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ムーア ムーア Moore, Edward

27件 の用語解説(ムーアの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ムーア
ムーア
Moore, Edward

[生]1712
[没]1757
イギリスの劇作家。喜劇『ジル・ブラス』 Gil Blass (1751) ,悲劇『ばくち打ち』 Gamester (53) の作者。いずれもドルアリー・レーン劇場で上演された。

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ムーア
ムーア
Moore, George (Augustus)

[生]1852.2.24. メーヨー,バリグラス
[没]1933.1.21. ロンドン
アイルランドの小説家。父は国会議員。パリで文学者や画家のグループと交わり,フランス自然主義文学,特にゾラの影響を受けた小説をもってロンドンの文壇に登場。その後しばらく故国に定住,イェーツグレゴリー夫人らに協力してアイルランド文芸復興運動に参加したが,晩年はロンドンに戻った。

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ムーア
ムーア
Moore, George Edward

[生]1873.11.4. ロンドン
[没]1958.10.24. ケンブリッジ
イギリスの哲学者。ケンブリッジ大学教授 (1925~39) として,また哲学雑誌マインド』の編集主幹 (21~47) としてイギリス哲学界における主導的役割を果した。 1903年『倫理学原理』 Principia Ethicaおよび『観念論の論駁』 The Refutation of Idealismを発表,この2作は当時のイギリス哲学界に流行していたヘーゲル主義的,カント主義的観念論を批判したもので,新実在論呼ばれるムーア自身の哲学の出発点であった。

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ムーア
ムーア
Moore, Gerald

[生]1899.7.30. ウォトフォード
[没]1987.3.13. バッキンガムシャー
イギリスのピアニスト。現代最高の伴奏ピアニストとして世界的に知られた。特にディートリヒ・フィッシャー=ディースカウエリザベスシュワルツコフの伴奏者として知られ,従来の伴奏の域をこえた音楽をつくりだした。

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ムーア
ムーア
Moore, Henry

[生]1898.7.30. ヨークシャーカッスルフォード
[没]1986.8.31. ハーフォードシャー,マッチハダム
イギリスの彫刻家。炭鉱労働者の子として生れ,第1次世界大戦に従軍し,退役後彫刻家を志し,1919~21年リーズ美術学校,21~24年ロンドンのロイヤル・アカデミーに学ぶ。この間,大英博物館の原始彫刻,古代彫刻に強い影響を受けた。

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ムーア
ムーア
Moore, Henry Ludwell

[生]1869
[没]1958
アメリカの経済学者。ジョーンズ・ホプキンズ大学で学位を取得し,1896年同大学講師,スミス・カレッジを経て 1902年コロンビア大学教授。計量経済学の先駆者の一人であり,賃金論や景気変動論でもすぐれた貢献をし,部分均衡理論に基づく個別的需要関数の統計的導出を初めて行なった。

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ムーア
ムーア
Moore, Sir John

[生]1761.11.13. グラスゴー
[没]1809.1.16. コルニア
イギリスの軍人。アメリカ独立戦争に参加したのち,一時下院議員をつとめた。 1796年西インド諸島,97~99年アイルランドで軍務につく。 1801年 R.アバークロンビー指揮下のエジプト遠征に参加。

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ムーア
ムーア
Moore, Marianne Craig

[生]1887.11.15. セントルイス
[没]1972.2.5. ニューヨーク
アメリカの女流詩人。ブリン・モー・カレッジ卒業後,教職についたりしながら,『詩集』 Poems (1921) ,『観察』 Observations (24) を発表。 1925~29年文芸誌『ダイアル』の編集にたずさわり,29年以後ニューヨークに移って文筆活動に専念し,多くの詩集を出した。

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ムーア
ムーア
Moore, Stanford

[生]1913.9.4. シカゴ
[没]1982.8.23. ニューヨーク
アメリカの生化学者。 1938年ウィスコンシン大学で学位取得。ロックフェラー研究所医学部門研究員 (1939) ,ロックフェラー大学教授 (52) 。各種蛋白質から得られるアミノ酸ペプチド類のクロマトグラフィーによる分析,特にリボヌクレアーゼの構造決定で知られる。

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ムーア
ムーア
Moore, Thomas

[生]1779.5.28. ダブリン
[没]1852.2.25. ウィルトシャー,デバイジス
アイルランドの詩人。アイルランド古謡の調べに合せて作詞した抒情詩集『アイルランド歌曲集』 Irish Melodies (1807~35) によって,アイルランドの国民詩人と称された。ほかに東洋的な物語詩『ララ・ルーク』 Lalla Rookh (17) ,摂政の宮に対する風刺詩『2ペンスの郵便行嚢』 The Twopenny Post-Bag (13) ,愉快な書簡詩『パリのファッジ家』 The Fudge Family in Paris (18) などがある。

