デジタル大辞泉 「髪」の意味・読み・例文・類語
はつ【髪〔髮〕】[漢字項目]
〈ハツ〉
1 頭の毛。かみ。「遺髪・
2 わずかな間隔のたとえ。「間一髪・危機一髪」
〈かみ(がみ)〉「髪形/黒髪・前髪・日本髪」
[難読]
翻訳|hair
人体頭部の皮膚に植立する毛。頭毛,頭髪,髪の毛などとも称される。そもそも毛とは皮膚の表層をなす細胞群が硬いタンパク質性の物質塊(角質)に変化して生じたものであるが,その際に皮膚表層が1本1本の毛をとりかこむようにして体内へ深く(髪の場合は4~5mm)陥入し,毛包を形成する。生体から髪をむりに引き抜くと髪の根部にぶよぶよの組織が付着していることが多いが,この組織が毛包にほかならない。髪は頭部皮膚において2~9本ずつ群生している。直線状で長い髪は黄色人種でよくみられるが,その断面が円形であるのが特徴的である。白色人種に多い波状にカールした髪の断面は卵形,黒色人種に多い縮れた髪の断面はソラマメ状の形を示す。髪の長さは,毛包の活動状態,とりわけ活動期の長さにより大きく影響を受ける。すなわち,個々の髪の毛包には2~5年間の活動期と3~4ヵ月間の休止期とが交互に訪れ,その活動期間中には髪は平均して毎日0.3~0.5mmずつ伸び続け,毛包の休止期に至ると髪は必ず脱落するのである。ちなみに眉毛(びもう)(まゆ毛)では毛包が1~2ヵ月間の活動期と3~4ヵ月間の休止期とをくり返す。髪の成長速度は隣接している髪どうしのあいだでも大いに異なるのであるが,このことは,毛包の一つの活動期内でも前期,中期,後期というふうな区分が存在し角質産生の速度が変化することを示している。髪の色調(白,黄,赤,茶,黒)は,角質に含まれるメラニン色素(黒色)および空気(気泡状に角質内にとり込まれる)の量に支配される。髪を顕微鏡で観察すると,その表面が屋根瓦状(毛尖のほうから毛根に向かって順に1枚ずつの瓦が積み重なるような)構造をなすのが認められる。このような屋根瓦状の髪表面部位をキューティクルcuticle(毛小皮)と称する。髪の基部,すなわち毛根には皮脂腺がつねに開口しており,髪の表面は脂性分泌物により潤されている。
執筆者:山内 昭雄
人の頭髪は他の部位の毛に比べて最も長いが,大プリニウスが〈頭髪の成長速度は最大で須毛(鬚(あごひげ)・髯(ほおひげ))はこれに次ぐ〉(《博物誌》6巻)というように成長が速いためでなく,抜けるまでの寿命が長いからである。まゆ毛の平均寿命は3~4週,髪は2~5年と,身体各部の毛の寿命には著しい差がある。C.ダーウィンによれば,北アメリカ・クロウ族の酋長は10フィート7インチ(約3.2m)という部族男子の中で最長の髪をもち,このために酋長になれたという(《人類の起源》)。ダコタのスー族に3.22m,フィラデルフィアの男に2.28m,イギリス婦人に1.92mの報告がある。日本では平安時代の貴族階級の女性が中央で分けた長い黒髪を誇っていた。村上天皇のときに宣耀殿の女御となった藤原師尹(もろただ)の息女が参内するときには,〈御車に奉りたまひければ,わが身は乗りたまひけれど,御髪(みぐし)のすそは母屋(もや)の柱のもとにぞおはしける〉(《大鏡》)ほどだった。《紫式部日記》の中に,宮木の侍従は〈髪の,袿(うちぎ)にすこし余りて,末をいとはなやかにそぎてまゐり侍りし〉とか,五節の弁は〈髪は,見はじめ侍りし春は丈に一尺ばかり余りて〉などとある。〈頭つき髪のかかりはしも美しげにめでたしと思ひ聞ゆる人にもおさおさ劣るまじう袿の裾にたまりて曳かれたるほど一尺ばかり余りたらんと見ゆ〉(《源氏物語》末摘花)。王朝絵巻の美姫たちの髪がこれである。
