志摩(市)(読み)しま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「志摩(市)」の意味・わかりやすい解説

志摩(市)
しま

三重県中東部にある市。2004年(平成16)志摩郡の浜島(はまじま)、大王(だいおう)、志摩、阿児(あご)、磯部(いそべ)の5町が合併、市制施行して成立(志摩郡は消滅)。志摩半島の東南部を占め、東から南は太平洋(遠州灘・熊野灘)に面する。変化に富むリアス海岸をなし、的矢(まとや)湾、英虞(あご)湾が深く入り込み、安乗(あのり)崎、大王(だいおう)崎、御座岬(ござさき)などが太平洋に突き出ている。大部分が隆起海食台地で低地が少ない。近畿日本鉄道志摩線、国道167号、260号、パールロード(県道128号鳥羽阿児線)が通る。

 先土器から弥生(やよい)時代まで遺跡が分布する。古墳は後期の前方後円墳や円墳群がみられ、5世紀と考えられる塚原古墳(円墳)からは画文帯環状乳神獣鏡(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)が出土している。阿児町国府(こう)は古代の志摩国府所在地と考えられ、志摩国分寺跡がある。伊勢神宮御厨(みくりや)があり、中世は神宮領として海産物などを供した。的矢湾奥の伊雑ノ浦(いぞうのうら)のさらに奥に伊雑宮(いざわのみや)が鎮座する。伊勢内宮(ないくう)の別宮で、6月に行われる御田植神事(磯部の御神田(おみた)として国指定重要無形民俗文化財)など祭事は内宮同様で、20年に一度の式年遷宮もある。伊雑ノ浦北側の磯部町山田の小海(おかい)には中世に製塩炉があった。近辺では内宮権禰宜(ごんねぎ)で伊雑宮宮司荒木田氏の邸跡と伝える室町時代の住居跡も検出されている。14世紀後半には紀州から入った九鬼氏大王崎に波切(なきり)城を築いて志摩を支配した。

 江戸時代は鳥羽藩領。リアスの溺谷が複雑に入り組む海岸は天然の良港で、漁港、あるいは江戸・大坂を往復する廻船の風待港として繁栄した。安乗崎の安乗は的矢湾の湾口に位置し、船問屋、船宿妓楼(ぎろう)などがあった。的矢湾北岸の的矢は漁業中心で神宮に魚を献上していたが、風待港としても殷賑(いんしん)を極め、数十軒に及ぶ船宿や置屋が軒を連ね藩の番所も置かれた。志摩半島東南端の先志摩(さきしま)半島にある越賀(こしか)は、江戸に向かうが東風で大王崎を通過できない船の避難港であった。的矢湾に浮かぶ島の渡鹿野(わたかの)にも船宿があった。これらの村からは藩主の参勤交代時に伊良湖(いらご)(愛知県田原市)や大崎(愛知県豊橋市)などへ船を出したこともある。

 沿岸漁業を中心にカツオ、サバ、マグロ、アノリフグ、伊勢エビ、宝彩(車)エビなどの水揚げがある。また海女漁業では日本有数のアワビ漁獲高を誇る。的矢カキ、ハマチ、ノリ、ウナギ、タイなどの養殖、英虞湾では真珠の養殖が行われる。農業はカンショ、南張(なんばり)メロン、越賀茶などを栽培。全域が伊勢志摩国立公園に含まれ、英虞湾に浮かぶ賢島(かしこじま)などを中心に観光業も盛んで、観光施設の充実がはかられている。県の水産研究所、栽培漁業センターがある。面積178.95平方キロメートル、人口4万6057(2020)。

[編集部]


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