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ダグラス ダグラスDouglas, Archibald Lucius

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ダグラス
Douglas, Archibald Lucius

[生]1842. ケベック
[没]1913.4.12.
イギリスの来日顧問。イギリス海兵団に属し,中佐のとき,1873年7月,日本政府の招聘でイギリス海軍教師団首長として着任。海軍省雇となり,兵学寮における士官教育を,規則制定,教科編成にわたり主宰。かたわら,練習航海の必要を同省に建言し採用された。こうしてイギリス式海軍編制は彼により確立されたが,任期を待たず 75年に辞任して,帰国。のち海軍大将。

ダグラス
Douglas, Gavin

[生]1475頃
[没]1522.9. ロンドン
スコットランドの詩人,聖職者。2編の寓意詩『名誉の宮』 The Palace of Honour (1501) ,『ハート王』 King Hartのほか,ウェルギリウスアエネイス』の翻訳などがある。

ダグラス
Douglas, Sir James

[生]1286頃
[没]1330.8.25. アンダルシア
スコットランドの貴族。ロバート1世ブルースに仕えてイングランドとの戦いに功績を上げ,1314年6月バノックバーンの戦いでイングランド王エドワード2世の軍を壊滅させ,その後たびたびイングランドに攻め入った。1329年王が没すると,その心臓を持ってエルサレムへの巡礼の旅に出たが,途中イベリア半島でベルベル人と戦って戦死。

ダグラス
Douglas, James

[生]1803.8.15. イギリス領ギアナ,デメラーラ
[没]1877.8.2. ブリティシュコロンビア,ビクトリア
イギリスの植民地行政官。スコットランドで教育を受け,1821年ハドソン湾会社の社員となる。ロッキー以西の北アメリカを担当し,アメリカ合衆国とイギリス領北アメリカとの国境決定により,49年支社をオレゴンからバンクーバー島に移した。 51~63年バンクーバー島の総督をつとめたが,その間 58年に対岸の本土のフレーザー渓谷で金が発見され,アメリカをはじめ世界中の人が押しかけてゴールド・ラッシュとなるや総督の権限を本土にまで拡張して治安維持に努めた。イギリス政府は彼の勧告に従い,本土にブリティシュコロンビア植民地を設け,58~64年彼を総督に据えた。 64年にすべての公生活を退き,彼の建設したビクトリアに引退した。

ダグラス
Douglas, Keith Castellain

[生]1920.1.24. ケント,タンブリッジウェルズ
[没]1944.6.9. ノルマンディー
イギリスの詩人。オックスフォード大学に学び,第2次世界大戦に参加,ノルマンディー進攻作戦で戦死。北アフリカ駐留中に書いた作品が特に重要。簡潔で冷徹な筆致をもって真摯に生死のあり方を追求している。主著『全詩集』 Collected Poems (1951) 。

ダグラス
Douglas, Lloyd Cassel

[生]1877.8.27. インディアナ,コロンビア
[没]1951.2.13. ロサンゼルス
アメリカの小説家。ルター派のち組合教会派の牧師となり,50歳を過ぎてから小説を書きはじめ,処女作『偉大なる妄想』 The Magnificent Obsession (1929) で一躍有名になった。ほかに『われらのあやまちを許したまえ』 Forgive Us Our Trespasses (32) などの宗教小説,自叙伝,説教集がある。

ダグラス
Douglas, Norman

[生]1868.12.8. オーストリア,チューリンゲン
[没]1952.2.9. イタリア,カプリ島
イギリスの作家。外交官生活を経て,イタリアカプリ島に定住。島の風物や快楽的生活を扱った小説『南の風』South Wind(1917)のほか,『サイレンの住む地』Siren Land(1911),『古いカラブリア』Old Calabria(1915)などの優れた旅行記,自伝『顧みれば』Looking Back(1933)がある。

ダグラス
Douglas, Paul Howard

[生]1892.3.26. マサチューセッツ,セーレム
[没]1976.9.24. ワシントンD.C.
アメリカの経済学者,政治家。 1921年コロンビア大学より博士号取得。ワシントン大学など各地で経済学の教師をしたのち,25~48年シカゴ大学教授をつとめた。 47年アメリカ経済学会会長。 48~66年民主党所属の上院議員。現実の経済問題に深い関心をもち,統計的実証分析を導入,主著『賃金の理論』 The Theory of Wages (1934) や「コッブ=ダグラス型生産関数」の考案などで有名。第2次世界大戦中は海兵隊に入り沖縄で負傷。その他"Real Wages in the United States1890~1926" (30) など著書多数。

