ハミルトン(英語表記)Alexander Hamilton

デジタル大辞泉 「ハミルトン」の意味・読み・例文・類語

ハミルトン(Hamilton)

ニュージーランド北島北部の都市。ワイカト平野を流れるワイカト川沿いに位置し、同国有数の酪農・農業地帯の中心地。1860年代にマオリとの入植者の間で争いが繰り返された。ワイカト大学、ワイカト博物館、ロトロア湖などがある。
米国オハイオ州南西部の都市。シンシナティの北約30キロメートル、グレートマイアミ川沿いに位置する。製鉄、自動車部品などの工業により発展。ピラミッドヒル彫刻公園がある。
カナダ、オンタリオ州南東部の都市。トロントの南東約60キロメートル、オンタリオ湖西岸に位置する。古くから製鉄業が盛ん。交通の便がよいため、果物やなどの農産物の集散地となった。滝が多いことでも知られる。

ハミルトン(William Rowan Hamilton)

[1805~1865]アイルランドの数学者・理論物理学者ダブリン大学トリニティーカレッジ在学中に天文学教授となる。光の波動論を支持し、光学系に特性関数を導入して幾何光学の基礎を作り、さらに力学の全分野に拡張して解析力学の基礎を確立。著「光線系の理論」。

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精選版 日本国語大辞典 「ハミルトン」の意味・読み・例文・類語

ハミルトン

  1. ( Hamilton )
  2. [ 一 ] カナダ南東部、オンタリオ湖の西岸にある工業都市。ナイアガラ滝・デキュー滝などによる水力発電をもとに、製鉄・機械・繊維などの工業が発達。
  3. [ 二 ] アメリカ合衆国中東部、オハイオ州南西端の都市。製紙・機械・化学工業が発達。

ハミルトン

  1. ( William Rowan Hamilton ウィリアム=ロウワン━ ) イギリスの数学者、物理学者、天文学者。幾何光学および四元数論に関する業績がある。ダンシンク天文台長としても活躍。主著「四元数講義」。(一八〇五‐六五

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改訂新版 世界大百科事典 「ハミルトン」の意味・わかりやすい解説

ハミルトン
Alexander Hamilton
生没年:1755?-1804

アメリカの政治家。西インド諸島ネビス島に生まれ,1773年アメリカに渡り,キングズ・カレッジ(現在のコロンビア大学)に学んだ。独立革命中はワシントンの副官として活躍,戦後はニューヨークで弁護士を務めた。強力な中央政府確立の必要を主張し,合衆国憲法の制定運動に尽力,その批准の際にはJ.マディソン,J.ジェーの協力を得て,アメリカ政治思想史上著名な《フェデラリスト》(1787-88)を著して憲法を擁護した。89-95年ワシントン政権の初代財務長官を務め,《公信用に関する報告書》《国立銀行に関する報告書》(ともに1790)などを連邦議会に提出,戦時公債全額を額面どおり連邦政府公債に借り換え,第一合衆国銀行を創設し,蒸留酒消費税(これに反対してウィスキー一揆が起こる)などの新税制を整備し,貨幣法を制定するなど,財政金融上の重要な政策をやつぎばやに遂行して,公信用ならびに連邦政府の財政的基盤を短時日に確立した。しかし,このためT.ジェファソン国務長官と事ごとに対立し,ジェファソンを中心とする反対党の形成を招いた。

 彼はさらに,経済通の補佐官T.コックスの協力を得て作成した《製造工業に関する報告書》(1791)において,後進国の工業保護育成論を展開し,その実践として大規模な模範工場(いわゆるSUM)の設立を試みた。この計画は失敗に終わったが,彼の保護主義論は後年レーモンドDaniel Raymond,ケアリーHenry C.Careyなどの保護主義論者ならびにドイツのF.リストに強い影響を与えた。財務長官退任(1795)後弁護士業に従事するとともに,ジェー条約批准を促進するなど内政・外交にわたりフェデラリスツの強力な指導者として活躍したが,J.アダムズ大統領と対立し党の分裂を招いた。政争がもとで起こったA.バーとの決闘において重傷を負い急逝した。1780年彼はオルバニーの大地主スカイラーの娘エリザベスと結婚し8人の子をもうけている。
執筆者:


