デジタル大辞泉 「易」の意味・読み・例文・類語
えき【易】[漢字項目]
[学習漢字]5年
〈エキ〉
1 取りかえる。入れかえる。「易姓/改易・交易・不易・貿易」
2 占い。「易者・易断」
3 占いの書。五経の一。「易経/周易」
〈イ〉やさしい。たやすい。「安易・簡易・難易・平易・容易」
[名のり]おさ・おさむ・かね・やす・やすし
[難読]
古代中国におこった占いの方法。国家の大事を決するとき、殷(いん)(前18~前12世紀)では、亀甲(きっこう)、獣骨を焼いてできたひび割れの形によって、その吉凶を決した。亀甲獣骨卜占(ぼくせん)といわれるのがそれで、甲骨文字はそのときの卜辞である。周代(前12~前3世紀)になると甲骨卜占より占筮(せんぜい)のほうが多く行われるようになった。『易経(えききょう)』による占いである。『周礼(しゅらい)』によると、大卜(たいぼく)の職では、三易(さんえき)の法をつかさどったとある。三易とは、『連山(れんざん)』『帰蔵(きぞう)』『周易(しゅうえき)』である。『連山』は殷の前の夏(か)王朝の易であり、『帰蔵』は殷王朝の易であるといわれるが、今日ではなくなっていて、事実のほどは明らかでない。そして今日、易といっているのは、周代の易ということで、『周易』といわれているものである。もともと卜占の書であるが、その内容には生活の知恵が集約されているとともに、処世の哲学があり、後世、朱子学はこのなかに形而上(けいじじょう)学を形成した。
[安居香山]
易の字源について、『説文(せつもん)』は「蜥易(せきえき)、蝘蜒(えんてい)、守宮なり、象形(しょうけい)なり」として、トカゲの類の象形としているが、加藤常賢(じょうけん)の『漢字の起源』でも、金文(きんぶん)の字形からみて、正しい見解としている。トカゲは体色がよく変わることから、易の字には「かわる」という意味があるとされる。後漢(ごかん)の鄭玄(じょうげん)の『易賛(えきさん)』には、易に三義があると説く。易簡(いかん)(たやすい)、変易(かわる)、不易(かわらない)である。易は六十四卦(か)をもって天地間のあらゆる事象を説明して複雑のようであるが、その実、陰陽の二爻(こう)に基づいて説明する簡単、明瞭(めいりょう)なものであるというのが易簡である。天地間のあらゆる事象はつねに変化してとどまることがない、すなわち変易である。しかし、その変化のなかにも、変わらない法則性がある。すなわち不易である。易は、この変易と不易とを、象徴と数によってたやすく示してくれるとする。易簡とともに易の三義である。
[安居香山]
易の作者については、いろいろの説がある。まず八卦(はっか)を画(えが)いたのは古帝王の伏羲(ふくぎ)であるという伝説で、易の「繋辞(けいじ)伝」下に「仰いで象(しょう)を天に観(み)、俯(ふ)して法を地に観(み)、鳥獣の文(ぶん)と地の宜(ぎ)とを観(み)、始めて八卦を作る」とあるによる。これとは別に、『緯書(いしょ)』に「伏羲氏の天下に王たるや、神龍(しんりゅう)ありて、図を負いて黄河に出づ。法(のっと)りてこれに効(なら)い、始めて八卦を画く」(「龍魚河図」)という説もある。八卦を六十四卦としたのも伏羲であるというのと、それは神農(しんのう)であるという説があるが、いずれも伝説で定かでない。六十四卦には、卦辞(かじ)(卦全体についての判断の文句)と爻辞(こうじ)(爻についての状況判断の文句)があるが、卦辞は周の文王がつくり、爻辞は周公がつくったとされている。爻辞も文王がつくったという説があるが、爻辞のなかに文王以後の事件が述べられているところもあるので、爻辞は周公の作とするのが妥当といわれている。以上が経の本文についての成立説であるが、これに対して、経を解説した伝(でん)がある。「彖(たん)伝」(上・下)、「象(しょう)伝」(上・下)、「繋辞伝」(上・下)、「文言(ぶんげん)伝」「説卦(せっか)伝」「序卦(じょか)伝」「雑卦(ざっか)伝」の10編で、『周易正義』の序には、「其(そ)の彖象(たんしょう)等十翼(じゅうよく)の辞は、以(もっ)て孔子(こうし)の為(な)すところとなすは、先儒更(さら)に異論なし」と述べているが、宋(そう)の欧陽脩(おうようしゅう)以来これを疑う説が多く出ている。しかし、彖・象二伝については、孔子の作であることを疑うものはない。十翼すべてが孔子の作でないとしても、孔子門流の手になったものであろうと考えられている。
