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比叡山の北方に位置し,東塔,西塔とともに延暦寺三塔の一つ。戒心,般若,解脱,香芳,兜率,飯室の6谷と別所安楽谷に分かれる。最澄のころは未開発で,円仁が天長年間(824-834)に籠居して《如法経》を書写し,根本如法堂を建立したのが起源である。949年(天暦3)横川首楞厳院(しゆりようごんいん)に住んだ良源と,檀越(だんおつ)の藤原師輔によって堂舎や僧侶の住房が整備され,多くの荘園も寄せられて寺観がととのえられた。良源は四季講や布薩(ふさつ)を行って天台教学の充実につとめ,住侶は数百人に達した。良源の弟子尋禅・源信・覚運らもこの地を本拠として活動し,とくに源信は首楞厳院を中心に念仏集団を組織して,華台(けだい)院で迎講(むかえこう),霊山(りようぜん)院で釈迦講を行い,以降横川は天台浄土教の聖地となった。14世紀末,良源の墓所の周辺には坊舎が立ち並び,高野山奥之院のようであったという。1571年(元亀2)織田信長の焼打ちで灰燼に帰し,天正年中(1573-92)亮信が再興した。円仁以来の《如法経》の書写と埋経も中世・近世を通してさかんに行われ,14世紀末ころには霊山院で写経のための紙がすかれており,明治時代一時中断したが,1922年復興して現在も続いている。
→延暦寺
執筆者:西口 順子
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…碓氷峠の東にある中心集落の松井田は古くから交通の要衝として栄え,現在も周辺農村の商業中心で,妙義山観光の玄関口ともなっている。横川も碓氷峠を控えた交通の要地で,江戸時代には関所が置かれた。農業の中心はコンニャクで,ほかに米作,畜産,シイタケ栽培なども行われる。…
…その後豊臣,徳川2氏が寺領を寄進して諸堂の復興を助け,1636年(寛永13)には根本中堂の復興が成り,しだいに旧観に復した。園城寺日吉大社
[堂塔]
近江,山城2国にわたる広大な山上の寺域は三塔(東塔,西塔,横川(よかわ)),十六谷に分かれる。東塔は,東・西・南・北・無動寺の五谷より成り,もっとも早く開かれた寺域で,一山の本堂である根本中堂をはじめ,大講堂,戒壇院,文殊楼,総持院,浄土院(最澄の廟所),無動寺等がある。…
…平安中期の天台宗の学僧。浄土教家として著名で,恵心僧都(えしんそうず),横川(よかわ)僧都とも称された。大和国(奈良県)当麻郷に生まれ,父の名は卜部正親,母は清原氏。…
…南北朝期から室町期にかけて比叡山麓の坂本に設けられた山門(比叡山延暦寺)七ヵ所関の一つ。七ヵ所関とは本関,導撫関,講堂関,横川関,中堂関,合関,西塔関である。横川関は他の関と同様,横川の堂塔の修築費を捻出するために設けられた関である。…
※「横川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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