古代ヘブライ人は〈わが愛する者は白く輝き,かつ赤く,万人にぬきんで,その頭は純金のように,その髪はうねって,カラスのように黒い〉(旧約聖書《雅歌》)とあるように黒髪を特徴とした。だがミルトンは《失楽園》の中でイブを金髪が腰まで垂れる女とした。またユダヤ伝承に語られるアダムの最初の妻リリスは美しい髪で有名だが,D.G.ロセッティはそのバラード《エデンの木陰》の中でリリスも金髪にしてしまった。金髪が最も美しいと考える通念の結果である。古来,金髪は高貴とされた。ホメロスの《イーリアス》には金髪のメネラオスが登場する。1世紀ごろのローマの詩人マルティアリスの詩に,〈北の民からの髪(鬘)を,レスビアよ,君に贈った。君の髪のほうがそれよりもどれほど金色であるかを君が知るように〉とある。同じころタキトゥスは,ゲルマン人に共通な特徴として鋭く碧い目と燃ゆるごとき金髪をあげている(《ゲルマニア》)。だがゲルマン人の金髪はその多くが生来のものではなく,羊の脂とブナの木の灰を混ぜたサポという軟膏やその他の染料で染めた結果である。古代ゲルマン人も金髪を尊んだあかしだが,古代ローマの貴婦人たちもさまざまの染料を用いて金髪を競い合った。またルネサンス期のイタリア女性は,自宅屋上のアルターネという台に長時間座り,染料を陽光で乾かして金髪にするならわしだった。髪の詩人ボードレールは金髪偏愛ではなかったが,モーパッサンの《髪の毛》は金髪の束を手に幻想と陶酔にふけった色情狂患者の話であり,ハイネのローレライ(《ローレライ》),フケーのウンディーネ(《水妖記》)も金髪である。
金髪と反対に,赤毛の髪の人は信を置けないとして嫌われた。イスカリオテのユダが赤毛だったという伝説とも関連している(シェークスピア《お気に召すまま》)。旧約聖書のカイン,ゲルマン神話のロキ,エジプト神話の悪神セトなどいずれも赤毛で,ルナールの《にんじん》の主人公も赤毛である。また,アフロディテや三美神(カリテス)の髪は紫色だったという。復讐の三女神(エリニュエス)アレクト,ティシフォネ,メガイラの髪は黒蛇であり,メドゥーサのたぐいなく美しい髪はアテナの怒りにふれて蛇にされた。
髪は権威や力も象徴する。旧約聖書《士師記》のサムソンは髪に怪力の秘密があることを妻デリラに打ち明け,そられて捕らえられたが髪は伸びて再び力を得,3000のペリシテ人が屋根にいる家の柱を倒してともに死んだ。メガラ王ニソスNisosは白髪の中に1本の緋(ひ)色の毛があり,これが強力な統治権を保証していたが,敵将ミノスに恋した娘スキュラSkyllaに切りとられた。釈迦の小相八十種好の一つに〈螺髪は右旋し群青色〉とあって縮毛が威厳をつくっている。また髪は頭や人を代表するとも考えられた。親友エンキドゥの死体の周囲にギルガメシュは髪を引き抜いてまき(《ギルガメシュ叙事詩》),ヘクトルを倒したアキレウスは自分の亜麻色の髪を切り取って彼の手に残した(《イーリアス》)。ヘクトルの母ヘカベは灰色の髪を愛児の墓に残している。またナルキッソスが水仙に化したとき,水の精たちは切った髪を彼に供えた(オウィディウス《転身物語》)。
髪の毛を火にくべると気違いになるという俗信は日本各地にあるが,外国では切った髪は焼かねばならず,鳥に拾われて巣に運ばれると頭痛が起こるとされたりする。髪を夜切れば娘の性的魅力がそがれるとか,乗船中に髪を切れば嵐を呼ぶなどともいう。子どもたちが友情を誓うのに髪を抜いて風にとばし合う(フランス,オーベルニュ地方)など俗信は多い。
執筆者:池澤 康郎 髪は意志の制御を超えて増殖し,直接的に生命現象を反映するために,神聖さと同時に忌(いみ)の対象ともされてきた。とくに,女の黒髪は生命力や神霊の宿るものとして神聖視され,願掛けの際に神に捧げたり,船霊(ふなだま)の神体にするほか,貞節のしるしとして夫の棺桶に入れることも行われた。また沖縄ではオナリ神である姉妹の髪の一部を兄弟が守護霊として身につける風習も見られた。江戸時代には青森の船乗りは航海中に嵐に遭遇するとマゲを切って静まることを祈り,無事に帰港すると神社に奉納し神に感謝した。
〈髪長(かみなが)〉という言葉は僧や女の忌詞(いみことば)であるが,異常に長い髪は神霊と交霊する巫祝(ふしゆく)の特徴ともされ,こうした神に仕える女性の存在は髪長媛や静御前などの伝説として各地に残されている。髪は神聖視される一方で,婚礼や葬式などのハレの機会に髪を覆いかくす風習もあり,けがれたものともみられていた。垂れた伸ばしほうだいの髪が自然やエロスの象徴とすれば,結い整えた髪は文化や秩序を表象するものといえ,産忌中の女性は忌明けまではけがれたものとして髪を結うのを禁じられている。髪をそったり結ったりすることや髪形を変えることは宗教儀礼や通過儀礼の上で新しい身分への移行と結びつけられている。
