日本大百科全書(ニッポニカ) 「平和(peace)」の意味・わかりやすい解説
平和(peace)
へいわ
peace
平和の概念は、大きく分類すれば消極的平和と積極的平和との二つに分かれる。この二つの平和概念は、いずれも歴史的かつ文化的な特殊性を帯びていると同時に、他方、それぞれの歴史の位相、文化の位相において普遍的な性格をも示してきた。一定の歴史的・文化的な位相に置かれた平和の概念において中心部と周辺部とで相対立する内容が表明されているようなこともまれではない。そのこと自体、平和概念を検討する際、普遍的性格の理論化を無視できないことを反映している。しかし、平和概念の普遍的性格をその特殊的位相においてとらえることは、かならずしも容易ではない。そこでは理想と現実との間で大きな乖離(かいり)が往々にしてみられるからである。核ミサイルの時代においては、文明のこういった発展段階において、平和のどういった特殊性が普遍的な理論化のなかで位置づけられてグローバルな平和を創出しうるかということが最大の争点となるであろう。現代において平和を探求する究極的課題もまた、ここにあるといわなければならない。
[関 寛治]
戦争の欠如態としての消極的平和
消極的平和は戦争の欠如態を意味する。科学技術の発達とともに大規模戦争が非戦闘員の大量虐殺につながるようになったことは、文明の発展段階が高次化したことの逆説的なアイロニーでもあろう。確かに、科学技術が高度に発達した西側あるいは東側先進諸国の間での大規模戦争の頻度は理論的にも現実的にも著しく減少(核時代においてそれはゼロに近づきつつある)した。しかしそれがゼロとならない限り、人類死滅につながりうるような核戦争勃発(ぼっぱつ)の究極の危険性はつねに残る。
これら諸国内で、大規模戦争の歴史的経験が遠ざかるにつれて、平和が失われたときのイメージも風化してゆくのは当然である。今後の戦争を過去の戦争からの類推で専門家も考えるし、素人(しろうと)もまた戦争体験の風化や欠如のゆえにむしろ戦争を古典的な形で美化して描きがちである。戦争が勇気とか献身とか忠誠とかに表現されるような人間倫理にとって好ましい情感の対象としてノンフィクションものや戦記物などで描かれるようになると、その傾向は、敵からのありうべき脅威という宣伝と容易に合流するようになる。次の戦争に対しても、戦争の科学的現実からまったく切り離された主観的、民族主義的なレベルで考えられるようになる。戦争を受け入れ可能な、あるいは場合によっては必要な手段だとみなす人口のパーセントも急激に増加するようになろう。
こういった風潮のクロニカルな(慢性的な)出現を制度的に保障してきたものは、過去において戦争を合法的な問題解決の手段と考えてきた主権国民国家の主権性の根強い残存である。主権国民国家の主権概念は、軍事力と領土と国民との3要素を中核にして組み立てられている。主権国民国家の集合からなるいわゆる歴史的ウェストファリア国際システムでは、戦争と平和との交代的な生起が当然のことでもあった。ここではいずれの主権国民国家も安全保障を国益の中心的価値に据えて、勢力均衡政策によって国益の増大を図ってきたわけである。しかし勢力均衡政策を採用する主要国家は一方で平和の確保を目的としながらも、いったん平和が破られれば戦争に勝利するという態勢を整えておかなければならない。いうまでもなく覇権国家の場合には覇権の安定性を死活的に重要視するから、それを確保すること自体を平和の第一条件とするようになる。覇権秩序維持のためには、圧倒的な軍事力による世界的戦略体制が築かれざるをえない。しかし覇権国家に対する軍事的挑戦国家が現れれば、ナンバーワンの地位を継続的に確保しなければならないということで国民的ストレスも著しく増大する。挑戦を受けた覇権国家は優越性が脅かされる閾値(しきいち)に近づくと、なりふりかまわず軍事力を増強し、いざとなれば勝利しうる戦略を求めて軍拡競争が未曽有(みぞう)の規模で激化することになりかねない。
第二次世界大戦後の挑戦国家、ソ連はなんとかして覇権国家アメリカと均等の地位に達することで安全保障を全うしようとしてきた。軍事的側面で挑戦国に原理的になりえない国は、覇権国と挑戦国とのいずれかの陣営と同盟関係を結び、いわゆる核の傘に入ろうとする。それによって平和を維持する政策を採用することが同盟諸国にとっては普通のことになった。これら同盟国に対しては、覇権国家の定義した国際公共財(たとえば安全保障費用)への貢献が平和のために要求される。しかし周辺部諸国のなかには、同盟関係から離脱して非同盟・中立に近づくことによって平和と安全とを求める国々の数も増大する。歴史的・文化的位相の違いからする平和概念(国際公共財概念を含む)の特殊的多様化は、平和概念の普遍的性格とオーバーラップしながら開花することになるのである。すなわちここでは、すでに消極的平和概念は積極的平和概念と密接に連係しあう関係に置かれている。
