リヒター(英語表記)Richter, Adrian Ludwig

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

リヒター
Richter, Adrian Ludwig

[生]1803.9.28. ドレスデン
[没]1884.4.19. ドレスデン
ドイツの画家,版画家。ローマにおもむきナザレ派の画家と親交をもった。帰国後 1828~35年マイセン製陶所素描学校教師,36~77年ドレスデン美術学校教授。イタリア,ドイツのロマン主義的な風景画や,小市民の生活を情感をこめて描いたが,特に木版による,物語,童話,詩集などの挿絵を得意とした。

リヒター
Richter, Burton

[生]1931.3.22. ニューヨーク
アメリカの物理学者マサチューセッツ工科大学に学び,1956年学位取得。スタンフォード大学のスタッフ (1956) ,教授 (67) となる。 74年 11月,同大学の線形加速器センターで 3095MeVの質量をもつ新素粒子 (ψ粒子) を発見。これは4番目のクォーク (チャーム) の存在を示すものである。その業績によって 76年ノーベル物理学賞を受賞した。

リヒター
Richter, Curt Paul

[生]1894.2.20. コロラド,デンバー
[没]1988.12.21. メリーランド
アメリカの心理学者,生物学者。ジョンズ・ホプキンズ大学医学部教授。動物行動の生理的生化学的要因について広範な研究を行い,現代の生理心理学の発展に寄与。主著『医学と精神医学における生物時計』 Biological Clocks in Medicine and Psychiatry (1965) 。

リヒター
Richter, Eugen

[生]1838.7.30. ジュッセルドルフ
[没]1906.3.10. ベルリン
ドイツの政治家。左派の自由主義者で,1867年北ドイツ連邦議会 (統一後は帝国議会) ,69年にはさらにプロシアの下院に列し,まもなくドイツ進歩党領袖となった。 84年に進歩党がドイツ自由思想家党に吸収されると,その指導者となり,93年にその右派が自由思想家連合を結成して離脱するまで,大きな力をふるった。マンチェスター派自由主義の闘士として,ビスマルクの経済政策,社会政策に一貫して反対した。著書に『回想録』 Erinnerungen (2巻,1894~96) などがある。

リヒター
Richter, Franz Xaver

[生]1709.12.1. ホレシャウ
[没]1789.9.12. ストラスブール
ボヘミアの作曲家。 1740年ケンプテン司教座修道院副楽長,47年マンハイム宮廷楽団に入り,69年以降ストラスブール大聖堂の楽長をつとめた。 J.シュターミツや I.ホルツバウアーと並ぶマンハイム楽派初期の大家。交響曲 69のほか,協奏曲,室内楽を作曲。ストラスブールに移ってからはミサ曲 30ほかの宗教音楽を残した。

リヒター
Richter, Hans

[生]1888.4.6. ベルリン
[没]1976.2.1. ロカルノ
ドイツ生れのアメリカの画家,映画制作者。 1916年チューリヒのダダ運動に参加。やがて実験映画の制作を始め,1940年代に入るとナチスから逃れてアメリカ亡命。主要作品は絵画『秋』 (1917) ,実験映画『金で買える夢』 (44~47) ,『8×8』 (60) など。

リヒター
Richter, Hans Werner

[生]1908.11.12. バルト海,ウーゼドム島
[没]1993.3.23. ミュンヘン
ドイツの小説家,評論家。第2次世界大戦直後,アンデルシュと協力して雑誌『叫び』 Der Rufを発刊,雑誌そのものは占領軍によって発禁となったが,引続きいわゆる「47年グループ」を創設,以後指導者として数多くの文学者を育成した。作品には,戦争体験を描いた処女作『うちのめされた人々』 Die Geschlagenen (1949) ,自伝的な『砂の中の足跡』 Spuren im Sand (53) ,『白ばら,赤ばら』 Rose weiß,Rose rot (71) ,『ある7月の日』 Ein Julitag (82) など。

リヒター
Richter, Hieronymus Theodor

[生]1824.11.21. ドレスデン
[没]1898.9.25. フライベルク
ドイツの化学者。フライベルク鉱山学校冶金学教授 (1871) ,同校長 (75) 。 1863年,F.ライヒの助手として分光器を用いた吹管分析により,閃亜鉛鉱中にインジウムを発見,その抽出に成功した。

