中間(読み)チュウゲン

デジタル大辞泉 「中間」の意味・読み・例文・類語

ちゅう‐げん【中間】

[名](「仲間」とも書く)

㋐昔、公家・寺院などに召し使われた男。身分は小者との間に位する。中間男。
江戸時代、武士に仕えて雑務に従った者の称。
江戸幕府の職名。江戸城内の部署の警備やその他の雑事に従事した。
[名・形動ナリ]
時間的、空間的に、ものとものとの間。なかほど。ちゅうかん。
「彼の両国の―に舎衛国しゃゑこく有り」〈今昔・五・二二〉
どっちつかずなこと。中途半端なこと。また、そのさま。
「夕潮ただ満ちに満ちてこよひ宿らむも―に潮満ち来なばここをも過ぎじと」〈更級
二つのものの間にあるものや状態。仏教で、有と無の間、前仏後仏の間などをいう。
「二仏の―闇ふかく」〈発心集・五〉
[類語](1小姓小者下郎草履取り寺男作男

ちゅう‐かん【中間】

物と物との間の空間や位置。「駅と駅の中間に川がある」「中間地点」
思想や性質・程度などが両極端のどちらでもないこと。「双方の意見の中間をとる」「中間派」
物事が進行中であること。物事がまだ終わらずに途中であること。「得票数の中間発表」
[類語](1あいだ中程なかほど中頃なかごろ・真ん中辺へん半ば中途/(2あいだあわい中程なかほどちゅうくらい中庸中道中形ミディアム

なか‐あい〔‐あひ〕【中間】

なかほど。あいだ。ちゅうかん。
「愛宕と比叡の山との―にもあれ」〈堤・由無し事
間柄。なからい。
「日頃懇意な―ゆゑ」〈伎・有松染相撲浴衣

なかま【中間】

福岡県北部の市。明治末期から筑豊炭田炭鉱町として発展。現在は住宅地化が著しい。人口4.4万(2010)。

ちゅう‐ま【中間】

中京間ちゅうきょうま」の略。

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精選版 日本国語大辞典 「中間」の意味・読み・例文・類語

ちゅう‐げん【中間】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 時間的・空間的に二つの物事のあいだ。両者のあいだに位置すること。なかほど。ちゅうかん。
    1. [初出の実例]「送迎毎度長青眼、離会中間共白鬚」(出典:菅家文草(900頃)五・夏日餞渤海大使帰)
    2. [その他の文献]〔色葉字類抄(1177‐81)〕
  3. 事の最中、途中。行事や会議などの進行中。
    1. [初出の実例]「望於其中間、不住処余妨」(出典:性霊集‐四(835頃)奉為国家請修法表)
    2. 「ちゅうげんなるをりに」(出典:枕草子(10C終)八)
  4. ( 形動 ) どっちつかずであること。また、そのさま。
    1. [初出の実例]「いと事の外なることどもの、もし聞えあらば、ちうけんになりぬべき身なめり」(出典:源氏物語(1001‐14頃)真木柱)
  5. 仏語。二つのものの間にあるもの、間に考えられるもの。有と無の間(非有非無)、内空と外空の間(内外空)、前仏と後仏の間(無仏の時)などといったことに用いる。
    1. [初出の実例]「二仏の中間(チウゲン)やみふかく、闘諍堅固のおそれはなはだし」(出典:発心集(1216頃か)五)
    2. [その他の文献]〔観経疏‐散善義〕
  6. ( 「仲間」とも ) 昔、公家・寺院などに召使われた男。身分は侍と小者の間に位する。中間男。
    1. [初出の実例]「『おのれめしつかふべきなり』とて、〈略〉御中間になされにけり」(出典:古今著聞集(1254)一二)
  7. ( 「仲間」とも ) 江戸時代、武士に仕えて雑務に従った者の称。→小者
    1. [初出の実例]「女の仕事したむ無さうに見えければ、中間なりける男の詠みて遣りける」(出典:仮名草子・仁勢物語(1639‐40頃)下)
  8. 江戸幕府の職名。三組合わせて五百数十人おり、中間頭の下に長屋門番などを命ぜられた。
    1. [初出の実例]「御中間五百五十人 十五俵一人扶持」(出典:吏徴(1845)下)

ちゅう‐かん【中間】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 二つの物事のあいだ。物と物との間の空間や距離や時間。また、ある物事と他の物事が両方から互いにかかわり合っている真中の地点や時点。ちゅうげん。
    1. [初出の実例]「大凡自四五尺六七尺以内、皆是中間、凡把杖、執中間近𣠽柄便」(出典:童子問(1707)下)
    2. 「延徳元年 長享元年より中間一年を隔つ 三月二十六日」(出典:読史余論(1712)三)
    3. [その他の文献]〔礼記‐曲礼上〕
  3. 程度や性質などが両極端の間であること。どちらにもはいらず、特徴がはっきりしないこと。なかほど。「中間派」
  4. 物事がまだ終わらない中途であること。ある期間の途中。
    1. [初出の実例]「第十八世紀の中間に於て」(出典:将来之日本(1886)〈徳富蘇峰〉五)
  5. なかだち。紹介。〔孔子家語‐致思〕