ダグラス
Douglas, Stephen Arnold

[生]1813.4.23. ブランドン
[没]1861.6.3. シカゴ
アメリカの政治家。 1843年以降,イリノイ州選出の連邦下院議員,連邦上院議員として,西部への領土拡張,大陸横断鉄道建設などを主張。彼の住民主権論は,各州に奴隷制度の決定権をゆだねるという理論で「カンザス=ネブラスカ法」 (1854) の論拠とされた。 58年イリノイ州連邦上院議員に再選されたとき,A.リンカーンとの間に奴隷制をめぐる有名な「リンカーン=ダグラス論争」を展開した。 60年民主党の大統領候補となったがリンカーンに敗れた。南北戦争の直前には南北和解に努めたが,戦争開始後にはリンカーンの連邦統一論を支持した。

ダグラス
Douglas, Thomas Clement

[生]1904.10.20. スコットランド,ファルカークー
[没]1986.2.24. オタワ
カナダの政治家。サスカチュワン州首相 (在任 1944~61) 。 1910年カナダへ移住し,マニトバ大学,マクマスター大学,シカゴ大学で学び,30年にバプテスト派の牧師となる。 35年協同連邦党から連邦下院に当選して政界に入る。 44年にはサスカチュワン州議会で協同連邦党が勝利を得て州首相に就任。この勝利は北アメリカにおける初の社会主義政権の誕生として注目され,数々の社会改革を遂行した。 61年新民主党の樹立とともに党首に推されるまで,州首相をつとめた。 62年再び連邦下院に当選。 71年に党首を退いたが,79年まで国会議員として政界で活動した。

ダグラス
Douglas, William Orville

[生]1898.10.16. ミネソタメーン
[没]1980.1.19. ワシントンD.C.
アメリカの判事。ホイットマン大学卒業。弁護士を経て,コロンビア大学とエール大学の法学教授を歴任し,1939年最高裁判所判事に任命された。進歩派判事の一人として活躍したが,75年に引退した。

ダグラス
Douglass, Frederick

[生]1817.2.7. メリーランド
[没]1895.2.20. ワシントンD.C.
アメリカの奴隷解放運動家。黒人奴隷の女性と白人男性を両親として生れた。8歳のときからボルティモアで家内奴隷として働き,その間に州法の禁止規定を無視した女主人の好意によって読み書きを学んだ。 1838年逃亡してマサチューセッツ州に移り,名前をダグラスと変え,労働者として生活する間に奴隷制廃止運動に参加。 45年に『フレデリック・ダグラスの半生』 Narrative of the Life of Frederick Douglassを出版。 45~47年イギリスとアイルランドを講演旅行し,黒人奴隷の身分的解放のみならず,社会的・経済的平等の実現を主張した。このとき得た基金でみずからの自由を買取り,47~60年ニューヨーク州ロチェスターで奴隷制反対を主張する『ノース・スター』紙を発行。南北戦争中は A.リンカーン大統領の顧問として北軍への黒人徴兵に努力し,戦後は黒人の市民権の完全な獲得を目指して活動し,女性解放運動を支持した。 82年自伝の決定稿として『フレデリック・ダグラスの生涯とその時代』 Life and Times of Frederick Douglassを刊行。また,ダグラスは連邦政府の要職についた最初の黒人であり,南北戦争後さまざまな官職をつとめ,89~91年にはハイチ公使兼総領事に就任した。

ダグラス
Douglas

アメリカ合衆国,アリゾナ州南東部の都市。大通りメキシコとの国境をなし,反対側はアグアプリエタの町である。 1900年に銅精錬の町として建設され,その後灌漑発達によって牧畜農業が行われるようになった。人口1万 2822 (1990) 。

ダグラス
Douglas

イギリスとアイルランドの間,アイリッシュ海北部中央にあるマン島の都市。イギリス国王の直轄地である同島の行政中心地で,島の中部南東岸に位置する。 16世紀には小漁港にすぎなかったが,18世紀に密貿易によって急速に発展。市内にはモナ城 (1804) やレフュージ塔 (1832) などの歴史的建築物がある。主産業は観光業で,島の観光中心地となっており,マン島 TTレースとして知られる国際的なオートバイレースが行なわれる6月,マン島グランプリレースが行なわれる9月を中心に観光客が多い。ほかに精密機械,ビール醸造,ミネラル・ウォーターなどの工業がある。リバプールから船便があり,ロンドン,リバプール,マンチェスターなどからは航空路も開かれている。人口 2万6218(2006)。