ハミルトン
William Rowan Hamilton
生没年:1805-65

アイルランドの数学者,物理学者。ダブリンに生まれ,数学,光学,力学を一体のものとして研究し,新生面を開いた。幼時から数学に優れた才能を発揮し,15歳前後にI.ニュートンの《プリンキピア》を読んで天文学に興味をもち,1822年P.S.ラプラスの《天体力学》を読み,誤りを発見した。27年ダブリン郊外のダンシンク天文台の所員,またトリニティ・カレッジの天文学教授となった。天体観測は得意ではなかったが,数学的,理論的な思索に多くの時間を費やした。32年ローヤル・ソサエティ・オブ・アイルランドの会員となり,37年から8年間,その会長の地位にあった。早くから光学に数学的な考えを導入し,幾何光学の新しい数学的定式化を提唱した。その結果,幾何光学と力学とはまったく類似の形をとることになり,光学的観点から見れば光の粒子性,波動性の二重性にとくに立ち入る必要がなくなることを強調した。ハミルトンの力学における業績は,J.L.ラグランジュの考えを別の観点から推し進めたものであり,発表当時は叙述のせいもあってあまり評価されなかったが,量子力学の誕生とともにその価値が認められた。その理論の数学的部分は,ドイツの数学者C.G.J.ヤコビによって明快なものとなり,ハミルトン=ヤコビの理論として有名である。ハミルトンの四元数は彼がもっとも力を注いだものであり,《4元数講義》(1853)は736ページの大著である。概して論文は難解で観念的である。ハミルトンは文学,哲学に強い関心を示し,詩的精神が知的活動にとって重要であることを強調した。
執筆者:


ハミルトン
Hamilton

カナダ,オンタリオ州の工業都市。大都市域人口71万4935(2005)。州南部,オンタリオ湖西端の湖岸都市で,交通の便がよい。1778年に最初の集落がつくられたが,1813年,ジョージ・ハミルトンの農場ができてから発展した。1830年には港,50年代には鉄道が開通した。93年には製鉄所ができ,現在,カナダ第1の製鉄都市となっている。果物,花などの農産物の集散地でもある。マクマスター大学所在地。
執筆者:


ハミルトン
Hamilton

ニュージーランド北島北部の都市。オークランドの南南東約110km(道路距離),ワイカト川中流に臨む。人口13万1400(2005)。酪農を中心とした北島の代表的な農牧地帯の中心都市,北島第3の工業都市で,食品工業はじめ各種工業が発達し,空港(国内線),ワイカト大学がある。1864年に築かれた軍事拠点を起源とし,名称はマオリとの戦いで戦死した軍人名に由来する。1945年市制をしいた。
執筆者:


ハミルトン
Edmond Hamilton
生没年:1904-77

アメリカの大衆的なSF作家。夫人のブラケットLeigh BrackettもSF作家として知られている。《スター・キング》(1951),《時果つるところ》(1951)など宇宙文明を扱った作品が優れているが,一般には人気の冒険活劇シリーズ《キャプテン・フューチャー》(1940-51)の作者として名高い。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「ハミルトン」の意味・わかりやすい解説

ハミルトン

米国の政治家。独立戦争中G.ワシントンの副官として活躍,戦後は中央政府強化論を主唱。ワシントンの下で初代財務長官(1789年―1795年)となり,公債の処理,合衆国銀行の設立等連邦財政の基礎を固め,また産業育成を提唱した。フェデラリスツの指導者として活躍したが,政敵A.バーとの決闘で死亡。J.マディソン,J.ジェーとともに米国政治思想上の最重要文献とされる《ザ・フェデラリスト》(1787年―1788年)を執筆。
→関連項目ウィスキー一揆

ハミルトン

英国の画家。ロンドン生れ。1956年制作のコラージュ作品《何が一体今日の家庭をこんなにも魅力的にしているのか?》(チュービンゲン美術館蔵)は,ボディ・ビルダーの裸体やヌードの女性,テープレコーダー,テレビなど,雑誌から切り抜いたイメージで現代的な家庭の室内風景を構成し,ポップアート誕生の記念碑的な作品となった。大衆文化に積極的な関心を示し,1963年以降はスクリーン・プリントの技法を用いて連作《スウィンギング・ロンドン》(1968年―1969年)など,写真を含むさまざまな素材のイメージを合成した作品を発表している。

ハミルトン

アイルランドの数学者,物理学者,天文学者。ダブリンの生れ。1827年ダンシンク天文台の所員。ハミルトンの特性関数を導入して幾何光学を体系化,ハミルトンの最小作用の原理,ハミルトンの正準運動方程式等により解析力学の基礎を確立。また四元数を発見。
→関連項目解析力学四元数