なか‐の‐ま【中間】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 家の中央にあるへや。中間のへや。玄関・土間・店などと奥の間とのあいだのへや。
    1. [初出の実例]「中のまは、院のおはしますべき御座(おまし)よそひたり」(出典:源氏物語(1001‐14頃)若菜下)
  3. 中央の部分。
    1. [初出の実例]「平等院にして、暫らく御座を構へつつ宇治橋の中の間、引き離し」(出典:謡曲・頼政(1430頃))
  4. 江戸時代の劇場で、向桟敷(むこうさじき)の階下の観客席。平土間の後ろ。
    1. [初出の実例]「中の間は、花道より東へ行きあゆみの側也。是等も今は土間あり」(出典:劇場新話(1804‐09頃)上)
  5. 江戸幕府勘定奉行所の一部局。勘定組頭の支配下にあって領内よりの小物成・高懸物をはじめ、代官所役人の任免・給与・相続、および宗門改・鉄砲改などの事務を管掌した。

なか‐ま【中間】

  1. [ 1 ] 囲まれたまんなかの部分。また、二つの地域のあいだ。
    1. [初出の実例]「高野とかふろとの中間に紀関有といふ」(出典:名所方角鈔(1502頃)紀伊国)
  2. [ 2 ] 福岡県北部の地名。遠賀川の流域にある。明治中期以後、筑豊の炭鉱町として急速に発展したが、昭和四一年(一九六六)すべての炭鉱が閉山、北九州市の衛星都市としての性格を強めた。垣生(はぶ)古墳(羅漢百穴)がある。昭和三三年(一九五八)市制。

ちゅう‐ま【中間】

  1. 〘 名詞 〙ちゅうきょうま(中京間)」の略。

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改訂新版 世界大百科事典 「中間」の意味・わかりやすい解説

中間 (ちゅうげん)

仲間,中間男とも書く。公家,武家,寺家などに仕える僕従の呼称の一つ。平安時代に現れ(《古今著聞集》),武家社会を通じてひろくみられた。従者のうちの下で雑色(ぞうしき)(小者)の上,つまり両者の中間に位置するところから,この名があるともいわれるが(《四季草》《貞丈雑記》),侍,雑色,中間の順に記す例もみられる(《北条重時家訓》)。鎌倉・室町期の武家の中間は〈主人の弓・箭・剣等を持ちて御供に候し,また警護等のことをつとむ〉(《相京職鈔》)とか,〈折烏帽子に小結して,直衣に大帷をかさね,袴に大口をかさねて著るが中間〉とされ(《玉勝間》ほか),御中間といわれて領主の強制執行などの使者もつとめた。侍(殿原(とのばら)・若党・かせ者など)が名字をもつのにたいして,中間は〈名字なき者〉とされた(《小早川家文書》)。戦国期の農村では,〈ちうげんならばかせものになし,百姓ならばちうげんになす〉(《児野文書》)というように,農民が中間からかせ者へと侍身分に取り立てられるのが名誉・恩賞とされ,〈諸奉公人,侍のことは申すに及ばず,中間・小者・あらし子に至るまで〉(《近江水口加藤家文書》)というように,武家の奉公人には侍,中間,小者,荒子の四つの身分序列が一般的に成立していた。なお《日葡辞書》は中間を馬丁とし,《雑兵物語》は〈弓鉄砲の足軽衆や長柄供廻りの中間衆〉と足軽・中間を区別している。
執筆者: 江戸時代には武家奉公人の一種で,足軽と小者の間におかれた。戦時には非戦闘員として小荷駄(こにだ)隊を形成し,平時には雑役に従事した。侍(騎兵)が士分と称されたのに対し,中間は足軽(歩兵)とともに軽輩といわれた。また足軽にはおよそ苗字帯刀が許されたが,中間にはそうしたことはなかった。江戸幕府には540~560余人の中間(役高15俵一人扶持,御目見以下,羽織袴役,譜代席)があった。大・中・小の3組に分かれ,各組に頭1人(若年寄支配,役高80俵持扶持,御目見以下,上下役,焼火間詰,譜代席)がおり,組頭は大組に4人,中・小組に各3人(役料10俵一口)がおかれていた。日ごろは,城内諸門などの番衛として勤仕し,また将軍の遠行に供奉した。ちなみに,このほかにも中間目付,旗指之者,持鑓之者以下分掌も多くあり,役米もまちまちであった。
執筆者:


中間[市] (なかま)

福岡県北部の市。1958年市制。人口4万4210(2010)。中央を遠賀(おんが)川が北流し,西半は低湿な水田地帯,東半は古第三紀夾炭層からなる低い丘陵地で,北九州市八幡西区に接する。1891年の筑豊興業鉄道(現,JR筑豊本線)開通以後,筑豊炭田北部の炭鉱町として発展し,就業者の大半が炭鉱業に従事した。1950年代後半からの石炭合理化政策によって打撃を受け,64年末の大正鉱業中鶴鉱を最後にすべて閉山し,人口も激減した。1960年代中ごろから産炭地域振興のために造成された西部の虫生津(むしようづ)・五楽(ごらく)両工業団地を中心に電機,金属,縫製,建設関係など約30企業が進出した。また北九州市の黒崎に通じる筑豊電鉄沿線の東部丘陵地の住宅地化が進むなど,最近は北九州市の衛星都市としての発展がめざましい。桜の名所垣生(はぶ)公園内には横穴古墳群(羅漢百穴)があり,堀川運河は遠賀川と洞海湾を結び石炭輸送に利用され,唐戸水門がある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中間」の意味・わかりやすい解説

中間(市)
なかま

福岡県北部にある旧炭鉱都市。1958年(昭和33)市制施行。東部は低い古第三紀夾炭(きょうたん)層の丘陵地で、中央部を北流する遠賀(おんが)川西岸は沖積低地が広がり、JR筑豊(ちくほう)本線(福北ゆたか線)と筑豊電気鉄道が通じる。明治中期までの純農村は、明治末期には岩崎、新手(あらて)、大隈(おおくま)鉱業などの開鉱により炭鉱町として発展したが、1964年の大正鉱業中鶴(なかつる)炭鉱の閉山を最後に炭鉱は姿を消した。1762年(宝暦12)に完成し明治期の石炭輸送に活用された堀川運河(ほりかわうんが)、唐戸水門(からとすいもん)やボタ山が当時のおもかげをとどめているにすぎない。現在は産炭地振興の工業団地が造成されて企業誘致が進む一方、北九州市のベッドタウンとして宅地化している。米麦作が中心で、キャベツなどの野菜栽培も行われている。見どころとして桜の名所垣生(はぶ)公園があり、園内に垣生羅漢百穴(らかんひゃっけつ)とよばれる古墳群がある。1989年(平成1)旧国鉄香月線の跡地を利用して緑道公園「屋根のない博物館」がつくられた。面積15.96平方キロメートル、人口4万0362(2020)。

[石黒正紀]

世界遺産の登録〕2015年(平成27)、ユネスコ国連教育科学文化機関)により「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として、官営八幡製鐵(せいてつ)所関連施設が世界遺産の文化遺産に登録された。

[編集部]

『『中間市史』全3巻(1978~2001・中間市)』



中間
ちゅうげん

古くからおもに武家方にみられた軽格の奉公人の一つ。戦国時代に広範に成立し、江戸時代には足軽と小者との中間の身分とされた。足軽、中間、小者は一括して軽輩と称されたが、このうち足軽のみが士分と称される侍(さむらい)・徒士(かち)と同様に戦闘員であったのに対し、中間は小者とともに非戦闘員に属した。戦時には小荷駄(こにだ)隊を形成し、平時には雑務に従った。苗字(みょうじ)帯刀はいっさい許されなかった。江戸幕府には550人前後の中間(役高十五俵一人扶持(ぶち)、御目見(おめみえ)以下、羽織袴(はかま)役、譜代(ふだい)席)があり、大・中・小の三組に編成され、各組に頭(かしら)は1人(若年寄(わかどしより)支配、役高八十俵持(もち)扶持、御目見以下、上下(かみしも)役、焼火間詰(たきびのまづめ)、譜代席)、組頭は大組に4人、中・小組に各3人(役料十俵一口)が置かれていた。城中諸門の勤番、将軍遠行の供奉(ぐぶ)などを役目とした。

[北原章男]

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百科事典マイペディア 「中間」の意味・わかりやすい解説

中間【ちゅうげん】

公家(くげ)・武家(ぶけ)・寺院などで召し使われた男。仲間・中間男とも記され,身分は侍(さむらい)と小者(こもの)の間にあたるという。平安期からみえ,鎌倉期・室町期の武家の中間は主人の弓・剣などを持ち,警護を務め,また領主の強制執行などの使者も行っている。戦国期の武家奉公人には侍・中間・小者・荒子(あらしこ)の身分が生じていた。江戸時代には武士に仕えて小荷駄(こにだ)隊を結成するなどのほか,平時には雑務を行った。足軽(あしがる)は苗字帯刀を許されたのに対して,中間には認められず,奴(やっこ)・草履(ぞうり)取などともよばれた。また江戸幕府の職制でもあり,3組500余人から構成され,中間頭(かしら)のもとに城内の門番などに従事していた。