ダグラス
Douglas, Kirk

[生]1916.12.9. ニューヨーク,アムステルダム
アメリカ合衆国の俳優,プロデューサー。本名 Issur Danielovitch。Isadore Demskyとも呼ばれる。強い意志をもつ情熱的なヒーローおよびアンチ・ヒーロー役を得意とする。両親はユダヤ系ロシア移民。セントローレンス大学およびアメリカ演劇アカデミー在学中に劇場案内係,ホテルのベルボーイ,ウェーター,プロレスラーなどさまざまな職を経験し,卒業後は端役としてブロードウェーの舞台に立った。1943~44年海軍で兵役につき,除隊後まもなくハリウッドデビューを果たす。『チャンピオン』Champion(1949)で冷酷なボクサー役を演じてアカデミー賞主演男優賞候補となり,スター街道を歩み始める。ビンセント・ミネリ監督の『悪人と美女』The Bad and the Beautiful(1952)と『炎の人ゴッホ』Lust for Life(1956)でもアカデミー賞主演男優賞にノミネート。その後も西部劇の傑作『OK牧場の決斗』Gunfight at the O.K. Corral(1957)や,スタンリー・キューブリック監督の『スパルタカス』Spartacus(1960)など質の高い作品に次々出演し,トップスターの地位を守り続けた。1970年代に入ると監督業に乗り出し,海賊コメディ "Scalawag"(1973)と,シニカルな西部劇『明日なき追撃』Posse(1975)の 2本を手がけた。1995年アカデミー賞名誉賞を受賞した。

ダグラス
Douglas, Michael

[生]1944.9.25. ニュージャージー,ニューブランズウィック
アメリカ合衆国の映画俳優,プロデューサー。フルネーム Michael Kirk Douglas。映画界の大物カーク・ダグラスとイギリスの女優ダイアナ・ディルの息子として生まれ,父親の撮影現場に同行するうちに映画制作について学んだ。カリフォルニア大学サンタバーバラ校で演劇を学んだのち,"Hail, Hero!"(1969)で映画デビュー。ベテラン俳優カール・モールデンと共演したテレビドラマ『サンフランシスコ捜査線』The Streets of San Francisco(1972)で注目を集めた。『カッコーの巣の上で』One Flew Over the Cuckoo's Nest(1975)で制作を手がけたのを機に,プロデューサーとして頭角を現す。この映画はアカデミー賞作品賞,主演男優賞(ジャック・ニコルソン),主演女優賞(ルイーズ・フレッチャー),監督賞(ミロス・フォアマン),脚色賞の主要 5部門を制覇した,ハリウッド史上 2本目の作品となった。代表作の一つとなった『危険な情事』Fatal Attraction(1987)では,不倫相手の女性に執拗につきまとわれる妻子ある男を好演。『ウォール街』Wall Street(1987)ではモラルのかけらもない非情な投資家をみごとに演じ,アカデミー賞主演男優賞を獲得した。父親同様,道徳性を欠く役柄を演じることで成功をつかんだ数少ない俳優の一人である。プロデューサーとしても『フェイス/オフ』Face/Off(1997)など数多くのヒット作を手がけている。

ダグラス
Douglas, Jesse

[生]1897.7.3. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]1965.10.7. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の数学者。ニューヨーク市立大学とコロンビア大学に学び,1920年にコロンビア大学で博士号取得。1930~36年マサチューセッツ工科大学 MIT,プリンストン高等研究所 IAS,1942~54年コロンビア大学などで教授を務め,1955~65年にはニューヨーク市立大学で教鞭をとった。1936年,ノルウェーのオスロで開催された国際数学者会議において,プラトー問題の解決により第1回のフィールズ賞を受賞した。プラトー問題は,与えられた境界に対して,それを境界にもつ面積が極小の曲面を求めるもので,スイスの数学者レオンハルト・オイラーとフランスの数学者ジョゼフ・ルイ・ラグランジュによって 1760年に提出された。1849年にベルギーの物理学者ジョゼフ・プラトーにより,針金を境界とする石鹸膜によってこのような極小曲面をつくる実験がなされた。数学的な極小曲面の存在の証明は,1931年にダグラスと,ハンガリー生まれでアメリカで活躍した数学者ティボール・ラドーによって,それぞれ独立になされた。さらに,ダグラスは古典的な変分問題の精密化によって,極小曲面が求められることを示した。のちに群論においても,二つの生成元をもつ有限群の決定について重要な業績を残した。

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デジタル大辞泉の解説

ダグラス(Douglas)

英国イングランドアイルランドの間にあるマン島南東部の港湾都市。同島の首都。17世紀から18世紀にかけて貿易拠点として発展。島の歴史や世界的に有名なオートバイレースを紹介するマンクス博物館がある。

ダグラス(Frederick Douglass)

[1818~1895]米国の黒人運動家。奴隷の子として生まれたが北部に逃亡。奴隷制廃止運動に尽力し、リンカーン大統領選挙を後援するなど黒人の権利獲得に大きな役割を果たした。ハイチ駐在アメリカ公使などを歴任。著作に「フレデリック=ダグラス自叙伝」がある。

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百科事典マイペディアの解説

ダグラス

米国のマクダネル・ダグラス会社が製造した一連の輸送機。1934年の革新的な双発全金属製引込脚機DC2に始まり,以後DC3〜7のDCシリーズ(プロペラ機)は,第2次大戦前から戦後にかけて世界民間航空機の代表的地位を占めた。