ハミルトン(カナダ)【ハミルトン】

カナダ,オンタリオ州南東部,オンタリオ湖西岸の都市。1813年,ジョージ・ハミルトンの農場が作られて以降発展。水陸交通の結節点をなす交通の中心。鉄鋼,電気機器,繊維,食品加工などの工業が盛ん。果実の大市場,マクマスター大学もある。51万9949人(2011)。

ハミルトン(ニュージーランド)【ハミルトン】

ニュージーランド北島の半島基部にある都市。豊かな平野の中心にあり,酪農,牧羊が盛んでチーズ,粉ミルクなどの工場がある。18万4838人(2006)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハミルトン」の解説

ハミルトン
Alexander Hamilton

1755~1804

アメリカ建国期の政治家。西インド諸島の生まれ。独立戦争中ワシントンの副官に抜擢され,ニューヨークの名門の女性と結婚した。連邦体制の強化に努力し,ワシントンの大統領就任とともに財務長官となり,連邦財政の基礎を固めた。その後も連邦党の指導者として隠然たる勢力を持ち続けたが,1804年政敵アーロン・バーから挑戦され決闘で死んだ。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ハミルトン」の解説

ハミルトン
Alexander Hamilton

1757〜1804
アメリカの政治家
独立戦争中,ワシントンの副官。中央集権強化のためアメリカ合衆国憲法の起草を推進し,起草完了後,批准促進のためジェー・マジソンと『フェデラリスト』を著した。ワシントン大統領の下で財務長官となり,合衆国銀行の設立,保護関税など財政政策を推進し,州権論をとる民主共和党と対立した。公私の宿敵バーと決闘して死亡。

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デジタル大辞泉プラス 「ハミルトン」の解説

ハミルトン

2015年初演のミュージカル。原題《Hamilton》。作詞・作曲・脚本:リン・マニュエル・ミランダ。アメリカ建国の父の一人と称されるアレクサンダー・ハミルトンの生涯をヒップホップ音楽に乗せて描く。2016年に第70回トニー賞(ミュージカル作品賞)、ピュリッツァー賞戯曲部門を受賞。

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世界大百科事典(旧版)内のハミルトンの言及

【バミューダ[諸島]】より

…大西洋航路の中継地,イギリス海軍の基地として利用されたが,現在はアメリカの空軍・海軍基地が設置されている。中心都市のハミルトンHamiltonではしばしば米英首脳会談が開かれた。 なお,バミューダとフロリダ,プエルト・リコの3点を結んだ三角地帯を〈バミューダ・トライアングル〉と呼ぶ。…

【摂動】より

…古典力学や量子力学において,解の求められている運動をする系に,さらに別の比較的小さな力が作用してもとの運動をわずかに変化させるとき,その小さな力の影響をいう。運動を規定するものとしては,ふつう系のエネルギーを表すハミルトニアンというものを使うが,摂動はそれに対する付加項として表される。太陽による惑星の運動に及ぼす他の惑星の力や,原子に作用する外部電場の作用などが摂動の例である。…

【摂動論】より

…近似解を求める方法として,物理的意味が明確であり普遍的に用いられるのが摂動論である。与えられた系に働く力(一般には系を記述するハミルトニアンH)を主要部分H0と残りの小さい摂動H′とに分ける。主要部分(H0)のみの場合の正確な解が求められているとき,この解をもとにして,摂動による補正を逐次近似で求める計算法が摂動論と呼ばれるものである。…

【波動力学】より

… シュレーディンガーの波動方程式は次のようにして与えられる。古典力学により電子を記述し,その座標をxi,共役な運動量をpiハミルトニアンH(xi,pi)とする。その表式においてpiを微分演算子(ħ/i)(∂/∂xi)でおきかえる。…

【ハミルトン関数】より

…例えば質点mの一方向の運動方程式,は,ハミルトン関数,から正準方程式,によって導かれることを見るのは容易である。H(p,q,t)の最後の変数tHに実際含まれていない場合,運動方程式はエネルギーの積分H(p,q)=Eを許すので,H(p,q,t)は一般に扱っている力学系のもつエネルギーを表す量と考えられ,ハミルトニアンなる用語は力学変数で表された系のエネルギーの代名詞として用いられることが多い。標準的な例として,真空の電磁場におかれた荷電粒子(質量m,電荷e)の運動を導くハミルトニアンは,ベクトルポテンシャルAとスカラーポテンシャルφを用い,で与えられるが,これは荷電粒子の(電磁場との相互作用を含む)エネルギーを表し,これに電磁場固有のエネルギーを表すハミルトニアンを加えたものが全系のもつエネルギーのハミルトニアンを与えることとなる。…

