明治初期の文部省顧問のアメリカ人。モルレーとも呼ばれる。1852年ユニオン・カレッジを卒業,63年ラトガーズ・カレッジの数学,天文学の教授となる。駐米弁務使森有礼と知り合い,その推挙により,73年6月来日,以後79年12月まで文部省の最高顧問(当初は督務官,1874年10月から学監)の任にあった。女子教育を重んじて東京女子師範学校(後のお茶の水女子大学)の創設を進め,近代大学としての東京大学の編成を指導した。また文化振興策として学者文化人の団体,東京学士会院(後の日本学士院)の設立を示唆したほか,76年フィラデルフィアのアメリカ独立100年期博覧会に出張して日本教育の進展を紹介した。〈学制〉の画一的施行には批判的であり,77年〈学監考案日本教育法〉を提出して〈学制〉改正構想を示した。79年9月の〈教育令〉は,その示唆によるところが大きい。80年帰国後は,ニューヨーク大学,ラトガーズ大学などの管理運営に当たったが,《Japan》《The Story of Japan》なども著している。
執筆者:佐藤 秀夫
アメリカの労働運動指導者。スコットランドのグラスゴーで炭鉱夫の子として生まれ,10歳から炭鉱で働いた。1902年に家族とともにアメリカに移民し,西ペンシルベニアの炭鉱町に定住。04年にアメリカ炭鉱夫組合(UMWA)の支部長となり,以後UMWAの組合役員の道を歩み,20年に副委員長となる。30年代に,委員長のJ.L.ルイスとともに,産業別組合主義運動を推進し,鉄鋼業の組織化に成功。42年にアメリカ鉄鋼労組(USWA)の委員長となり,46年と49年の鉄鋼ストを指導した。1940年から他界する52年まで,産業別組合会議(CIO。〈AFL-CIO〉の項参照)の会長を務めた。戦闘的な組合指導者ではあったが,CIO内では共産党と対決した保守派に属する。民主党員であり,ペンシルベニア教育委員会委員,赤十字理事など組合活動以外の分野でも活躍した。宗教はカトリック。
執筆者:萩原 進
イギリスの古典学者。オーストラリアのシドニーに生まれ,オックスフォード大学を卒業。1908-36年,母校の王立ギリシア文学講座教授。校訂の精密さとともに,文化人類学的な知識にもとづいて,ギリシア劇のなかに祭祀的な要素をみる方法を導入,これが新しい研究方法を生み出すことになる。主著は《ギリシア叙事詩の成立》(1907,再版1924),《ギリシア宗教の五段階》(1925),《詩における古典的伝統》(1927),《ヘレニズムと近代世界》(1953)など。
執筆者:出淵 博
イギリスの歴史学者。インドのカルカッタに生まれ,ロンドン大学に入学後エジプト学を専攻,母校で助教授を務めた。かたわら進められた民俗学研究で,西ヨーロッパに見られる魔女の儀礼や悪魔崇拝をキリスト教以前の土着宗教の残滓とする新たな見解に達し,著書《西ヨーロッパにおける魔女信仰》(1921)で広く世に知られた。その当否は今も議論の対象であるが,秘儀を伝承する団体や魔術実践家に受け入れられ,1970年代の魔術ブームの礎石となった。
執筆者:荒俣 宏
ドイツの風景画家。ドイツ北西部のエルバーフェルト(現,ブッパータール)生れ。ドイツ,イタリアを転々とし,1873年以降はイタリアに滞在。その間美学者フィードラー,彫刻家ヒルデブラントらの知遇を得る。人物(多く裸像)や樹木,大地などを組み合わせた厳格な構図,陰影に富み豊饒な色彩を用いたモニュメンタルな画面により,造形要素そのもののもつ表現力(精神性も含む)を追究した。
執筆者:大原 まゆみ
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(吉家定夫)
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1830.10.15~1905.3.6
モルレーとも。御雇アメリカ人教師。両親はスコットランド出身。ユニオン大学卒業後,1863年にラトガーズ大学教授に就任,天文学・数学を担当した。駐米小弁務使森有礼(ありのり)の日本の教育に関する質問書に答えたことなどを機縁に,73年(明治6)日本政府から文教行政の最高顧問として招かれ来日。74~78年に学監として文部大輔田中不二麻呂に助言し,東京大学の改革,東京女子師範および付属幼稚園の創設,博物館の設置などに尽力,79年の教育令の起草にも影響を及ぼした。1878年末に離日。帰国後はニューヨーク州の教育行政などに従事した。ニュージャージー州で死去。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…オーストラリアの植物分布は主として降水量に支配され,中央部の砂漠ではワジ沿いに葉のまばらな,やせた低木やイネ科ツキイゲ属の叢生が見られる。降水量の増加に伴って,砂漠はマルガmulga(アカシア属)やマレーmallee(丈の低いユーカリ属数種の総称)の灌木林,次いでサバンナへと移行し,ついにはマウンテン・アッシュmountain ashやカリーkarri(いずれもユーカリ属)などの巨木が優占する森林帯となる。また,低地の大河沿いには,うっそうとしたレッド・ガムred gum(ユーカリ属)の河辺林が成立する。…
…thematic apperception testの略称。H.A.マレーとモーガンC.D.Morganが,1935年に初めて発表。その実施手続は,さまざまな状況を描いた絵30枚と白紙1枚のなかから,被検者の年齢や性別などによって20枚を選び,10枚ずつ2回に分けて提示し,過去,現在,未来といった時間的変化を含んだ物語を被検者に空想させるものである。…
…したがって,深海堆積物はそれを構成する物質によって分類されるようになった。1891年,マレーJ.MurrayとレナードA.F.Renardはチャレンジャー6世号の採集試料にもとづいて,海底堆積物を海底の水深,陸からの距離,構成物の種類を考慮して,系統的に分類した(表1)。それは改変と細分を経て現在の分類体系が確立されてきた。…
… キリスト教成立以前の異教時代では,彼女たちは魔女という総括的な名でよりは,むしろ女占い師や巫女,薬剤師といった個別的な職業名で呼ばれていたものと思われる。魔女の原義は例えばゲルマン語ではhag(垣根)とzussa(女)の合成語であるところから〈女庭師〉であり,またイギリスの歴史家M.マレーのように,古代エジプトの豊穣信仰の女祭司に魔女の起源を求める説もある(《西ヨーロッパにおける魔女信仰》1921)。グリム兄弟はアイルランドの妖精物語が魔女信仰の細部と符合することを指摘している。…
※「マレー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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