[安居香山]
秦(しん)の始皇帝の焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)のとき、卜筮の書ということで易はその難を免れた。『春秋左氏(さし)伝』には占筮の書としての易がしばしば用いられている実例が出ている。漢代に至り儒学が復興すると、易は六経(りくけい)の首に置かれた。『漢書』「芸文志(げいもんし)」の六芸略(りくげいりゃく)は、易・書・詩・礼・楽・春秋と次第している。しかし漢代では、当時流行した天人相関思想に基づき、易によって政治の得失を占う傾向が強かった。孟喜(もうき)(前70―前50ころ)、京房(けいぼう)(前78―前37)はその代表的人物である。漢代の易学を「象数易(しょうすうえき)」というのは、易の解釈にあたって卦の象と数を重んじたからである。こうした複雑な易解釈に対して、魏(ぎ)の王弼(おうひつ)(226―249)は、十翼によって経文全体の意味を把握することに努めるとともに、老荘哲学を取り入れて易理論をたすけ、『周易注』を著した。漢の費直(ひちょく)(前1世紀)の法を継承発展せしめたものである。唐代に編纂(へんさん)された『五経正義』の『周易正義』は、王弼の注を採用し、王弼が注しなかった「繋辞伝」「説卦伝」「序卦伝」「雑卦伝」については、韓康伯(かんこうはく)の注を用いた。漢代の象数易に対して、王弼の解釈を義理易という。宋代の易学はおおむね王弼の流れをくむ。しかし朱熹(しゅき)(朱子、1130―1200)の『周易本義』では、易を卜筮の書と規定し、易の経文を卜占の答えとみる点に特徴がある。元(げん)以後の科挙(かきょ)の必須(ひっす)教養としての四書、五経は、朱子学系の注釈書が主として用いられ、易では程頤(ていい)(1033―1107)の『伊川(いせん)易法』や朱熹の『周易本義』が用いられた。
日本には、易は奈良時代に伝来しているが、江戸中期以後、朱子学が盛んとなり、山崎闇斎(あんさい)、伊藤東涯(とうがい)、新井白蛾(あらいはくが)、真勢中洲(ませちゅうしゅう)、松井羅州(らしゅう)、榊原篁洲(さかきばらこうしゅう)、皆川淇園(きえん)などの易研究家がいた。明治期に入っては根本通明(みちあき)、遠藤隆吉(りゅうきち)らが処世哲学的理論をたてて活躍し、占筮家としては高島呑象(どんしょう)が知られている。
[安居香山]
易は本来占筮の書で、これによって処世の道を決するのであるが、思想的には陰陽の変化をもって天地人三才の道を述べたもので、「説卦伝」に「聖人の易を作るや、まさにもって性命の理に順(したが)わんとす。ここをもって天の道を立つ、曰(いわ)く陰と陽と。地の道を立つ、曰く剛と柔と。人の道を立つ、曰く仁と義と。三才を兼ねてこれを両にす」とある。三才それぞれに陰陽の徳が含まれているのである。陰陽は相対立するものであり、自然界、人間界のすべての事象は、みなこの二者に配される。
この陰陽は単に相対立するだけでなく無限に変化する。四季が循環するごとく、陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる。この無限の変化作用を説いて「一陰一陽、これを道という」と易では説く。こうした変易する実相も、その実、不易な道によってたつ。そして生成発展をしてやまない。陰陽の二元によって説かれる原理は、まことに易簡であるが、その哲理はきわめて深遠といわねばならない。
