▽小松久男・梅村坦他編『中央ユーラシアを知る事典』(2005・平凡社) ▽カトリーヌ・プジョル著、宇山智彦・須田将訳『カザフスタン』(2006・白水社) ▽松井啓著『初代大使が見たカザフスタン』(2007・めるくまーる) ▽角崎利夫著『カザフスタン――草原と資源と豊かな歴史の国』(2007・早稲田出版)』

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世界大百科事典内のカザフスタンの言及

【カザフ語】より

…カスピ海から東へ中国に接するまでの広大な地域をもつ中央アジアのカザフスタン共和国と中国,モンゴルで話されている。前者には旧ソ連内のカザフ人の約80%に相当する約700万人が住み,そのうちの約98%の母語。…

【カザフ族】より

…中央アジアのカザフスタン共和国と,中華人民共和国新疆ウイグル自治区の伊犂哈薩克自治州を主たる居住地とするトルコ系民族。ロシア人が誤って,キルギスあるいはキルギス・カザフと呼んだため,古い欧文文献ではそのように記されている。…

【中央アジア】より

…またソ連では,〈中央アジア〉を表すのに二つの用語を用いていた。まずスレードニャヤ・アジアSrednyaya Aziya(Middle Asiaの意)は,西トルキスタンのウズベキスタン,キルギスタン,タジキスタン,トルクメニスタンの4共和国が占める地域を指し,普通は,スレードニャヤ・アジア・イ・カザフスタンSrednyaya Aziya i Kazakhstan(〈中央アジアとカザフスタン〉の意)と連称して,ソ連領内の中央アジア全域を指した。次にツェントラーリナヤ・アジアTsentral’naya Aziya(Central Asiaの意)は,ソ連領外の中央アジア,つまり東トルキスタン,ジュンガル草原,チベット,モンゴリアを指した。…

※「カザフスタン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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