リヒター
Richter, Jeremias Benjamin

[生]1762.3.10. ヒルシュベルク
[没]1807.4.4. ベルリン
ドイツの化学者。故郷のギムナジウムを卒業後,プロシア軍工兵隊に入隊 (1778) 。のちケーニヒスベルグ大学に入学 (85) ,数学,哲学を学ぶ。シュレジエン地方の鉱山局に技師として勤務,1798年ベルリン磁気製造所に迎えられた。ミュンヘンおよびペテルブルグ科学アカデミー会員。当時としては性急に過ぎる化学の数学的体系化を意図し,化学量論の基礎を築いたが,同時代人にはほとんど顧みられなかった。

リヒター
Richter, Karl

[生]1926.10.15. プラウエン
[没]1981.2.15. ミュンヘン
ドイツのチェンバロ・オルガン奏者,指揮者。代々教会のオルガン奏者をつとめる家に生れる。 1946年からライプチヒ音楽院で K.シュトラウベ,G.ラミーンらに師事。 49年聖トマス教会の,51年ミュンヘンの聖マルコ教会のオルガニストとなり,またミュンヘン音楽大学でオルガンを教える。 53年ミュンヘン・バッハ合唱団,55年同管弦楽団を組織,盛んに演奏活動を行なった。師の跡を継いで,カトリックの強いミュンヘンでプロテスタント教会音楽を定着させ,教会カンタータの全曲連続演奏などバッハ演奏の第一人者といわれた。

リヒター
Richter, Charles Francis

[生]1900.4.26. オハイオ,ハミルトン近郊
[没]1985.9.30. カリフォルニア,パサディナ
アメリカの地震学者。スタンフォード大学物理学科を卒業後,1928年にカリフォルニア工科大学で学位取得。 37~70年同大学地震研究所教授。地震マグニチュードに関するスケールの1つ,リヒタースケール (震央から 100km離れた位置に置かれた特定の地震計が示す最大振幅をμm〈マイクロメートル〉単位で測った値の常用対数) を考案 (1935年) 。北アメリカの地震の巣といわれる南カリフォルニアを監視,B.グーテンベルクとともに地震のエネルギーや規模に関する研究を続け,地震エネルギーとマグニチュードとの関係を表すグーテンベルク=リヒターの式を見出すなど,地震の定量的把握と研究の基礎を与えた。第2次世界大戦後の 59年,フルブライト交換教授として来日し東京大学地震研究所に滞在した。

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デジタル大辞泉の解説

リヒター(Karl Richter)

[1926~1981]ドイツの指揮者・オルガン奏者。ミュンヘン‐バッハ合唱団・管弦楽団を組織して世界的水準に育成し、バッハの演奏でひとつの典型を示した。

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百科事典マイペディアの解説

リヒター

ドイツ・ロマン主義の画家。ドレスデン生れ。ナザレ派に加わり,1823年―1826年イタリアに滞在。帰国後は木版によって童話集や民話集に素朴で親しみやすい挿絵を描き,その第一人者となった。油絵では,《夕べの祈り》(1842年,ライプチヒ美術館蔵),《森のしじまの中のゲノフェーファ》(1841年,ハンブルク美術館蔵)などの作品がある。

リヒター

米国の物理学者。スタンフォード線形加速研究所員。陽電子と電子の消滅過程を研究,1974年リヒターらはチャームクォーククォーク)とその反粒子からなる新粒子を発見し,Ψ(プサイ)粒子と名づけた。同じ頃,ブルックヘブン研究所でティンらも同じ粒子を独立に発見しJ粒子と名づけた。このため,この粒子はJ/Ψ(ジェー・プサイ)粒子と呼ばれる。1976年ティンとともにノーベル物理学賞。

リヒター

ジャン・パウル

リヒター

ドイツの画家。旧東ドイツ,ワルタースドルフ生れ。ありふれたスナップ写真やマス・メディアで流通する写真映像をもとに,写実的な手法で視覚的リアリズムを追求した作品と,絵具の物質感で画面を構成する純粋に抽象的な作品との二つの傾向を展開する。写真イメージを絵画に取り込む作業は,精度の低いスナップ写真のピンぼけや構図の甘さをそのまま踏襲して拡大しており,絵画や写真における再現性を批判的に活用している。リヒターにとっては,具体的な事物は世界の現れを理解するためのモデルにすぎない。一見正反対に見える二つの手法,つまり写真絵画と抽象絵画とは,可視的な世界を超えたリアリティに到達するための手段であり,20世紀絵画を総括する試みである。