ダグラス

イタリア生れの人類学者。英国,米国で活動。象徴の問題,特に人間が外界を認識する際の秩序体系を研究。タブー視され忌避される事物は体系の境界や周縁に位置しており,それらの排除は秩序を維持するための営為であると論じた。
→関連項目文化人類学

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ダグラス Douglas, Archibald Lucius

ドーグラス

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朝日日本歴史人物事典の解説

ダグラス

没年:1913.3.13(1913.3.13)
生年:1842.3.4
イギリスの海軍軍人。明治新政府が海軍軍人養成のために招いた教師団の団長。幕末,幕府,諸藩ともに西洋式海軍の導入に力を入れたが,明治3(1870)年海軍はイギリス式軍事編制を採用することになり,教師団派遣をイギリス政府に依頼。6年7月27日,ダグラス中佐を団長とする教師団34名が来日,東京築地にあった兵学寮で教育した。寮の規則を改正し,授業開始の5分前に集合することなどを定めた。常勤の乗組士官や専任英語教員を雇い入れ,さらに実地教育を重視し遠洋航海による乗艦実習を開始。これにより海軍教育システムが整えられた。教え子である山本権兵衛,斎藤実 らは,日清・日露両戦争で活躍し,さらには海軍の運営に重要な役割を果たした。8年7月25日離日。海軍教育への貢献で日本政府から勲一等旭日章を贈られた。1901年中将に進み,1905年ポーツマス軍港司令長官。大将で退役。<参考文献>篠原宏『日本海軍お雇い外人』

(山村義照)

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世界大百科事典 第2版の解説

ダグラス【Frederick Douglass】

1817‐95
アメリカの黒人指導者。奴隷の子としてメリーランド州に生まれ,21歳のとき北部に逃亡,以後奴隷解放運動に挺身,女性の平等への運動にも貢献した。名演説家としても知られたが,1845年に自伝を出版,これは改訂増補を重ねて92年に完成する。1847年には奴隷解放のための新聞《北極星》を創刊(のちFrederick Douglass’ Paperと改称)。南北戦争後も黒人の平等のため努力。しだいに連邦政府からも認められて,71年駐サント・ドミンゴ(ドミニカ共和国)大使館付き書記官,77年首都ワシントンの連邦執行官,89年にはハイチ駐在アメリカ公使となった。

ダグラス【George Norman Douglas】

1868‐1952
イギリスの小説家。オーストリア生れ。イギリスの名門私立中学を中退してドイツで教育を受けた。1893年外交官となり各地を遍歴動物学にもかなりの業績を示した。1901年退職。17年カプリ島を扱った高度に知的なファンタジー小説《南の風》で名声を確立した。以後《彼らは行った》(1921),《砂漠の泉》(1923)などの小説や数多くのエッセーを発表しているが,一種の旅行記《なつかしきカラブリア》(1915)を除いては《南の風》に匹敵するものはない。

ダグラス【Stephen Arnold Douglas】

1813‐61
アメリカの政治家。1843‐47年イリノイ州選出連邦下院議員,47年以降は連邦上院議員。準州をめぐる南北の対立を調停すべく活躍。54年のカンザス・ネブラスカ法案は,ダグラスの提案になる。58年の州選挙では準州における奴隷制の合法性をめぐって有名な〈リンカン=ダグラス論争〉を展開するが,その結果,南部の支持を失い,60年の大統領選挙では,民主党の指名を獲得しながらリンカンに敗北を喫してしまう。【長田 豊臣

ダグラス【William Orville Douglas】

1898‐1980
アメリカの法律家。ミネソタ州生れ。1925年にコロンビア大学卒業後,同大学ロー・スクールの講師を経て,イェール大学ロー・スクール教授(1931‐39)を務め,当時は破産法を専門とした。また,合衆国証券取引委員会委員(1934‐36),同委員長(1936‐39)を務めた後,1939‐75年合衆国最高裁判所裁判官に在任。この36年という在任期間は,これまでの最長記録である。H.L.F.ブラックと並んで,最高裁の中のリベラル派を代表するとともに,裁判所みずからの価値基準によって積極的に立法の内容を審査していくという司法積極主義の代表的な人物であった。

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大辞林 第三版の解説

ダグラス【Frederick Douglass】

1818~1895) アメリカの黒人運動家。奴隷の子として生まれたが北部へ逃亡。奴隷制廃止運動と黒人の権利獲得に生涯を捧げた。

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367日誕生日大事典の解説

ダグラス

生年月日:1892年3月26日
アメリカの経済学者,政治家
1976年没

ダグラス

生年月日:1838年8月23日
イギリスの中国および日本研究家
1913年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

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