[関 寛治]
積極的平和概念の主張
積極的平和概念は、グローバルなレベルでの覇権国家による平和(=大規模戦争の欠如態)が三つの点で著しく不安定な平和であることを示すことによって自らの正当性を主張する。積極的平和概念は、いずれにせよ、パックス・アメリカーナによる平和が現実には平和なき状態(ピースレスネス)であるという議論を出発点にせざるをえない。平和の両定義が中核に位置づけられるのもここに根拠がある。
まず第一に、科学技術の発達とともに核ミサイルの命中精度が著しく向上したので、第一撃に対抗する確証相互破壊(MAD)が崩壊し、核抑止の安定性が失われる。現在、最先端的な地位にある核戦略家の認識が、この点では先進国内部の反核平和運動のリーダーによっても共有されるようになった。核戦略の内在的矛盾の発展の結果としての核戦争の危機は、いわゆる偶発、誤算、事故などによる核戦争勃発の確率をも著しく高めざるをえない。覇権国家による消極的平和は崩壊寸前なのである。
第二に、核抑止戦略体制下でもおびただしい数の戦争が、世界の周辺部で、すなわち第三世界や第四世界の内部で起こっている。核抑止戦略下では消極的平和が安定的であるに応じて、それに比例するように第三世界での通常戦争や、ゲリラ戦争、または国家間あるいは国家内対立に関係したテロリズム頻発の傾向が高まっている。これは覇権国のための覇権国による消極的平和がパックス・アメリカーナの衰退のなかで自ら内在的にもつアイロニーであろう。覇権国家下の平和は、たとえ大規模核戦争を避けることに成功したにせよ、消極的平和概念によって定義されてきた戦争の欠如態さえも実現していない。
第三に、この議論がいっそう推し進められると、核戦争の危機や通常戦争あるいはゲリラ戦争の多発をもたらした根本的要因がもともと覇権国家間の消極的平和概念のなかに内包されていたのではないかという理論にまで到達しえよう。この理論が構造的暴力概念を広義に解釈したピースレスネスの概念にまでつながりうるのは当然である。ピースレスネスとは具体的には、極度の貧困、非衛生状態、政治的抑圧、文化的疎外、人種差別、非識字などであるが、これらはいずれも構造的暴力によって生み出されている。それ自体が人間の身体・精神の自由に対する侵害である。こういった広義の構造的暴力が存在している限り、安全価値を追求するべきもともとの前提条件さえも満たされていない。広義の構造的暴力は、グローバルな覇権国家中心の秩序を維持するための垂直な支配形態のネットワーク形成の力学によって生み出されている。覇権国家交代が繰り返される秩序そのものの変革がなされない限り戦争の根絶は不可能である。覇権国家下の消極的平和は、こういったことを論拠とすれば、間違った平和理論によって基礎づけられているといえる。
[関 寛治]
構造的暴力をめぐって
しかし消極的平和と積極的平和とを以上のようなレベルで定義づける限り、相互の対立によって表面化するトレード・オフ(矛盾)関係はきわめて深刻な局面を迎える。構造的暴力の除去を非暴力的に達成する理論を発展させない限り、デッドエンドである。構造的暴力の除去そのものが直接に戦争につながる危険性もある。
アメリカ平和研究のパイオニア、ラパポートは、完全な健康よりは、病気そのものが医学の研究対象になってきたのだから、平和研究でも、構造的暴力の欠如した理想的状態よりは、戦争そのものに焦点をあてることが関心の中心に置かれなければならないと述べている(『広島平和科学』)。ラパポートはまた、戦争原因は絶えざる脅威を構成しているがゆえに、それを実証的に認識することは容易であり、それと闘う方法も脅威の性質に応じてさまざまな方法で探求が可能であると結論する。これに反して究極的善、すなわちいっさいの構造的暴力の除去は、哲学的概念としては意味があっても実際的平和を確保したり実現したりするためにかならずしも適切な研究対象になりえないと述べ、それが実現不可能であるとも論ずる。