中間[市]【なかま】

福岡県北部の市。1958年市制。遠賀(おんが)川下流低地を占め,明治中期以降炭鉱町として発展。現在は全炭鉱が閉山。産炭地域振興のため工業団地が造成され,電機,金属,機械などの企業が進出。筑豊本線,筑豊電鉄が通じ,北九州市への通勤者が多く,就業者の約半数を占める。垣生(はぶ)公園は桜の名所。15.96km2。4万4210人(2010)。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「中間」の解説

中間
ちゅうげん

平安時代以降,公家・武家・寺家などに仕えた従者。侍(殿原)と小者(こもの)の中間に位置し主人の弓・箭・剣などをもって供した。江戸時代には仲間とも書き,武家奉公人の一種別で,足軽の下で小者の上。戦時には兵糧・武器の運搬,平時には主人の供廻や諸役所の雑務に従事。農村や城下町から短年季の奉公人として雇用される場合が多く,江戸では人宿(ひとやど)などから供給された。中間頭のもと数組に編成され,藩邸内では中間部屋などの大部屋で集団生活した。また幕府の中間は役高15俵1人扶持,譜代席で540~560人ほどおり,大・中・小の3組に編成されていた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中間」の意味・わかりやすい解説

中間
ちゅうげん

「仲間」とも書く。武士の最下級で,の下,小者 (こもの) の上に位した。鎌倉時代から現れ,戦国時代には一般化して主人の身のまわりの雑務に従事。江戸幕府では,若年寄の支配下に,中間頭3人が組頭3~4人を従え,1組 150~250人の中間を統率した。諸藩も幕府と類似の職制をもっていた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「中間」の解説

中間
ちゅうげん

武士に従う雑卒
「仲間」とも書く。侍と小者との中間に位するところからきた呼び名。鎌倉時代から現れ,戦国大名のもとで家臣団を構成。郎等・小者などとともに下級武士として組に組織され常備軍を編成,江戸時代に及んだ。

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普及版 字通 「中間」の読み・字形・画数・意味

【中間】ちゆうかん

中ごろ。

字通「中」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の中間の言及

【周旋屋】より

…近世初期以降,都市の発展にともなって出現したもので,とくに江戸に流入する多数の出稼ぎ奉公人に対し,その身元保証,雇入先の斡旋,そして,就職先がきまるまでの宿泊を行う必要があったことから必然的に発生したものと思われる。こうした周旋屋が扱ったのは,おもに武家の下級奉公人である中間(ちゆうげん)や若党(わかとう),一般町家の下男,下女など,1年あるいは半年契約の出替り(でがわり)奉公人であり,芸妓,娼妓などについては,関東で〈女衒(ぜげん)〉と呼んだ専門の周旋人が手がけることが多かった。また,土木工事などに必要な大量労働力の供給は,〈人入れ稼業〉と称して町奴(まちやつこ)が行った。…

【博徒】より

…治安対策上,彼らは1657年(明暦3)から86年(貞享3)にかけて弾圧され,ほぼ消滅してしまった。その後賭博を愛好する気風は火消人足や武家奉公の中間(ちゆうげん)に受け継がれた。中間たちは町方(まちかた)の詮索が直接及ばない武家屋敷内の中間部屋で賭博を盛んに行った。…

【奉公人】より

…奉公人という称呼は,中世では上位の従者,家臣をさすものとして用いられるのが一般的であった。御恩・奉公【佐藤 堅一】
【武家奉公人】
 近世初頭までは侍身分の者をも奉公人のうちに加えていたが,江戸時代では将軍や大名,旗本・御家人や大名の家中に雇用された若党(わかとう),足軽中間(ちゆうげん),小者(こもの),六尺,草履取(ぞうりとり),ときに徒士(かち)などの軽輩をさし,軽き武家奉公人ともいう。その平生の身分は百姓,町人であり,武家奉公中のみ家業として帯刀が許され,奉公さきの家来の取扱いをうけた。…

【身分統制令】より

…1591年(天正19)に豊臣秀吉が全国に発布した3ヵ条の法令。侍,中間(ちゆうげん),小者などの武家奉公人が百姓,町人になること,百姓が耕作を放棄して商いや日雇いに従事すること,もとの主人から逃亡した奉公人を他の武士が召し抱えることなどを禁止し,違反者は〈成敗(死刑)〉に処するとしている。朝鮮出兵(文禄・慶長の役)をひかえて,武家奉公人と年貢の確保を目的としたものと思われる。…

※「中間」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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