リヒター

ドイツの指揮者。19世紀後半を代表する演奏家の一人。ラープ(現ハンガリー北西部ジェール)で高名な音楽家を両親に生まれ,ウィーン音楽院に学ぶ。歌劇場のホルン奏者を務めたのち,1868年−1869年ビューローのもとでミュンヘン歌劇場の指揮者として経験を積む。1875年ウィーン宮廷歌劇場(現ウィーン国立歌劇場)の楽長に就任し,翌1876年親交の深いR.ワーグナー楽劇ニーベルングの指環(ゆびわ)》をバイロイトで全曲初演。以後バイロイト音楽祭(音楽祭参照)の中心的存在として活躍し,1878年英国に活動の拠点を移してからは《トリスタンとイゾルデ》《ニーベルングの指環》をはじめワーグナー作品の英国への紹介に大きな役割を果たした。1904年ロンドン交響楽団の初代首席指揮者に就任。1912年引退。→クナッパーツブッシュビーチャム
→関連項目ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団エルガー

リヒター

ドイツの指揮者,オルガン奏者,ハープシコード奏者。ザクセン地方のプラウエンでオルガン奏者の家系に生まれる。1946年からライプチヒ音楽院に学び,1949年J.S.バッハゆかりのトマス教会のオルガン奏者に就任。1951年西ドイツのミュンヘンに拠点を移し,1956年同地の高等音楽学校教授。1953年ミュンヘン・バッハ合唱団,1955年ミュンヘン・バッハ管弦楽団を組織し,その指揮者として国際的な活動を展開,劇的かつ緊密な演奏で《マタイ受難曲》をはじめとするJ.S.バッハ作品の解釈に一時代を画した。オルガン奏者,ハープシコード奏者としても多くの名演を残している。1979年に初来日。

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世界大百科事典 第2版の解説

リヒター【Hans Richter】

1888‐1976
ドイツ出身の画家,映画作家。ベルリンに生まれ,建築と美術を学ぶ。1912年表現派の〈嵐Sturm〉展に,14年表現主義左派の《行動Aktion》誌に参加。第1次大戦で負傷後,チューリヒ・ダダ運動に加わり,肖像画から抽象芸術に進む。18年作曲家ブゾーニの示唆で,スウェーデンの画家エイェリンクW.Eggelingとともに色彩と形態の対位法的構成を研究し,〈巻物画Rollen〉から映画へと展開した。23‐26年エル・リシツキー,建築家ミース・ファン・デル・ローエらと構成主義の雑誌《G》を編集,実験映画では抽象映画(《リズム21》1921)からベルトフ流の実写の象徴化に転じ,《午前の幽霊》(1927)はエイゼンシテインモンタージュを啓示したといわれる。

リヒター【Karl Richter】

1926‐81
ドイツの指揮者,オルガン奏者。20世紀を代表するバッハ演奏家の一人。ライプチヒ音楽院に学び,1949年バッハゆかりのトマス教会のオルガン奏者,51年よりミュンヘン高等音楽学校でオルガンを指導,56年同教授。1953年〈ミュンヘン・バッハ合唱団〉,56年〈ミュンヘン・バッハ管弦楽団〉を組織し,指揮者およびオルガンないしハープシコード奏者として活動した。歴史に忠実な演奏を目ざすとともに,劇的効果に富む新しいバッハ像を実現した。

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大辞林 第三版の解説

リヒター【Karl Richter】

1926~1981) ドイツの指揮者・オルガン奏者。バッハの教会カンタータ全曲演奏、マタイ・ヨハネの両受難曲、ロ短調ミサの演奏などに優れた厳格な解釈を示した。

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367日誕生日大事典の解説

リヒター

生年月日:1838年7月30日
ドイツの政治家
1906年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

精選版 日本国語大辞典の解説

リヒター

[一] (Hans Richter ハンス━) ドイツの指揮者。ハンガリー出身。ワーグナーに師事し、ウィーン宮廷オペラ楽長、バイロイト祝祭劇場の首席指揮者となり、ワーグナーの作品を多く上演。一九世紀後半の代表的指揮者の一人。(一八四三‐一九一六
[二] (Johann Paul Friedrich Richter ヨハン=パウル=フリードリヒ━) ドイツの小説家ジャン=パウルの本名。

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