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ムーア
ムーア
Moore, Grace

[生]1898.12.5. アメリカ合衆国テネシースラブタウン
[没]1947.1.26. デンマークコペンハーゲン
アメリカ合衆国のオペラ歌手,女優。フルネーム Mary Willie Grace Moore。オペラ界と映画界で人気を博し,批評家にも高く評価された。メリーランド州チェビーチェイスの音楽学校に在学中の 1919年,ワシントンD.C.のナショナル・シアター開かれたリサイタルに出演し,初めて公の場で歌声を披露。

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ムーア
ムーア
Moore, Charles Willard

[生]1925.10.31. ミシガンベントンハーバー
[没]1993.12.16. テキサスオースティン
アメリカの建築家。 1947年ミシガン大学を卒業後,プリンストン大学大学院で建築を学んだ。エール大学建築学部長を務めるなど,アメリカの多くの大学で教鞭をとる。 1962年に北カリフォルニアに週末共同住宅シーランチを設計。

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ムーア
ムーア
Moore,Gordon E.

[生]1929.1.3. カリフォルニア,サンフランシスコ
アメリカの科学者・技術者で,世界最大の半導体メーカーインテルの共同創業者。カリフォルニア大学バークリー校,カリフォルニア工科大学大学院を経て,1953年ジョンズ・ホプキンズ大学応用物理学研究所研究員に就任。

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デジタル大辞泉の解説

ムーア(George Edward Moore)

[1873~1958]英国の哲学者。分析哲学を提唱。新実在論を説き、倫理学上の善は直接的に自明な本有的価値であり、定義不可能とした。著「倫理学原理」など。

ムーア(Henry Moore)

[1898~1986]英国の彫刻家。生命感あふれる、有機的形態の抽象彫刻を制作。

ムーア(Thomas Moore)

[1779~1852]アイルランドの詩人。独立運動に参加、国民詩人として名声を博した。「アイルランド歌謡集」、長詩「ララ‐ルーク」など。

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百科事典マイペディアの解説

ムーア

英国の哲学者。ケンブリッジ大学教授。1903年《マインド》誌上に〈観念論論駁〉を発表,T.H.グリーンブラッドリーボーザンケトらのヘーゲル主義的観念論に反対し,意識外部の対象の存在とその直接的認識の可能性を説き,日常言語分析や感覚所与理論の先駆者となった。(1873-1958)

ムーア

アイルランドの詩人,小説家。青年期パリで絵を学ぶ。《エスター・ウォーターズ》(1894年)などのフランス自然主義の影響を受けた小説や自伝的小説《若い男の告白》を書く。(1852-1933)

ムーア

英国の彫刻家。ヨークシャーに坑夫の子として生まれる。奨学金を得て美術学校に進むが,学校よりも大英博物館で見たメキシコの先コロンブス期の石彫をはじめとする原始彫刻や未開彫刻に関心を持つ。(1898-1986)

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世界大百科事典 第2版の解説

ムーア【Albert Joseph Moore】

1841‐93
イギリス,後期ビクトリア朝を代表する新古典主義の画家。肖像画家の父に手ほどきを受けたのち,生地ヨークのデザイン学校を経て,ローヤルアカデミースクールに学ぶ。ラファエル前派の影響を受け,また,パルテノン彫刻,日本の版画に強い刺激を受けた。彼の興味は常に色彩を追求することにあり,テーマを古代ギリシア婦人に定め,その日常的なポーズ組合せをくりかえし描いた。【湊 典子】

ムーア【Gerald Moore】

1899‐1987
イギリスのピアニスト。1920年代半ばから伴奏ピアニストとして活動を始める。67年に引退するまでおよそ40年にわたってF.I.シャリアピンH.ホッターE.シュワルツコップV.デ・ロス・アンヘレスD.フィッシャー・ディスカウらと組んでステージに上り,シューベルトからウォルフやR.シュトラウスに至るドイツロマン派の歌曲,あるいはフォーレドビュッシーの近代フランス歌曲にすぐれた解釈を示した。レコードも多い。

ムーア【George Augustus Moore】

1852‐1933
アイルランドの詩人,小説家。メーヨー県ムーア・ホールに生まれる。国会議員を務めた地方名士の子。1873年パリに赴き,当時の前衛芸術家たち,マラルメをはじめとする象徴派詩人や印象派の画家たちの間で青春を過ごし,初めは《情熱の花》(1878)などの象徴派風の詩作にふけった。79年に帰国後は小説に転じ,転落した女の悲惨な生活を描いたゾラ風の小説《役者の妻》(1885),《エスター・ウォーターズ》(1894)などでイギリス自然主義の代表的作家となった。