髪は象徴性が高く両義的なものであるから,髪をめぐる俗信も多い。髪を燃やすと気が狂うとか貧乏になるといい,縁側で髪をといて鳥の巣に作り込められると気が狂うという。道に捨てた髪をカラスがつまんでいくと腹痛になるという所もある。また洗髪をしてはならぬ日も定められており,さらに雨とか夜に洗髪すると親の死にめに会えないともいう。近世の郭(くるわ)でも縁日とか毎月一定の日に遊女の髪洗日が設けられていた。また験(げん)をかついで髪を洗わない風もみられ,洗髪もある意味で秩序を更新するものとみることができる。夜に髪を結うと発狂するとか,若白髪(わかしらが)は福運のしるしとされるほか,頭の毛を人に踏まれると頭の病になるとか,逆に夏やみしないともいわれる。害獣除けのために髪を焼いたり,上棟式で弓に髪を結いつけて魔除けとする風もある。また髪切といって夜中に往来で元結からマゲが切られるという怪異があったことも近世の文献などにみえる。
→毛
執筆者:飯島 吉晴
髪を洗うことで,シャンプーともいう。漢字の〈沐〉と同義語。洗髪は近世まで容易なことではなかった。洗髪料,湯水の便ばかりではなく,洗髪を忌み嫌う日があったりして,暦日にも左右されることがあった。10世紀初めの《延喜式》に,宮中では沐槽(かしらあらいふね)と洗料として泔(ゆする)(米のとぎ水)と澡豆(そうず)(白あずき粉)が使われていたことが記載されている。《宇津保物語》にも〈御髪(みぐし)すまし〉といって髪洗いのようすが描かれている。鎌倉時代ころまでは,ビナンカズラを水に浸しその滲出粘液を洗髪と整髪に用いた。ムクロジ,サイカチの水溶性粘液も手軽に使われた。室町から江戸時代にかけては,洗料も小麦粉,ふのり,粘土,滑石,緑豆,生大豆粉,ツバキの油粕,卵の白身など高級なものも使われだした。髪形の変化から,髷を固め光沢を出すための固練りの伽羅之油(きやらのあぶら)などが使われるようになると,それを洗い落とすため火山灰土や灰汁(あく)も利用された。明治に入ってセッケンが一般に普及すると,男性の洗髪はもっぱらセッケンによることになるが,女性の日本髪や洋髪などには,白土(はくど)を混ぜた髪洗粉が使われた。シャンプーというようになるのは1932年ころで,このころのものは現在と組成が違って粉末セッケンが主体であった。1955年ころから粉末から粒状,さらにペースト状,液状のものに移行していった。ふけの発生やかゆみを防ぐ,二硫化セレンやジンクピリチオン配合のふけとりシャンプーなどの製品もある。主原料からみると,セッケン系統のもの,石油系合成ソープレスソープ,高級アルコール系の三つがあり,作用からいえば陰イオン(アニオン)界面活性剤によるものが圧倒的に多い。
→洗粉 →髪油
執筆者:坂口 茂樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…一般に生物の体表に生じた微小な直径をもつ細長い構造物を総称するが,その本態は,生物のグループにより,また体の部位により種々さまざまである。しかし普通に毛という場合,哺乳類の毛をさすことが多い。
【哺乳類の毛】
哺乳類の毛は哺乳類特有のもので,クジラ類の大半を除くすべての種類が多かれ少なかれ毛を備えている(クジラ類の多くは口の周辺に少数の毛をもつ)。毛は,皮下に斜めに埋もれている毛根および毛球と,皮膚外に露出する毛幹の3部分に区別される。…
…しかし,人骨の人種特徴は後期旧石器時代以後,つまり3万5000年前以後ようやくはっきりと分かれるようになった,と見る考え方が一般的である。皮膚の色や毛髪の特徴などは,ミイラの発見があるか人物画が描かれている場合を除けば知ることは不可能である。人種形成はまず進化学的要因によって説明されるべきである。…
※「髪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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