デジタル大辞泉
「武」の意味・読み・例文・類語
ぶ【武】
1 戦いに関するわざ・力。武芸。兵法。戦力。兵力。「武を尚ぶ」⇔文。
2 勇ましいこと。武勇。
「―を高く振るひ」〈浮・伝来記・七〉
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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ぶ【武】
- 〘 名詞 〙
- ① 勇ましいこと。たけだけしいこと。勇敢な行為。武勇。
- [初出の実例]「文にも非ず、武にもあらぬ四宮に、位を越られて」(出典:保元物語(1220頃か)上)
- [その他の文献]〔詩経‐鄭風〕
- ② 軍事に関する威力。武威。武力。兵力。また、いくさ。戦争。
- [初出の実例]「武は万機に振ひ」(出典:日本霊異記(810‐824)上)
- [その他の文献]〔春秋左伝‐哀公二三年〕
- ③ いくさの方法や戦闘の術。兵法。武術。武芸。
- [初出の実例]「武を好む人多かり」(出典:徒然草(1331頃)八〇)
- [その他の文献]〔礼記‐月令〕
- ④ 武官。武人。
- [初出の実例]「五衛府。軍団及諸帯レ仗者。為レ武」(出典:令義解(718)公式)
- [その他の文献]〔淮南子‐覧冥訓〕
- ⑤ 長さの単位。一歩(六尺)の半分。三尺(約九〇・九センチメートル)。〔国語‐周語下〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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普及版 字通
「武」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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武
ぶ
古代中国南朝の史書にみえる、5人の倭王(わおう)(讃(さん)、珍(ちん)、済(せい)、興(こう)、武)の1人。雄略(ゆうりゃく)天皇に擬せられる。
[編集部]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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武
ぶ
「宋書」倭国伝に記される倭の五王の1人。5世紀後半頃の王。済(せい)の子,また興(こう)の弟。興の死後に王となった。478年中国南朝に遣使して上表し,みずからの国土平定の事績をのべるとともに,高句麗の非道を訴え,それに対抗する決意を示した。宋の順帝はこれに対し,安東大将軍の号を与えた。宋の滅亡後も南朝の斉・梁に遣使し,鎮東大将軍(479年),征東大将軍(502年)の号を与えられた。雄略天皇の名の幼武(わかたける)の「タケル」を漢訳したとする説が有力。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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武 たけ
?-? 江戸時代中期の紀行文作者。
7代尾張(おわり)名古屋藩主徳川宗春につかえ,春の一字をあたえられて春日野あるいは阿春とも称した。名古屋から江戸にもどるさい紀行「庚子道の記」をかく。一説には4代藩主徳川吉通の正室九条輔子の侍女とも。天明2年(1782)80歳余で死去したという。通称は白拍子武女。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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武
生年:生没年不詳
江戸中期,紀行文『庚子道の記』の著者。白拍子武女ともいう。尾張(名古屋)藩7代藩主徳川宗春に仕え天明2(1782)年に没したともいうが,横井也有の写本添書から,仕えたのは4代藩主徳川吉通と夫人九条氏で,夫人が江戸から尾張へ行くのに従った際の紀行文とわかる。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の武の言及
【倭の五王】より
…[倭]の五王と中国南朝との交渉は,421年,倭讃が[宋]に使者を派遣したことから始まった。宋の武帝は倭讃の朝貢を喜び,これを任官した。任官内容は不明であるが,のちの例から見ると,倭讃はこのとき,安東将軍・倭国王という官爵号を授けられたものと思う。…
※「武」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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