ムーア【George Edward Moore】

1873‐1958
イギリスの哲学者。初めF.H.ブラッドリーの新ヘーゲル主義の影響を受けたが,やがて外的事物や時空をはじめとして常識で〈ある〉とされるものはみな存在すると考えるようになる。その考察は緻密・執拗で,認識,存在,倫理の諸原理を概念分析によってとらえようとするもので,その方法は日常言語分析の先駆とされる。ラッセルとともに感覚所与理論を提唱し,倫理学においては善を分析不能な単純なもので,自然的事物やその性質とは本質的に異なるものとしながらもその客観性を認め,それは一種の直観によってとらえられるとする。

ムーア【Henry Moore】

1898‐1986
イギリスの彫刻家。ヨークシャーのキャッスルフォード生れ。第1次大戦従軍のため,20歳を過ぎてから美術学校へ入学したが,学校よりも大英博物館へ通って原始彫刻や未開彫刻の影響を大きく受けた。とくに関心を寄せたのはメキシコの先コロンブス期の石彫で,それがムーアの出発点となった。1929年トルテカのチャク・モール像の形態に示唆されて人体の横臥像に興味をもち,最初の《横たわる人体》を制作し,これが生涯のモティーフとなった。

ムーア【Marianne Moore】

1887‐1972
アメリカの詩人。セント・ルイス生れ。名門女子大学ブリン・モアを出て,1925‐29年ニューヨークで前衛的な文芸誌《ダイアル》の編集に携わる。以後,終生ニューヨークに住み,独身を通した。彼女の詩には,英語詩には珍しくことばを音節単位に細分するなど,流動的で,きわめて繊細な音の流れをもつエキセントリックなものが多い。日常の生活語を用い,一見散文のように見えるが,リズム,ことばの色彩,イメージの組合せから起こる機知などによって,高度の詩的緊張を生み出している。

ムーア【Thomas Moore】

1779‐1852
アイルランドの国民詩人。自由,愛,思い出をテーマに美しくもの悲しい旋律の抒情詩を書いた。故郷のポピュラーな民謡に歌詞をつけた《アイルランド歌曲集》10巻(1807‐34)は有名で,なかに日本でも知られている哀愁の詩〈夏の最後のバラ〉(邦題〈庭の千草〉),〈しずかな夜〉〈タラの館に鳴りしハープ〉などがある。このほかエキゾティックな物語詩《ララ・ルーク》(1817)のロマンスや,《書簡詩とオード》(1806),《パリのファジ家》(1818)のような風刺詩に才能を発揮,伝記《バイロン》(1830)や翻訳《アナクレオンのオード》(1800)もすぐれている。

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大辞林 第三版の解説

ムーア【Moore】

〔George M.〕 (1852~1933) アイルランドの小説家。社会の暗黒面を暴露的に描く自然主義小説を書いた。代表作「青年の告白」
〔George Edward M.〕 (1873~1958) イギリスの哲学者・倫理学者。分析哲学の唱導者。ヘーゲル主義的観念論を批判,新実在論の先駆となる。倫理学では,善は直覚の対象であり定義できないとした。著「倫理学原理」「哲学研究」など。
〔Henry M.〕 (1898~1986) イギリスの彫刻家。材質を尊重しながら,新しい彫刻空間を実現させ,現代彫刻の新生面を多方向に開拓。デッサン・リトグラフの傑作も多い。作品「横たわる人体」「聖母とキリスト像」など。
〔Marianne M.〕 (1887~1972) アメリカの女流詩人。知性と機知に富んだ詩を書き,客観派の詩人と呼ばれた。詩集「観察」「全詩集」など。
〔Thomas M.〕 (1779~1852) アイルランドの詩人。アイルランドの心情をうたった抒情詩が知られる。「名残のばら」(邦題「庭の千草」)を含む「アイルランド歌曲集」など。

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世界大百科事典内のムーアの言及

【モロ族】より

…16世紀後半にフィリピンを占領したスペイン人植民者によって命名された。スペイン人は8世紀にアフリカ北西部(ローマ時代のマウレタニア,現在のモロッコ,モーリタニア地方)からイベリア半島へ進出してきたアラブやベルベル人をモロ(ムーア人)と呼んだ。マウレタニアの住民を指すラテン語マウルスmaurusがその語源である。…

【唯美主義】より

…作品の価値はそこに盛られた思想あるいはメッセージではなく形態と色彩の美にある,と主張する。イギリスの詩人スウィンバーンがA.J.ムーアの絵《アザレア》(1868)を〈この絵の意味は美そのものだ。存在するということだけが,この絵の存在理由だ〉と絶賛した言葉が,唯美主義を端的に示している。…

