日本大百科全書(ニッポニカ) 「国見(大分県)」の意味・わかりやすい解説
国見(大分県)
くにみ
大分県北東部、東国東(ひがしくにさき)郡にあった旧町名(国見町(ちょう))。現在は国東市の北部にあたる地域。旧国見町は、1955年(昭和30)伊美(いみ)町と熊毛(くまげ)村が合併して国見町と改称。1960年竹田津町と合併。2006年(平成18)国東、武蔵(むさし)、安岐(あき)の3町と合併して市制施行、国東市となった。旧町名は『豊後国風土記(ぶんごのくにふどき)』の国見の村地名伝承にちなむ。国東半島北部の数条の放射谷の米・タバコ作と放射山稜(さんりょう)のミカン栽培が主産業。半島を回る国道213号を通じ、伊美は姫島(ひめしま)、竹田津は徳山へフェリーボートが就航している。国指定史跡鬼塚古墳(おにづかこふん)は壁画をもつ。
[兼子俊一]
『『国見町沿革史』(1970・国見町)』
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