[安居香山]
「繋辞伝」に「大衍(えん)の数五十、その用四十九」とあるように、易占では50本の蓍策(しさく)(メドハギという多年生植物の茎)を用いたが、後世では30センチメートルほどの竹の棒、すなわち筮竹(ぜいちく)によって卦をたてた。このほかに算木(さんぎ)といわれる長さ10センチメートルほどの角材で、隣り合う2面に溝をつけた木6本が用いられる。溝のない面が(陽)を、溝のある面が(陰)を表し、占筮の進むにつれて、これで卦を組み立てていく。この占筮法には、本筮法、中筮法、略筮法の3通りがある。本筮法では、一つの卦の六つの爻を出すために、18変の操作を繰り返すため、きわめて煩瑣(はんさ)である。そのため近時の易占では、多く略筮法が用いられている。蒙(もう)の卦に、「初筮には告ぐ。再三すれば涜(けが)る。涜るれば告げず」とあるように、誠意をもって神明に問う気持ちで占わねばならない。でた卦がよくないとして、再三占うことは、神明を冒涜(ぼうとく)するものとされる。したがって、初筮によってでた結果で、易占をしなければならない。
略筮法では、筮竹50本のなかから1本抜いて太極(たいきょく)とし、残りの49本を扇型に開いて持ち、心を込めてこれを左右に分ける。左手のが天策(てんさく)で右手のが地策である。右手のを机上に置き、そのなかの1本を取って左手の小指と薬指との間に挟む。これを人策とする。これで天地人の三才が整ったことになる。次に左手の筮竹を8本ずつ(2本ずつ4回)数える。8で割り切れるときは残さない。そして残った筮竹と、小指に挟んだのを加え、その数によって八卦の卦を決める。これによって、内卦(ないか)(卦の下半分)が決まる。残数と卦の決め方は次のようである。
同じ方法で筮竹49本をもって外卦(がいか)(卦の上半分)を決める。こうして得られた二つの卦をあわせて、求めるところの卦が得られるわけである。次に占断の対象となる爻位を決めるため、前と同様な方法で6本ずつ(2本ずつ3回)数えて、割り切れれば残さないで、小指の1本を加えて、次のように爻位を決める。
1本(割り切れた場合)…初爻
2本……二爻 3本……三爻
4本……四爻 5本……五爻
6本……上爻
(六爻は卦の下から、初、二、三、四、五、上、と数えていく)
以上によって卦と爻とが得られたわけで、卦の彖、象の辞によって、占う事項の吉凶を判断し、爻辞によってさらに細密な占断を下すことになる。簡略な卦辞や爻辞によって占断を下すのであるから、占者の学識や経験が、重要となってくる。
このほか擲銭法(てきせんほう)というのが『儀礼(ぎらい)正義』に説かれている。3枚の貨幣を投げて、次の要領で下から六爻を決めて、卦をたてる法である。
近時ではさらにこれを簡略化して、1枚の銭を6回投げて卦を決め、占う方法をとるものもあるが、これは易占の本来からすれば当を得たものとはいえない。
[安居香山]
『高田真治・後藤基巳訳註『易経』上下(岩波文庫)』▽『本田済訳注『中国古典選 易』(1966・朝日新聞社)』
中国,殷代の亀卜(きぼく)に代わって,周代に生み出された筮竹(ぜいちく)による占い。大事には卜し小事には筮すといわれるように(鄭玄(じようげん)のことば),亀卜の権威はその後も保たれていたが,数的メカニズムを備えた筮がしだいに卜を圧倒していき,やがてそのテキストである《易》が整備され,ついでそれが経典の座を占めるにおよんで筮=易の地位は不動のものとなり今日に至っている。