【感覚】より

…〈感覚与件sense‐datum〉の語はアメリカの哲学者J.ロイスに由来し,いっさいの解釈や判断を排した瞬時的な直接経験を意味する。代表的な論者にはB.A.W.ラッセルおよびG.E.ムーアがおり,そのテーゼは事物に関する命題はすべて感覚与件に関する命題に還元可能である,と要約される。マッハに始まるこれら現代経験論の思想は,要素心理学や連合心理学の知見,およびそれらの基礎にある恒常仮定(刺激と感覚との間の1対1対応を主張する)とも合致するため,19世紀後半から20世紀初頭にかけて大きな影響力をもった。…

【善】より

…分析哲学では,自体的善と手段としての善という伝統的な形式的区別を踏まえて,自体的善としての道徳的善は自然的な諸性質を表す語では定義できないことを明らかにする試みがなされた。その源流に位置するのが,道徳的善はある単純な定義できない性質だとするG.E.ムーアの主張である。デューイも,その形而上学的考察,特に人間の経験に関するその見解から,善についてのいっさいの経験に共通の性質としての究極的な自体的善の探究は失敗すべく運命づけられているという,分析哲学の場合と同様な結論に達した。…

【当為】より

…また,理論理性と実践理性を区別するとともに自然的傾向性からの道徳的当為法則の独立性を説いたカントに方法二元論を帰する見解もあるが,これには異論もある。方法二元論が明示的に提唱されるようになったのは大陸においては新カント学派,とくに西南ドイツ学派以降であり,英語圏においては20世紀初頭に〈自然主義的誤謬〉批判(倫理的言明を自然的事実言明に還元するのは論理的誤謬であるという批判)を展開したG.E.ムーア以降である。 また,大陸における方法二元論はラートブルフやケルゼンのような法哲学者の思考様式を規定する一方,19世紀末から20世紀初頭にかけての社会科学方法論争の焦点となったM.ウェーバーの没価値性テーゼの哲学的基礎をもなしている。…

【日常言語学派】より

…言語使用のあり方は人工言語学派の考えるように形式的に法則化できず,とくに使用の具体的条件に依存すると考えるからである。日常言語への定位は,存在や善の概念を分析したケンブリッジ大学のG.E.ムーアによって先鞭をつけられ,日常的言語使用のあり方は中期以降のウィトゲンシュタインの考察の中心となった。一方,オックスフォード大学のJ.L.オースティン,G.ライル,ストローソン等もやや独立に日常言語の分析から哲学的問題に接近した。…

【ブルームズベリー・グループ】より

…メンバーは,姉妹のそれぞれ夫になるクライブ・ベル,レナード・ウルフをはじめ,J.M.ケインズ,リットン・ストレーチー,ロジャー・フライ,E.M.フォースターらで,美術評論家,政治評論家,経済学者,小説家など多分野にわたっているが,いずれも同世代でケンブリッジのトリニティ,キングズ両学寮で学んだ。そして当時の哲学教師G.E.ムーアの《倫理学原理》(1903)の中の〈最も価値あることは人の交わりの喜び,美しいものを享受すること〉という文句に影響されていた。彼らの姿勢は既成のこわばった道徳観念の打破,柔軟な不敬の念,進歩・自由への信念,美への専心ということに集約される。…

【分析哲学】より

…言語の分析にかぎらず広く言語の考察から哲学的問題に迫ろうとする哲学をすべて〈分析哲学〉と呼ぶこともあるが,これは不正確である。 言語分析は20世紀の初頭,B.A.W.ラッセルG.E.ムーアによって始められたといってよい。彼らは当時イギリスにおいて盛んであった,世界は分析しがたい一つの総体だとするヘーゲル的思考に反対して,世界は複合的なものであり,要素に分解しうるとし,この考えを実体間の外在的関係の理論によって論理学的,形而上学的に基礎付けた。…

【イギリス美術】より

…その中でわずかに注目されるのがフランスからやってきたゴーディエ・ブルゼスカHenri Gaudier‐Brzeska(1891‐1915)で,抽象的な作品により新境地を開いたが,24歳の若さで戦死した。1930年代になって,真の国際的名声と影響力をもったイギリス最初の彫刻家といえるH.ムーアとヘプワースBarbara Hepworth(1903‐75)が制作を開始する。共にヨークシャー出身で,しなやかな曲線でかたどられたその形態は,いわゆる生体的(バイオモーフィック),有機体的なふくらみやボリュームを見せる。…

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