1983年から86年までIPRA(国際平和研究学会)事務局長を務めたアルジャーは、経験主義的アプローチで許されるすべての手段の採用によって、消極的平和を確保し実現するための提案を行う。過去において政府と非政府機関とのいずれの政策決定者もこのように広い手段をけっして全面的には用いようとしなかった。消極的平和の達成が失敗した理由もここにある。アルジャーはこう述べて、次の八つのカテゴリーに分類される手段を列挙する。(1)軍事力の利用と管理、(2)第三者の役割、(3)政治権力の集中と統一、(4)人民、集団、個人の自決、(5)経済的福祉と公正、(6)草の根の運動、(7)非暴力、(8)公共財の支配。これら八つのカテゴリーはそれぞれのなかでさらに細分化され、合計23の手段が提案されている(Alger : The Quest for Peace)。このアプローチでは積極的平和概念に基づくピースレスネスの諸問題(核戦争の脅威、軍事独裁、飢餓、文化的疎外、人種差別など)の具体的などれか一つだけを取り上げ、これこそいちばん優先的に解決さるべき課題だと主張する姿勢に対して批判的である。アルジャーによれば、特定の状況から生まれた積極的平和にとっての問題点を、他の状況から生まれた問題点に優先させて後者を第二次的なものとして扱うならば、20世紀後半の人類の相互依存の深化状況や構造的暴力の諸次元を実際上理解不能に陥れてしまう。それぞれの解決手段も、それらが出現した歴史的状況に照らして効果が判定されるべきである。こうしてアルジャーは今後25年間の平和戦略の策定にあたっても、数多くの手段をそれぞれの状況に応じて全面的に活用するべしと説き、そのための研究調査の必要性に言及する。
アルジャー的アプローチでは、積極的平和概念の重要性を認めながらも、個々の問題点の除去に直接突進するのではなく、消極的平和概念を状況に応じて経験的に連結させながら平和状態を創造しようとする。覇権国家中心の平和理論を乗り越える平和のグランド・セオリーはいまなおできていない。アルジャー的アプローチが平和概念との関係でより実際的である理由もここにある。
しかしポスト覇権システムの平和理論を軍事的、経済的、学術文化的の3ネットワーク間の進化によって把握するためには、地球的発展へ向かっての離陸をどうしたら創出できるかについての限界発展要因(各時点で突出した発展要因)の継起的序列を描き出す必要がある。日本の歴史的経験では、教育研究レベルの継起的発展段階を通して過去の発展の軌跡を描きうる。現代の限界発展要因は教育・研究のハイテク化・情報化・国際化であり、かつ世界的ネットワーク化でもあるという結論になろう。この段階において消極的平和の条件が積極的平和の条件と共鳴現象をおこせば両者のトレード・オフ関係も消失し、真の地球的発展への離陸がおこることになろう。ここではホリスティック=テクノクラティックな対話(具体的には指導者と技術者との対話)も成立し、この対話が地球的発展への離陸の触媒にもなりえよう。
[関 寛治]
文化的平和概念
積極的平和概念をもっとも広い意味で把握しているのは文化的平和概念である。古代ユダヤ教のシャーロームにおける正義への志向、古代ギリシアのエイレネや古代ローマのパックスにおける秩序への志向、中国や日本の和平・平和および古代インドのシャーンテイにおける心的状態の重視はその例である。さらに仏教の涅槃(ねはん)では最高の負のエントロピーの状態が表現される。平和を創出するうえで仏教の役割は、構造的暴力を完全に欠いた最高の平和=涅槃の実現である。しかし涅槃(=完全平和)は実現不可能であるから、理想世界を観念的に描くにとどまりがちである(スリランカの激化する人種紛争のなかで仏教思想のもつ意味は示唆的である)。このような文脈において日本経済の地球的拡大が地球的規模での発展への離陸にどう貢献しうるかという観点が必要になる。アルジャー的アプローチをこの枠組みのなかに位置づければ、構造的暴力除去に向かってもより現実的かつ理想主義的な一歩が踏み出されよう。日本文化もこの次元で初めて世界平和に貢献しうるのである。
[関 寛治]
『Johan GaltungTwenty-Five Years of Peace Research : Ten Challenges and Some Responses, J.P.R., vol.14, No.1 (1977)』▽『E.K.BouldingTwelve Friendly Quarrels with Johan Galtung, J.P.R., vol.22, No.2(1985)』▽『C.F.AlgerThe Quest for Peace, Quarterly Report., vol.11, No.2(1986, The Ohio State University)』▽『高村忠成編訳『平和の創造と宗教』(1986・第三文明社)』