筮という字は竹と巫からなる。巫は神と人との媒介者,すなわち〈みこ〉〈かむなぎ〉であるから,この文字は竹の棒(本来は蓍(めどぎ)という多年生植物の茎を使う)を媒介にして神意をうかがう占いをあらわす。一方,易は筮とそのテキストの呼名として広く使われるが,その語源については諸説がある。中国最古の字書《説文解字》によれば,易は蜥蜴(とかげ)であるといい,また日と月の組合せであるともいう。鄭玄はこの1字のなかに,易簡(たやすい),変易(かわる),不易(かわらぬ)の三義を含むと述べている。トカゲがなぜ易と結びつくのかについては,周代の卜筮者集団の標識(トーテム)がトカゲであったからという説(本田済)がある。
ちなみに,《易》の英訳名は《Book of Changes》である。《易経》が成立し,その注解(十翼という)が書かれて以後,易は哲学的思弁の対象となり,中国のみならず東アジアの思想史に刺激を与え続けたが,南宋の朱熹が喝破したように《易》は本来卜筮の書なのである。次に占筮の実践方法を具体的に述べてみよう。
易は人知を超えたものへの問いかけであるだけに厳粛な儀礼をともなう。占筮作法の決定版というべき朱熹の《筮儀》によれば,占者は部屋を掃き清め香をたき,手を洗って居ずまいを正したのち,次のような問筮のことばを唱える。〈なんじの泰筮つねあるに仮(よ)る,なんじの泰筮つねあるに仮る。某(それがし)(名と職をいう)いま某事いまだ可否を知らざるをもって,ここに疑う所を神に霊に質(ただ)す。吉凶得失,悔吝憂虞(かいりんゆうぐ),これなんじ神(しん)あらば,尚(こいねが)わくは明らかにこれを告げよ〉。このあと,50本の筮竹を手にとり占筮にうつるわけだが,《易》繫辞(けいじ)伝にもとづくいわゆる本筮法は煩瑣で時間もかかるので,ここではいわゆる略筮法を紹介する。江戸時代の平沢常矩が案出し,古易中興の人新井白蛾が普及させたといわれるもので,日本では今日もっとも普及している筮法である。
まず50本のなかから任意の1本を抜き取る(これは太極(たいきよく)になぞらえるもので終始用いない)。次に雑念を払い残りの49本を一気に二分する。右手に握った分から1本抜き出し,それを左手小指にはさむ。左の掌中にある筮竹を右手で8本ずつ除去していき,小指の分も入れて残りが8本以内になったらやめる。残りが1本なら乾(けん)(天),2本なら兌(だ)(沢),3本なら離(火),4本なら震(しん)(雷),5本なら巽(そん)(風),6本なら坎(かん)(水),7本なら艮(ごん)(山),8本なら坤(こん)(地)。これで内卦(六爻(こう)の下半分)が得られた。次に同じ操作をして外卦(上半分)を求める。これで本卦が得られたが,最後に同じ操作をもう一度行って(ただしこの場合は6本ずつ除去)之卦(しか)(変化した卦)を出す。残りが1本なら本卦の最下の1爻(初爻)が変化する(陰と陽の逆転)。以下,2本なら第二爻というふうに下から上へ順に変爻があがっていく。ここまではだれにでもできるが,この得られた卦をもとに的確な占断を下すためには,高度な技能が要求される。原則を述べておけば,かならず1爻が変じる略筮法の場合は,本卦の変爻を主眼とし,あわせて之卦を考慮に入れる。複雑なものは専著にゆずり,ここではごく簡単な占例をあげてみよう(中国歴代の実際例については,海保漁村《周易古易法》や尚秉和(しようへいわ)《周易古筮考》が豊富な事例を集めて分析している)。
海外渡航の安否を占って乾の第五爻を得た場合,その爻辞に〈飛竜天に在り〉と言い,しかも之卦大有の外卦には鳥の象があり(説卦伝),内卦は天であるから,天空を飛行機が快適に飛行している様子をあらわしており,事故の心配はないという占断になる。また,高所から落ち腰をしたたか打って病院にかつぎ込まれたとする。その再起いかんを占って艮の第三爻を得た場合,その占断は,しばらく激しい腰痛に悩まされるがやがて快癒するとみる。というのは,その爻辞に〈その限(こし)に艮(とど)まりその夤(せじし)を列(さ)く〉とあるものの,之卦剝(はく)の卦の象はその患部の消滅(がに変わっている)を告げているからである。