【ゼンガー事件】より

…約9ヵ月間獄中にあったが,ゼンガー夫人が獄中から原稿を受け取って新聞を出し続けた。同年8月4日に開かれた公判で,ゼンガーの弁護士ハミルトンAndrew Hamiltonは,言論の自由がいかに必要かを熱烈に訴え,記述内容の判断は裁判官のみが行い,陪審員は問題の新聞を出したかどうかだけの判断を求められる慣行に対して,陪審員も記述が真実か否かの判定をするように求め,〈無罪〉の評決を勝ちとることに成功した。この裁判の結果は,植民地時代のアメリカの新聞に本国政府を批判する実質上の自由を与え,独立戦争にいたる〈世論〉形成にも大きな役割を果たす里程標となった。…

【アメリカ合衆国】より

… 1787年起草の合衆国憲法の下では,共同の防衛に備え,合衆国陸海軍が常設されることになったが,同時に各州の民兵も組織,維持され,合衆国防衛は連邦軍と州兵との二重組織によって担当されることになった。建国当初フェデラリスト政権の下では,ハミルトンを中心に合衆国陸海軍の強化が企てられたが,1801年ジェファソンの大統領就任とともに常備軍の削減が行われ,以来合衆国は南北戦争のときは別として,19世紀末まで基本的には大規模な常備軍をもたずにすませてきた。これは,大西洋という自然の安全保障のおかげで,軍隊という人為的な安全保障装置が必ずしも必要とされなかったことによるところが大きい。…

【ウィスキー一揆】より

…ウィスキー反乱ともいう。1791年A.ハミルトン財務長官の提案にもとづき制定された内国消費税法は,巨額の公債利子支払いの財源捻出のため国産ウィスキーに対する課税などを決定した。ところが,民主的伝統ならびに反政府的気運の強いペンシルベニア西部では,農民が唯一の換金商品としてウィスキーを醸造していたので,この新税法は彼らに不当な財政負担をおわすものであるとしてこれに強く反対した。…

【ジェファソン】より

… 90年初代大統領G.ワシントンのもとに,国務長官に就任。しかし当時国務長官の権限は限られており,新興国としてのアメリカの基礎づくりは,財務長官A.ハミルトンの手になることが多かった。両者は財政政策・外交政策をめぐって激しく対立し,この対立は,アメリカ最初の全国的政党――フェデラリスツおよびリパブリカンズ――の形成に発展した。…

【重商主義】より

…政策史的には,ナポレオンの大陸制度,18世紀ドイツの領邦諸国家で〈官房学Kameralismus〉の名称で知られる経済・財政政策,本源的蓄積政策としての意義をもった1834年のドイツ関税同盟や1789年以後のアメリカの工業保護制度などが注目される。重商主義者としては,イタリアのA.セラ,フランスのJ.ボーダンA.deモンクレティアン,ドイツの官房学者J.J.ベッヒャーとJ.H.G.vonユスティ,保護主義者としてはフランスのF.V.D.deフォルボネ,J.A.シャプタル,ドイツの〈新重商主義者〉と呼ばれるF.リスト,〈アメリカ体制論者〉のA.ハミルトン,D.レーモントらが注目される人たちである。【時永 淑】。…

【フェデラリスト】より

…1787年起草のアメリカ連邦憲法案がいよいよ各州憲法会議の批准を得るにあたって,強い抵抗が予想された。ことにニューヨークにおいては反対論が激しかったので,賛成派のA.ハミルトン(後の初代財務長官)はJ.ジェー(後の初代最高裁判所首席裁判官),ニューヨーク滞在中のバージニアのJ.マディソン(〈憲法の父〉と呼ばれ,後の第4代大統領)とともに,ニューヨークの新聞紙上に匿名で憲法賛成論を展開,各地の新聞にも転載された。憲法案批准という具体的な政治的課題と取り組みながら,権力と自由,中央政府と地方政府といった基本問題をとりあげたこの所論は,立憲政治の真髄を説いたものというべく,アメリカ政治学史上の古典の地位を占めている。…

※「ハミルトン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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