こうした例は,問いにぴったりの卦が出て比較的占断を下しやすいが,ときには一見かけ離れた卦が出る場合もある。占者の力量が問われるのはそのようなときの読みである。易は迷信的な呪術というより,卦の奥を読みとる一種の知的な解釈学なのである。なお,筮竹がない場合はコインを使って占うことも可能である。擲銭(てきせん)法と呼ばれるもので,中国では唐代にすでに行われていた。本筮,略筮ともに可能であるが,略筮法なら6枚のコインの裏()表()によって卦を出し,之卦を求めるにはさいころを使う。また,八面体のさいころも工夫されているが,これは入手に難がある。
易は未来を占うものだが,名をつける際に卦を立てることもある。また,南宋の陸九淵(象山)は地方官であったとき,冬に雪が降らないのでその年の凶作を心配し,乾の卦を描いて堂に掲げ,香花を供えて雪を祈ったといわれる。また,易占によって射覆(せきふ)(おおいの中身をあてる透視術)をし,易者の力くらべをする座興も行われた。
→易学 →易経
執筆者:三浦 国雄
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古代中国で考案された占法の一つ。占い具として算木(さんぎ)と筮竹(ぜいちく)を用いて卦(け)を立て「易経」にもとづいて吉凶を占う。「日本書紀」には6世紀中頃の欽明14年に,百済(くだら)に易博士と卜書(うらぶみ)の送付を求めたとあるのが伝来に関する初見。令制では陰陽(おんみょう)寮の陰陽師が卜筮(ぼくぜい)を職務としたが,平安中期に陰陽師は式占と称するルーレット様の式盤を用いた占法をもっぱらとし,易占は明経(みょうぎょう)道・算道の儒家や僧侶らが多く行った。室町時代には軍事占に関する需要から足利学校で盛んに易筮が学ばれた。江戸中期には儒学の興隆を背景に「周易」の研究が流行して,平沢常矩や新井白娥(はくが)らの易学者が輩出し,都市には易筮を専業とする者も増加した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 占い学校 アカデメイア・カレッジ占い用語集について 情報
…しかし周族の勢力の伸長は殷の紂王(ちゆうおう)の警戒心をよびおこし,文王は羑里(ゆうり)にとらわれることになる。この捕囚の間に文王は《易》の六十四卦を整備したという。釈放のあとも文王は徳治によって近隣の諸国を懐(なつ)け,また都を豊(西安市西部)に移した。…
…五経の筆頭に置かれる儒教の経典。《周易》,《易》ともいう。本文(経(けい))は64種類の象徴的符号(卦(か))と,そのおのおのに付された短い占断の言葉から成っており,本文の解説(伝(でん))は彖(たん)伝をはじめ10編があるので,これを十翼(翼はたすける意)という。…
…そこには,この6家の長所と短所が要領よく紹介され,道家を他の5家の長所をかねる卓越した術芸とするのにひきかえ,儒家はより劣った学術にすぎず,墨家集団はすでに没落したことを告げている。 《漢書》芸文志には,国家教学と化した儒家の奉持する経書(けいしよ),つまり〈易(えき),書,詩,礼,楽,春秋〉とそれを補助する〈論語,孝経〉などを,劉漢王朝の国家学〈六芸(りくげい)〉として別格にあつかい,その他の学派を百家九流(きゆうりゆう)の〈諸子〉に分属している。これは,劉向・劉歆(きん)父子が,前漢後期,宮廷の蔵書を整理し,その解題〈別録〉と7分類の書目〈七略〉を作成したのを班固がこの類目にそって〈芸文志〉を〈六芸略,諸子略,諸賦略,兵書略,術数略,方技略〉の順に編成したのである。…
※「易」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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